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『聴く隣人のいるところ』早川嗣監督interview


スマートフォンは禁止。洗濯は手洗い。寮にIHコンロを導入するしないを全員で話し合う。そんな全寮制高校の一年間を描いたドキュメンタリーを撮った早川嗣(ゆずる)監督に話をきいた。

2026年5月、ポレポレ東中野のあるビルで『聴く隣人のいるところ』を撮影・監督・編集した早川嗣監督に会った。
島根県江津市の山の中腹にある全寮制の私立高校の一年間(2024年~2025年)を取材したドキュメンタリー映画で、早川監督(1987年生まれ)はこのキリスト教愛真高校の16期生でもある。
映画の主人公は、2024年度の在籍者(35期11名、36期10名、37期13名)と、生徒と共に寮生活をおくる教職員たちだ。
いまどきこんな学校があるのかと驚いたのは、全寮制で洗濯機もない(手洗いしている)。食事は先生と生徒の当番制(映画では朝遅刻した生徒が言い訳しながら作業にとりかかるけど、叱られたりはしない)。寮で暮らす教員を、生徒と見間違えたりする。スマートホンは入寮時に預ける。何事も「話し合う」文化が培われ、その一例がIHコンロ導入を全員(教員も含め)で議論する。一見とってもメンドクサく「不便」な学校だ。

『聴く隣人のいるところ』より
©️ポレポレタイムス社(以下同)

「学校」というとあまりいいイメージがないわたしが試写で映画に足を運んだのは、ドキュメンタリー映画の配給会社「東風」から独立し「合同会社アギィ」を設立した渡辺祐一さんから送られてきた案内状に、こんな一文があったから。
少し不便で外界から距離を置いた環境だからこそ、人と向き合う時間が自然と生まれる。ここでは、ただ意見を述べるだけでなく、相手の言葉を聞き、受け止め、ときに反論することが当たり前に繰り返される〉
人づきあいが苦手なのにインタビューの仕事をしてきたわたしにとって、何かこれからの指針になるものがあるかもしれないと思ったからだった。とうに還暦も過ぎているのだけど。

変わった映画だった。
この映画の共同プロデューサーでもあるポレポレ東中野の大槻貴宏さんが試写会場の隅にいたので、「変わった映画を見せてもらいました」というと、「変わっているでしょう」と笑い返された。
印象的な場面はいくつもあるのだけど、ドラマティックにうねりったりしていかない。監督の意図をもった選択なのだろう。テロップやナレーションでエピソードやカットをつなげる編集をしていないのが気になった。
アギィの渡辺さんに小声でそんなことを話しながら、来客者と話している監督の背中をしばらく見ていた。
物腰は柔らかそう。にしては、あの素っ気ない編集の仕方は何で?
訊いてみたい気もするし「なんで?」にはネガティブな印象も混じり躊躇していたら、「noteで監督インタビューはどうですか」と渡辺さん。で、数日考え、連絡してみた。
いつもながら細かいところを訊ねていくヘンなインタビューになってしまった。映画を観ないことには何を話しているのかわからない部分も多いだろうなあ。でも観たうえで、ああそういうことなのかと確認してもらえるようなら嬉しい。

卒業生の監督だからこそのオリジナル構成


監督にインタビューする前に、渡辺さんにこの映画の宣伝を担当することになった経緯を教えてもらった。
監督は若い頃、この学校にいたことがあり、ほかの人が撮るのとは異なる構成、撮り方になっているという印象をもちました。起承転結のある物語を見せるということを、あえてしていないのがよかった
と聞いて、実験的な手法を好む渡辺さんらしいと思った。

早川嗣監督(撮影/朝山実)

話すひと=早川嗣さん
聞くひと🌙朝山実




食事風景の多いドキュメンタリー


🌙 映画の中で、とても印象に残るシーンがあります。放課後なのか、女の子がピアノを弾きながら声を張りあげ歌っている。家族の誰かがなくなったことをふりかえる、オリジナルの曲らしい。その歌声に引き込まれました。
だけど、どういう設定でなぜ彼女が歌っているのかが飲み込めないまま、次に場面はきり替わる。すごくもったいない。テロップとかナレーションとかがあればわかりよいのにと思ったんですが、それをしないというのは監督としての意図なんですよね?

