静かな月を愛でながら
先日、長年私が思い馳せている竹内まりやさんの「純愛ラプソディ」の歌詞フレーズについて綴りました。
形では愛の深さははかれない
さよならが永遠の絆に変わることもある
すでにお読みいただいた方には、重複する内容となりごめんなさい。
さよならが永遠の絆に変わるということ。
長年考えてきたそのテーマに、「現地点の私」がようやく見出だせた答えは、次のようなものでした。
「実際どうかは分からないけれど、私はあなたとの絆を信じています」
ということになるかな。
すると、なんということでしょう。
この記事に対して、静月さんが思いがけずコメントを下さったのです。
(ご本人の了承を得て、ここに掲載させて頂きます)
日曜の朝に、静かな余韻をありがとうございました。 この記事を読んで、会わなくなった友人や、もう会えない恩人のことを思い出して、少し泣いてしまいました。 普段は思い出さないのに、こういう文章に触れると、ふっと浮かんでくる人たちがいるんですよね。 それだけで、もう十分幸せなのかもしれないな、と感じました。 「さよならが永遠の絆に変わるのか」という問いについて、少しだけ自分なりに考えてみたんですが、 もしかすると、 会わなくなった関係って、「終わった」のではなくて、「完成した」ものとして残っているのかもしれないな、と思いました。 続いている関係は変わり続けるけれど、終わった関係は変わらない。 だからこそ、壊れずに残る、というか。 もちろん、それを「絆」と呼べるかどうかは分からないんですが、 少なくとも僕の中では、 「もう会えないからこそ、消えないもの」になっている気がしています。 うまく言えませんが、 この記事を読んで、そんなことを考えました。 ありがとうございました🍀
率直に言いますと、このコメントをいただいて私はすごく嬉しかったです。
静月さんご自身の大切な方のお話や、絆についての想いを届けてくださったこと。
私が長年考え続けてきて、ようやく現地点だろうが、ひとまずかたちにできた想い。それは何やらズドーンと感傷的で、極めて個人的なテーマで。それにコメントを残すというのは、少なからずためらいもあったことではないかと思います。
でも、こうして一緒になって考えて下さった静月さん。なんてありがたいことなんでしょうか⋯!
静月さんの、終わったものではなく、完成されたものという捉え方、とても良いなと感じました。
もう会えないからこそ、その輝きの中に身を置くことができる。むしろそれ以上欠けはしない。すごく美しくて、素敵な捉え方だなって、また目から鱗でした。
もし、私が見ている月が三日月だったなら。影の部分は暗くて瞳に映すことが叶わない。けれど、誰かがくれた言葉によって、見えなかった部分がまたひとつ照らし出されたような。私の想いがより豊かに育まれる、そんな風に感じました。
とくに、一人で思い悩んでいたテーマに想いを届けてくださったことが、何よりとても嬉しいです。
静月さん、あらためて感謝申し上げます。
喫茶それなりさん、コハクシスさんにも温かいコメントをいただいています。
ぽかぽかあったかくなりました。
いつも本当にありがとうございます。
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そんな静月さんは、ご自身のページでかなり楽しいことをやっておられます。
脈々と湧き出す源泉のような、そのアイデアや企画力に、私はいつも驚嘆しています。
創作大賞、全ジャンルの執筆をされているとか、もう凄すぎて意味が分かりません。
ユーモア溢れる作品を綴られていると思いきや、キュッとするエッセイも綴られていたり、とてつもないものをお持ちの方だなぁと。
言い知れない何かを、私の何かがビンビン感知し、勝手に魅力を感じています。これからも静月さんの動きに目が離せません!
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終わりに。
記事を最後までお読みいただきありがとうございます。私はここで、日々たくさんのものを受け取っています。
いただいたご縁に、心より感謝いたします。
