いってらっしゃい #創作大賞感想
心の中の混乱が、文章に表れていることはままある。自分が書いた文章ならばなおのこと、他人が書いた文章でも、文脈なのか単なる形式のズレなのかわからないけれど、あれ?と感じることがある。
きっと、読み返して整合を調整すれば、読みやすくてさらに分かりやすい作品になるのかもしれないが、混乱している心境そのままに書いたままであることの方が、緊張感が増して感じられる。
僕自身、自分のことを書いているつもりだけれど、どの程度まで出すのか悩むことがある。それが”匂わせ”だったり”内輪ネタ”とかって呼ばれることもあるのだけれど、書くたびに統一できないことなので、都度都度考えてしまう。
読んでほしい部分を、どうやって書き出すのか、これは書き手によって違うし、同じ書き手でも書けば書くだけ違いが出てくるもののような気がする。だから読み手は、読んでみなくちゃ分からないのだけれど。
神崎さんのエッセイは、娘さんの不登校についての記録だった。
まずは、娘さんが形式はどうあれ学校という場所に戻ってこられたことに、安堵した。同じように子を持つ親として、ホッとした。だから、読むのを迷っている方でも、安心して読んでほしい。
きっと娘さんとの間で、さまざまな言葉のやり取りがあり、双方に気持ちの浮き沈みがあったはずだ。この投稿ではそれらに触れつつも、始まりから一応の終わりまでが記されていた。
我が家は3人の子どもがいるが、学校に通っているのはひとり。これから、小中学校、高校と通うことになる。大丈夫だろうか?という心配と、まぁ大丈夫っしょ!という楽観がある。
上の子は、社交的な性格で友達作りが上手い。反面で、いろんな人が友達のため、その友人同士が仲が悪いこともあるかもしれない。学年が上がれば、それは異性の友人ということでも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。
あるとき、「学校に行きたくない」と言ったことがあった。友だちとの遊びの延長で、本人のやりたくないことをしているような、そんな話だった。
距離を取ろうにも、おなじ教室内だし、年齢的にも技術的も無理だろう。結局、学校側の手厚い対応により、問題は収まった。この経験は「どんな子でも、こんなふうになることがあるのかもしれないな」という思いを強くさせた。
“うちの子に限って”は、親としての現実逃避の常套句だ。しかし、子は1人の人間であって、親のコピーではないし、学校でどんなふうに振る舞っているのかもわからない。親の気づき、受け止め方、そして対処の方法などは、何か起こってみて始めて考えるのかもしれない。
毎朝のように、子を「いってらっしゃい」と見送るのは妻だ。僕は大抵、いってらっしゃいを言ってもらう側だけれど、休みや出張で出発が遅い朝は、ちゃんと声をかけてあげようと思った。
子どもが抱える問題は大小さまざまだろうし、それを我々親が気がつけるかも個人の経験によるだろう。神崎さんの投稿は、ひとつの例として、このタイミングで読むことができてよかった。子を持つ親として、有益な経験談を聞いたような読み終わりだった。
読んでます。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
いただいたチップは、モンブラン研究費用や子どものおやつ代にします(笑)