早川監督(以下略) 最初につくった初号には学校の説明も入れてあったんです。彼女のおじいちゃんが亡くなったときのことを歌にしているんですが、その背景的なことも。それを大槻さん(ポレポレ東中野代表・この映画の共同プロデューサー)に見てもらい、話し合う中で7割方素材を入れかえるなどして完成させました。
大槻さんから「君の作品だから直す必要はない。だけど、僕はこう思った」と言われた意見には、初号をつくりながら感じていた僕のもやもやが言語化されていたんですね。
たとえば学校の説明を最初にしていたことで、こういう学校だからこうした人間関係が出来上がったんだねと見えてしまう。だけども、僕もあの学校の卒業生だからわかるんですが、あの独特な人間関係は学校のシステムによって出来たものとは言いきれない。説明することで、観た人にちがう解釈を生みそうだなあと。
あと大槻さんから言われたのでよく覚えているのは、「これは学校紹介ビデオっぽいよね。たまにそうじゃない、面白いところがあるんだけど」

🌙 面白いところがあるんだよねというのはそれ、よくわかります。

僕が記録を始めたのは、この場所の人間関係を記録したかった。誰かひとりの成長物語ではないんですね。もともと劇場で公開することを考えてもいなかった。学校のアーカイブになればというくらいで、ストーリーを追うということを意識せずに撮っていたんです。
説明をつけた初号を見てもらったときに、大槻さんから「均(なら)され、熱量が乏しくなっている」と言われ、三日で編集し直したものを見てもらい、「生徒さんたちが生きている」と言われた。
つまり、ストーリーラインが見えないし、伝わらないかもしれないという恐れから説明をつけたことで、初号では大事なものが落ちてしまっていたんですね。

🌙 なるほど。あの無骨というかぶっきらぼうなつくりには、そういう経緯があったんですね。
もうひとつ、つよく印象に残ったのが、文化祭に向けて三年生がクラス劇をやる。そのためのクラス会議が行われ、すでに稽古は始まっているのに演出担当の男子が、「この劇で何を訴えたいのか」をクラス全員で話し合いたいと提案する。
すると女生徒のひとりが、脚本を担当したもう一人の子と話してこなかったのかと逆質問し、演出家くんがドキマギする。そこから議論になっていく風景が面白い。でも、この映画が変わっているのは、これはそうした演劇の作られていく過程を幹にして展開していくのかと思わせるんだけど、劇の取り組みじたいはエピソードのひとつのまま別の出来事が映されていく。

僕はこれしか作れないんですよね。もっと僕に技術的能力があれば、初号と二号をうまくミックスさせたものができたかもしれないんですけど。そもそも、あそこに滞在し、見てきた間にはもっといろんなことがあったんですが、映画に出来ることはほんのわずかなこと。僕がもっとも関心を抱いたのは、この場の人間関係なんです。
最初、この学校は…とナレーションで説明することも考えはしたんです。だけども説明することで、僕が実際に目にしたダイナミックなものが抜け落ちてしまうように思えたんですね。
そもそも僕は子供の頃から、きまじめだと言われてきていて。学校現場を乱すようなことをしてまで映画を撮りたいとも思ってない。撮影したのは一年ですが、カメラがそこに入ることで乱されるものがあるとしたらそれは嫌だった。だからこちらの意図で、こういうものを撮ろうとしたことは、ない。


それで素材となる点を無理やり線につなげようとした初号は、とくに僕が見直してもつまらないものになってしまった。完成作はたしかに、これじゃわかりづらいだろうなあと考えはしたんですけど、説明しなくともわかるという人もいた。ただ、「学校なのに授業風景が一つも映っていない」の指摘を受けとめ、一か所だけ加えました。

誰が生徒で、先生なのか?



