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目から鱗が落ちる正しいウィッシュリストの作り方

いつもの読者の皆様
これは #創作大賞2026 #ビジネス部門 への応募作です。

私が手帳に関して20年近く考察し実行してきた研究の一端を
ウィッシュリストの書き方という切り口でまとめました。



1. 正しいウィッシュリストをみんな知らない

ウィッシュリストのことを本当にご存じですか?

ウィッシュリスト。
Amazonの欲しいものリストだとか、ちょっと高級なブランドのECサイト等にある欲しいもの一覧表のことでもあるが、今回テーマは人生をもっと良くしたいとか、将来こういうふうになりたいとか、そういう時に書き出すリストのことだ。

頭の中を整理したり、今後のビジネスプランを練り上げるブレインストーミングの一環としてクリエイティブ系の仕事が多いビジネスパーソンや、自己分析の一環として就活生などにも人気がある。
ネーミングはまちまちだけど、手帳術、ノート術でも必ず触れられる。

が、なんやかんやいってやはり一大潮流としては、夢を叶えたい女子たちからの人気が強い「おまじない」的コンテンツだ。

応用編として画像などをふんだんに使ったビジョンボードというスタイルになる場合もあるし、「死ぬまでにやりたいこと(バケットリスト)」「今年やりたいこと」等、時間の制限を伴うリストもあったりする。


ところで。
これ、書いてみてもちゃんと狙った効果でてますか?

ウィッシュリストは「書けば叶う、書きさえすれば後は忘れていてもよい」と言われるものが結構ある。
「書いたところでどうにもならんよね」と化けの皮が剥がれつつあるけど、書くだけで叶うという触れ込みはとてもキャッチーで人気があって、夢見がちな人間が飛びついてくるから、ビューが稼げるコンテンツだったのだ。

そのせいなのか、ウィッシュリストというものがかなり誤解されている気がしている。

「書くだけで叶う」なんて、なんとなく無理じゃない?という気持ちになるけど、だからこそそう言ってもらえると許されたような安心感があって、しかもそれで夢が叶いましたなんていう人の体験談を読むと嬉しくなって、やってみよう!となる仕掛けが隠れている。

ただ、これで夢が叶ったと言う人の話を聞くと、願うまでもないような身内のことだったり、その仕事をしているならないとむしろダメでしょ、みたいな、そうなって当たり前のことをわざわざ願いとして書いては叶ったと自作自演の自画自賛をしているケースが多い。実に、多い。

正直、全然夢がない。(むしろガッカリしてくる)

こんな感じだと、ウィッシュリストではなくちょっと広範囲なToDoリストといった方がいい。やるべき事をちょっと理想高く掲げただけのToDoリスト。
ウィッシュリストは、ToDoリストとは全然違うものなのに。

つまり、ほとんどの人はウィッシュリストとはどういう機能のものなのかを1ミリも考えずに、なんとなくいい物だという印象で書いている場合が多い。

ウィッシュリストとは、そんなぼんやりしたものではない。
私は、ウィッシュリストには明らかな機能があると思っている。

ウィッシュリストは「可能性を拡張するツール」

よいウィッシュリストがあると、信じられない効果が発生する。

・ウィッシュリストを見るだけでやる気が湧き上がる
・落ち込んだときは気持ちがぐっと上向きになる
・嬉しいときはハシャギ過ぎて失敗しないよう心を落ち着かせる
・つらい現実にぶつかっても、心が折れることが激減
・かといって感情を押し殺すことではなく、当たり前に安心して喜んだり悲しんだりできる
・なにかを我慢するわけでもないのに、やりたい努力に全力を注ぎ込めるようになる
集中力が増し、不要なノイズは軽くいなせるようになる
・着実に成果を実感し、空回りする時も投げやりにならない
・不要な喧嘩は避けるが、戦うべきところは譲らず勝ちに行く
・状況がどれだけ不利になっても充実感があり、ちゃんと結果に着地する

そんな、嘘みたいな効果がある。自分のやりたいことやこうだったらいいなというものを紙に書いたリストを見るだけで、こうなるのだ。
というか、このくらいにならないと、ウィッシュリストの意味はあんまりない。

夢が叶うというのは、こういう状態に一度はなるということだ。
そしてこの状態が一瞬ではなく、結構長い時間継続するということでもある。

盛りすぎだと思うかもしれないけれど、そのくらいの効果がなければ、私の人生逆転劇はなかった。

私に起きた逆転劇

実際、どんなふうにウィッシュリストが私の人生に力を発揮したのかを少し振り返ってみると、はじまりは私が高校生くらいの時から借金苦に陥った実家の存在がある。

もともとなんらかの問題を抱えている家庭ではあったけれど、それが私が人生を決めなくてはいけない高校卒業あたりで表面化して、大学進学どころかすべてが吹き飛んで消えていった。
そして、毎晩包丁を振り回すようなDV家庭になっていき、数年のアルバイト生活の後に逃げるように上京した。

必死で東京に来て、右も左もわからないまま家賃3万5000円のシェアハウスに住み、派遣社員としてなんとなく生きていた。
そんな状態なのに、ある日母から電話がかかってくる。
「明日までに50万円払わないと家が取られる。お金ない?」

結局逃げられなかったんだなって思った。

そんな感じで、自分の仕事をしながら実家の経営を立て直すためにビジネスを立ち上げるはめになったのが、28歳くらいの時だった。

金も人脈もない中、私はただ今後の計画をあてもなく、それでいて人生をかけて真剣に紙に書いていた。
これ以上ないくらいどん底のような、それでもまだ生活できているからどん底でもないのか、だけどこのままだとまだ20代なのに私の未来はホームレスか自殺のどちらかだ……と思いながら、当てもなく未来の計画を書いた。

その時に思っていたのが、「金がかからないことは全部やる」ということだ。未来の計画を書くことに金はかからなかったから、書いた。
もうひとつ、時間の捉え方を根本から変えていくということもやったのだけど、それもなかなか効果的でそのやり方を落とし込んだ手帳を商品化して現在販売している。
どちらも根本は同じ。
机と紙とペンから、すべてをひっくり返す道を突き進んだ。

勝算があったかというと、「勝算が出てくる道を注意深く選んだ」というのが正しいかもしれない。約3年かけて、私は田舎の借金苦の家に爆発的な受注と、めざましテレビの取材、デパ地下出店などを持ち込んだ。
母と弟がすっぴんで地上波デビューし、私もすごいカメラで取材されて「そのカメラっていくらくらいするんですか」なんて質問していた。1000万円位するそうだ。

机と紙とペンから始まったこの逆転劇が実現した時、私はJR巣鴨駅のアトレにあるパン屋のイートインコーナーで、涙をこぼしながらパンをかじりつつ、手帳を開いてた。
テレビ取材の撮影が終わって、放送が数日後に決まっていて、多分なんとかなるかもしれないという希望が少し見えていた。どんな台風が吹き荒れるのか、想像はできなかった。でも台風が来る。
私が起こした台風だ。

私は、犯罪でも事故のような不幸な偶然でもなく、自分の考えと着実な行動で、親の借金に抵抗できる大きな変化を起こした。
できないと思っていたことが、実現しつつあった。

学校ではあんまり目立たないタイプで、頭は悪くはないけど突出して優れているわけでもなく、特別美人でもなく、世界は誰も私のことは知らない。でも、できたのだ。


その頃は勘で書いていたけれど、今はそれを言語化して構造を説明できる。

ウィッシュリストは、ただ書くだけではダメだ。
それに、できそうなことを書いているうちは機能が弱い。
できもしないだろうことを書いてはじめて、機能する。

それは「人生の可能性を拡張する」という機能だ。
夢を叶えるとかでもない。それは所詮オマケ、あるいは単なる結果にすぎないからだ。ウィッシュリストがやるべき事は、そこにたどり着くための可能性をゴリゴリと拡張するということだ。

できそうなこと・できた方がいいことを書いているうちはダメ

ウィッシュリストは「こうだったらいいなー」を書き出していくので、それほどやりたくなくても努力なしで手に入るならいくらでもほしい、みたいな無責任な欲が混じり込むことが多い。

なくてもいい資格とか、語学とか、不必要なダイエットとかが多い。

これは特に「書くだけで叶う」というのを信じ込んでいる人によく見られる症状だ。書くだけでいいのだから、強欲の限りを尽くして良さそうなものを全部のせていくスタイルだ。
自分がやりたいことではなくて、「やったほうがいいだろうこと」をてんこ盛りにしている

このタイプの願いがほとんど占めているウィッシュリストは、むしろ書いた人をめちゃくちゃ苦しめるリストになっていく。

書いても実行するつもりはないから、実現する可能性はとても低い。
でも、書いているだけで人間は書いている内容に自覚的になる。
「自分はこんなことをやらないといけないって思ってるんだ……」
資格を取って英語でこれができて、中国語とスペイン語も学んで、動画編集ができてAIにも詳しくなって、8キロ痩せて、デザインができて、そうなる方がいいけど、別にやりたくはない……。

こういうものでウィッシュリストが占められてしまうと、「これが私の願い」として見せつけられて、じわじわと苦しくなっていく。
できないことを見せつけられ、もっと努力すべきと圧をかけられているような気持ちになるのを横目で見るような感じがでてくる。
時間が経つにつれ、それができていない負けの現状がさらに突きつけられる。
自分の悪いところ、足りないところ、無力さがどんどん可視化されていく……。
これがウィッシュリストだろうか?

