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ろうそくの火

だいぶ前の話ですが、祖母の法要でお坊さんのお話を聞きました。

その席で、三具足(みつぐそく/さんぐそく)についての説明がありました。仏具の呼び方の一つで、香炉・火立(燭台)・花立の三つの一揃いを指します。火立と花立がそれぞれ対になる場合は五つになるので、その場合は、五具足(ごぐそく)と呼ぶそうです。自宅には仮仏壇しかないし、実家にも正式な仏壇がなかったので、仏具に関する知識の無さを痛感しました。

お線香を焚いて場を清め、お花を飾って仏様をお迎えする——。以前読んだパトリス・ジュリアン氏の本『ライフ・レシピ』には、仏教では「香りはブッダの食べ物」と言われているという話が載っていて、「香りでブッダにラブレターを」という章題が添えられていました。

お坊さんは、お話の中でこんな質問をしてきました。
「ろうそくを立てるのは、なぜだと思いますか?」
そして、「お線香に火をつけるためでしょうか? 仏壇の中を明るくするためでしょうか?」といかにも思いつきそうな例を挙げ、考えるための間を開けました。「どちらも違う」とわかっていても、何も思いつきませんでした。

正解は、「仏様やご先祖様に、自分の姿をご覧いただくため」だそうです。

美しい心で暮らしているか。
故人が安心できるような生き方をしているか。
ろうそくの火は、自分自身に、いわばスポットライトを当てるためのものでした。

その話を聞いて、「本当に見守られているんだろうな」と思いました。
おそらく、大きくなった子どもを見守るような感じなのでしょう。手を差し伸べるわけではないけれど、その言動や選択を静かに見ている。成長を心から願っている。見守られているというのは、「自分という存在」を誰かが気にかけてくれているような、静かな安心感があります。「お天道様が見ている」という言葉と同じように、ズルをしそうになった時、卑怯な道を選びそうになった時、とどまらせてくれる力があると思います。

慌ただしい日常の中では、目の前のことに気を取られて、そういう存在のことはすぐに忘れてしまいます。でも、日々を無事に過ごせているのは、どこかで誰かが見守っていてくれるからなのかもしれません。
このようなことに、心を向けられるようにしていきたいです。

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