書くために書いているわけじゃない
作文が苦手な子どもだったわたしが、なぜか今はnoteの街に、毎日文章を放り込んでいます。その時点で人生何があるかわからなくて、おもしろすぎるんですけど…
じゃあ「作文が苦手だったのに、書き手になったんですね?」と言われた日には、こんなわたしが書き手と名乗っていいのかしら、どうなのかしら…と考えてしまいます。
国語が得意だったわけでもないし、文章を書くのがとにかく好き!というタイプでもありません。
ただ、いつの間にか、インターネットの海に文章を放流するのが日常になっていました。その結果、今ここに「書き手かもしれない空豆もなか」がいます。
じゃあ、わたしにとって “書く” とは、なんなんだろう?…って考え始めたら、頭の中がもじゃもじゃしてきました。
ただ一つ、言えることは、「どうもわたしは、書くために書いてるわけではないらしい」ということなんです。その後ろには「自分の内面を表現したい」というのがあるからです。
でも、表現手段っていろいろあるわけですよね。わたしで言えば、漫画も、音楽も。あと、言葉を扱うなら、しゃべるというのも一つの手段です。
でも…
音声は、時間軸が存在します。ワンテイクで決まらなかったら、つらい。
音楽は、抽象的な世界で、受け取り手に委ねる部分が多すぎる。
漫画は、単純に制作時間がかかる。
こう考えていくと、今のわたしにとって文章は、自分を表現するための、一番扱いやすいツールということになりそうです。
そんなに巧みに操れていると思ってはいないけど…でも、人生で一番使ってきたのは言葉で。絵や音楽は、その後だから。
そして何よりも、言葉を文字に変換することが、現代ではものすごいスピードでできるんですよね。これが一番大きいのかもしれません。
でも同時に、あらゆる表現手段を知れば知るほど、文章って難しいなと思っています。感覚的なものを文字にした瞬間、削ぎ落とされてしまうニュアンスがあって。
他の表現手段でそれを補完できるかもしれないけど…やっぱり言葉を上手に選ぶことができたら、伝わりやすさは文章がトップオブトップという感じがします。
ここまで書いて思ったのですが…表現するだけだったら、好きな手段を使えばいいじゃんって気がしてきました。わたしが文章で表現するのを選択する本当の理由は、 “手っ取り早く誰かに伝えたいことがある” からなんじゃないかしら。
わたしのことを “書き手” というのであれば。わたしは、この世界で自分が受け取った情報を、生に近い状態で伝える書き手でありたいと思うんです。
うーん??
書き手であることは、伝わる形を探し続ける表現者のうちの、ひとつの面なのかな。
文章は表現のためのひとつの手段で、漫画や音楽も、全部その延長線上にあって。どれを使ったっていいんだけど…
今のわたしにとって、言葉がいちばん早く、いちばん遠くまで届くものだから。それで、「書き手 空豆もなか」がヒョイと顔を出して毎日noteに文章を放流してるんだと思います。
#30日書けるプログラム
Day20:ズバリ、どんな書き手になりたいですか?
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