🌙 いま聞いて、そういえば授業風景の記憶がなかったけど、そこに違和感はなかったです。

それはよかったです。大槻さんは、「会議で発言しているあの子たちを見ていて、彼らが勉強していないなんて僕は思わない。だけど、そう思わない人もいるだろう」と言われていた。それで、僕は、他者がどう見るのかということを考えながらつくりはするんだけれど、自分の技術的な能力には限界があると思ってもうやめたというのもあります。

🌙 面白いのは、メシを食っているシーンが多いんですよね。授業を映さないわりに、寮にIHコンロを導入するかしないかを全員で議論しているところに時間をさいている。

そう、そうなんです(笑)

🌙 そもそも導入したいという意見が出てきたのは、ポットでインスタントラーメンをつくるひとがいて、紅茶を飲もうとしたら「うまかっちゃん」の味がして困るから。

九州で人気の袋ラーメンで、九州の子たちがみんな買ってくるんですよね(笑)

🌙 鍋代わりにポットを使うのが、1960年代とかの下宿学生みたいで、おかしい。かと思うと、会議のところで弁当をひろげ、生徒が箸をもちながら話していたりする。人によってはノートを広げている聞いている人もいて、自由さに呆気にとられるというか。

いつもお昼ごはんのときに会議をやっているので、食べながらの人もいるんですよね。そういうものというふうになっていて、そうしたあそこの空気を一つ一つ説明していくとキリがないんですよね。

🌙 ヘンだなあと思ったのは、教員なのか生徒なのか区分けがつかない場面が多いんですよね。髭をはやしていたりすると教員なんだろうとは思うけど。

僕も最初、わからなかったです(笑)

🌙 そうなんですか。

寮で教職員も生活を共にしているんですよね。私服だし。公私の切り替えがない。同じ「住人」なんですよね。先生と生徒を見分けるにも、教職員はスーツを着ていないし。生徒は髪の毛を染めたりしない決まりで、その空気を保つために教職員も髪にワックスとかつけないし。

🌙 学校というと、上下関係によって成り立っているものだというイメージがあるのに、それが感じられないというのも不思議でした。

ないのはなぜなんだろうと僕なりに考えたのは、私生活が見えすぎているんですよね。休みの日に子供をつれてグラウンドでサッカーしている先生を思いきり見ていたりするし。夜に先生がやってきて、宿題ができないで困っている子に解き方を教えていたりもする。そうやっていると、どんどん垣根が下がっていく。

🌙 それは先生たちが意識してそういうふうにしている?

僕は環境要因だと思っているんですよね。なんとなくそうした空気が出来上がっていてのことだと。

「人間関係」の話を撮りたかった



🌙 そもそもこの映画を観ようかどうしようかというときに「学校の話」というのだったら足を運ばなかったかもしれない。試写状の文面から、共同体というのか関係性にかかわることがテーマになっていそうに思えたんですね。学校は苦手で、行きたくねーと思っていたほうだけど、ああ、ここならちょっと居られるかなあと。不便やメンドクサさは感じるけど。

それは嬉しいです。じつは学校の話というよりも、「人間関係」の話だと思いながら撮っていたので。舞台が学校というだけで。

🌙 この学校には生徒と教職員が対等に意見を交わす「全体会議」というのがあるんですね。変わっているのは校則のほかに、入学する際に生徒が提出する「誓約書」があり、その変更を生徒が申し出る。校則は随時修正がなされてきたようだけど、宣約書は憲法にあたるようなものらしい。

まず新入生は入学するにあたり必ず出さないといけないものなんですね。

🌙 しかしこの年、入学後に疑問に思い変更を申し出た生徒が出てきた。

そう。僕らのときには想像もしなかったようなことが起きたんですよ。事の発端には立ち会えいてないんですが、たとえば誓約書の条文のひとつに「嘘をつかない」というのがあるんです。ほかにも在学中は「タバコを吸わない」「酒は飲まない」とか。だけども「嘘はつかない」というのは誓約できることなの?というのがあって。二年生のスーツ姿の男の子が、全体的に納得できる言葉に変えたいと言い出したんですよね。

🌙 だけど議題のテーブルに乗せるにはメンドウな手続きを経ないといけないんですよね。

寮とか、職員は職員会とか、自分が所属するところの三分の二以上の賛同を得ないと全体会に発議ができないというのを、この学校はつちかってきているんですよね。

🌙 それは創立以来?