ウィッシュリストとは、それを見るだけで力がみなぎってくるようなものだ。気持ちが滅入ったり、自分の無力さを見せつけられてショックをうけるようなものではない。

ウィッシュリストとは、できないことが(努力なしに)できるようになるものではなくて、そのずっと手前にある「人生の可能性」そのものが拡張していくものだ。
自分の考えている範囲を軽々と飛び越えた可能性が広がり、それに従って選択肢も自分で考えた以上の幅を広げていく。
もっと簡単に言うと「できるかも……?」と感じる範囲が広がること、それも自分が本当に望んでいる方向に広がることになる。

ということは、(今の)自分にはできそうもないことも実現する道が見えるということだ。

逆に今の自分がギリできそうなことを書いているうちは、可能性は逆に狭くなっていく。最低でも今以上の成長は見込めない。

できる事を書くのは成長がないというのはなんとなくわかる、でも「できた方がいいこと」は可能性を広げることにならないのか?と思うかもしれないけど、それを提案しているのは今の自分の頭である。
つまり、無知で経験のない人間の頭で考えた「できた方がいいこと」なのだ。小学生が高層ビルを建てようと設計図を描いているようなもので、お話しにならないレベルのことしか思いつけない状態だ。
そんなレベルの「できた方がいいこと」なんて、たかが知れている。

誰かに教えてもらったり、自分で考えたこと以上の未来を、人は思い描けない。これが人間の限界だ。

でも、ウィッシュリストはそれを軽々と越えていく。
そういう機能がある。

ウィッシュリストをもう一度きちんと定義しよう

正直なところ、オリジナルの手帳を販売して10年以上ずっと手帳に関わる人たちを見ていると感じるのだけれど、ウィッシュリストを書くという行為は、誰かのウィッシュリストっていいよねという言葉に踊らされてなんとなく曖昧に書き始める、というのがスタンダードな入り口だと思う。

それではいい効果を得るのは偶然に頼ることになるし、書き方次第では悪い方に行く場合も多い。
(後で説明するけれど、意識せずに普通に書くと悪い方に行ってしまう。特に2020年以降は余計に)

机と紙とペンで人生をひっくり返した経験から言うと、それではダメだ。
ウィッシュリストはそんなものではない。
ぼんやりと狙った効果も出せずに、むしろ悪い効果が発生するなんて、書く意味がないどころか、書いたせいで不幸になるまである。

ウィッシュリストとは、人生の可能性を拡張するものだ。
それがあると、落ち込んだときもやる気が湧き出るし、嬉しいときも過剰にうわついてはしゃいで失敗するようなこともない。
現実が辛いときほど支えになり、現実がうまくいくとよりよいルートを示し、足を取られないように着実に導いてくれる。間違ったときはすぐに気がつき、正しい道に戻るのも苦労しない。
そういう効果が得られないのなら、それはウィッシュリストではない。

完成度の高いウィッシュリストが書けると、効果は長ければ10年くらいは持つ。少なくても3年くらいは余裕で持つ。

そして、人生をひっくり返すことも、それほどむずかしいことではない。
あなたが考えている以上の素晴らしい結果を呼び寄せる。可能性が拡張するとはそういうことだ。

あなたが書くべきなのは、こういう、それがあるだけで気持ちが前向きになる上に、それがどんな状況にあっても持続し、その結果自分の想像の遙か上をいく未来に着地するウィッシュリストだ。

2. 正しいウィッシュリストの作り方

書き方にルールはあるのか?

では正しいウィッシュリストとはどんなものだろうか?

内容は人によって違う。
が、内容は違っていても、形式には一定のルールがあると思う。

今まで人気だったのは、脳の無意識領域にアプローチするのを目標として、無意識領域によい影響を与える方法として言葉の制御を重視するウィッシュリストの書き方が人気だった。
「現在進行形、または完了形で書く」「感謝の言葉を添える」など、無意識領域は時間感覚がなく、主語を理解しないという仮説を背景にしたやり方だ。

それはそれで、ある程度効果があるのかもしれない。
かもしれないが、現実問題としては言葉の制御に気を取られるせいで、中身のない書き取り練習みたいな表面的な言葉の羅列に陥っているウィッシュリストを書いている人ばかりになっている。

言葉の制御は、意味がないわけではないけれど、適当にやると悪い影響の方が大きい。そうなってしまうのにははっきりと理由があるのだけど、それは後半で説明したい。

言葉遣い、表現方法を歪めることが正しいウィッシュリストの書き方だと思っていると、まず自分が本当に願っている事を書くことから離れがちになってしまう。
こうだったらいいな、これができたらいいな、というのを書くのと同様で、自分の願いというより叶いそうな字面を追求するルートにはまり込んでしまう。

ルールは、言葉遣いではない。
注目すべきは、実現可能度のほうだ。

実現可能度、つまりどのくらい実現しそうかどうか、という点。

例えばバレエが好きで、もちろんよく観るし、海外の有名カンパニーの動向はチェックしているし、可能なら自分もバレリーナになって、エトワールになりたい。でも、今更バレエ教室に通っても、大人のバレエエクササイズで気分を味わうくらいしかできない。
こういうのは、実現可能かというと、ほぼ無理。実現しなさそう。
でも、好きなんです、そうなりたい気持ちは心のどこかにずっとあるんです……という願い=ウィッシュ。

これをウィッシュリストに書き込みますか?と言われた時、おそらく書かない人の方が多いと思う。
好きだけど、なれるわけじゃないってわかっている。

が、実現不可能な願いを書くことがウィッシュリストに力を吹き込む最重要ポイントだ。

実現可能度を見るべきといわれると、じゃあ実現不可能な願いは入れるべきじゃないのかなという反応になる人がすごく多いのだけど、逆である。
実現不可能な、それなのに大好きで心から願ってしまう事を入れるべきなのだ。

実現不可能な願いをいれなければウィッシュリストは力が出ない

ウィッシュリストは、人生の可能性を広げる機能を持っている。
この機能を備えたウィッシュリストにするには、ちょっとがんばればできそうなことだけを書いていてもダメだ。

可能性が今よりもさらに大きくなるには、できそうにもないことが入っていないと広がらないのだ。

子供の頃はこの世の仕組みを知らないので、可能性の上限を知らない。だから簡単に、新幹線というすごい乗り物があると知った瞬間に大好きになって、新幹線になりたい!と本気で思ってしまう。

大人になると、あれをやるにはこれが必要、これは人間にはできない、これはこの大学に行った人じゃないと無理、等と制限が山ほどあることを理解していく。そして、制限の中でうまいことやっていくことを目指すことになる。

よい大人は、できもしないことに夢中になったりしない。
それは、現実に適応しているけれど、それを越えていくことはできなくなる。

けれども、ウィッシュリストは所詮紙に書いた文字の羅列に過ぎないから、何を書いてもいいし、何を書いてもなにかに影響が出ることはほとんどない。重要機密でもないし、デスノートみたいに誰かが死ぬこともない。
だから、大人でも、責任ある立場の人であっても、自由に書いていいはずなのだ(誰かに見せなければ)。
本当はオリンピックで金メダル取りたいとか、そういうことをいくらでも夢想して、想像して、それを文字に起こして書き付けていいのだ。

現実には無理そうなことを書くと、その紙に書かれた文字は、現実に存在するもの=物体になる。

書かれたことが実現するわけではないが、少なくとも意味を持って読める文字が書かれた紙という物体が現実に出現する。
この、とてもかすかな質量が、未来をこじ開けていく鍵になっていく。

ただ、これはとてもささやかな鍵で、存在していないも同然。
だから、命を吹き込んでいく作業が必要になる。

だとしても、無理だと思うものにほんのわずかでも質量を与えるという経験は、それだけで人生を変える。ほんの少ししか、目に見えないくらいの変化でしかないけれど、そのわずかな変化でもあなたが死ぬほどそれを望んでいる方向に向くのなら、否定する意味はない。

質量を与えるべきものは、今の自分には絶対にできない、叶わない、無理なこと、だ。

ここに、文字にして紙に書くという形でかすかな質量を与える。
現実にほんの少しだけ近づけていく。

自分の思っている可能性の範囲外の、あり得ないことを、だけど心から願っている、いつもどこかそれに惹かれている、無理だとわかっていてもそうありたいと願っているなにかを、文字にする。

