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【読書記録】坂の上の雲 七巻 / 司馬遼太郎

本のこと

各地の会戦できわどい勝利を得たものの、日本の戦闘能力は目にみえて衰えていった。補充すべき兵はそこをついている。とぼしい兵力をかき集めて、ロシア軍が腰をすえる奉天を包囲撃滅しようと、日本軍は捨て身の大攻勢に転じた。だが、果然、逆襲されて日本軍は処々で寸断され、時には敗走するという苦境に陥ったーー。

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感想

奉天会戦が終わり、日本海海戦が始まるところまで。
全八巻のうち七巻まで読み進めてきて、いよいよ終盤という気配がある。
この七巻で特に印象に残ったのは、
「リーダーの器量が組織の力を左右する」
ということ。
司馬さんのバイアスがかかった言い分もあるだろうが、ロシア海軍の提督であるロジェストウェンスキーに対しての辛辣な評価がすごかった。
ここまでの一巻から六巻までを通して通底していたのは、「ロシア軍(ロシアの国自体)が日本という国を舐めていたから足元をすくわれた」ということだったが、ここでもそのようなことが描かれる。
どんな状況においても、相手を侮り、傲慢な態度で事に当たれば痛い目を見る。
この「坂の上の雲」という作品の全体的に日本という国が当時は海外から侮られていた空気を感じられるが、小さい国にはそれなりの戦い方や生き残り方があるということで、同じ日本人として誇らしい。
しかし読み進めるうちに考えたのは、これほど日本の存亡は綱渡りな状態だったのかということだ。
日本やロシアの様々な選択、気象や時の運、それらが違っていたら、今の日本は無いかもしれないと思うと、ゾッとした。
国家の戦争とは規模は違うが、組織に所属する一人の人間として、「自分の選択が組織の命運を握っているのだ」と捉えることには、日々の過ごし方に影響があると思う。
この7巻では、騎馬隊の秋山好古が活躍する場面が描かれた。
日本軍内で無用の長物と扱われていた騎兵隊を鍛えてきた秋山好古が活躍するシーンは、孤独に頑張る社内ベンチャー的立場を経験した自分にとってはアツい展開だ。
圧倒的な火力はなくても、その行動によって敵の戦意を削ぐことで敵を制することができる。
組織は様々な役割の人間がいて成り立っている。

メモ

官僚的立場の保守

それをクロパトキンがしなかったのは、 「それをもし為して大勝をおさめれば功はグリッペンベルグにゆき、ロシア陸軍における自分の地位は一時に失落する」 という理由であり、このことはふつうの国家にあってはじがたい理由であったが、しかしながら専制国家の官僚というのは、国家へもたらす利益よりも自分の官僚的立場についての配慮のみで自分の行動を決定する。 専制国家はかならず負ける。 と予言したアメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズヴェルトの見通しには、こういう点もむろん計算されていた。(p10)

「自分の手柄にしたい」という気持ちは理解できるが、国の一大事である戦争の最中にこんなことを考えると思うとゾッとする。しかしこれは普通の企業でもよくあることだ。会社が傾いているというのに、自分の立場のことしか考えない。そんな人間ばかりだと組織は滅んでいく。

奉天大会戦の評価

これら秋山支際による行動はクロパトキンの神経を病ませ、思考を狂わせ、ついにかれがこの作戦会議の席上でものべるように決戦への気持を萎えさせただけでなく、その兵力を決戦に集中するということを自制するにいたった。 奉天会戦におけるロシア軍の敗因をつくったものは秋山好古のひきいる支隊の牽 制活動である。 という評価さえうまれるにいたった。(p26)

日本軍内で無用の長物と扱われていた騎兵隊を鍛えてきた秋山好古が活躍するシーンは、孤独に頑張る社内ベンチャー的立場を経験した自分にとってはアツい展開だ。圧倒的な火力はなくても、その行動によって敵の戦意を削ぐことで敵を制することができる。

型を多く知る者が参謀?

