見出し画像

晴れて“なんちゃって随筆家”を自称する私~なぜかモーツァルトも出て来るよ そして山本正之も…


なんちゃって随筆家登場

え~、私モーさんはですね、noteのライターとしてデビューして2年目なんですが、そろそろ“肩書”ってヤツが欲しくなりましてですね。ただのモーさんでは味気ないものですから。読者の皆さんも、どうせ読むなら何かそれなりの肩書がある人の文章を読みたくないですか?てなことをずっと前から考えておりましてですね。じゃあ何が良いのかなと。候補は二つ。一つは歴史研究家、もう一つは随筆家ですね。たまにTVに出てきますよね“歴史研究家”って人。郷土史研究家ってのもそうなのかも知れないですけど。〇〇大学教授ってのは、仕事で歴史を研究してる人です。だからプロ。一方の歴史研究家ってのはいわゆる“自称”ですね。だから私ごときでも今日、この瞬間から名乗ることが出来ます。でもね。私はそれほど歴史を真面目に探求しているわけじゃないのです。私のフォローさん達の方が、余程詳しい。そんなレベルだから“研究家”なんて響きはフィットしません。じゃあ随筆家?でもエッセイストってプロのイメージが強くって。私はnoteでも有料記事は一切書いてないしなあ。理由は前に書きましたね。このご時世で私はスマホもクレジットカードも持ってないんで、電子決済が出来ないからです。だからせっかくフォローしてくれてもスキくれても、有料記事であれば私は一切読みませんのであしからず。それもあって、自分のエッセイお金を取るなんてことはこれからもしません。個人的に、随筆家ってのはお金出しても読みたい文章を書く人のことだと思ってるんで、私がそれを名乗る資格はないだろうと。でも、歴史研究家は名乗れない。どちらかと言えば随筆家の方が合ってるなと。でもプロじゃない。ふむ~。と、そこで思いついたのが、じゃじゃ~ん。

なっちゃって随筆家!


です。ということで、私モーさんは本日より「なんちゃって随筆家」を自称致します。改めて読者の皆様。このヘタレで要領が悪く頭も顔も悪い自称随筆家モーさんをどうぞよろしくお願いいたします。ひところ世間を騒がせた“自称広末涼子”のように。自称ですから誰に文句を言われる筋合いはありません。「お前なんて随筆家を名乗る資格なんてねえんだよ」とおっしゃるそこのウサギさん。自称ですから~。お許しを。

※このアニメに出て来るウサギさんはかなり色っぽい…

と言うことで、なんちゃって随筆家自称の記念すべき初のエッセイは、私のハンドルネームについてお話ししちゃおうと思います。古株のフォロワーさんにとっては「またか」というネタで御座います。新しくフォロワーになって頂いた方に寄り添って今回は展開して参ろうと存じますので、どうかご容赦願いたく。

私のハンドルネーム

さて、私のハンドルネーム“モーさん”と申します。アルファベットではMoosanです。これをそのまま発音すれば「ムーサン」となります。その昔、私のエッセイにコメントして下さった方が揃って“ムーサン”と書いておられたので、誰のこっちゃ?と思っておりましたらば、何と私のことでございました。英語ではそのように発音するようですね。全くもって失礼致しました。モーサンと呼ばれたければ、なぜMohsanあるいはMosanと書かなかったのか?それは今となっては全くので御座います。超古代文明の謎を解き明かすよりも難しい謎でございます。まあ、それは今となってはどうでも良いことなのですが、そもそも私はなぜ、モーサンでなく“モーさん”なのか?それは何故かと尋ねたら、「モーツァルトさん」略語だからです。これからも分かるように、私はモーツァルトが好きなのです。が、私は彼の音楽が好きなのであって、決してその人間を愛でているわけではありません。どうしてかって?そりゃあ彼はかなりのエキセントリックな人だったからです。常人の私なんぞには到底理解出来ないぶっ飛んだ人だったからです。私のイメージするモーツァルトはこんな感じです。

「死は無二の親友」だなんて深遠な思想を持っているかと思いきや、う〇こやオシ〇コのいわゆる下ネタ好き。その反面、自分程努力した人間はいないと豪語する努力家でもある。彼は決して単なる天才などではありません。血の滲むような努力を積み重ねた結果、天性の才能が発揮された系の天才なんですね。でも、友達になった瞬間に「お金貸して」ですから。あの人は決して低所得者ではありませんよ。超浪費家であり、特に上手くもないのに賭けビリヤードにドハマりで、負けては借金を重ねていたんです。映画「アマデウス」にも、ビリアード台の上で球を転がしながら拍子をとってオペラ「フィガロの結婚」(恐らく)を作曲するシーンがありました。彼はそれだけビリーヤードが好きだったみたいですね。下手なのに。奥さんのコンスタンツェは時に悪妻などと言われることもありますが、まあ、元々、彼女のお姉さんが好きだったんですよね。モーツァルトは。アロイジアだったかな。肖像画が残ってますが、メチャクチャ美人ですね。こんな人が隣にいたら、私もイチコロですけどね。モーツァルトは面食いだったんですね。でもフラれちゃいましてね。それで大いに落ち込むと。それを健気に癒したのが妹のコンスタンツェだったというよくあるストーリーです。でもね、モーツァルトは莫大な借金を抱えて死んじゃうもんですから、彼女は大忙しです。

