『揺さぶられる正義』上田大輔監督インタビュー
「自分でも、これはヘンな映画になっているなあと思いました」
話し手/上田大輔(関西テレビ報道局ディレクター)
聞き手/前田隆弘+朝山実(text構成・撮影)
試写室で偶然「インタビュー田原町」のゲストに来ていただいたことのある前田隆弘さん(『死なれちゃったあとで』中央公論新社)と会い、観終わった映画の感想を話し合ううち、「載せる媒体がなくなったんですよ」と言うのを聞いて、「じゃあ、監督を二人でインタビューして、noteに載せるというのはどうですか?」とたずねたのが今回の取材となった。
アサヤマも前田さんも、案内をもらったのが配給会社の東風ではなかったら足を運んでなかったかも、という点で一致していた。というのも映画は「揺さぶられっ子症候群」(Shaken Baby Syndrome 略称SBS)という耳慣れない裁判をめぐる話。監督も初めて名前を聞くひとだし。でも『正義の行方』や『マミー』を送り出してきた東風だからというので足を向けてみた。
まあ、すごい映画だった。なるほど東風らしくもある。
まず「揺さぶられっ子症候群」だが、乳幼児の上半身を激しく揺さぶることで脳内で出血を起こす、外傷の残らない虐待行為を指し、2010年代に入って親などが逮捕される事件が急増した。だが、ある裁判を境に無罪判決が相次ぎ、SBS事件の立件も激減した。
このドキュメンタリー映画が傑出しているのは弁護士や「被告」たちに話を聞くのはもちろん、検察側と弁護側、それぞれに証言を依頼された医療の専門家にカメラが迫っていること。そしてなにより報道記者として8年にわたり取材を重ねてきた監督が、事件報道とはどうあるべきかを自問、「揺さぶられる」姿をありのまま映し出していることだ。
ナレーションも担当する上田大輔監督の経歴がまた変わっている。刑事裁判の弁護人をめざし30歳直前に司法試験に合格したが、関西テレビに法務担当として社員採用された7年後、志願して報道局に異動する。
取材記者としては遅いランナーだ。それが利したのか、既成の世界に染まらない柔軟さがある。弁護士資格をもつ報道記者という存在も初めて知った。
いっぽうで取材がしつこい。児童虐待の英文の専門書を読みこみ、二度、三度と納得できるまで訪ねていく。押しのつよい取材者である反面、物腰はやわらかく相手の話にじっくり耳を傾ける。今回のインタビューでも幾度か目をつむり、しばらく考え込む場面が印象に残った。
インタビューは新宿にある東風の事務所で行った。トータル90分のうち、前半30分を前田さんが。ひきつぐかたちでアサヤマが30分、残りを二人合同という進行にした。

弁護側の証人が、別の裁判では検察側の証人となる
前田 これは「揺さぶられっ子症候群(SBS)」の事件、裁判を追った映画ですが、実は主人公は「追っていく上田さん」ではないかという印象を受けました。
上田 報道に移ってからこの問題については8年取材してきて、映画の冒頭ではそれを振り返る回想形式をとりました。言われるように主人公は「私」と受け止めていただくこともあるのでしょうけど、自分としては登場するそれぞれの人が主人公で、それぞれの「正義」が映し出される映画だと考えています。
前田 映画は2回観させてもらったんですが。最初、無罪判決が続けて出て、冤罪で人生を振り回される人たちが多いんだなあという感想をもちました。
2回目は、赤ん坊を激しく揺さぶることによって起きたといわれる中には、外形的には虐待に見えない偶然のアクシデントでそうなってしまったものもあるかもしれず、虐待かどうかの判別は非常にむずかしそうだなあと。たった2回観ただけでも感想が揺らいだんですね。上田さんご自身は取材をされている中でどう感じましたか?
上田 じつは映画に出てこないSBS裁判の取材もたくさんしていて、これは虐待行為があったのではないのかという事件もありました。
「虐待」というと繰り返し行為があったと解釈されがちですが、その場の粗暴行為によっても起こりうる。それがこの問題を考える上で難しさもあるんですよね。
前田 なるほど。

