ものすごく薄い映画感想文~プラダを…
映画感想文なのに、映画に触れた部分はそんなにありません。あんまり関係ないことをダラダラと書いてる気がしますね。まあ、なにぶん私は天邪鬼ですから、こういうタイプの感想文も悪くないかなと思いましてね。えへへ。
「プラダを着た悪魔2」見ましてね。ああ、大丈夫です。一切ネタバレしませんから。なにせものすごく薄い映画感想文なので…。安心してください、穿いてますよってことで。
※海を渡る冒険者…
私はファッションには音楽と違って全く関心が無いんですね。音楽はたとえ一音でも気になっちゃいますけどね。服は年中同じ物を着ていても全く気にしません。季節感なんてゼロ。一応、薄ければ夏用、厚ければ冬用、その位の区別は付けてますけど。それに耐えられないのか、たまに嫁さんが服を買ってくれる。自分で買うのは、ほぼユニクロで下着だけ。それで充分。そんな私がファッション業界を描いた映画を見る。門外漢にも程がある。だから、ファッションブランドの名前がずらーりと並んでいても、その意味するところはさっぱり分からん。何でこんな服が高いんじゃ。私にとってファッションとはそんな位置づけですね。なぜそんな私が、この映画を配信じゃなくてワザワザ映画館へ足を運んで見に行ったのか?そりゃ、面白そうだと思ったからですね。と言うか、前作が気に入っていたからです。
20年前、嫁さんに「プラダを着た悪魔」が見たい、と言われた時。ファッションの対極に位置する自分が何が悲しくてファッション業界の映画を見なければならんのか全く理解に苦しんだ覚えがあります。でも、嫁さんが「確かにファッション業界の話だけれど、それはあまり関係ない」と言うので、ファッション業界の話なのに、ファッションを気にする必要は無いとはどういうことだ?と不思議に思い、騙されたと思って映画館に着いて行きました。
見ましたね。まあ、面白かった。確かにファッションの話をダラダラやっているのではなく、ファッション誌の会社の内輪揉め的な話で。こりゃ面白い。メリル・ストリープ演じるミランダの凄味は、まるで織田信長を彷彿とさせる。アン・ハサウェイ演じるアンディは彼女の付き人。とにかく苦労している。でも、織田信長に仕えるよりはマシだと思って欲しい。信長は気に入らないと殺しますから。ミランダはさすがにそれは無いから。「鉄の女」ミランダも、家に帰れば家族があり一人の女性なわけで。弱気にもなる。こういうギャップの描き方が前作は上手かったなあと。彼女を取り巻く人々の人間模様が実に丁寧に描かれていて、ファッションのことを知らなくても楽しめるヒューマンドラマでしたね。
あれから20年の時を経て、オリジナルメンバーが再集結、ということで、公開初日に興味津々で映画館へ出かけて行ったわけですね。
※ミランダは相変わらずカッコいい…
ところが、ネットで情報を集めようと調べてみると、相変わらずのディスり記事にもうウンザリ。ある登場人物のいでたちが時代錯誤甚だしいということで槍玉に挙がっていた。ああ、詰まらん。些末なレトリックに立ち止まって、そこから先に進めない可哀そうな人たちだこと。映画の内容そっちのけ。そんな些細な表現に拘っていたら、映画そのものへの没入感を味わえないではないか。勿体ない。因みに、このキャラクターは結構重要な役回りを演じていて、言ってみたらトリックスター的な位置づけかなと。アンディとの軽妙な遣り取りが微笑ましく思えましたね。
途中、イタリアでのファッションショーのシーンがあるんですが、そこでえらく歌の上手い人が出てたんですね。この人一体誰?嫁さん曰く「ガガ様じゃん」と。道理で。でも、演技もメチャクチャ上手いやんと。そしたら嫁さん。「だってこの人、映画普通に出てるでしょ」と。なるほど。ジョーカーの続編にも出てたっけな。
※ガガガガガガ様…
天は二物を与えるんですね。そう言えば、ランカも映画「BIRD HUMAN ⁻鳥の人⁻」に出てたなあ。歌手と俳優の二刀流、若いのに大したもんだ。
※ランカ・リーの大ヒット曲…