人間モーツァルトはこのように実に捉えどころのない人。言ってみたら小さなパラレルワールドみたいなね。そんな難しい人とどう付き合ったら良いかなんて、何事も忖度出来ない私には全く分からない。しかし、歴史的な偉人とは得てしてこんなものじゃないですかねえ。功績も含めて、常人では何とも理解出来ない。だから偉人なんだと。

まあ、私はこんなモーツァルトの音楽に深く入れ込むことになるんですが、そのキッカケになったのが、先にも出て来た映画「アマデウス」ですね。


この映画、簡単に言うと天才と凡才の間に生じる嫉妬と悲劇を描いた作品ですけど、とにかくサリエリが可哀そうでしてね。モーツァルトを毒殺した、なんて疑いをかけられて(映画の中では毒殺したらしい?)。実際のサリエリ凄く良い人です。それなりに才能も有って、弟子の面倒も良く見ますしね。ベートーヴェンやシューベルト、フンメル、リストなんかも彼の薫陶を受けてますね。皆さん超メジャー級の作曲家ばかり。確か、授業料は取らなかったはずです。まあ、あの人は大変なお金持ちでしたから、お金よりも有能な弟子を育てることが好きだったのかも。そんなサリエリも、実際、モーツァルト暗殺の噂の的となり大迷惑。映画はその辺の話を膨らませたものですね。私はサリエリに同情したんですが、なぜか音楽はモーツァルトにハマっちゃいましたね。サリエリも良い曲書くんですよ。でもね、モーツァルトには敵わない。学生横綱が千代の富士に挑むようなものですかね。済みません。例えが昭和で。なんせ、今は絶対的な横綱がいないもんですから。これしか例えようがない。高校生の時ですから、もう彼には何年世話になってますかねえ。30年近くかな。そんなモーツァルトに敬意を表して、ハンドルネームをモーさんにしたというわけですね。そんなモーツァルトの音楽で私が3曲皆さんに是非ご紹介したい名曲がありますんで、少々お付き合いください。先ずはこの曲です。

ピアノ協奏曲第20番ニ短調 第二楽章「ロマンツェ」

この曲は映画「アマデウス」のエンディングを飾ってましたね。モーツァルトの作品の中で私が最も好きな曲です。モーツァルトは「軽いから嫌い」という方も大勢いるのですが、ウィーンへ出てから晩年に至るモーツァルトの音楽は一味違いますよ。若い頃のそれとは全く違う。明るさの中に突然忍び寄る影、このギャップ萌えが良いんですね。ベートーヴェンもそうですが、二人とも実に優れたメロディメーカーです。この曲はメロディメーカーモーツァルトの面目躍如と言った具合です。10分近い曲ですので、普段ポップスに慣れている人にはちょっと長いかな。癒し系の音楽なんでお休み前に聴くことをお勧めします。でも、中間部はちょっとびっくりするかも…。

アイネ・クライネ・ナハトムジーク 第二楽章「ロマンツェ」

ベタなところで、アイネ・クライネ・ナハトムジークの第二楽章です。ドイツ語のタイトルを訳しますと、一つの小さな夜の音楽、つまりセレナーデということになります。この曲、超有名なんですが、何のために誰のために作られたのか全く分かっていない謎の曲なんです。分かっているのは、父親のレオポルドが亡くなって2ヵ月後に作曲されたということだけです。映画でも登場しましたが、実際のレオポルドもかなりの教育パパでして、文字通りモーツァルトを鬼のように教育した厳しい父親でした。しかし、この父親無くしては天才モーツァルトは存在していないと私は思います。この辺、織田信長に何となく似ていると思います。彼もまた、父である信秀の存在無くしてはあのような偉業を成していないだろうと思います。

歌劇「魔笛」より パパゲーノとパミーナの二重唱「愛を感じる男の人たちには」

音楽は2:56から始まります。有名なオペラ「魔笛」の一コマです。私はほぼオペラは聴きませんが、例外的にこの「魔笛」「フィガロの結婚」「カルメン」の3曲は愛聴しますしDVDも見ます。何でだろう?この二人、別に恋仲じゃあないんですね。それぞれに想い人がいます。なのに、この二人がこんな艶っぽい歌を歌う。この辺がモーツァルトの「粋」なんですかねえ。私はクラシック音楽をポップスと同じようにフィーリングでしか聴きません。だからクラシック音楽愛好家特有のロゴスにこだわるスタンスは全くありません。ですから、いわゆるクラシックファンの集まりなんかは苦手です。私にとってはまさに異世界転生といった塩梅ですから。私は自分にとっての良し悪しでしか音楽を聴きませんから。ウンチクはさっぱり。なので、私はクラシック音楽の愛好家でも無ければファンでも無いかなあと思っています。ライトユーザーとでも言っておきましょう。ですから、「魔笛」の内容もあまりよく知りませんし、自分の心に響きがストンと落ちればそれで良しです。この二重唱の美しさは、ドイツ語を理解しなくとも、「魔笛」の内容を理解出来なくとも、十分に味わうことは出来ると私は思います。そういう音楽を、モーツァルトは作ってくれたと信じています。