いちばん最初は校則みたいなものはまったくなかったんだそうです。第1期の人たちのときに、野良猫を学校で飼う飼わない問題で紛糾したことがあったそうなんです。

🌙 へえー。

いまの校長先生は1期のときの担任をされていた方で、40年前というと動物の殺処分が話題になったりしていた時期で、「学校で飼おう」という意見が出た一方で、生徒が厨房で料理に携わるので衛生面から無理だという意見があり、全体会議が行われたというのが最初だと聞きました。

🌙 ほおう。

そのときは「全体会」という名前はまだついてなかったと思いますけど。

🌙 面白いのは、誓約書をめぐる全体会の決議を受け、職員会議の場でさらに話し合いがもたれる。議論の最後に校長が、今回のように生徒から意見が出てくるということを大切にしたいという主旨のことを話されていて、学校っぽくない学校だなあと。

あの学校長だからこそですよね。僕がいたときもそうでしたが、学年が入れ替わるごとに学校の雰囲気は変化していますし。1期から脈々と続いてきたものがある一方で、学校の空気は変化しています。

🌙 学校は権力的な場所という印象があるんですけど、そうしたものにブレーキをかけようとするのが面白いというか。そのために会議の仕方も手間暇をかけている。

そうですね。あそこの合議のシステムはメンドクサイと卒業生が等しく言うことですよね(笑)。ただ、中学校の頃にはどんなに話し合っても無駄だと思っていたけれど、この学校に来て自分の発言が聞いてもらえるという実感をもてたと言う生徒がいて、僕もここにいたときに感じたことだなあと当時を思いだしました。それが社会に出たときにどういう武器になるのかはわからずにきたところはあるんですよね。

🌙 映画を観終わって、この生徒たちの何年か後を見てみたいと思いました。わたしはふだん、なかなか人の顔を覚えられないんですけど。この映画は不思議なことに30数人いる生徒の10人ちかくの顔を見分けられたんですよね。かなり、めずらしいことなんですけど。

うれしいですね。印象的だったのは?

🌙 最初にあげたピアノの彼女とか、「プライベート空間」をつくろうという提案をしていた彼。たしかクラス劇の演出もしていましたよね。

そうです、そうです(笑)

🌙 あと、女子生徒が二人、トラックの荷台の上でお弁当を食べているところ。たわいない場面ですけど。

あれ、ひとりは先生なんですよ(笑)。誰が先生で誰が生徒かわからないからテロップを入れたらいいんでしょうけれども、あのシーンは場面の会話がよくて、もういいかと。

くつろぎながら「個」について考える



🌙 何かの原稿なのか。紙を手に寝そべっていた男の子が女の子を相手に「個人とは」という話をしている。

文化祭の文章について考えているところのシーンですね。

🌙 一見ゆるいシーンに見えるんだけど、意外とこの映画の核になっていて、この学校は「わたし」という「個」の確立を大事にしていて、だから議論や対話に時間を割いている。映画もそこを狙って撮っているんですよね。

初号では、あのカットは入ってなかったんです。初号はロジックで組み立てていて、あのカットが入る余地はなかった。大槻さんの話を聞いて、二号にこれは絶対入れたいと。
文化祭の委員長の彼が文章に悩んでいたのを、校正を手伝っていた彼女がここの言葉は意味が重複していると指摘する。それに対して、彼がこれにはこういう意味がと反論する。彼女は、それならいいよと返す。あのゆるいやりとりが僕はすごく好きなんですよね。

🌙 哲学問答めいた話をあんなふうに寝そべって、意見のキャッチボールをしている様子に日常が出ていて面白いなあと思って。よく撮れたと思いました。

保護者の方から、無防備すぎるとご指摘を受けました(笑)

🌙 早川さんは、あの場面、どのタイミングでカメラを回し始めていたんですか?

僕は、撮るのはグループショットかツーショットにすると決めていた。人間関係の話にするというのを考えていたので。それで、ふたりが面白そうな話をしていたのでカメラを彼らの前に置いたんですよね。

🌙 あのふたりもそうですが、不思議なほど誰もカメラを意識していなさそうに見えるんですよね。なぜなんだろう?