それを、目で見る。読む。肉体に与える。

この作業で、一気に可能性が広がる。
信じられないかもしれないけれど、可能性が一気に広がるのだ。自分が制限したり、世の中がそんなもんだと与えてくる情報、守らなくてはいけない倫理や道徳、果たすべき義務などがある中で、それらに縛られず、それらに干渉もしないで、すっくと独立した遠い存在が、一気に輝き出す。

実現不可能な願いをいつものリストにひとつ書き加えるだけで、見える景色が変わってくる。

そもそも、ウィッシュリストはウィッシュリストでしかない。
ウィッシュリストがなにかを叶えるものではないし、計画したり予算を組んだりするのはウィッシュリストの仕事ではない。ウィッシュのリストでしかないものに、計画や調査、交渉なんかを任せるべきではないのだ。
それはウィッシュリストを書いた後に、別の紙に書くべきことだ。
それなのに、ウィッシュリストの段階ですべてを実現させようとものすごい押しつけをしている人が多く、そのせいでウィッシュリスト自体が書けない、という状況が起きている。

できるできないで判断して、できそうなものだけいれるウィッシュリストは、可能性はむしろ狭まる。
できそうだと判断されているので(実現させる努力をするかどうかは別にして)、可能性がそれ以上広がることはない状態だからだ。

大体できるできないをジャッジするのは、それをやったことがない人間、知識も経験もない人間なのだ。そんな無知で馬鹿な人(つまりあなたのことだけれど)に判断されていたら、可能性がどんどん狭まっていくのも仕方がない。

しかし、実現できそうもないけどそれでも心を狂わせる願いは、そんな制限を軽々と越えていく。
だからこそ、可能性が広がる。

それは、我々が失ってはいけない心の機能、「希望」だ。

ウィッシュリストは、実現不可能な願いを書き入れる事が最大の胆


同時に実現可能な願いも必要

しかし、希望を持つために実現不可能な願いを書けばいい、と早とちりしてはいけない。大事なコツは、ここに実現可能度の高い願いも同列に書き並べるということだ。

実現可能なのに「願い」なんてことがあるのか?といぶかしく感じる人もいると思うけれど、行こうと思って行っていない旅行先だとか、やってみたい趣味やいつか着てみたいブランドの服や靴、ちょっと思い出すだけで片手では足りないくらい思い浮かぶのでは?

ウィッシュリストは「今は無理だけど、時間やお金が許すならやりたいな」という物が吹き溜まる場所なので、なんなら明日できることでもウィッシュリストに溜まっていく。

こういうものも実現不可能な願いと同列に扱う事が、正しいウィッシュリストの構造を作っていくのだ。これだけを書き集めてもあまり効果はないのだけど、実現不可能な願いの隣にあると突然効果を発揮しはじめる

正しいウィッシュリストとは、人生の可能性を拡張するということ。
そういう機能を持つ構造に作り上げないといけない。
実現不可能な願いが現実を大きく拡張する牽引力だとしたら、やればできる実現可能な願いは現実を前に進める足になる。引っ張るだけではなく、現実を踏みしめて前に進む足が必要だ。

そして、それらがそろうと現実が動き始める。

すぐにでもできる(予約する、お金を払う、注文する等)願いを、
実現不可能な願いと同列に書くのがウィッシュリストのコツ

私はこの実現可能度で分けるのを、わかりやすく3種類の卵に例えている。

そのままでは食べられない生卵の願い。
ちょうどいい状態まで茹でて、さらに殻をむいて味付けをする必要があるゆで卵の願い。
すでに殻もなく味付け済みで、あとは食べるだけの煮卵の願い。

この3種類の願いが全部そろっている「生卵ゆで卵煮卵のウィッシュリスト」が、本当にパワーのあるウィッシュリストになる。

もうちょっと詳しく説明しよう。

3種の卵のウィッシュリスト

実現不可能な、でも本当に心から願ってやまない願いは、生卵の願いになる。
生卵なので、そのまま食べられない=つまりどうがんばってもこのままの生活で叶いそうもない夢や願い。
とはいえ、実際には生卵でも食べられるので実現が完全に不可能ということではない。急に宝くじが当たることだってあるわけだから。

ゆで卵の願いは、生卵より実現可能度が高い。でもものによっては相当むずかしく、まだまだきちんと茹でないといけなかったり、ゆで上がっていても殻をむかないといけなかったり。
つまり、なんらかの試験をパスしないと無理だとか、お金が500万円くらい必要だとか、できなくはなさそうだけどかなりむずかしく感じるようなこと。もちろん、だとしてもやりたい、そうなりたいという願いが止めどなく出てくる魅力的な願い。
普通にウィッシュリストを書く時に一番たくさん出てくるレベルかもしれない。

この2つに比べると、圧倒的に簡単なのが煮卵の願いだ。
予約すればできるとか、日にちを作って出かければいいとか、1万円くらい払えばできるとか、あとはやるだけの事をなんらかの理由でやっていない状態のものたちだ。

この3種類の願いをまんべんなく1枚の紙に書き出す事が、ウィッシュリストにパワーを与える。
人生の可能性を拡張する構造を持つリストになる。

とりあえず、まずは書いてみよう。

最低限、それぞれの卵は1つはほしいので3つ。
あとの卵の割合はお好みでかまわない。
ただ、生卵ばかり、煮卵ばかりになる場合は、現状の生活に大きな問題を抱えている可能性がある気がする。現実と向き合う思考の力を失うと、逃避としての現実感のない願いだけになったり、やれることもできていない状態ということでもある。
が、そういう状態になったとしても、まずは書くこと。
今後、形が変わっていくので、心配しないでいい。

ゆで卵の願いしかないと思っていても、よくよく考えるとすぐに予約できる煮卵の願いが紛れていることも非常に多い。
なので、一回とにかく書いてみてほしい。

あんまり気張らずに、いつも通りのウィッシュリストを書く流れで大丈夫。
書いたものを見てそれぞれどれが生卵でゆで卵で煮卵なのかをチェックしたらそれで十分。
むりやり「これはゆで卵の願いだろうか…?あっているだろうか?」等と考える必要はない。
(そんなに気張って考えずに済むように、生卵ゆで卵煮卵というまぬけなネーミングになっているのだから)

ただし、必ず1枚の紙に全部見えるように書くこと。
数枚に渡るほど大量である場合は、その中のより抜きのものを集めたベスト盤ウィッシュリストという形でかまわないので、3つの卵が1枚の紙の中にある状態にしておく。
卵の種類がバラバラに散らばっていようと、整然と並んでいようと、そこはお好みの仕上がりでよい。ただし、1枚の紙の中に、並列しているように書くことだ。

コツはそれだけだ。

ほとんどの人は、書くこともできない

といっても、ウィッシュリストを実際に書く人は、そんなに多くない。

頭の中にウィッシュリスト的なものがあるから、それでウィッシュリストを書いたことにしている人もいる。

でも、実際に紙に書き出す事の方が重要だ。

スマホなどのデジタルに書き出すのはどうかというのも、よくある論点になる。
私の結論としては、デジタルに書き出したとしても、最後には1枚紙に清書すると、威力が段違いに強く感じる。ちゃんと紙に書くステップを踏む方が、脳の力を強く引き出せるのだと思う。
下書きだけは紙に書き出すとか、清書を紙に書いたとしても写真を撮ってデジタルデバイスに入れておくとかしたらいいので、とにかく紙を通過するステップは必須だと考えている。

正しいウィッシュリストの書き方を知りたいからこれを読んでいるのだとしたら、紙にあなたのウィッシュリストを書くべき。

それに、書こうと思っても全然書けない!となる人も少なくない。
頭の中にいっぱいあるのに出てこない、きっかけがつかめないという人は、とにかく思いついた単語、今一番気になっている事柄をまず書き出して、そこから展開させていくうちに思い出すことはとても多い。

あとは、書いてみたら急に悲しくなって泣き始める人も結構いる。
書いたことが全部嘘のように感じて泣いたり怒ったりする人もいる。嬉しいことややりたいことを書いているにも関わらず、そういう変な反応になる場合もあるのだけど、そういうのは割と普通です。
気にしないで大丈夫です。泣きたいんだから、泣いて下さい。

まず書いている時点で、書いていない状態からは雲泥の差が生まれている。ほとんどの人は書くこともできないのだ。
書き始めただけで変化になる。

なぜ「書き方」ではなく「作り方」なのか?