読者の皆様へ

と、ここまで書いて来てなんなのですが、なんちゃんて随筆家である私から、読者諸賢に折り入ってお願いが御座います。これもまた古株のフォロワーさんはご存じのことと存じますが、私のエッセイに有難くもコメント下さる奇特な読者様がおられます。いつも温かいコメントモティベーションとして頑張っておる次第なのですが、その際ですね、出来ますれば私のハンドルネームの「様」「さん」はどうか省略して下さいますようにお願い申し上げます。と申しますのも、既に私のハンドルネームには敬称の「さん」が含まれております。ですので、モーさん様、あるいはモーさんさんとなってしまい、二重敬語状態になってしまいます。私は皆様にそのように尊んで頂くような身分でも人間でも御座いません。どうか読者諸賢に置かれましては、この点、ご容赦頂きますようよろしくお願いいたします。モーさん様、モーさんさんなんて言われますと、どうも背中がむず痒いので御座います。
また、そんな風に書かれてしまうと、私はのぼせ上ってしまいます。人間、天狗になったらおしまいです。どうか私をその気にさせないで下さい。面倒くさいヤツだなあとお思いの方もお見えかと存じますが、ご理解の程をよろしくお願いいたします。そして末永く、なんちゃって随筆家モーさんを可愛がって下さいませ。

もう一人の天才

と、私の肩書がやっと出たってことで、このアニソンをお送りしましょう。今回はちょっと無理やりだなあ。

「ヤットデタマンの歌」
作詞・作曲:山本正之  編曲: 乾裕樹 歌:トッシュ

昭和ボーイには懐かしいタイムボカンシリーズ第5弾、ヤットデタマンの主題歌ですね。これまでのシリーズでは男女二人組だったのですが、この作品ではヤットデタマンと、その相棒の巨大ロボの大巨神という組み合わせ。フジテレビはギャグアニメとして巨大ロボの出現は望んでいなかったようですが、当時はちょっとした巨大ロボブームだったことから、スポンサーの強い意向で大巨神が登場したようですね。このロボは普通にしゃべります。彼は「罪を憎んで、人を憎まず」という方針で、一度は敵を見逃すものの、自分に対する罵詈雑言を受けると「大激怒」と宣ってトドメの一撃をお見舞いすると言う、ちょっとしたお決まりスタイルが見ものでした。

「ヤットデタマン・ブギウギ・レディ」
作詞・作曲:山本正之 編曲: 乾裕樹 歌: 鈴木ヒロミツ

こちらはエンディングです。歌うは俳優でもあった鈴木ヒロミツです。山本正之お決まりのコミカルソングといった趣です。山本正之昭和の天才シンガーソングライターと言うべき存在です。タイムボカンシリーズの歌曲はほぼ全て彼が作曲しています。独特な世界観がクセになりますね。彼はまた地元ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」の作曲者としても有名です。現在は、水木一郎アニキのバージョンバンテリンドーム(旧ナゴヤドーム)で流されています。

※この頃は伝説的な強さを誇ったドラゴンズの影も今はなく…

山本正之はかなり個性的な歌声ですので、一度は皆さんも耳にしたことがあるでしょう。

※水木のアニキ同様、唯一無二の歌声…

「絶唱カラオケマンの歌」
作詞・作曲・歌:山本正之 編曲:神保正明

この歌の様に山本の作品はメロディが乗りやすく、歌いやすいのが特長ですね。ヤットデタマンの歌もそうですが、とにかくカッコい。昭和ボーイの思い出がどんどん消えて行く昨今、山本正之は貴重な存在です。いつまでも独特の世界観を俺たちに届けてくれ、頼んだぞ山本正之!

私にとって、山本正之もモーツァルトも同じ天才

山本正之に対する想いはここまでとして、今後もなんちゃって随筆家である私は、読者の皆さんになんちゃってエッセイを届けるために、せっせと筆を走らせようと思います。しかし、世の中になっちゃってがいっぱいになるのは勘弁してほしい。個人レベルなら許されるなんちゃっても、規模がデカくなるとなんちゃってでは済まなくなる。私はなんちゃってに金を払うつもりはないぞ!買うならちゃんとした骨のある物を買いたい。だから私は骨付きチキンを買うのである。お粗末。

                              恐々謹言