人は同じ太陽の下、同じ暑さをくぐり抜けている…🌻暑中見舞い申し上げます☀️
暑中お見舞い申し上げます
窓を開けると、蝉の声が、朝から夏の空気を震わせています。
光はすでに真夏の色をしていて、 昨日までの自分を、そっと置き去りにしていくような、そんな眩しさです。
こうして暑中のご挨拶を書きながら思うのは、 夏というのは、季節の中でいちばん「今」を強要してくる時間だということ…。
春のように移ろいを待つ余裕もなく、秋のように過去を振り返る静けさもなく、 ただ、目の前の暑さに、体ごと向き合わせてくるように思います。
けれど、その暑さのなかにこそ、 氷を鳴らすグラスの音や、夕立の匂い、 風鈴がふと鳴る音、その一瞬の涼のような、 小さな救いがちゃんと用意されていると思いますね。
同じ夏でも、その姿はきっと、住む場所の数だけあるのでしょう。
都会の朝は、まずコンクリートの匂いから始まります。
夜のうちに冷え切らなかった熱が、朝になってもまだアスファルトの底に残っていて、一歩外に出た瞬間、それが足元から立ち上ってくる。
ビルの谷間を風が通り抜けるとき、それは涼しさというより、行き場を失った熱の吐息のようで…
だからこそ人は、氷の音のするグラスや、地下街の人工的な涼しさに、ほっと救われる。
効率よく涼を得る工夫…
日陰を選んで歩くという小さな知恵…
それもまた、都会という舞台の上で編み出された、立派な夏の過ごし方なのだと思います。
静けさの中で夏と呼吸を合わせる田舎と、忙しさの中に涼を探し当てる都会と。
向き合い方はまるで違うのに…
同じ太陽の下、同じ暑さをくぐり抜けているという一点だけは、不思議と重なり合っています。
どうかこの夏、
田んぼのそばで風を待つあなたにも…
ビルの影を選んで歩くあなたにも…
それぞれの涼を見つける時間がありますように…
令和八年 盛夏 Myra