とはいえ、ここでまたトラップが発生する。
書いたことで満足してしまうという、インダルジェンス(耽溺)が起きてしまう事がある。

これは書いたことで一回具体的に未来を想像してしまい、それで脳が現実は何も変化していないのに満足してしまって行動に移る意欲が霧散してしまう状態のことだ。
脳は現実と想像を区別する力が弱く、集中力が高い状態でウィッシュリストを書いたときに、あたかもそれが現実の体験のように錯覚してしまって、もう目標は達成されたと誤認し、やる気がシューッと消えてしまうという罠がある。

そもそもそういった脳の性質を利用して、納得のいかない現実をねじ曲げようというアプローチが引き寄せの法則などで言われるやり方だ。
だから、目指す方向はあっているとも言える。しかしそのせいで、落とし穴にもしっかりハマっているというわけだ。

こうなると、書いただけで満足して終わってしまう。
何も変わらない。一瞬やる気が出て、それで終わる。

でも、この生卵ゆで卵煮卵のウィッシュリストは、実現不可能な願いの生卵のせいでインダルジェンス(耽溺)が起きても「そもそも、いうて無理だしな」という理性は働いている。
それに加えて本当に簡単に実行できる煮卵の願いがあるので、トラップを回避して次のステージに飛び乗ることが簡単になる仕組みになっている。

これは「書くこと」だけではできない。
なので、ウィッシュリストの書き方ではなく、作り方なのだ。

それは次に詳しく見ていこう。

3. ウィッシュリストは動かしてからが本番

煮卵の願いを片っ端から潰していけ!

ウィッシュリストを書いたら、書いて終わりにしてしまっては今までの誤ったウィッシュリストと同じ結果になってしまう。

まずウィッシュリストは一回で完成度の高いものが書ける事はほぼない。

とはいえ、3種類の卵の願いをまんべんなく書き込んだウィッシュリストを見ているだけで、今までの書き方とは感触が全く異なっている人もいるはず。

「リストを見ているだけで、胸が温かくなる」
「あきらめるために書いていたはずなのに、できるんだという気持ちがでてきている」
「今までは願いが他人事だったのに、自分のものになった」
「願いまでの距離がずっと短くなった、手触りを感じる」

こんな感想をよく聞く。

こうなったらかなり理想的なウィッシュリストの機能が働き始めているのだけれど、ここでやめたらほっこりした気持ちになって終わりだ。
それを避けるには、煮卵の願いを片っ端からやっつけていく必要がある。

煮卵の願いは、実現可能度が極めて高い。
少しお金を払ったり、時間を確保したり、ちょっと勇気を出して参加するだけで、今日明日にもできることが結構ある。
これを、さっさと可能な限りやり尽くしてしまうことだ。

煮卵の願いは、ウィッシュリストを稼働させる大事なガソリンになっていく。

生卵の願いはもちろん叶いっこないし、ゆで卵の願いもなかなか厳しい。
それらもいずれ叶っていく可能性があるが、それには煮卵の願いをどんどん潰していく=実行していくのが最短ルートになる。

生卵の願いもゆで卵の願いも、別に煮卵の願いを実行したから実現するわけではない。
生卵には「ハリウッドデビュー」とあって、ゆで卵の願いには「こだわりの注文住宅を建てる」と書いていて、煮卵の願いには「弾丸海外旅行をしてみたい、香港に0泊2日で旅行してみたい」なんて書いているかもしれない。

普通に考えると(生卵のハリウッドデビューは置いておくとして)、家を建てたいなら旅行に行くお金を貯金に回した方がいいというのが堅実な考え方だと思う。
でも正しいウィッシュリスト式にいうと、煮卵をどんどん食べて栄養にして自分を育てる方がいいのだ。
お金を使うのが怖くて一歩を踏み出せないなら、お金があまりかからない煮卵の願いを実行する。お金がかからない願いがあるなら、全部の煮卵をやっつけてほしい。

煮卵の願いを実行していると、ウィッシュリストに書いていることが本当に正しいのか、明らかになっていくのだ。
だから、煮卵の願いはウィッシュリストを書いたらさっそく実行する事が、ウィッシュリスト作りに欠かせない。

「あなたにとって」本当に正しいウィッシュリストが書けているのか?

ウィッシュリストの内容が正しいかどうかの精査がないと、正しいウィッシュリストは書けない。
書くことは下準備、実際に実行する動作確認が必要。動作確認をして、下書きを修正するところまでやってから、やっと本当の正しいウィッシュリストは手に入る。

最初に書いたウィッシュリストはたたき台だから、どんどん修正をしていく必要がある。その修正作業は、煮卵を実行しないとわからない。
(私はこれを煮卵たべたべ祭と呼んでいる。煮卵の願いを食べまくり、心と体に栄養を与えまくるのだ)

煮卵を食べているうちに、ウィッシュリスト自体を整え直したくなる感覚が出てきたのなら、チャンス到来。どんどん書き直していく。

意外に多くの人が、一回だけ書いたウィッシュリストをさも我が人生の結晶!といわんばかりの気分で扱うのだけど、一回書いたくらいでいいウィッシュリストが書けるなんてことはない。
100回でも1000回でも書き直して、本心としっくりくるリストに更新する必要があるし、そもそも状況が変わったり、年齢が上がればウィッシュリストの内容はおのずと変化していく。

ここで勘違いしてほしくないのは、最初に書いたウィッシュリストもそれはそれで嘘ではないのだ。間違ったり勘違いしているかもしれないけど、とりあえず実行できるもの=煮卵の願いを実現させるというプレゼントを自分にしてあげるべき。

煮卵の願いは、何か小さいものを買うとか、勇気が必要だけど危険な事は何もないイベントにいくとか、そういう事が多いはず。
少しお金や時間はかかるけれど、何十万円ということもないと思うので、どんどん実行してみるべき。
だって、それはとても魅力的で、いつかやりたいと思っていたからこそウィッシュリストに入っているものだ。やって損はないどころか、本当に嬉しいものに違いない。
だから、安心してどんどん煮卵の願いを実行しまくってほしい。

ウィッシュリストは更新してからやっと本質が現れる

煮卵の願いを消化していくと、1個やるたびに一気にウィッシュリストの世界がカラフルになる感覚がでてくるかもしれない。
もっと奥行きが出てきたり、何か音楽が聞こえるような気持ちになるかも。

でも逆に、「こんなつまらないことをやりたいと思って3年も4年も我慢していたんだ…」と、やったことでガッカリすることもあるかもしれない。
この体験をした人の方が、ウィッシュリストは格段に化ける。
もちろんいい方向にだ。

ウィッシュリストを書きたいと思っている人は、苦労して現実との折り合いをつけて生活している人が多い印象がある。
経済的な理由だったり、環境が許してくれなかったりと、理由は人それぞれ。アダルトチルドレン傾向が強い人ほど熱心に取り組んでいる印象もある。
夢を見ることでしか現状との折り合いがつけられない状況にある人が多いのではないかと思う。

なのに、そういう人ほど間違った願いをウィッシュリストに書き、その間違った願いを心の支えにしてしまい、現実にはそれがそんな力がないと思い知って最悪の方向に滑っていってしまう場合が結構ある。
夢が叶ったと思ったら、次の地獄のはじまりでした、みたいな話だ。
そういう人は、ウィッシュリストの動作確認や検証を全くしていない。

そもそも検証するには実行が必要で、実行するリソース(お金や知識、勇気、サポート)がないからウィッシュリストを書くことでなんとか自分を慰めているわけだから、八方塞がりの状態。
それを打ち破るには、実現可能な願いを実行するのが一番だ。
どんなに小さい願いでも、些細な願いでもいい。それでもウィッシュリスト自体を動かし、ウィッシュリストそのものが正しいか検証することができる。
それに小さい願いだからと切り捨てるのはよくない。小さくてもあなたの大切な願いに違いはないのだから。

ウィッシュリストを検証して、よい方向であれ悪い方向であれ、感じたことを材料に修正や補強、補修をする。
そうして更新されたウィッシュリストは、やっと本当の、あなたのウィッシュリストに進化する。

正しく書かれたウィッシュリストは、それを持っているだけで、落ち込んだときは気持ちが明るくなり、嬉しいときは安定した自信に繋がり、迷ったときは指針になり、あり得ないと思う事もじわじわと実現が見えてくる、そういう力を持っている。

でもそういう力を持つリストを手に入れるには、一回書いてみただけでは厳しい。
3つの卵をそろえて書くだけでかなりいい状態になるけれど、煮卵の願いを消化した時に見える景色から、やっと本当のウィッシュリストが現れはじめる。

ウィッシュリストは更新する毎に進化する、進化ゲームでもある。

逆に言えば、初期設定のウィッシュリストで冒険するのはちょっと弱い。
人生という大冒険をもっとドラマチックに、無敵に、最高に進んで行くには、強い装備が必要になる。
ウィッシュリストも、どんどん進化させていく方がいい。
更新を遠慮している場合ではない。

