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【エッセイ】ま、いっか

相手を優先する人は生きづらい

自分を優先する人は生きづらい

相手のやることが気になる人は生きづらい

自分自身が気になる人は生きづらい



それを「生きづらいけど楽しいからいいんだ」
と思える人が


生きやすい


風呂に入って

サウナに入って

カップラーメンのしょっぱい汁を吸う


その瞬間に出る

空白の

「ま、いっか」



今の世の中ってさ。自主性やら多様性やら〇〇志向やら
自分らしく。自分という枠のために。
そういう空気が溢れているよね。

だからこそ。自分が息苦しいと、相手や物事に対して(あー!私はこうしたいのに!)って余計なストレスを浴びやすくなっちゃっているよね。

でもさ 
自分が「私らしく」って思っている時点で、相手も「自分らしく」生きてるんだよね。

自分が自分らしく生きるためには、相手の自分らしくも認めなくちゃいけない。

それを認めないと、ただのわがままなんだよね。

目玉焼きに「醤油をかけるべき」って私
目玉焼きに「ソースをかけるべき」ってあなた

どっちも自分らしく。なんだよね。

この企画はこうあるべき!と思う私
いやいやこっちがいい!と思うあなた

それにいちいち腹が立っているようではわがまま。
ジャッジメントは会社がすべきで。それぞれ企画書出して。通ればそっち。
「今回はだめか。ま、いっか」

何だよね。

女性はスカートを履くべき。という人
パンツ履いたっていいじゃん。という私。

それもそうでさ。
わざわざイライラしながら「パンツでもいいじゃん!スカートなんて!」と憤るのはわがまま。
だって。パンツを履きたい人とスカートを履きたい人。

どっちも「主体性」って多様性なんだよね。

結局。多様性って言葉を口から吐くぐらいなら、相手の事も相手の言い分も、「多様性だもんね」って認めたうえで、自分は黙ってパンツを履く。

生成AIなんてイラストじゃない!音楽じゃない!叫ぶ人がいるならいちいち突っかからない。だってそういう意見も多様性。

だまって生成AIを認めてくれる人同士で囲って生きていけばいい。


結局さ。多様性とか主体性とか、突き詰めると、

「相手の言葉に反応しない」という【孤独】に行き着くんだよね。

私は私で好きに生きる。だからあなたもあなたで好きに生きてね。

そうなっちゃうんだよね。

お互いを認めて?お互いに文句を言わない。

孤独や孤立。それが多様性。

じゃなんで私は叫ぶのか?

そんなの決まってるじゃん。

孤独や孤立が人間の行く末なんて寂しいからさ。

だからこそ、多様性や主体性じゃない。【熱】を感じたい。

だから叫ぶし、相手の事も理解したい。




だからこそ。思うんだよね。
相手が何が好きとか、私はこういう性格です。こういう病気です。って

多様な人がいる中で、もはやそんなものいらないんじゃないかな。
ま、会話の流れとしてはコミニュケーション生まれるから好きなことってだいじだけど。その次。何だよね。
キャッチボールじゃん?会話。


「私は〇〇が好きなんだ!あなたは何が好き??」
会話って主張の後に疑問が来て初めてキャッチボール。

「私は〇〇って性格です!あなたはどんな性格??」
って聞かないじゃん?聞く人もいるけど。

「私は〇〇って病気です!!あなたはどんな病気??」
これにはならない。むしろ初対面なら失礼。

だからこそ。私には関係ないんだ。
離婚歴
犯罪歴
病歴
LGBTQ+

そんなラベル。なくたってさ。別に楽しけりゃいいじゃん?

例えば知り合った人が過去に離婚歴ありました。だから?【今】私はあなたという人間と話していて楽しい。

例えば仲がいい人が過去に犯罪歴ありました。だから?今犯罪してないなら、賠償金払って刑務所入って。【今】反省してるなら

例えばとてもいいなと思った人が精神病や身体に病気がありました。だから?【今】私はあなたとちゃんとお話ししている。

誰を好きになるのだってそう。別にいいじゃん。関係ないじゃん。

結局。過去に縛られたり後ろめたいって思わないで【今】を相手がジャッジメントして楽しいなら「ま、いっか」じゃん?


途中で脱線するのは私の記事の悪いことだけど。

「ま、いっか」

なんだよね。


どんなに辛い過去があっても、今辛くても「ま、いっか」


嫌なことがあっても。辛いことがあっても。
私は私らしく「ま、いっか」

あなたがどんな人であっても「ま、いっか」

諦めじゃない。私の魔法


「ま、いっか」

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佐伯由羅(伏見もなか) とても、とても嬉しく思います。