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子供がカルチャーに接する時

ガチャピンムックフジテレビのイメージキャラクターだと思っている方は大勢おられると思います。が、彼らは元々、フジテレビ系の子供番組「ひらけ!ポンキッキ」で活躍していたキャラクターです。番組が終わった後も、二人?はあまりにもキャラ立ちしているため、フジテレビ系列での出演はおろか、CMにまで登場する始末。初期の彼らを知っている私としては、声優さんが代わってしまったことは何とも残念ですが、これもまた時の流れ。所業無常です。何とガチャピンイモムシだと思っていたら、どうやらステゴザウルスの子供のようで、相方のムック謎の赤い塊だと思っていたら、雪男なんだとか。まさにクリエイティブの極みですね。

愛されキャラはクリエイティブ…


ところで、普段はアニソンクラシック音楽を中心に楽しんでいる私ですが、実は何気に洋楽すこしばかり嗜むのですね。ビートルズはクラシック音楽っぽいから大好きですね。

※クラシック音楽との区別がつかない…

そんな洋楽に私がいつ出会ったのか?それがまさに「ひらけ!ポンキッキ」だったんですね。この番組の至る所で、ビートルズだのスティーヴィー・ワンダーと言ったハイセンスな洋楽をBGMとして使っていたんです。子供心に、「これ、いい曲だなあ。誰が作ったんだろう」と思ったものです。(私が作曲者の名前を知るのはずっと後ですが)それまでアニソンクラシック音楽しか知らなかった私にとって、洋楽との出会いはまるでリン・ミンメイの歌に接したゼントラーディ人のような感覚、まさにデカルチャーな体験だったわけです。(マクロス好きな方には、この衝撃がどれ程がお分かりになると思います)

ミンメイはいつ見ても可愛いなあ…

私は今、楽曲制作趣味として嗜んでおるのですが、その根底には私がこれまでの人生で蓄積してきたアニソンクラシック音楽、そして「ひらけ!ポンキッキ」によって私の幼気な子供心に刷り込まれた、ハイセンスな洋楽があると思っています。これらによって培われた私のメロディセンスが、音楽家の手によって一つの音楽として紡がれていきます。なんちゃって。でも、私ごときで刺激受けまくりなのですから、プロのミュージシャンとなると、その影響は計り知れないでしょうね。子供の頃にこうした質の高い作品に触れることで、触発されて偉大なアーティストが誕生する、なんてことは有りや無しや。“子供向け”だから“仕事”だからと割り切って、刹那的なツマラナイ物を粗製乱造するようでは、決してクリエイティブな大人は生まれないでしょうね。

かつてゴジラの生みの親である円谷英二ガンダム富野由悠季監督は、子供向けだからこそ、敢えてリアルな世界観を創造しようと努めましました。「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」に置いて、円谷英二は人間のエゴを鋭く描く作品娯楽作品の合間に忍び込ませました。

ジャミラは科学の犠牲者

一方の富野さんは、「子供に嘘はつけない」とばかりに、おもいっきりガンダムの世界をリアルに作り上げました。戦争では理由はどうあれ人が死ぬ。殺さなければ自分が死ぬ。富野さんはそうした不条理を避けることなく子供たちの前で披露しました。しかし、内容が渋すぎて当時の子供たちには理解されず、ガンダムが途中で打ち切りとなったのは有名な話ですね。時代が早すぎたのです。

※子供のアニメで坊やと言われてもなあ…

しかし、放送終了後、富野さんの仕掛けた爆弾が炸裂します。ガンダムは、一躍日本を代表するアニメに君臨することとなりますね。円谷英二にせよ富野さんにせよ、スポンサーを喜ばせるためだけの陳腐な作品を作りませんでした。むしろ、子供にはウケない難しい話をせっせと世に送り出したのです。それは当時理解の範疇外でありましたが、時代が進むにつれてその真価が評価され今に至ります。ウケないモノを作ったがゆえに、円谷英二も富野さんも世の中に残ることとなりました。全く皮肉なものですね。

子供向けだからこそ、“将来への投資”と考えて敢えて質の高い物を提供する。その時理解出来なくても良い。何かが心に残れば。必ず大人になった時、その「何か」化学変化を起こしてクリエイティブな思考を呼び覚ます。その一方で、円谷や富野さんは作品を通じて、人間としての良識も伝えたかったのかも知れませんね。こうした「何か」を携えた子供たちが、やがて大人になって社会の担い手となる。こうして社会のクリエイティビティが豊かとなる。これがイノベーションの源となるのは言わずもがなでしょう。今、日本は未曽有の借金を抱えて、経済の爆発的な成長を今か今かと待っています。それにはイノベーションが欠かせません。それはとりもなおさず、大人たちが子供に向けて、クリエイティブな発想をどれだけ届けられるかにかかっていると思います。何せ子供たちは、将来の経済の担い手なのですから。

ところが、日本の創造の世界を見てみると、お世辞にも豊かとはいえない状況が散見されますね。地上波ではどの局を選んでみても、コンプラ重視の似たような番組が並んでいるし、ネットの動画では相変わらず、目先の視聴数を稼ぐためのラジカルな内容が目立ちます。作品の担い手がビジネスライクな深い沼にハマってしまい、“数”を追い求めてもがき苦しんでいるように思えます。そこにはもはや創造性などというワクワク出来る要素はありません。

人前で転んで見せて笑いを取る。

どうも最近、番組制作者の側にこうした単調な発想が蔓延しているように思うんですよね。そうすれば簡単に数字が取れるとね。あのちゃんの一件にしても、それが如実に垣間見ることが出来ますよね。単純に人をディスる、その様を視聴者は望んでいるし、面白がるだろうと。この一件は、あのちゃんサイドよりも、制作者サイドのこうした短絡的なというか、クリエイターとして実に貧困な発想で仕掛けたことが裏目に出た結果だと思います。想像力にも創造力にも欠けた愚かなことだと思います。あまりにもコンプライアンスが重視される地上波の世界から、有能なクリエイターネットの世界へ移っていったのでしょうか。短絡的な、直線的な発想しか持たない番組制作者が地上波には横行しているように感じられます。制作者の“劣化”が深刻化しているような気がします。クリエイティブな物を作りたくても能力(発想)の無い職業的(官僚的)な人々が地上波の業界に残ってしまったのでしょうか?もうアイデアが出尽くした。という考え方も出来るかもしれません。だからどの局へ行っても似たような番組や、過去の名番組をリライトしたような物に出会う。そういうことなのかも知れません。創造ではなく、単なる作業になってしまっている。

私たち大人には、子供たちの創造性を高める義務があります。なぜなら、それが社会の発展に欠かせないからです。にもかかわらず、大人が目先の利益に固執して創造性を疎かにすると、それは回りまわって自分たちの首を絞めることになります。だってそうでしょう。子供は将来の国を背負う人材なのですから。彼らの有する創造性は、そのまま国の行く末直結します。刹那的な貧相な物ばかりを摂取させられた子供たちは、残念ながら短絡的な発想に落ち着いてしまうでしょう。その結果、社会は活力や競争力を失い、小さくなって行きます。

クリエイターの皆さん、子供にはは通じませんぜ、旦那。背筋伸ばしてピシッとしなきゃ。ガチャピンとムックを見るたびに、私はこんなことをつい考えてしまいます。お粗末。

                              恐々謹言



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