いえば、元来、軍隊というのは型そのものであり、その戦闘についての思考は型そのものであった。(p42)

軍隊では過去の戦争の事例を学んで多くの「型」を暗記している者が参謀になるという慣習があったと司馬遼太郎は言う。今でもビジネスの場ではフレームワークと呼ばれるビジネスの「型」があり、それをたくさん知っている人がコンサルとして企業にアドバイスをしたりしている。ただ、「知っている」のと「経験した」のとは大きな違いがあると思う。中身のないコンサル的な人間があまりに多い。

光明がなければ士気は下がる

作戦の前途に光明がなければ、その軍隊の士気はかならず病的なものになる。 この奉天作戦の前途にかろうじて薄明りが見えることを、五人の軍司令官たちの視覚は感じとってはいた。しかしながら、その過程において懐惨な戦闘がつづくであろうことも、かれらは十分以上に覚悟していた。(p51)

奉天会戦は完全な勝ちでなく優勢であることを示して外交の講和に持ち込むというのが目的だった。
そのために大勢の犠牲が出ることは折り込み済みで、厳しい戦いに挑んでいく。
こういうとドラマティックだが、実際現場の兵士たちの気持ちはどんなだったろう。
「作戦の前途に光明がなければ士気が下がる」はまさにそうで、会社においても似たようなことが言える。
誰も希望のないことなどやりたくないのだ。

28サンチ砲

「二十ハサンチを奉天の野っぱらにまでひきずってくる」 といった児玉の言葉の突っ拍子なさは、いわば島とか山とかを移動させるということにひとしい。元来が永久工事の上にすわりこんでいる二十八サンチ砲は鉄筋の建造物のようなもので、移動できるようなものではなかった。しかし旅順のときには移動した。 児玉はそれをよりどころにした。 この児玉の命令を、関係砲兵と工兵が運営にうつし、おどろくべきことに、旅順の十八門のうち六門が、山でも動くようにして奉天正面の野外戦場に出現したのである。この作戦を通じ、この砲の移動ほど日本軍の性格をするどく物語っている「事件」はない。(p77)

児玉源太郎の一声で、できると思えなかった大砲の移動を成し得た。やってみるまで分からないものだ。ピンチのときには突拍子もないことが活躍する場合があるのかもしれない。

クロパトキン

奉天会戦は、どうみてもロシア軍が負けるべき戦いではなかった。 兵力、火力ともに日本軍よりも格段の差で優位に立ち、さらには兵員の質も欧露から補充された若々しい土卒が多数を占め、日本軍のような後備の老兵をもって軍隊の質をふやけさせているといった事情はなかった。 が、作戦で敗れた。それも徹頭徹尾、作戦で惨敗した。ロシア軍の恥辱はその師団長以下め責任にあるのではなく、むしろ師団長以下の勇戦敢闘ぶりは日本軍のそれにくらべて遜色がすくなかった。かれらは命令に従順であり、守れといわれれば死守し、進めといわれれば弾雨をおかしてすすんだ。秩序のゆるんだ軍隊にありがちな抗命現象はほとんどなく、勝手な状況判断で退却するような部隊もなかった。退却もまた命令によって退却した。その進退整然たる実態からみても、世界一の陸軍国といわれるにふさわしかった。 ロシア軍の敗因は、ただ一人の人間に起因している。クロパトキンの個性と能力である。 こういう現象は、古今にまれといっていい。(p113)

ここまで『坂の上の雲』を読んでくると、日本軍が勝てたのが奇跡にしか思えない。戦争は多くの人間が関わるから一概に「誰のせい」とは言い難いが、ここでは司馬遼太郎ははっきりと「奉天会戦でロシアが負けたのはクロパトキンのせい」と言う。リーダーの采配一つで戦局が変わる。恐ろしい。

恐怖で幻覚に捉われる

「鉄道が遮断されれば全軍が窮地におち入るかもしれない」 と、クロパトキンも思っていた。大山・児玉そして好古がねらった作戦を、クロパトキンもまた恐怖をもってそれを想像し、「日本軍はおそらくそれを実現するだろう」と思いつづけた。 しかしそれはクロパトキンの幻覚にすぎない。 クロパトキンは、みずから幻覚をつくりだしてみずから踊る人であった。信じがたいことであったが、かれはこの夜、勝つ態勢のまま、第一軍と第三軍に対し、 「渾河の線まで退却せよ」 と命じたのである。日露戦争を通じての最大のなぞがこのときからはじまる。(p144)