4. ここまでのまとめ

ウィッシュリストの定義

ウィッシュリストは、空想の墓場でも、できそうもないけど実現したらいいなと思うことを書き連ねたリストでもない。書くだけで願いが叶うものでもない。

人生の可能性を拡張する機能を持つもの。

そのリストがあると、ぱっと明るい光が差し込むような気持ちになる。
苦しいときは心の支えになり、迷うときは判断基準になる。それがあればそもそも迷うことがなくなる。
とても嬉しいことがあった時は、うれしさを否定することなくまっすぐに受け止め、喜びに翻弄されてはしゃぐのではなく落ち着いて自信に繋がっていく。

そして、自分が考えている以上の、あり得ないほどの素晴らしい展開が引き起こされる方に自然と行動が向かっていくもの。
それがウィッシュリストだ。

正しいウィッシュリストの作り方

  1. まず、書くこと(紙に書く)

  2. 書き出す願いの中に、必ず実現不可能な願いを入れること

  3. 明日にも実行できるような実現可能度の高い願いも並行して入れること

  4. 1枚の紙に3種類の願いが同列に見えるように書くこと

  5. すぐにできる実現可能度の高い願いを片っ端から実行する

  6. 実行しながら、ウィッシュリストを修正し更新していく

とりあえずはここまでが基礎工事。

では、今までのウィッシュリストの書き方がなぜダメなのか、そしてそれらの罠に陥らないために必要なことについて、次に考えていこうと思う。


5. なぜ今までのウィッシュリストの書き方はダメになったのか

今度は、今までのウィッシュリストの書き方がどのように成り立ち、そしてどのように現状から乖離していったのかというところを歴史的な視点から見直してみよう。

ウィッシュリストが形作られた歴史的背景

ウィッシュリストの背景は、思考は現実化するという19世紀アメリカのニューソート運動の考えがベースに挙げられる。
西部開拓時代を経て爆発的に経済が成長し始めている時期に起こった、キリスト教系の宗教団体の活動のことだ。質素で禁欲的な態度を重視するカルヴァン派に対して、現実での豊かさや成功を追求することを求めた宗派である。
経済が爆発的に成長しているなかで禁欲なんて馬鹿みたいってなるのも、なんとなくわかる感覚だと思う。
同時に、爆発的に成長するというのは金融破綻もしょっちゅう起きるということで、成功と破綻が背中合わせで精神的よりどころが必要な状態において、彼らの考え方は宗教の枠にとどまらずに支持され広がっていった。

彼らの考えの基本は、「思考は現実化する」「考えていること、心の状態が現実を作る」というもの。
それに現実での豊かさや成功を掛け合わせている形で、大変魅力的な展開になっているのだ。

日本のビジネス界での思想家(稲盛和夫、松下幸之助や船井幸雄など)にもニューソート思想は影響を与えているので、ビジネス書の内容が妙に宗教臭い感があるのはそういう背景もあると思う。

ビジネス寄りの文脈とは別に、ニューソート思想の影響を受けたバーネットの「小公女」や「秘密の花園」、モンゴメリの「赤毛のアン」などが、児童文学として日本にも輸入された。
逆境においても現状を全く無視したポジティブシンキングな少女たちが幸せをつかむストーリーは、非常に多くの人に親しまれた。現実ガン無視でポジティブシンキングなところはまさにニューソート思想という感じだ。
でもそれらは日本人の道徳観から見ても違和感のない「よいこと」として受け入れられた。
成功よりもどちらかというと逆境にあっても文句を言わないというスタイルが従順さとして教育的であると映ったのだと思う。

なのでニューソート思想を知らなくても、なんとなく道徳的なよいものだという認識で我々の感性の中に染みこんでいる可能性は無視できない。
そして、その後スピリチュアルコンテンツや、ビジネス自己啓発の分野に看板を付け替えた形で、何度もヒット作が出てくる。
ビジネス分野ではナポレオン・ヒル、スピリチュアル分野では引き寄せの法則バイブルの「ザ・シークレット」などだ。

それらには、ウィッシュリストの手法=やりたいことや夢を紙に書くというのが常に寄り添っていた。

つまり、ウィッシュリストの書き方にあるベースの考え方の方向性は、宗教的なムーブメントで作られているということだ。

そこから教義や儀式は抜け落ちても、「考えたことが現実化する」「よい事を考える事が現実を変える」「現実がどれほど苦しくても心が整えば現実もよい方に向かう」という考え方のスタイルは人気を維持して、いろんな形に変化していった。

RAS(脳幹網様体賦活系)という脳機能への注目

そういった宗教活動を背景にした思想に加えて、医療面や脳科学の研究が進んだことで、それらの思想を裏打ちをするようになった。RAS(脳幹網様体賦活系)の研究がその代表だ。

RASは、必要な情報を集めるために他の情報をノイズキャンセリングする機能を持っている脳の部分のことだ。RASに強く目的をすり込むと、自分であれこれ考えるより脳が勝手に情報を集めてくれるに違いないというやり方が大いにもてはやされた。

「自分が結婚しようと考えはじめたら、結婚指輪をしている人ばかり目につくようになる」「自分がほしいと思っているものを持っている人とばかり出会う」という例で解説されるあれだ。

つまり「強く願いを無意識にすり込むのが大事」「曖昧な夢ではなく明確に、具体的に目標を設定する」というのは、RASを活用したやり方だ。

RASを優先すると、なんとなく思いついたとか、運命的に与えられたと感じられるので、宗教的な神秘主義とも非常に相性がよく、またドラマチックな体験を伴うのでエンタメとしても盛り上がりがある。
それでいて「最新の脳科学の研究から明らかになった」という迷信を排除する力強い切り口に安心感と共に興味を持つ人も増えた印象がある。

それらに認知行動療法等のカウンセリングや心理学の分野などが混ざり合っていった。

一見、宗教的な考えより科学的な背景がある分、より良いように感じるかもしれないけれど、これはこれで問題をはらんでいる。
目標設定をしたら後はRAS頼りというのは、つまり目標設定を間違えるととんでもないところに連れて行かれるということでもある。めちゃくちゃ悪い状態に一直線ということもありうる。

今の時代は、今までの流れとはかなり異なった状況になっている。
つまり、脳の機能はともかくその使い方が微妙に間違っていて、特にウィッシュリストの書き方においては誰も修正せずに古いやり方をそのままコピーして使い回している可能性がとても高いのだ。

これは、あまりよい結果に結びつかない感じがする。

誤った構造で書くウィッシュリストのデメリット

今までのウィッシュリストの書き方は、好景気の成長社会における「未来への明るい期待」を背景に、今よりも情報の流れが遅く、SNSで他人の生活をのぞき見ることができない環境において培われた手法になる。
また、宗教のスタイルから離れたとしても思考の構造は根本的にどこか突飛な現実味のない展開(神秘、奇跡など)が存在している。

なので前時代のスタイルのやり方でウィッシュリストを書いてしまうと、そもそも頼りにする社会構造、文化資源や人的資源が異なる状態なので、全く効果がなかったり、むしろよくない状況に陥ってしまう可能性が出てくる。

なんとなく頭の中の整理のためにやりたいことを書き出すという軽い動機ならともかく、本気で夢を叶えるためにウィッシュリストを書く!となると、前時代のスタイルでは、むしろ書くことで人生を小さく縮小し、現実の流れも無視してまわりが見えていない流れに自ら飛び込むようなことになりかねない。

そもそも「書けば叶う」の主な役割を担うRAS(脳幹網様体賦活系)の活動が活発でない人もいる。
自閉症や発達障害の研究が進んで、誰もが同じ脳みそで同じ風景を見ているとは限らないと認識されはじめている。

またアダルトチルドレンなど、生育歴にまつわる偏った反応(意見を聞くだけで攻撃されていると脳の扁桃体が過剰反応して、不必要におびえたり暴力に走ってしまう等)があって、想定されているやり方では通用しないパターンも往々にして存在している。
特に日本では男尊女卑社会で負担を強いられていた女性たちには、不幸な思考の形式が張り付いていることも無視できないと思う。

前時代のスタイルのウィッシュリストの書き方は、脳の形や機能は全員同じという前提だし、社会環境も好景気でがんばればちゃんと報われる状態の中での努力の仕方に設定されている。
心の痛みも教会に集う仲間たちの祈りで解決できると信じられ、実際にそれが救いになった人たちも多かったと思う。

でも、今ウィッシュリストを書こうとしている人たちにそういう社会的資源はない。そういう資源がないからこそ、書くことというハードルの低い事で何とかしようとすがりついているのだから。

がんばって脳のRASを働かせたとしても、急に物価が変わって手に入るはずのものがたった数ヶ月で二度と入手不可能になる事が現実に起きている。
現実の社会がどんどん変わってしまっているので、一昔前のお願いの手順ではどうにもならない状態だ。

