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何度だって許そうと思うから私はあなたと結婚した

 体調が悪い日や、心のコンディションが良くない日。夫の些細な言動に対して「その顔じゃなかったら、時代が時代なら合戦が起きてるぞ!」と心の中で狼煙をあげようとする瞬間がある。たとえば、午前四時。起きる気配もないのに鳴り響く夫のアラーム。しかも丁寧にスヌーズ機能までついていて結局私だけが叩き起こされる。隣で当の本人は健やかに夢の中だ。静寂を切り裂く電子音に、私の血管がピリリと音を立てる。
けれど私は絶対にその場では言わない。
 理由は明白だ。普段は笑って流せることが許せないのは、夫が変わったのではなく、私自身の調子が良くない時に決まっているからだ。深呼吸して、よく考える。夫は早朝に出勤する仕事であり、私が起こされたのは普段なら鳴ってないアラームなのだ。普段私が起きるに至るまで長く鳴ることがないアラームの存在は、実は「夫の不調のサイン」でもある。彼は疲れていて上手く起きることが出来なかったのだ。
 このようにパッと見勘弁してくれよと思うことにも理由があるかもしれない。ただ自分の不調を理由に、愛する人の性質を勝手に「悪」と定義してはいけないのだ。その場で感情を発散させようとすれば、それは改善を求めるためではなく、ただ相手を攻撃してスッキリしたいという醜い欲望に飲まれてしまう。それは夫を溺愛する者として絶対に避けたいことのひとつであった。

 夫とは出会って九年になる。屋台で一目惚れして私から声をかけたあの夜から、夫は私にとってあまりにも幸運すぎる身に余る存在だった。若くして礼儀正しく頼りがいがあり、私のどんな話も「興味ない」と切り捨てずに受け止めてくれる。そんな彼を幸せにしようと決めて、私は結婚した。

 私は若い頃にした恋愛の苦い思い出(これもいつか書こう)から、誰かを幸せにするということは何かをしてあげるという膨大な行為を積み上げることではないと気づいていた。大切なのは、「あなたがしてくれていることを私は決して忘れない」という徹底した信頼をベースに置くことだと。
 たとえば何かをしてほしい時。「なんでこうしてくれないの」と思う時ほど私は「待つ」ことを選ぶ。急かさない。信じて待つ。すると程なくして彼の方から「○○したいと思うんだけど……」と切り出してくれる。その瞬間、私は自分の判断が間違っていなかったことに深く静かに感動する。
 どんなに親しいパートナーであっても相手は他人だ。自分が思うペースで、自分が思う形の愛が届くとは限らない。だからこそ相手の歩幅を尊重し、愛が届くのを待つ時間でさえも私は慈しみたい。

 こんなことばかり書くと私が物凄く人格の出来た人に見えるかもしれない。しかし私は決して細やかな方ではなくむしろズボラで怠惰な人間であるし、とても「お前のことを許してやろう」なんてことが言えるような人間ではない。
ただ、折に触れて思い出すだけだ。「今この瞬間も許されているのは私ではないか?」と。
 人は、自分が許したことは手柄のように覚えているが、自分が許されたことは、小さく見積もるか、最悪の場合は忘れてしまう生き物だ。私の理不尽な機嫌や無意識の傲慢さを、彼は今日も何も言わずに飲み込み、なかったことにしてくれているのではないか。「今日は合戦を回避して、彼を許してあげた」と自負しているその裏側で、実は最も許されているのは私の方であると思うくらいできっとイーブンなのである。

「何度だって許そうと思うから、私はあなたと結婚した」

 彼と出会う前、その決意は相手の欠点を大目に見るための覚悟だと思っていた。けれど今は違う。それは自分の中の衝動を律し、相手が差し出してくれる静かな愛を一つひとつ丁寧に見つけ出し、その光を信じ続けるという私自身の生き方の誓いなのだ。
 私たちは、きっとこれからも一度も喧嘩をしない。
 世界で一番好きなその顔を見つめながら、私は今日も互いに許し許されている夫婦の在り方を誇りに思う。



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