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曇りなき眼は何を消費するのか――清水俊史『ブッダという男』から「書く」ことの暴力性を考える

私が読んだ本の話をしているのを、
リアクションすることなくただじっと聞いていた夫が

「その人、何がしたくてその本を書いたのかわからない」

とひと言だけ言った。
その声には少し怒りの気持ちさえ滲んでいたように思う。

 世界の仏教徒の数は約5億2000万人(世界人口の約6〜7%)であり、世界で4番目に大きな宗教である。他の世界宗教と違わずただひとりの人、仏教ではゴーダマ・シッダルタその人から始まっている。本書は、2500年前のインドに実在した「歴史上の人間」としてのブッダの姿を、後世の神話的装飾や現代人の都合の良い願望を排して描き出そうとする一冊だ。前半では現代の価値観から見れば必ずしも聖人君子とは言えないブッダの生々しい人格を浮き彫りにし、後半ではその時代背景における彼の思想の先駆性を歴史家(史実を探求しようする人は皆歴史家だと思っている)としての視点から評価していく。著者は現代のブッダ観は近代的価値観に基づいて原始仏典を曲解して生み出した新たな神話であり、本来のブッダは当時である古代インドの価値観を持った人物であったとし、武力による戦争を容認し、女性蔑視の感情を持ち、輪廻転生を肯定していたとする説を提示している。

しかし、この『歴史の正しさを突きつける』という本のあり方そのものに、生まれながらの仏教者である夫は猛烈な違和感を抱いたのだった。

「その人、何がしたくてその本を書いたのかわからない」

 神話の中じゃない歴史のブッダを再考することは、神話のブッダの否定につながる面も多い。実際世界で影響を与え、人々を動かしてきたのは神話のブッダであるが、己が史実であろうと考えるブッダを世に発信することは何の目的があったのだろう。私は著者が歴史家としての立場で史実のブッダという「人間」を、その人なりの正確さで書こうとしたのだと感じていたが、生まれながらにして仏教者の夫にはその本が存在する意味がわからなかったようだ。研究者としてブッダの正体をただ知りたかっただけでは発表する必要がなく、他者に寄与するイメージが湧かない。仏教家が書くということの意義を夫は大切にしているようだった。

大前提として、世界にはどんな本があってもいい(人を不快にする本だって存在することは誰にも否定できない)。己が書きたいと思うことを書いていいし、作りたい本を作ったっていい。しかし、こと宗教に関する本には読者に対する善の目的が求められる。宗教という精神的な拠り所を題材にするという事はそういう側面があるのかもしれないと思った。

(前略)…ブッダの歴史性を明らかにしようとする際に、最大の障壁になっているのは、仏典の神話的装飾でも後代の加筆でもなく、我々の内側にある「ブッダの教えは現代においても有意義であってほしい」という抗いがたい衝動である…

ブッダという男 より

著者の目的はここにあるのではないだろうか。私たちは現代の自分の都合の良いようにブッダを解釈し、消費しようとしてしまう。著者はその「内なる衝動(曇り)」に冷水を浴びせ、立ち止まらせるために書いたのだ、と一度は納得した。

しかし、静かにこぼれ落ちたように言った夫の「目的がわからない」という言葉が、頭のどこかでトゲのように引っかかり続ける。夫の言葉を補助線にして著者の態度を捉え直したとき、別の景色が見えてきた。

  読者の、他の研究者の「都合よく理想化したい衝動」を告発している著者自身こそが、実は「自分は曇りなき眼(客観性)を持っている」という知的優位性に浸り、ブッダを他の研究者を否定するために「都合よく消費」しているのではないか。
 
誰かの切実な信仰や拠り所を、「客観的な正しさ」という免罪符のもとに土足で解体し、発表する。そこには、知的特権階級の「書くことの暴力性」が潜んでいる。

「自分は正しい」、「自分は普通だ」握りしめて、そのことを問題にしない。自分のことを棚にあげて一生懸命生きている在り方を、親鸞聖人は「闇」という言葉で教えているのではないかと思います。

同朋新聞4月号(vol.821)
2025年春の法要親鸞聖人誕生会 記念公演『教えを聞く』青木怜


著者が切り込んだ深淵は著者の中にもある。
ブッダが目の前に存在したとしたら、歴史上のブッダを知らしめることに対して何も答えてはくれない気がした。(それこそ無記なのである)

 そして、その深淵は私の中にもあるのだ。
私は毎週、誰かのnote記事や作品を読み、感想や読書エッセイを書いている。その行為自体、他者の切実な創作物を、自分の思考や表現の「素材」として都合よく消費していることに他ならない。

  「曇りなき眼」など、私にも、おそらく誰にもない。
書くことは、どこまでも誰かを何かを、消費する暴力性を孕んでいる。だからこそ言葉を紡ぐ自分自身もまた「都合よく消費している」という加害の自覚(業)を持ち続けるべきなのだ。



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