なのに、ウィッシュリストの書き方は依然として変わることはなさそうで、みんななんとなく書いては古い時代の考え方に取り込まれて動きが止まってしまっている。

目標を先に設定する事が不可能な時代に突入した

10年以上手帳を販売してきてわかったのは、よい目標を立てられる人はほとんどいないということだ。

今までは学校でも仕事でもダイエットでもなんでもかんでも「よい目標」が大事だった。それがあればかなりうまくいくと言われていたし、実際それを実感することも多い。
でも、そのよい目標を自ら設定する事は、非常に困難を極める作業だということは、みんな無自覚なのだと思う。

今までの時代は、目標のパターンがかなり固定化されていたのだ。
だから一般的な目標を掲げるだけで、目標を立てる技術が低くてもそれなりの結果に繋がっていった。それで、目標設定の技術が個人に備わっていないことが問題化しなかったのだと思う。

ところが現在は「今までの一般的な目標とゴールの形式」が崩れている渦中にある。
それが崩れた今だからこそ、とてもよくわかる。
我々の目標を立てる技術は貧弱だ。

今までは、女性ならお金持ちと結婚する、あるいは貧乏でもよく働く人と結婚して夫に働いてもらってよい生活をするのが勝ちパターン。
後は美人だとさらによい。
学校もよい大学に入ってよい企業に就職することが優れた人生で、もちろん医者や弁護士などであればさらに素晴らしい事だと決まっていた。
こんな感じで、自分で考えるまでもなく、様々な分野の些細なところまで勝ちパターンがかなり細かく決まっていたのだ。

もちろんそれぞれの文化圏の違いや生活スタイルの違いで何を勝ちとするかはたびたび議論になったけれど、とにかく「こうしたら勝ち」というイメージがかなり固定化されていた。

だからこそ、ウィッシュリストは夢を大きく希望を高く持って、それを叶えるために逆算しようとか、未来に予約を入れようという言い方で表現されてきた。
もう未来は固定されている、後はただ間違いなくそこにたどり着くルートに乗りさえすればいい、という思想が背景にあるやり方だ。
決まっている事の中で、もっと背伸びして遠慮せず高い望みを叶えなさい……という考え方になる。

なので、今までのウィッシュリストの書き方はあくまで選択型であり、収束型とも言える。
ゴールが最初から決まっている。だから、よりよいゴール設定をして、それを強く自分にすり込めばそのルートに乗れる。

ところが、徐々に未来の形が大きく崩れはじめてきた。
日本では東日本大震災等の大きな災害、そして世界全体に影響が広がったパンデミック、SNSの異様な発達によって目の前の人間関係が希薄になる一方、一度も会ったことがない相手が自分の人間関係のように錯覚するほど情報だけが頭の中を浸食し、現実感のないままそれを維持するためにお金を払い続けたりしている。それにお金の価値の暴落、AIの出現によりさらに混乱が深まっている。

今までは、いい女として結婚したり素敵なライフスタイルを実現する、あるいはそれのカウンターとして真逆のスタイルを貫く、みたいなことが誰にとっても正解のように感じられていたのに、全部が「それにあんまり価値はなかったね」となったり、あとちょっとでお金が貯まるから来年家を買おうといっていたのが急激な値上げで「その額では無理ですね」となったり、かと思えばちょっと投稿したSNSがバズってそれのために人生をねじ曲げることになったりと、想定外の展開が増えすぎている。

今までの目標とは、結局ある程度最初から用意されたものの中から自分の好みのものを選ぶようなものだったのに、もう最初から用意されている目標は半分は腐って、もう半分は腐っているかもしれないけど食べてみないとわからないという不安なものばかりになってしまった。

今まで与えられてきた目標自体が破綻していく中で、何にも頼らずに自分にとってよい目標を設定できる人はほとんどいない。
今までは固定の目標を選ぶことが正解だったから、よい目標を自分で立てる=目標を自分で作り出す技術を磨いている人は本当に少ない。
目標を立てる技術を人から教えてもらう機会も、ほぼない。

なので、無意味に筋トレをしたり、あまり意味がないと感じながら資格の勉強をしたり、逆に怪しいスピリチュアルコンテンツに傾倒したりすることになっていく。(スピリチュアルコンテンツは簡単に答えや課題をくれるので、脳みそは働かなくて済むのだ)
推し活はそういう人たちに「このように振る舞えばいいですよ」と行動までパッキングして、エンターテインしてくれるものが多い。次々に目標を与えてくれるので、それが人生の指針をいつの間にか乗っ取っていたとしても不思議はない。

この状況で自分で未来を予想して成功するゴールを設定するというのは、ほぼ無理だ。
不確実な未来に、よい目標を立てることはできない。

前時代のスタイルで書くウィッシュリストは、未来は確実に明るく好景気な時代背景で構成されている。
そのスタイルで2020年以降の不確実な未来に突き進むのは、通用しなさそうな気配が濃厚だ。

今までの書き方で書いても何か薄ら寒い、現実感のなさにちょっと癒やされる感じはありつつも不安自体はどんどん大きくなっていく感じがしているとしたら、それはもう正しく社会情勢をつかんでいるということだと思う。

ウィッシュリストで進捗チェックをしてはいけない

そんな感じで、そもそも今までのウィッシュリストの書き方は時代に合っていないという前提がある。その前提を踏まえつつ、今度はもっと具体的にウィッシュリストを書く時のあるあるで、あまりよくない効果に繋がっているものを見ていこう。

その中でも「できたことにチェックを入れて、達成度を計測する」という進捗チェックについて。

ウィッシュリストを書いている人たちは、例えば1年の終わりに100個書いたウィッシュリストがどのくらい達成されたかチェックしていて、それをブログに書いたりショート動画にしたりしているのをよく見かける。
それを見ると真似したくなる。
なんか、充実感が感じられるし、単純にいいなあと思ってしまうから。

でも、ウィッシュリストは進捗チェックをしてはいけないと思う。

ウィッシュリストに達成度という尺度を持ち込むと、「絶対に叶いそうもない願い」である生卵の願いが存在してはいけないことになってしまう。
それだけでウィッシュリストの持つ機能=人生の可能性を拡張するという力が損なわれる。

そもそも、前時代のスタイルではウィッシュリストを書いて進捗チェックをすることで目標達成を確認し、やる気を焚きつけるハッスルカルチャーの仕組みが隠れている。
ハッスルカルチャーとは、24時間働きますというスタイルの事だ。日本でもそういう時代があったし、アメリカでも90年代以降のテック企業や企業文化の中で死ぬほど働いて成果を競い合い、他人を蹴落として酒と薬と異様な興奮状態で走り抜けるのがかっこいい、それに憧れる、というカルチャーがあった。
現代はそのせいで精神的な大きな疾患を患ったり、過労死なんて言われる事態になって、そういうのはもうやめようよと言われている。

なのに、ウィッシュリストの進捗チェックをするというのは、そういうことから抜け出す事を願っていたのに、あっさりハッスルカルチャーに引き戻されるということになる。

じゃあ、ウィッシュリストは完了したらどうなるのか?と感じている人もいると思う。

ウィッシュリストは、wishのリスト。勝手にToDoリストや義務リストを混ぜてはウィッシュリストのパワーは落ちてしまうので、純粋にウィッシュのみにしないといけない。
なので「これをやろう」と考えて実行する時は、それはもう予定に変化していることになる。予定はウィッシュリストに入ることができないので、ウィッシュリストから卒業だ。
単純に削除でいい。そしてあなたの予定は自分の願ったことを実行するためにすべての時間が使われることになるのだ。

そもそもウィッシュリストは、ただのウィッシュのリスト。
計画をしたり、実際にやったらどうなるかを考えるのはウィッシュリストの外でやるべき事になる。ウィッシュリストの中でできるできないを考える時点で、ウィッシュリストの機能を大幅に逸脱していく。

ウィッシュリストには、ウィッシュしか入っていてはいけない。
なのでウィッシュリストの中で進捗チェックをするのは、不可能ということ。

つまり、ウィッシュリストの中で夢を叶えてはいけない。
夢を叶えるのは、ウィッシュリストの外での話だ。
ウィッシュリストの外、例えばスケジュール帳だったり予定管理だったり、願いが行動になる時は必ず時間に紐付くのだ。ウィッシュリストには時間がない。だから、ウィッシュリストの中で夢を叶える事はできない。

ウィッシュリストの外に連れ出したウィッシュ(願い)が、現実になる。

実際に実行してみて成功と行かなかった場合は、「次はこうしよう」という新しいウィッシュとなってリストに再加入したらいいだけ。

煮卵の願いを潰していくのは進捗チェックになるのではないか?という感覚があるかも知れないけれど、煮卵を潰していくのはウィッシュリストの動作確認なので、制作過程で必要なことになる。
でも進捗チェックはウィッシュリストが完成している前提でそれをクリアしていくという流れになってしまい、未完成な自分にフィットしていない課題を自分に与えている場合が多い。それは間違った方向に着地していく流れを生む。

