【小説】メロディー(1,929字)

 薄暗い部屋に入ってきたのは、日本人の男だった。
 老築化したアパートは隙間だらけで、暗闇を切り裂くように陽光が入る。
 その一つが男の顔を斜めに照らす。
 神経質そうな銀縁メガネの男で、いかにも日本人らしい人相だ。
 『メロディー』というコードネームだけを聞かされていた俺には、予想外の外見だった。
 陽気なアーティストをイメージしていたのだが、男の印象は生真面目なビジネスマン。

 男が汚らしいソファーに腰かけた時には、メロディーと呼ばれている理由に俺は気づいた。
 唇がずっと動いているのだ。
 声を出す必要のない場所で、男はずっと何かをつぶやいている。
 
 歌う男か……。

 口ずさみながら、容赦なく老若男女を始末する日本人といったところか。
 仲介人が、俺との相性が抜群だと言っていた意味が理解できた。
 無慈悲な詩人。
 男の奏でるメロディーは、血で染まった楽譜から響き渡る狂騒曲だ。

 ソファーの前に立つと、俺を見上げて男はニヤリと笑う。
 唇は絶えず、死のメロディーを吐き出している。

「マイケルさんは、マイさんと呼んだらいいでしょか? マイちゃん? マイちゃんて呼びますか? うふふ、うふふふ」

 男にスマホを渡すと、じっくりと隅々まで確認している。
 やはり日本人の職人気質は好ましい。
 
「これスマホですか? ぼくガラケーしか触ったことないからちゃんとできるかなあ。ちょっとだけゲームしていい? だめ? うふん」

 男には、すべての指示をメールにて伝えている。
 読めば自動的に消え、痕跡も残さない。

「そういえばもらったメールなんですけど、ぼく英語読めないんですよね。オッケーのとこ押したら消えたんでもう一回教えてもらえますか? うんって押したらぼんって消えて、僕びっくりしちゃいましたよう。うふふ」

 オレは頼りになる相棒を得て、やっと肩の荷が下りた気がした。
 だが、相棒には悪いがこの関係はあと数時間で終わる。
 この部屋ごと証拠とともに消えてもらうことになるからだ。

「闇バイトってぼく初めてなんですよね。怖いおじさんに『シャラップ!』って言われた後に、ここに行けって言われて。でもマイちゃんが優しそうでよかったぁ。うふふふふ」

 俺は壁にもたれかかり、目を閉じた。
 睡眠不足で目の奥が痛むが、これさえ終われば空の上だ。
 飛行機でゆっくりと眠ることができる。

 
 俺は耳が聞こえない。
 生まれつきなので、それほど不自由も感じていなかった。
 だが、疎外感だけは常に付きまとった。
 先生に呼ばれても気づかない俺は、まわりの生徒が反応するのを見て真似た。
 近くで事故が起こった時も、友人に腕をつかまれて初めて気づいた。
 いつも俺は人とは一呼吸遅れた自分を感じていた。
 そんな時、旅行先の日本で地震に遭遇した。
 揺れる大地に驚くとともに、まわりの人々と同じタイミングで味わう振動に、この上ない喜びを感じた。
 それは被災した人々の不幸さえ忘れてしまうほどの、感動であり快感だった。

 そして俺は道を踏み外した。
 

「ぼくは女の子が好き。小さくて弱いから。それにやわらかいでしょ。でもすぐ壊れちゃう」

 眼を開けると部屋が暗くなっていた。
 陽の角度が変わり、隙間から漏れる光が届かなくなっている。
 もうすぐ俺の作品たちが、この国を混乱にたたき込むだろう。

「パパが、おまえは病気だから少しのあいだ日本から離れなさいって。それでぼくここにきたの。でもこれが終わったら帰るよ。だって、もっと壊さなくちゃだめでしょ?」

 振動を皆と同じように感じたいだけだったはずが、力と光と熱に魅了されていった。
 美しい炎と衝撃のグラデーションを自分が作り上げることに興奮し、その中に溶けて消えていく人々がうらやましくさえ思った。

「たくさん捕まえてね、首輪をつけるんだよ。パパは偉い人だしママも優しいから、一緒に遊ぶんだ。うふふふふふふふふふ」

 決行の時が来た。
 ここまでくれば後は実行するだけだ。
 爆弾は十か所。
 1から順番にスマホの番号を五分ごとに押していく。
 最後の0で、不幸な日本人とこの部屋が吹き飛ぶ。
 
「数字を順番に押していくってことであってる? なんかそんな感じだよね? ちょっとぐらい間違ってもおこらないでね。うふ」

 一筋の陽光が男の顔を照らす。
 男は俺を見て、すっと目を細めた。

 俺がうなずく。

「えっと、初めからだと1から? 0から? どっちどっちー?」

 確認のためか俺の顔をうかがう男に、さすがはプロだと感心する。
 この男となら、もう一度ぐらい仕事をしたかったとさえ思う。

 「0? 0でいい? 押しちゃうよおおおお」

 俺はうなずきながら、男の口ずさむ天上のメロディーを、一度は聴いてみたかったなと思った。

クロノヒョウさんの自主企画『聴こえないメロディー』に投稿しました🐻