わかんないです(笑)。あとあと聞いたら、気になっていたという人もいたと聞きましたけど。僕、在学中にも女子寮に入ったことがなかったんですけど、14から16の女子が会議しているところにオッサンがでかいカメラをもっていって大丈夫だろうか。めっちゃ緊張したんですよね。そうしたら、あんなに無防備に話している。それにはびっくりしました。
意識されなかったひとつは、男前じゃないというのがあったかもしれない(笑)。見栄えのする人とだったら、ちがっていたでしょうね。カメラって強烈な視線ですから。

🌙 早川さんは撮影のときは、しゃべりかけるタイプですか?

ほとんどしゃべりかけていないですね。(その場の)人間関係を壊したくないというのがあるので。ただ、二人きりというときに何もしゃべらないというのはヘンですから、そのときはしゃべっていました。

🌙 カメラをオフにしているときは?

そういうときはしゃべっています。というか、カメラは持っていっていないときが多かった。ずぅっとカメラがあると教育現場は乱れるから、この時間とこの時間を撮ると決めて、それ以外はゲストハウスにカメラを置いて。彼らと三食を共にしているときとか、カメラを持たないときの時間に濃いものがありました。

🌙 カメラを持っていないときに、撮りたくなる場面に出くわしたら?

そういうときは仕方ないですよね。カメラを取りに帰ってということをしていたら、みんなも疲れるでしょうから。ただ、どうしてもこれは撮りたいというとき、たとえば二年生と三年生の関係が悪くなってこれからみんなで話し合うというシーン。家族にたとえるなら夫婦喧嘩をしているところみたいなもので、迷いはありましたが、とりあえずカメラを取りに戻ったら撮らせてもらえた。

🌙 そうそう。さっき訊こうと思ったんだけど、ピアノの彼女が歌う、あれはどういう流れの場面になるんですか? 文化祭のために練習していたとか?

いえ、ふつうの夕方に、ひとりで歌っていたんです。放課後を撮ろうとしていたら、真っ暗な講堂でひとりで歌っていた。あそこはとくに娯楽がないので。


なぜかスキンヘッドが流行りだした



🌙 たしかテレビもないしスマートホンも持たないという。

そうなんです。テレビもネットも漫画も雑誌もない。新聞しかない。いちおうネットは通ってはいるんですよ。授業で30分限定で使うとかいうことはあるんですけど。それで、放課後にめっちゃすごい声で彼女が歌っているのが聴こえてきて。

🌙 撮っていいですか?と確認された。

歌っている彼女の目線の先で、僕が恐縮しながらカメラを見せたら、受け入れてくれ、そのまま歌い続けてくれた。この映画を5分のショートムービーにするとしたら、彼女のあの場面と、聖書のここが嫌だという話をしている男の子の二つのシーンをつないでつくると思います。

🌙 それ面白そうですね。あと、わたしが好きだったのは、修学旅行をどこにするのか三年生たちが話している。京都がいいという人に、わたしはすぐ近くだから嫌だと反論が出る。他の子があそこに行きたいというと言えばまた同じように反対され、一向に決まりそうにない。つまり全国各地からやって来ているのがわかる。で、どこに決まるのかと見ていたら、プツンと終わる。結果はわからない。そうか。この映画は話し合うプロセスにカメラを向けているんですよね。

そうなんです(笑)。それぞれの結論がわからないという感想も頂いたんですが、結論はその場の多数決で決まることで、如何にその場の合意形成に力を注ぐ人がいたか、僕はそこに興味がある。話していることに、価値がある。この学校に息づいていることでもあるんですね。

🌙 たしかにそうですね。旅行先が京都になろうが浦安に行こうが、それはそれですものね。

時系列でいうとあのシーンの前にあるのが、文化祭。成功しクラスが一丸になったように見える。でも、じつはあの学年はとくにバラバラで、何事も簡単には一致しなかった。

🌙 へえー。

いちおう構成としては、最初この学校はどういう場所なのかという「場」を見せたうえで、ひとりで歌っている場面のような「個」のシーンをつないでいき、「個」を見せたうえで「人間関係とは?」という話になっていく。でも、それは僕の考えで、明確なストーリーラインでつながっているわけではないから伝わりにくいかもしれないんですね。