ウィッシュリストは予定でもToDoリストでもない。ただの願いの一覧表、それだけだ。それだけであるからこそ、希望が湧く仕組みなのだと思う。

叶っていないことも叶った完了形で書くとストレスが倍増する

他にウィッシュリストの書き方あるあるといえば、「完了形で書く、叶っていないことでも叶ったかのような表現をする」というのがある。

これは無意識にすり込むRAS活用の応用編という感じで、「無意識は主語や時間がわからないから、すでに叶ったかのような言い回しにすると、脳がだまされてその状態になっていく」という説に基づいてもてはやされている。

おそらく理論としては間違っていないのだけど、まずそれが有効なのは環境に恵まれていて、脳の機能も極めて健康的で高い力があるという前提になっているということだ。
正直、そんな状態なら願うまでもなくちゃんと努力したら普通に叶ってしまう。

鬱状態や強迫神経症、不安神経症などの症状を抱えている人もウィッシュリストを書いて夢を実現しようとしているということは、あまり考慮されていないのではないかなと思う。

ちょっとくらい「私はプリンセス」と信じ込んで姿勢を正すのは何の問題もないし、気持ちを持ち上げるよい方法でもある。
姿勢に気をつける程度ならいいのだけど、必死でウィッシュリストを書こうとする時は、生きること自体にかなりのストレスを抱えている状態だと思う。それをなんとか改善したり、解決しようとして取り組むのだから。

心身共に健康で、恵まれた人間関係や経済状況にある事を思い出させるためには、すでに満たされている事を表現するのはよいのだけど、欠乏と混乱の中にいる人たちはそう感じる資源を持っていない。

人間は、言葉と行動と心(感情や頭で考えていること)が一致している場合、最もストレスがない。逆にそれがズレているとストレスを感じると言うことになる。
好きでもない相手にニコニコ愛想を振りまくとか、本当は罵りたい相手に「尊敬してます」と言うとかは、場合によっては内臓がちぎれるくらい嫌な感じになることだってある。
そのくらい、言葉と行動と心の不一致は混乱とストレスになる。
認知的不協和という言葉でも表される。

だから、実際叶っていないと自覚があるのに叶ったと書くことは、ただでさえストレスがある状態にさらに嫌なストレスを生じさせる現象になってしまう。

なのになぜ今までの効く書き方として言動不一致の書き方が推奨されるかというと、その不一致(認知的不協和)が気持ち悪からこそ、現状の方を言葉の状態に無理矢理一致させる力に変換するという目的があるからだ。

これも、気の持ちようで状況は変わる、思考は現実化するというニューソート運動を源流にしていると思う。
そこに日本の言霊の考えをハイブリッドした魔改造も起きている。

叶ったテイで完了形にして書く、なんなら感謝の言葉も添えるというのは、余裕のある貴族の生活をしている人にはとても役立つけれど、地を這うように必死で生きている状況の人々にとっては、逆に命取りになるやり方になる場合もある。

それよりも、ただただ自分のウィッシュを素直に書くだけの方がいい。
むしろ、今の自分の感じていること=心にそった表現をする方が効果が高い。心と言葉を一致させるだけで、行動もそろえやすくなるからだ。
自分をねじ曲げるのにエネルギーを使うのではなく、素直になる事にエネルギーを使った方がいい。

100個書くのが人気なのはなぜか

ウィッシュリストというと、すぐに100個書くんでしょ?といわれるくらい、100個書くことが定番になっている。これもあるあるだ。

これは過去にそういう書籍がヒットしたり、実践している人が多くて少なくても20年以上前から安定したスタイルなので、ウィッシュリストと言ったら100個書くものだと認識されているということもある。

100個書くというのは、数字的にもすごく達成感がある。すごいなと感じる数だ。
それに、100個なら書けそうな気がする。
難易度がとても魅力的。

ただこれも、100個書くという魅力的な難易度を設けることで自分にプレッシャーを与えるという形で頭の中にあるものを外に取り出す効果が狙いにある。

つまり、大事なのは数ではなく、思っていること・考えていることを絞り尽くすということにある。
ところが、100という数字がメインになって、手段の目的化が起きているので、100個書くにはどうしたらいいかというのが論点になっている場合がすごく多い。

100個も書けない人には、なんとなく100書くのではなく、仕事・健康・家族・人間関係などジャンル分けして書き出す事が推奨されているのが一般的だ。

そうするとウィッシュリストというより半分以上ToDoリストが混入コンタミしてしがちになり、義務リストもゴリゴリ混ざってくる。
そうなると時制を伴いはじめ、ウィッシュリストというより今年の抱負リストになっていき、そうなると進捗チェックという飾りをつけたくなる。

100個書くというプレッシャーは、こういうウィッシュリストの劣化を起こしやすい構造をはらんでいる。

ウィッシュが5個なら、5個でいい。人の願いはそんなに多くない。
数が問題ではないのだ。325個だっていい。

よいと思っていた書き方は全部裏目に出ている

歴史的な視点からウィッシュリストがどのように生まれてきたのかを見ると、けして全宇宙共通の絶対ルールなどではないということが感じられる。

そういうズレを知ることなく、真剣にいわれているやり方に取り組むと、裏目に出るという負のループに陥ってしまう。真面目に、本気にやればやるほどそうなるのだ。

悪いことをいっぱい書いたので、ウィッシュリストを書くことがよくないことのように思い始めている人が増えたかなと思うけれど、ウィッシュリスト自体にはパワーがある。
そうでなければ、こんなに連綿として続いているわけがないからだ。

ここからは、前時代のスタイルのウィッシュリストを一旦やめて、今の時代に合ったスタイルに視点を変えていく必要がある。

今までは好景気で安定した社会を背景に、自分で選んだゴール設定に収束していくためにウィッシュリストが活用されてきた。ところが、今度はゴールそのものを見つけることがむずかしい状態になっている。
つまりRASのゴールに執着してそれ以外の情報をシャットアウトする機能のフォーカス調整をし直す必要があると言うことだ。

ここで、私の考える新しいウィッシュリストは、自分のゴール探しにRASのフォーカスを当てている。

今まではゴールになる目標は簡単に設定されていたけれど、それができない時代になっているのだから、RASのフォーカスを「私にとってのゴールを見つけること」に設定するのだ。

今までのゴール設定が「自分の好みの男性と出会って結婚すること」だったり、「仕事でこのような成果を出すこと」だったりしたのを、「自分に取って目指すべき目標を見つける」というゴール設定の手前のと頃にRASのフォーカスを当てる。

そうして見つかったゴール=目標は、おそらく自分の頭で考えて出てくるものではない。むしろ自分が知ることができない場所にある。

だからこそ、自分で考えて目標を立てるのではなく、RASで無意識領域まで全稼働させて見つけてもらう(自分の脳に)。
人生の可能性を広げるというのは、そういうことだ。

自分の頭で考えた事なんて、たかがしれている。特にこれからやりたいと思っているウィッシュリストに載るような事は実際やったことがないのだから、初心者の無知な発想でひねり出したものだ。そんな状態でよい計画が立てられるわけがない。
でも、そんな無知で無力な自分が考えるのではなく、現状のたくさんの情報や新しい出来事などをRASを介してより広く深く自分の脳を働かせて取り込んでいく。
足りない知識で一生懸命考えるより、さらに自分の脳を大きく使って、自分が考えていた以上の選択肢を自分に与える。
今の自分にはできないことも、成長した自分なら可能になる。その成長を引き出す。

これがウィッシュリストの力だ。

でも前時代のスタイルでウィッシュリストを書いていると、そういう力は得られないどころか全部が裏目に出てしまう。

怖いのは、前時代のスタイルでも今の時代に合ったスタイルでも、書いている内容自体は変わりがない。一見、何が違っているのか、見た目ではわからない。だから、見た目に振り回されると、判断を間違えてしまう。
そして、今までのやり方の流れを無意識に再現してしまう。

なので、私の提案するウィッシュリストの書き方、「生卵ゆで卵煮卵のウィッシュリスト」という形式に一度入れることで、過去のスタイルに押し戻されないようにする必要がある。

6. 収束型ウィッシュリストから、可能性を拡張する機能への移行

ウィッシュリストはただのリストにすぎない

ウィッシュリストを夢を叶えるものだと思っていると、ウィッシュリストは書けない。
なぜなら、ウィッシュリストはただのリスト、文字の羅列でしかなくて、それがあると国家に守ってもらえるとかお金が無制限に給付されるとか、そういうことは全くないからだ。

