【ルーツ旅🌺山形庄内地方⑫】この石碑は何のために作られたの?
慶応2(1866)年、山形のご先祖がなにかいいことをして石碑を建ててもらったと、以前書きました。
私は、ご先祖がいったい何をしたのかずっと気になっていたのですが、先日、本家の人が教えてくれました。
▼子弟の教育も仕事の1つ
うちのご先祖は江戸時代、大庄屋をしていたのですが、一口に大庄屋といっても、その実態は各地によって違うようです。
うちは田畑を持たず、藩から俸給をもらって生活していたので、たぶんサラリーマンみたいな感じだったのでしょう。
その仕事内容には「子弟の教育」も含まれていて、藩主や村の子どもたちの教育係を務めていたそうです。藩がなくなったあとは、そのまま学校の先生をする人が多かったとか。
▼英雄的な行為ではない
で、石碑の話です。
私はてっきり、石碑を建ててもらうぐらいだから、ご先祖は、暴れ川に橋をかけたり、飢餓に苦しむ農民を救うために藩主に訴えたりと、何か英雄的な行為をしたのかなと想像していました。
しかし、実際には、うちのご先祖は2代にわたり、まわりの人に先生として慕われていて、子弟の皆さんが感謝の意を込めて石碑を建ててくれたということらしいです。
「先生、教えてくれてありがとうございます!」という感じでしょうか。
きっとご先祖は教え上手で、子弟の皆さんもいい人ばかりだったんだろうな。あまり英雄的な感じではないですが、これはこれでいいのかもしれません。
▼田舎の本家というもの
それにしても、私はルーツ探しを始めるまで親戚と疎遠になっていたので、まさか自分に「田舎の本家」なるものがあるとは想像もしていませんでした。
実際に訪ねてみると、やはり本家は色々とすごかった。とにかく古くて価値のあるものがたくさんありました。ご近所の皆さんも、本家のことを大庄屋を表す屋号で呼んでいて、このあたりはまだ江戸時代と地続きなのだと感じました。貴重な経験だったので、そのうちまた山形のことを書くかもしれません。
というわけで、明日こそ、高知のお祭りの話の続きを投稿しますので、どうぞお楽しみに❣️
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