🌙 ほぼ、時系列のままですよね。

そうです。一日二日のズレはあっても、ぜんぶ時系列を守っています。というのも髪型が突然変わったりするんですよね。

🌙 そういえば坊主にするブームが起きていましたよね。女子も参加して。

あれは2月。撮影も最後の方で、大槻さんに一度見に来てもらうことにしていたんです。前日に電話し、「仏教系の学校とかんちがいされるかもしれないですけど」と説明しました。だって生徒の四分一が、女の子も含めて坊主なんですから。さすがに引かれると思っていたら、「それが流行というものだよ」と笑っておられて。

🌙 あれは下級生の髪を切っていたら失敗し、責任を感じて上級生が自分も坊主にしたところ、真似るひとたちが出た?

ひとりだけ坊主はかわいそうだということだったのが、なぜかカッコイイとなって(笑)

🌙 パンクな展開ですよね。そうだ、そもそもの質問ですが、この映画をとるきっかけは?

僕は妻とこの学校で出会っているんですけど、子どもが5歳になったときに、母校の生徒数が34人になったという会報を見たんです。先生は20人ぐらいいて、一学年28人がフォーマットなんですけど。
100人でスタートし、僕がいた20年前は70人くらいいたんですが。減ったいちばんの理由は、スマホの禁止。学校のよさが言語化しにくいというのもあって、この学校がなくなる前に息子に一度見せたいと行ってみた。その日の「夕会」がすごくよかった。一年生の男の子が自分の内面を甘酸っぱく語っていたんです。
失笑とか冷笑が起きそうなのに、ちゃんと受けとめられていて。といって、終わってから「よかったよ」と駆け寄る(感動)場面があるわけでもない。ふつうにバラける。それを見て、いいなと思った。ただ、何がいいかというのを言語化できていたら、映画は撮らなかったと思うんです。

🌙 早川さんが学校に在学していた頃と、いまの学校は?

似ているところも多いです。むしろ変わってないなあという印象がつよいですね。変わったのは生徒数。話し合いの誠実さがギュッと増している。人数が少ないから、だれもがカヤの外にいるということができないんですよね。

🌙 なるほど。面白いのが、生徒だと思って見ていたらじつは先生だった。後ろのほうにいたその先生が、一度も発言していない人に話したいことはないの?と促す。そういうふうに当てられたりするのは苦手だなあとハラハラして見ていたら、意見を言わない理由をふつうに応えていて、その感じが面白いなあと。

あそこは、あの子があの発言をしていなかったら入れてなかったカットですよね。あの先生が最後、卒業生に送るスピーチをするんですが。社会に出てしんどかったら、誰かとご飯をたべてくださいと。
あの先生には結局、学校の在り方を代表してもらう構成をとっていて。先生としてではなく、ひとりの人間として見えてくる。そこを見てもらわないと、最後のスピーチの意味は伝わらないだろうと思ったんですよね。

🌙 あの先生の言葉で印象深いのは、卒業生に「君たちは愛されたい人たちではなくて、愛したい人たちだと思った」というように彼らを後押しする話をするんですね。

ちょっとロマンチックですけどね。あの先生は本気でそう思って激励したんだと思います。

🌙 生徒にドラマチックに目立つひとはいなくて、地味な人たちというか。劇映画なら端っこにいそうな。それなのに退屈せず2時間の映画として観ることができたのは不思議というか。

その年によってはリーダーシップをとることがいて引っ張っていくこともあるんですが、あの35期が三年生のときはバラバラ。クラスで文化祭に劇をするにも「何を伝えるのか?」から話し合わないといけない。あの35期だからこの映画になったと思います。上下関係について話し合う場面が出てきますが、やはり三年生の影響は大きいんですよね。

🌙 あの学年だから、この映画になったと。

そうですね。もう一回撮ってくれないかということを生徒から言われたんですけど、もう無理(笑)。だって、許可取りとか全員にするのは大変なんですから。生徒34人、学校、保護者。全員がいいと言ってもらえないと劇場公開はしないと決めていました。

🌙 劇場公開の承諾は、どのようにして?