クロパトキンは余裕のある戦力に関わらず退却を命ずる。神経質で心配性だからこそ起こってしまうことだと思うが、これは時と場合によっては正しいことにもなり、難しい。俯瞰してみれば「そのまま押し切れば勝てたのに」と評価されてしまうかもしれないが、現場ではそうは思えないのだろう。まして今よりも情報の伝わる速度は遅かっただろうから仕方ないようにも思う。

六分四分

「ロシアに対する勝ち目は、ふつうにやって四分六分というところである。よくやって五分々々、よほど作戦をうまくやれば六分四分」 ということを開戦を決意したあと、他の者に洩らしたのはこの児玉自身であった。いまそれが成就した。日本軍が作戦能力において圧倒的優位にたち、兵力の寡少をおぎなってようやく六分四分に漕ぎつけたいま、この好機をとらえて講和工作を進行しなければ、児玉としては今後もなお過去のように日本軍が常勝をつづけることができるか保証することができなかった。(p182)

ギリギリの戦いを作戦をもってなんとか優勢を保ちながら奉天会戦で勝利を収めた日本軍。ここから講和への交渉が始まる。開戦時に「この戦いはよくやっても6:4だ」と見定めたのが素晴らしい。

ウドサァ

ウドサァになるための最大の資格は、もっとも有能な配下を探してそれに仕事を自由にやらせ、最後の責任だけは自分がとるということであった。 西郷隆盛の弟の従道も、兄と同型のウドサァであった。かれは西郷の京都奔走中のころ、大山とともに西郷の智略方面の謀士をつとめたほどだったから、小才のよほどまわるところがあったが、明治の大官になるとウドサアになって、配下をして能力を出しきらせることのみを考えた。(p186)

有能な部下を抜擢して仕事を自由にやらせ、責任はとる。今でも通ずるリーダー像だと思う。

士官の無能と、部下の持続的服従心

官吏の無能とそれへの民の不満というのは帝政ロシアのぬきがたい病根であった。軍隊の場合は土官の無能ということになり、これに生命をあずけねばならない兵卒としてはペテルブルグやモスクワの市民よりも不満は深刻であった。言葉をかえていえば戦時における兵卒の持続的服従心というのは土官が有能であるということによってのみ成立するものであったが、カムラン湾を追い出されて漂泊しはじめたこの艦隊が、この時期から土官階級の尊厳性が薄れて兵卒の土官に対する服従心がめだって低下し、抗命事件が頻発するのは、やむをえないことであった。(p258)

一度失われたリーダーの信頼はなかなか取り戻せない。「兵卒が持続的服従心を持つのは士官が有能な時だけ」という言葉は辛辣ながらその通りだと思う。

バルチック艦隊はいつ来るか?

「なるほど十ノットの速力だという情報がさきに入っているからむりもないが、しかしマダガスカル島から走ってきた速力はずっとみていると、どうも七ノットらしい。たとえ目撃者が見たある時間内での速力が十ノットであっても、かれらは途中、洋上で艦隊を停めて石炭搭載などをしなければならない。だから平均七ノットをもって計算の基礎とするのが穏当ではないか」(p287)

秋山真之と、先輩である鈴木の会話。鈴木がバルチック艦隊の速度を予測する一幕。バルチック艦隊が対馬海峡を通るか、太平洋を迂回するか、悩んでいた秋山真之に鈴木が言ったこの一言は正確で、この判断が命運を分けた。こうしたことが国の運命を左右するというのは恐ろしい。

島村速雄

これについては島村速雄が、この前後に他の士官にいった場合も有名である。 「敵が、いくらかでも航海というものを知っておればかならず対馬海峡を通る」といったことばで、その理由は東郷があげた三つの理由とさほどかわらない。(p324)

敵の気持ちになって考えれば、この航路でくるはず。そう言う島村や東郷の意思の固さから、日本の連合艦隊は「待ち」を決めた。

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