noteで孤独を感じて、noteで孤独がやわらいだ
孤独についての本を一冊読みました。
その本では、孤独をただ避けるのではなく、孤独を感じたときに自分自身と向き合うことが大切だと書かれていました。
他人の評価や期待ではなく、
「自分は本当はどうしたいのか」
に戻っていく。
そのために、仕事や日々の役割という「幕」からいったん離れ、自分自身に戻る「幕間」を持つ。
なるほどなあと思いました。
そして、この本をきっかけに、自分が日々感じている孤独についても考えてみたくなりました。
自分の生活に重ねてみると、
「孤独って、何なんだろう」
という問いが、どんどん深くなっていきました。
そう考えているうちに、今度はnoteのことが気になってきました。
私はnoteで、人とつながることが好きです。
記事を書くのも、コメントをもらうのも、こちらからコメントするのも好きです。
でも、朝noteを開いてコメントが一件もないと、ちょっと寂しくなることがあります。
こちらがコメントしたのに、その人から何も返ってこないと、やっぱり少し寂しい。
これも、相手の反応に自分の気持ちを預け始めているという意味では、少し他人軸に傾いていたから孤独感を感じたのかもしれません。
さらにもう一つ、気づいたことがあります。
私にとってnoteは、もともと仕事や日々の役割から少し離れて、自分が感じたことを好きなように書く場所でした。
本の言葉を借りれば、「幕間」に近かったのだと思います。
でも最近は、
書かなきゃ。
読みに行かなきゃ。
コメントしなきゃ。
そんな気持ちも少しずつ入ってきました。
noteの中で、「記事を書く人」「交流を続ける人」という新しい役割を、自分で背負い始めている。
そして、コメントやスキによって、その日のnote記事の出来を測ろうとしている。
だとすると、
仕事という「幕」から降りるための「幕間」だったnoteが、いつの間にか別の「幕」になり始めている。
そんなふうにも思えてきました。
ところが、今日ちょっと面白いことがありました。
「いいとこさがし」について書いた記事に、何人かの方からコメントをいただきました。
できていないところばかりではなく、できているところや良いところを見つけてくれる先生との出会いについて書いた記事です。
ある方は、自分も似たような先生との経験があったと書いてくださいました。
別の方は、職場の上司と部下の関係でも同じだと思う、と自分の経験に置き換えてくださいました。
また別の方は、相手の良いところに光を当てることは、人間関係そのものに大切なのではないかと受け取ってくださいました。
それを読んでいたら、少し孤独感がやわらいだんです。
単に、
「コメントが来た。嬉しい」
というだけではない感じがしました。
「ああ、この人も似たことを感じたんだ」
「自分だけじゃなかったんだ」
そんな感覚でした。
さらに、その中のお一人の記事をこちらから読みに行ったときにも、同じようなことが起きました。
40歳から三味線に挑戦している方でした。
今やらなければ、また将来、
「あのとき始めていれば」
と後悔する。
そんな思いで始めたという話を読んで、私は自分の歌のことを思い出しました。
私は50代になって歌を習い始めています。
このままやらなかったら、人生の終わりに、
「あのとき、やっておけばよかった」
と後悔する自分が見えたからです。
三味線と歌。
やっていることは違うのに、なんだか自分のことのように思えました。
そして、そのときにも孤独感が少しやわらぎました。
ということは、
「共感してもらう」だけではなく、
「自分が誰かに共感する」ことでも、孤独感は弱くなるのかもしれない。
「自分だけじゃなかった」
そう感じられることが、人とつながるということなのかもしれません。
ここまでは、なんとなく分かる気がしました。
ところが、もう一つ、自分の中でうまく説明できないことがあります。
私は一人で歌っているときも、あまり孤独を感じないからです。
誰かと話しているわけでも、誰かから反応をもらっているわけでもない。
ただ、歌いたいから歌っている。
夢中になっている。
そんなときは、孤独感が入ってくる隙があまりありません。
だとすると、孤独感がやわらぐ道は、一つではなさそうです。
誰かと共感し、
「自分だけではない」
と感じること。
そしてもう一つは、
誰かの反応から離れて、自分が本当に好きなことに夢中になること。
人とつながることで、孤独感がやわらぐこともある。
一人でいても、自分の好きなことをして満たされていれば、孤独を感じないこともある。
だから、
孤独って、人がいるか、いないかだけでは決まらない。