学校職員全員の会議に諮ってもらい、生徒さんにはブルーレイをもっていって視聴覚室で観てもらい、感想を聞きました。次に保護者の方には学校から視聴用のリンクを送って観てもらいました。

🌙 完成作を?

整音前になりますけど。

🌙 手間だなあ。撮影に入る前にも同様の手続きを踏んでいる?

もちろん。カメラが入ることについても全員に確認をとりました。ひとりでも嫌だという声が出たら止めます、と企画書には書き入れて。

🌙 ひとりくらい嫌だという人が出てきてもおかしくなさそうでもあるけど。

だからこれはムリだろうと思いながら撮っていました。もうひとつ、僕自身が飽きないかなという不安もありました。これは本橋成一(写真家・映画の共同プロデューサーで、昨年末に他界)からお金と時間を与えてもらって始めた企画なので。自分が、気持ちが萎えてしまっているのに続ける意味はないですから。


🌙 なるほど。早川さんは宗教二世のキリスト教徒になるんですか?

宗教二世ですが、キリスト教徒がどうかというと、いまは礼拝とかにはあまり行ってないんですよね。お祈りとかも。それは傍から見ていると、クリスチャンとは言い難い。でも、たぶんクリスチャンだと自分では思っています。

🌙 動機の面で信仰がベースにあって、この映画を撮ろうとしたというのはあるんですか?

それはちがいます。さっき話したように、この学校がなくなるまえに、この学校が熟成させてきた人間関係を撮りたいということに尽きます。むしろ、撮影を通してキリスト教ともう一回向き合わないといけないことネガティブな気持ちはありました。できるなら向き合わずにすませたい。
でも、僕が残したいと思っている母校は、キリスト教の紛れもない学校である。撮っていく中で、ソンジュン君の夕会の話を撮れたのはすごい癒しになりました。20年前の自分を見ているようでした。
彼は聖書の矛盾を30分くらい、とうとうと話す。僕も同じようことを考えていたことがあったんですが、彼のように夕会の場で話すということはできなかった。それもあって、いいなあと見ていました。

🌙 あの学校の生徒はキリスト教を信仰している人とは限らない。

3割もいないかもしれないですね、信仰のある子は。入るきっかけは、ひとそれぞれ。不登校だったひともいるし、印象的なのは積極的不登校と先生が言っていたんですけど。
人間関係に入っていけないから引きこもるんじゃなくて、エネルギーがありすぎて回りの子が冷めてしまって浮いてしまう。そういう感じで居場所をなくした子とか。中学校のクラスの人間関係に辟易としていたとか。僕みたいに人間関係をリセットしたいとか。親が、上の子が入っていて、妹にも行ってほしいと希望し、本人は嫌々というのとか。なかには、お兄ちゃんが帰省のたびに優しくなったのを見て、自分も行くことを決めたというひともいましたね。

🌙へえー。

いずれにして普通の公立高校に行かないと決めたことは共通したことなんですね。それでまた、この学校は入試が超独特なんです。勉強が出来ても落ちるし、出来なくとも受かる。30人弱の応募に対して合格したのは14人。合否がどこで決まるのかわからない。東大に合格しそうな子がいるいっぽうで、ほとんど学校に行けなかった子もいて。たぶん日本一学力の差がある学校だと思いますよ。先生方がものすごく時間をかけて対話して合否判定されるそうです。

🌙 面白いなあ。

この学校の寮生活は三食を含め、生徒の労働力で支えられている。下水の汲み取りをしないといけないとか。食事も先生と当番の生徒でこしらえるとか。

カメラをどこに置くのか?



🌙 映画の中で、洗濯機がなくて、手洗いする様子が映っていましたよね。それとかIHコンロを寮に導入するかどうかの議論を重ねていくんだけど、提案者は寮にあるポットで夜食にインスタントラーメンをつくるひとがいて、紅茶を飲もうとしたら「うまかっちゃん味」になって、嫌だという。それに対して、便利になるとこの学校らしさがなくなるから反対しますという生徒が出てくる。えっ、便利になることに反対するんだという意外性もあり。

そうなんですよね。けっこう保守派のひとがいるんですよね。僕もそうだったんですけど、自分がリセットしたいと思った環境に似ていくのは嫌なんですよ。仮にあそこに洗濯機が入るだけでもずいぶん変わるでしょうし。時間が空いたぶん、何をするんだという。