ウィッシュリストに過剰な期待を寄せることをまずはやめなくてはいけない。夢を叶えるのは、リストじゃなくて、それを持っているあなた自身の行動によってだ。

なのでウィッシュリストを書きながら「こんな贅沢とか無理だよね」「この年でこんな希望を持つのは厳しいのかな」なんて理性的な判断がよぎることがあると思うけど、それはとても正しい感覚だ。
ウィッシュリストを書く時に不必要なだけであって、日々の生活や仕事をしていく上でとても重要な感覚なのでそれを捨てろとか封印しろというのは間違っている。

ただウィッシュリストを書く時には必要ないのだ。
そういうのは、ウィッシュリストの外で活用すべき能力になる。

ウィッシュリストはただのリストに過ぎない。だから、別に願いを叶えてはくれない。そのリストを持っているあなた自身が、それを見て、今まで身につけた経験と知識を総動員して、どうするか考える。
ウィッシュリストの後、それはやってくる。

その時に、理性で「これは無理だろう」とか「現実的な解釈としてはこっちかな」とか、出てくる。
でもよいウィッシュリストを持っている場合、その理性も今までとは違う角度で考えはじめている。

今更バレリーナにはなれないとわかっているが、バレリーナだとしたらこういう選択をするのだろう……と、あなたの脳は考えはじめる。

それを今のあなたの生活でどのように開花させるかが、ウィッシュリストの後の段階になる。

収束型から拡張型へ

過去のようにこうしたら成功するという確固としたものが消えている中、むやみにゴールを設定する予約型や、むやみなゴール設定を起点にする逆算型のアプローチはリスクが高くなっている。

それに対して「人生の可能性を拡張する」ウィッシュリストは、RASの機能をゴール達成ではなく、可能性拡張に全振りしている。
今までのウィッシュリストの書き方から、焦点の位置がずれて設定されているのだ。

焦点の設定をずらすのに、実現不可能な願い(生卵の願い)を必ず入れて、同時に実現可能な願いも並べる。
それにより、実現不可能なことも実現可能に見えるという視覚効果が生まれ、それが可能性拡張に焦点を当てる事に繋がっている。

具体性が高いほどよいというのがRASの機能を刺激するルールだったけれど、具体性を高めるほど可能性は低くなる。
そもそもRAS(脳幹網様体賦活系)とは、ひとつの条件に当てはまる情報を膨大な情報(音や視覚、嗅覚などすべての知覚、また知識や経験などの記憶)からフィルターにかけて拾い出す機能なので、可能性をバッサバッサと切り捨てて潰していく作業になる。
つまり前時代のスタイルのウィッシュリストは、ゴールを達成する代わりに可能性をどんどん切り捨てていくスタイルだ。

それを、自分にとって有益で適切な未来の選択肢を増やすためにRASの機能を使うのだ。ここではどんなフィルターかというと、自分に取って有益である、ということだ。

しかし自分に取って有益なことというのは自分では判断しきれない。
他者から適切なフィードバックをもらうのもいいけれど、それも正直むずかしい。人はその人にとって都合のいいポジショントークをする生き物だからだ。
もうひとつの手として、RASによる脳の機能を「自分に取って有益になりそうな可能性」としてセットしておく。自分の頭で考えると金額が安い方がいいように思っても、RASで精査した情報からは「少し高くても満足する内容の方を選択するべき」と言われるかもしれない。
そうなると、いつもは値段で安い方を買うのに、ふと「もしかしたらこっちの方が品質がいいのかも…?」と確かめようとする動きが出てくるかもしれない。実際に触ってみたら、少しの金額を出しても十分元が取れると感じて、値段ではなく品質で選択するという新しい行動変化が起きる。
そんな感じで、現状の八方塞がりを少しずつ打破していく行動が自然と取れるようになる。

これは、無理して自分を鼓舞してやることではない。
あくまで自然に思いつき、ちょっと期待しながら今までとは違う行動を取りやすくなる、ということだ。

その小さな積み重ねが数カ所で頻回に起きると、一気に環境が変わりはじめる。

逆に言うと、収束型で考えているとそれしか選択肢がない上に、そのために自分にプレッシャーを与えたり、「無意識にすり込むまで1万回アファメーションする!」と無意味な努力を積み重ねて疲弊する事が起きがち。
結果もなく消耗することになる。

ただどんなフィルター設定にするにせよ、RASをフル回転させるというのは、脳の機能をフル回転するということで、それはそれで大変なエネルギーを消耗することでもある。
だから、結果が得られない消耗ではなく、結果を得る活動であってほしい。

行動の変化の前に、心の変化がある

よいウィッシュリストは、それを見るだけでやる気が湧き上がり、嫌なことがあっても心が折れることはなく、嬉しいことも浮つきすぎず、悲しいことがあってもちゃんと回復できる。そんな心の状態に自然となる。

まず書くだけ(生卵ゆで卵煮卵の3種類の願いをそろえること)でも、そういう状態に一気に近づいていく。
ただし、本当に自分の願っていること以外のものが混じると、そういう心情になりにくい。
そういう心情にならない場合は、書いている内容に何か間違いがあってウィッシュじゃないものが混じっている可能性が高い。

でもとにかく、いい感じに心情が整うと、行動はスムーズに変化する。

ただ書くだけではなく、煮卵の願いを潰していくとそれはよりくっきり際立ってくる。
間違った内容がウィッシュリストに入っているなら、何が混じってしまったのか明確にわかったり、書くべきことが足りていないとわかって大幅に加筆されたりして、よりウィッシュリストの完成度が高まる。
そうなると、また心情がよい状態に整う。

何を書くかを判断するのは、この心情で判断できる。
こうならないのなら、そのウィッシュリストはどこか間違いが起きている可能性が高い。

とどのつまり、何を書けばいいんですか?

ここまで散々いろんな事を書いてきたけれど、「じゃあ何をウィッシュリストに書けばいいんですか?」となっている人もいると思う。

でも、実際には読んでいる途中から、「実現不可能な願いでも書いていいならあれを書いちゃお」と書き始めている人もいると思うし、「明日にもできることを書いてもいいんだ」と思うと急にやる気が出てくる人もいる。

つまりどんな内容を書くかは、人に聞いてはいけないのだ。
自分が書いたものが正解だ。

字が汚い気がする。(後で清書したらいいよ。それに誰もそれを読まないから心配いらない。自分で読めるようにだけしておいて)
変な内容を書いちゃってる気がする。(あなたが望むことはすべて正解だから臆せず書いて)
完了形で書くのがいいって聞いたけど。(それは嘘。自分にしっくりくる文体や表現であることを優先して)
100個書くべき?(書かなくていい、でも思いつく限りたくさん書きまくるのは楽しいし、書いたものがちゃんと指針になるよ)
叶いそうもないことを書くの怖い、叶わないって見せつけられそうで……。(書いても書かなくても結果は同じだから、一回書いてみて。書いたら何かが少し変わる事はよくあるよ)

まずはこんな感じの、思ったより幼稚な不安が出てくる。
でもそれでも大丈夫。

未完成で未熟な自分の願いを書き出す事。
実現不可能な願いを必ず入れて、実行できそうな願いも同格で入れること。
他にもいろいろな願いがあるはずで、それもどんどん入れること。

大事なことは、書いたことで願いが叶うわけではないということだ。
書いたものを見て、読んで、それであなたにどんな気持ちの変化が起きるかどうか。そこがまず第一歩。

そして気持ちの変化が起きたらそれにあわせて行動し、さらにウィッシュリストを更新する。

ウィッシュリストを書きながら人生を動かせ

書くことで叶える、というのが今までのキャッチだったウィッシュリストだけど、その言葉のせいで正しいルートからそれて袋小路に突入して、謎のリストを量産するだけで人生を無駄にしている人たちにのために、この長い文章を書いた。

ウィッシュリストを書くことがゴールだと勘違いして、正しく書けたら叶うと信じてそのほかのことをないがしろにするという頭の悪い選択をしてしまった愚か者たちの為に書いた。

なにかとても疲れてしまったり、ショックなことがあったりしても、人は愚かになってしまう。
元々の賢さが消えてしまい、時代遅れの役に立たないやり方に振り回され、さらに手帳の上で不幸に突き進んでいく人たちが山ほどいる。

そういう人たちが正気を取り戻し、本来備わっている感性とまっすぐな表現力を取り戻し、自分の賢さによって、まっすぐに心が願う方向に向かってほしいと思う。

それが、心の中にある願いを書き出すという、とってもシンプルなウィッシュリストを書くということだし、そこから本当に自分自身が行くべき方向に舵を切っていく事になると思う。

ウィッシュリストで願いは叶いません。
単なる願いの一覧表でしかないので。
でも、正しく書き出すと、その方向に進む推進力が心の中に生まれます。

あなたを正しく導くウィッシュリストが、あなたの手元に現れますように。



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