「プラダを着た悪魔2」のテーマの一つは、デジタル化していく世界の中のアナログの運命、みたいなものでした。これに関するミランダのセリフはこの人にしては中々情のある感じで良いんですが、それをバッサリやっちゃう登場人物のクールな対応が怖かったですね。日本の官僚を見ている様で。結局、否応なくデジタル化されちゃいます、みたいなね。これに関しては、私なりの意見をいずれ書いてみたいなと思いますけど、ただ一つ確実に言えるのは、世界がどれだけデジタル化しようとも、究極的なアナログは残りますよと。それはつまり「人間」です。だから、人間がこの世に残る以上、アナログ、つまり人間の持つ物欲というものは消し去ることが出来ない。確実にアナログの数は減ってしまうけれども、この世が視覚&聴覚だけで全てOKとはなりませんよ、ということです。
20年後のキャストたちは、とてもそれだけの月日が経っているとは思えない変わらない感じでした。本当なのかどうか知らないけれど、こういう人に見られる商売の人たちは、常に緊張感を維持しているので、肌のもちも常人とは違うのだとか。細部は当然デジタルで修正されているとは思いますが、ベースは変わらんなと。まさにデジタルとアナログの共演ですね。逆に言えば、私たちも彼らと一緒に歳を取っているので、そう見えるのかも知れません。地球が物凄いスピードで自転していても、私たちに全く分からないのは、周りの空気も一緒に動いているからですね。一緒に成長しているので、彼らの老け具合が分からないと。
映画を見終わって私が思ったことは二つ。一つ目は、見る者に多幸感を残す典型的なハリウッド映画だったな、ということ。誰だってワザワザお金を払ってどよーんとした空気になりたいくないでしょ。ハリウッド映画は、私たちに明日の希望を与える物なんです。二つ目は、前作あってのコレだなと。つまり、いくら話題作だからと言って、この映画だけを見てもキャラクターへの感情移入はおろか、この映画の世界観を楽しむことは出来ない、ということです。前作を見てから映画館へお越しください、といった塩梅ですね。そうでないと、今作でのミランダの感情の動きが、今一つリアルに浮かび上がっては来ないでしょう。
前作は完璧な仕上がりだったと思います。制作サイドは、それゆえ続編は無理だろうと考えていたようです。ところがキャストを含め、多方面からの強い要望によって、今回の制作が決まったのだとか。前作はある意味、破片が四方へ飛び散ったような終わり方をしたので、今度は割れた欠片を拾い集める、そんな感じでしたね。相変わらず、人間の成長譚という側面はキープされていました。それはこのシリーズの醍醐味ですから、無くすわけにはいかないでしょうね。
映画と言うのは、文章と同じで「キリトリ」の許されない性質です。どこか気になる一か所をフィーチャーしてしまうと、その本質に迫ることは出来ません。本来制作者が訴えたい事柄に出会う前に、感情がシャットアウトしてしまいます。ワザワザお金を払って映画を見るのに、本質に出会う前に劇場をサヨナラするのは、実に勿体ないことです。それでは、一体何のためにお金を払い、会場へ行くための労力を使ったのか分かりません。多幸感や教訓といった、映画に付随するお土産を頂いて帰ることなく去っていく。何もかもディスることで快感を得るのは自由ですが、そうやってハートを育てる機会を自分からパージしていると、最終的に薄っぺらな人間になっちゃいませんか?そんな薄っぺらな人間は、どこからか風が吹けば、あっという間にどっかへ飛んでいってしまうでしょう。そうしたら、もう二度と同じ場所へは戻って来られませんよ。
創作物を鑑賞する際は、心の壁を解放して、先ず受け入れてみてはいかがでしょう?一回よく噛んで食べてみる。それで不味ければ捨てるもよし、吐き出すもよし。咀嚼もしないでインスピレーションのままにディスってみる。
※この「インスピレーション」にはタマラナイ魅力がある…
そんな人たちには、もったいないお化けが出ますよ。
本当にこれが映画の感想文?よう分からんな。お粗末。
恐々謹言