🌙 あと、そうそう。面白い撮り方をしているなあと思ったのは、卒業式の日にカメラは、学校の坂道を下りていく三年生たちの背中を、在校生の側から撮っているんですよね。三年生たちが主人公の話であれば、カメラは彼らとともに降りていったかもしれないのに、そうしなかった。

アア、嬉しいです。あれは三年生が主人公の話ではないというのがあって。あの前に三年生と在校生たちが抱き合い涙するシーンがあるんですけど、あそこで一度視点を変えられないかと思ったんです。

🌙 説明がないからどっちが三年生なんだっけ?となったりしました。

そうなんですよね。なるべく送る側の人をカメラの中心に置いて、三年生をフレームから外していくということをやっていたんです。残された人たちは、三年生との経験をどういうふうに活かそうとするのかというところまで撮りたいと思っていたので、三年生を追わず、学校に残ることを選択しました。

🌙 カメラは一台で、迷いみたいなことは?

迷いました。めちゃくちゃ。定点カメラ用のも持っていってはいるんですけど、セッティングしていたカメラの前に別れを惜しむ生徒さんたちが集まって、結局手持ちのカメラでしか撮れなかった。

🌙 そうなんですね。立ち去る三年生たちを見ていて、彼ら彼女らの数年後を見てみたいなあと思いました。自分の意見をもつということを学んだ、そのぶん社会に出てから大変だろうなあと。「その後」を撮ろうとは?

思わないです(笑)

🌙 そうなの?

その後を知りたいときは会えばいいので。

🌙 映画にする必要はない?

そうですね。ただ、この35期は本当に面白かったですね。パンフレットには、集まって対談してもらった記事を載せるんですけど。

🌙 映画の終わりから、もう二年になるんですよね。

あの映画のピアノで歌っていた彼女とかラップをしていた男の子は二年生だったので、こないだ卒業したところです。

🌙 総じてこんなところよく撮っているなあという、生活の断片のようなものの集積というか。

それはよく言われました。「なんでこんなところを撮っているんですか」とか。先生からしたら、もっと授業の場面だとか、特別な作業風景を撮るものだと思っていたら、ぜんぜん違っていた。「これ撮っているの、どんな意味があるんですか?」とよく訊かれました。

🌙 先生から?

先生たちに観てもらったときにまず言われたのが、「日常過ぎて、これが映画として面白いのかどうなのかまったく分からない」でした。最初に「PRビデオを撮るつもりはありません」とは言っていたんですけど。ここまでPR要素のないものになるとは予想していなかったんでしょうねえ。

🌙 授業風景がないというのは確かにそうですね。学校の一年の話なのに? 言葉を交わしている場面が多い、会話の映画というか。

映画でできるのはほんのわずかなことだと、作りながら思ったんですよね。僕にとっては。

🌙 なるほど。予定の時間をかなりオーバーしているし、終わりましょうか。ありがとうございました。

※『聴く隣人のいるところ』は東京・ポレポレ東中野で6/6〜上映中、ロードショー公開

後記🌖「これを撮ることにどんな意味があるの?」
被写体本人たちからすると、あるがままの日常でしかないものにカメラを向けられ、逆にこれぞと気を張ったところは反応薄く、撮影中は大丈夫か?と思われていたのかもしれない。いや、完成したものを目にしても、ただただ日常が切り取られていると思ったかもしれない。
柔らかいひとあたりの印象の早川監督だけど、けっこうガンコにも見える。とともに現場は、大丈夫?の視線を受けとめ、けっこうドキドキしていたのではないだろうかと想像する。というのもわたし自身がインタビュー中、同席する編集者からこれで記事にまとめられるの??という視線を感じることが多かったからだけど。
映画は、こんなにカメラの存在を気にしていないことが不思議なほど「日常」が撮られていた。若い彼ら彼女たちがイキイキしていた。こんな学校があるんだと、監督の話を聞いて面白く思えた。

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朝山実 脱落せずお読みいただき、ありがとうございます。 媒体を持たないフリーランス。次の取材のエネルギーとさせていただきます。