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【旅の休憩所④】なんてこった…!! 曽祖父が残した難題(前編)

巻物を手に入れてから数日間、ネットを検索したり田村さんに相談したりして、書いてある内容がなんとなくつかめてきました。

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▼江戸時代に書かれた軍記物

2枚の写真は、『和州諸将軍伝』という江戸時代(宝永4(1707)年)に書かれた軍記物の一部のようです。戦国時代、主に大和国に存在した武将や豪族のエピソードが書かれており、特に筒井順慶を中心とした筒井一族にページが割かれているとのこと。

この部分をおおざっぱに現代語訳すると、次のような感じです。

「はるか昔に日本がはじまり、大和国が出来てから、多くの戦いがあった。筒井氏は、嶋などたくさんの部下や一族とともに戦い、松永などの敵を倒して名をあげた。うんぬん」

(注:おおざっぱすぎるだろ……とお思いの方は、どうか現代語訳のボランティアを買って出てください。お願いします)

とりもなおさず、戦国時代の大和において、筒井順慶はヒーローだった様子。ただし、田村さんによると、軍記物というのは史実を中心にしたエンタメなので、フィクションも含まれており、完全に信用することはできないということでした。

ここで、昨年の大河ドラマ『麒麟がくる』をご覧になった方はおわかりかと思いますが、「松永」とは「松永久秀」のことです。ドラマでは、吉田鋼太郎さんが演じ、織田信長に追い詰められて壮絶な最期を遂げましたね。

また、「嶋」とは「嶋左近」のこと。筒井順慶に仕えたあと、石田三成の軍師となり、「三成に過ぎたるものの1つは、嶋左近」といわれたぐらいの名将だとか。

▼筒井氏は、神様に従って大和にやってきた

さらに話は続きます。

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これによると、

神護景雲2(768)年、天児屋根命(あめのこやねのみこと)という神様が河内国の枚岡から大和にやってきた(←春日大社が創建された時)。そのとき、藤原家の4家のひとりが、神様に付き従って筒井荘という場所に住み、それが筒井氏の始まりとなった。その名前は、「筒井大夫藤原順武」という。

へえー(長い名前……)。

それから長い間、何の武勇伝もなかったけれど(←本当にこう書いてある)、ようやく43代目にして「筒井順永」(※1419年生まれ)が現れ、戦いで大活躍し、数十年間、大和を治めた。その旗は、白地に「春日大明神」と黒字で書かれており、家紋は梅鉢である。これ以降、筒井氏は筒井城に住むようになった。

えっ、お城があるの? (ワクワク)

その後、この物語のメインの登場人物の紹介がありました。果たして、ご存じの方はいるでしょうか……。

47代 筒井順昭  48代 筒井順慶  49代  筒井定次

▼先祖があの場所に住み始めた経緯

さらに、「〇〇杣(そま)内春日大明神伝記」というタイトルがあり、なぜうちの先祖があの場所(京都山城地域)に住み始めたのかが書かれていました。いわく、

神護景雲2(768)年、称徳天皇の守護神が河内国の枚岡から大和にやってきて、藤原四家と筒井などが付き従った(←さっきと似たことが書いてある)。
その後、山城国相楽郡〇〇に宮柱を立ててお祭りをし、春日神社の別宮を立てるようにとのご神託があった。

えっ。もしかして、春日神社を建てるためにやってきたの?
それだけ? いやいや、もっと他に何か理由があるでしょう……

このあと、「興福寺官務」とか「平群郡住人土佐之守」がどうのとか、3枚にわたって色々書いてあるのですが、ほとんど何が書いてあるのか読み取れず(そのうち業者に現代語訳してもらおうと思って、すっかり忘れていました)。

最後から2行目に、「借用書……民部藤原守冨」と書いてあるようですが、これが一体どういう意味なのか、大いに気になります……。

無題

そしてこのあと、ようやく江戸時代の私のご先祖について、具体的な家系図が始まります。

次回は、この家系図からわかった曽祖父(N助)の思いと、私に課せられた使命について語ります。

(続く)

<<<次の話を読む(旅の休憩所⑤)

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もののふ椿🌺ルーツ旅であなたもドラマの主人公に✨ サポートありがとうございます! 近々、家系図のよくわからない部分を業者さんに現代語訳してもらおうと考えているので、サポートはその費用にあてさせていただきます。現代語訳はこのnoteで公開しますので、どうぞご期待ください。

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