5父親になって、ようやく分かったこと 第5章 人生のベースライン
毎年、夏になると集まる仲間がいる。
高校時代、同じ吹奏楽部で三年間を過ごした仲間たちだ。
卒業して三十一年。
それぞれ違う道を歩き、仕事を持ち、家庭を持ち、少しずつ歳を重ねてきた。
それでも年に一度、同じテーブルを囲む。
今年も、そんな時間になるはずだった。
ところが店に、一人の懐かしい人が現れた。
高校時代の恩師だった。
仲間が内緒で声をかけてくれていたのだ。
三十一年ぶりの再会だった。
先生の顔を見た瞬間、素直に嬉しかった。
そして、ずっと伝えたかったことを思い出した。
私は高校時代、吹奏楽部に入った。
理由は単純だった。
高校野球の応援がしたかった。
そして、トランペットを吹きたかった。
華やかな音に憧れていた。
だから、担当する楽器がチューバだと知った時、
正直、少し残念だった。
自分が思い描いていた吹奏楽部とは違っていた。
そんな私に、先生が言った言葉がある。
「縁の下の力持ちにならないか。」
チューバは、低い音で音楽全体を下から支える楽器だ。
華やかな旋律を奏でることは少ない。
けれど、その低音がなくなると、音楽の土台が揺らぐ。
高校生だった私は、その意味をどこまで分かっていただろう。
ただ、不思議なことに、
先生のその一言だけは、ずっと心に残った。
卒業して、社会に出た。
薬剤師になった。
父親になった。
人を支える立場にもなった。
もちろん、いつも縁の下にいたかったわけではない。
自分が中心に立ちたいと思ったこともある。
自分の力で何かを動かしたいと思ったこともある。
けれど、三十一年を振り返ってみると、
私が長く続けてきたことは、少し違っていた。
誰かが困っていれば支える。
誰かが力を発揮できるように、環境を整える。
自分が目立つことよりも、
全体がうまく動くことを考える。
気がつけば、
私は何度も「縁の下」に戻っていた。
家庭でも、そうだったのかもしれない。
父親が、子どもの人生の主旋律を奏でることはできない。
子どもには、子どもの音がある。
父親にできるのは、
その音が安心して響くように、
下から支えることなのかもしれない。
先日、息子と高校野球を見に行った。
スタンドから、吹奏楽の音が聞こえてきた。
三十一年も経っているのに、不思議なものだ。
私の耳は、自然と低い音を探していた。
華やかな旋律ではない。
その下を流れている、
ベースラインだった。
チューバを吹いていた頃から、
ずっと好きな音だった。
そして今日、
三十一年ぶりに先生と再会して、
初めて一本の線につながった。
ああ、そうか。
私は、ずっとこの音を聴いてきたのかもしれない。
音楽だけではない。
人生の中でも。
前に出る音ではなく、
誰かを下から支える音。
目立たなくても、
なくなれば全体が揺らいでしまう音。
あの日、先生から渡された
「縁の下の力持ち」という言葉は、
知らないうちに、
私の人生の一番下を流れ続けていた。
私は、そのことを先生に伝えた。
「あの時の言葉が、その後の人生でもずっと残っていました。」
三十一年かかった。
ようやく言えた。
高校生だった私から見れば、
先生はずっと先を歩く大人だった。
ところが当時の先生の年齢を聞いてみると、
今の私は、もうその年齢を越えていた。
時間は確かに流れていた。
それでも、
あの日にもらった言葉は古くなっていなかった。
むしろ、自分が歳を重ねたからこそ、
ようやくその意味が分かるようになった。
人生を支える言葉とは、
聞いた瞬間に人生を変える言葉ではないのかもしれない。
何年も生きて。
迷って。
失敗して。
振り返った時に、
「ああ、自分はあの言葉を生きていたんだ。」
そう気づく言葉なのかもしれない。
そして今日、
そのことを本人に伝えることができた。
先生を呼んでくれた仲間がいた。
再会の場所をつくってくれた仲間がいた。
その人たちがいなければ、
この「ありがとう」は、
まだ心の中に残ったままだったかもしれない。
父親になって、
子どもに何を伝えられるだろうと考えるようになった。
けれどその前に、
私自身もまた、
誰かから言葉を受け取り、
支えられながら、
ここまで歩いてきた一人の子どもだった。
三十一年前。
先生から手渡された、一つの言葉。
それは気づかないほど静かに、
それでも途切れることなく、
私の人生の一番下を流れ続けていた。
私の人生には、
ずっとベースラインがあった。
そして今日、
その最初の音をくれた人に、
ようやく、
「ありがとう」
と伝えることができた。