上田 たとえば、低い位置からの落下だとか、ちょっとしたことで頭蓋内の出血が起きる。難しいのは、ほんどのケースが赤ん坊とその人しかその場にいないため、密室状態で実際どうだったかわからない。
ただ、幼い子が亡くなったり重篤な状態になったりしているのは事実で、虐待を許さないという正義と、冤罪を許してはいけないという正義、裁判の場で「二つの正義」が対立してきたというふうに私は捉えてきています。
前田 観客心理としては「で、どっちなの?」とつい結論ばかり知りたくなる。近年、性急に結論を求めてしまう傾向がつよくなってきていると思うんですが。報道を仕事にされていて、どのように捉えられていますか?
上田 たしかに逮捕、起訴されると「警察によると」「検察によると」というふうに、捜査機関に拠った報道の仕方になりがちではあるんですよね。それでも、裁判では弁護側、検察側、両方の主張を取材して報道するようにはしています。
ただ、映画にも出てくるSBS検証プロジェクトを立ち上げ(2017年)、SBSの事件に取り組んでこられている秋田(真志)弁護士が言われていますが、本当は「医学的にはわからない」ことが多いんですよね。そのことはきちんと伝えないといけないとは思っています。
前田 映画の中で検察側の証人として出てくる溝口医師(小児科医)が、「冤罪の疑いを考慮しすぎて虐待の犯人を見逃してならない」と言われる。それはそれでわかるんです。
もうひとり、「冤罪を起こしてはならない」という立場で弁護側の証人となることの多かった医師が、ある裁判で検察側の証人として出て来られているのを見て、驚きました。
上田 そうですねえ。溝口さんとは対極の証言をされていた彼が、別の裁判ではなぜあのような証言を展開したのか。インタビューもしましたが、なぜなんだろうとは思いますよね。
でも、実は見ていただいてそう感じられたような「なぜ?」という揺らぎがこの映画のテーマでもあって。ほとんどの医師は、医者の本分は治療で、こうした虐待事件の裁判に関わろうとする人はすくない。その中でお二人は時間を割いて積極的に関わられている。児童虐待を許さないという正義、冤罪はあってはならないという正義、それぞれの正義を背負って立たれている。
前田 出てくる証人の医師の顔ぶれが決まっているように見えました。あれはたまたまなんでしょうか?
上田 これは検察に聞いても、法廷で証言のできる人はほとんどいないと言われるくらい、虐待に詳しい専門医が限られている中で、小児科医として虐待を見逃してはいけないと活動をされてきたのが溝口医師です。
検察が、海外の虐待についての専門書の翻訳実績もある溝口さんに白羽の矢を立てたというのが2010年代後半。それ以前には検察がよく頼りにしていた別の医師がおられたんですが、そのひとは急逝されています。
一方、溝口医師に対峙するかたちで弁護側の証人として登場するようになったのが、脳神経外科の朴医師です。法廷で二人が対峙する場面もあり、朴医師が関わった裁判で逆転無罪判決が相次いだことから、検察は方針を変えてきます。裁判で勝てる人ということで、一転して朴医師に話を聞きにいくようになる。
前田 そうなんですか。
上田 弁護側からすると、朴医師が取り込まれたという風に見えたりするんですが、朴医師自身は「もともと自分は弁護側でもないし、検察側でもない。その都度それぞれ医学的に判断した結果です」と言われる。
もうひとり、映画には出てこないですが、虐待問題を専門とする弁護側で出てこられていた医師も、検察側の証人となって秋田弁護士と対峙するようになっていく。つまり、それぐらい狭い世界ではある。
前田 語れる専門家が少ない上に、メンドウな仕事を引き受けてくれる人はさらに限られている?
上田 そうです。今回はその象徴的な存在の二人にカメラを向けたということです。
問われる、報道の「正義」
前田 もう一つ、この映画を観ていて感じたことは報道するマスコミの問題です。
最後のほうで上田さんが、2歳の子供の虐待を疑われた事件の被告の今西さんにインタビューされているシーンが印象的でした。
逮捕当時のニュース報道を見せながら話を聞いていくんですが、はじめてその映像を見た彼が「見た人は、コイツがやったとしか思わないですよね」と上田さんに問いかける。
上田 ええ。
前田 報道側としてはもちろんそういう意図ではないと反論されるだろうけれど、映像をわざわざストップモーションにしたり、カメラを下から煽るように向けたり、撮り方、編集の仕方から「コイツが犯人だ」という悪印象を抱かせるものになっていると言う今西さんの指摘には頷かされるものがあり、マスコミの立ち位置というものが気になってくるんですね。
これは、報道する側もまた何らかの「正義」に拠って立っているのか、あるいはセンセーショナリズムに突き動かされた結果だったのか。どうなんでしょう?

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