寄り添うことはできても、痛みは変わってあげられない
実家に帰ってきている。理由はさまざまだけれど、大きな理由として母が帰ってきたいというのがある。6月上旬に骨折をし、その数週間後には、私も昨年骨折したときにいれたボルトを抜く手術入院があり、お見舞いもあまり行けず。退院後もしばらくは大きな行動や無理な行動をしすぎないようにしていて、と思ったら、旅の予定が入ったりとバタバタとしていた。
そんなことをしているうちに母も退院していたが、一軒家の実家では階段が骨折した脚には厳しいということで、母の実家、すなわち祖父母の家にいた。脚も少しずつ回復してきて、リハビリも進んだこと、私も実家にしばらく入れそうなタイミングも重なり、母が帰ってくる準備ということで、私も帰省をしている。
1年前、私も同じ状況だったから、どんなときどんなことをしてほしいのか、お風呂に入る不自由さ、階段の大変さ、買い物の難しさは痛いほどわかる。だから、日中は仕事をしながら、母の買い物に付いて行ったり、家の中の整理をしている。できる限り、母にとって大変で面倒なことは取り除いておきたい。何かをするのでさえ、毎回「頑張るぞ」と意気込まないと動けない身体なのだ。最大限は辛さを除いておきたいというのは、当事者として当然だと思う。
「ショッピングモールに行こう」という話が出たとき、それはさすがに厳しいと思った。というのも、すでにお盆に入り、人の数が多い店内。エレベーターまで行くのも一苦労。車いすを借りることはできるけれど、長時間乗っているのは体勢的にも疲れるし、いつもと違う視界の高さもかなりしんどさを感じる。
でも、どんなに疲れても、歩くのは自分でしかできない。どんなに疲れても、いやだと思っても、ある程度は松葉杖を使って、不自由な足を動かしながら自分で歩くしかない。あくまでそばにいる私はサポートができるまで。それも、最大限はできるけれど、その疲れ、痛み、辛さを、変わってあげることはできない。歩くのは母自身でしかできない。そんなことを伝えながらも、なんとかショッピングモールへ出かけることにした。かなり疲れていたのか、その日は良く寝ていたようだった。
少しずつ外に出たいようで、明日は駅まで歩いて、ひと区間だけ乗ってみることにした。ひとつでも多く、自分でできることを増やしたい気持ちはとてもよくわかる。だから、出たい気持ちがあるのなら、できるだけまずは一緒にやろうと伝えている。
電車に乗るのも、かなり大変なのだ。家から最寄り駅まで約8分。松葉杖だと1.5倍はかかるので、炎天下の中、松葉杖で約15分かけて歩くことからはじまる。駅の改札内は人が多い。立って待つのは避けたい。エレベーターまで歩くこと、電車で座れるか否かの不安、乗り換えの不自由さ。想像するだけで大変なのが、電車に乗ること。その先にも苦労はまだまだ尽きないけれど、まずはひとつずつやりたいことや不安を解決していくしかない。
ここでも私ができるのは、あくまでも最大限のサポートまで。周りの人に気を付けること、最短ルートを示すこと、母のペースで歩くこと、荷物を持つこと、何かあった時支えられる心の準備をしておくこと。身体的な疲れも、精神的な辛さも、決して私が持つことはできない。
寄り添うことはできても、痛みは変わってあげられない。私ができることはここまでなのだ。やるかやらないか、そしてやりきることは、母にしかできない。
そんなことを母に言いながら、私自身にも言い聞かせている。自分の持つ傷も、誰かに持ってもらうことはできても、その傷は永遠に私だけのものであるのには変わりない。誰かの痛みを癒す手伝いはできても、それを本当の意味で代わることはできないのだ。
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