【読書記録】晩年/太宰治

太宰治にハマった2025年だった。
太宰治には色んな短編があり、本当に表現力豊かで、かつ心身を削って作品を削り出していたんだなあと感じる。
今回は『晩年』を読んだ感想。
本のこと
太宰文学の可能性の萌芽がすべて収められた、第一創作集
妻の裏切りを知らされ、共産主義運動から脱落し、心中から生き残った著者が、自殺を前提に遺書のつもりで書き綴った処女作品集。“撰ばれてあることの 慌惚と不安 と二つわれにあり"というヴェルレーヌのエピグラフで始まる『葉』以下、自己の幼・少年時代を感受性豊かに描いた処女作『思い出』、心中事件前後の内面を前衛的手法で告白した『道化の華』など15編より成る。
感想
太宰治の第一創作集。
太宰治をして「私はこの本一冊を創るためにのみ生まれた」と言わしめる一冊で、初期の作品が並び、その後の太宰治の色々な作品の種になるような短編が15入っている。
この『晩年』は太宰治が27歳のときに刊行され、それぞれの短編が書かれたのは太宰治が22〜23歳頃。
そんな若者が書いたとは思えないような、人生や人間の生々しい部分がえげつなく書かれている。
でも、どこかちょっと爽やかさもある。
短編の多くは、創作の苦しみ、世間の冷たさ、無常感のようなものが描かれている。
太宰治がそれまでの人生の中で感じていたことだろう。
この本の中に「私は散りかけている花弁であった。すこしの風にもふるえおののいた。人からどんな些細なさげすみを受けても死なん哉と悶えた。」と書いてあった。
太宰治は自分の才能と創作に自信を持ち、でも繊細で、自分と他者とのギャップに苦しんでいたのかもしれない。
『道化の華』の短編に、そうした苦しみを感じるものが多く書かれている。
大小はあるが、思い当たる人は多いのではないか。
「自分はもっとできる」「いつかすごい人間になる」と思いながら、他者との関わりの中で自分はそれほどでもないことを知り、傷つき、諦める。
しかし太宰治はそこで諦めきれずに、「せめて自分の人生を書き残して死のう」と思い、この『晩年』を始め、作品を残していったのかもしれない。
だからこそ、太宰治の文章には、『血』を感じるのかもしれない。
メモ
葉
生れてはじめて算術の教科書を手にした。小型の、まっくろい表紙。ああ、なかの数字の羅列がどんなに美しく眼にしみたことか。少年は、しばらくそれをいじくっていたが、やがて、巻末のペエジにすべての解答が記されているのを発見した。少年は眉をひそめて呟いたのである。「無礼だなあ」(p18)
答えがすべて載せられていて分かってしまう。それは自分の頭で考えて発見する楽しみを奪うこと。私はネタバレが大嫌いだから、この気持ちはよく分かる。自分で考えて想像して、当たっても外れても、その考える過程が楽しいのだ。
一のプロレタリアアトへの貢献、それで沢山。その一が尊いのだ。その一だけの為に僕たちは頑張って生きていなければならないのだ。そうしてそれが立派にプラスの生活だ。死ぬなんて馬鹿だ。死ぬなんて馬鹿だ(p18)
この辺に太宰治本人の胸の内が出ている気がする。太宰治は色んな短編の中で、自分の人生を恥じるようなことを書いている。そんな何も産まない人間が生きていていいはずがないという考えと、それを打ち消すような「少しでもプロレタリアートに貢献すればそれで良いじゃないか」という考え。何十年も経って未だ多くの人に読まれている作品を生み出した太宰治本人が、自分は何も生み出していないと思っていたなら、悲しいものだ。才能を持つ人は世間から浮いてしまうことがあって、それによって悩みが生まれて、才能が潰されてしまうことがある。そうならないような世の中でありたい。
おしまいに日本語を二言囁いた。「咲クヨウニ。咲クヨウニ。」(p27)
親切を受けて、自分が売ったしおれかけの花を悔やんで祈りを捧げる女の子の言葉。後悔は誰にでもある。
安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。(p27)
共感できる。辛い境遇にある人は生の喜びをよく実感できる。そしてその言葉は恵まれた環境にある人たちに生の尊さを気付かせる。生きているだけですごいことだ。
思い出
いい成績ではなかったが、私はその春、中学校へ受験して合格をした。私は、新しい袴と黒い沓下とあみあげの靴をはき、いままでの毛布をよして羅紗のマントを酒落者らしくボタンをかけずに前をあけたまま羽織って、その海のある小都会へ出た。そして私のうちと遠い親戚にあたるそのまちの呉服店で旅装を解いた。入口にちぎれた古いのれんをさげてあるその家へ、私はずっと世話になることになっていたのである。(p51)
オシャレな言い回し。「旅装を解いた」言いたい。
私は散りかけている花弁であった。すこしの風にもふるえおののいた。人からどんな些細なさげすみを受けても死なん哉と悶えた。私は、自分を今にきっとえらくなるものと思っていたし、英雄としての名誉をまもって、たとい大人の侮りにでも容赦できなかったのであるから、この落第という不名誉も、それだけ致命的であったのである。(p52)
中学生の思春期の頃にはこういう繊細な気持ちになることがあるのは共感できる。大人に反発し、自分はいつか偉くなると思い込む。でも実際はそれほどの人物でないかもしれないと思ったりもする。反発している大人から評価をされる自分は子どもであると知らされる。そんなことに自尊心を傷つけられたりするものだ。
魚腹記
日が暮れかけると山は風の音ばかりだった。楢や樅の枯葉が折々みぞれのように二人のからだへ降りかかった。 「お父」 スワは父親のうしろから声をかけた。 「おめえ、なにしに生きでるば」 父親は大きい肩をぎくっとすぼめた。スワのきびしい顔をしげしげ見てから呟いた。 「判らねじゃ」 スワは手にしていたすすきの葉を噛みさきながら言った。 「くたばった方あ、いいんだに」(p90)
だんだんと大人になり、生きる意味を考え出すスワ。思春期にはよくあることだと思う。
列車
一九二五年に梅鉢工場という所でこしらえられたC五一型のその機関車は、同じエ場で同じころ製作された三等客車三朝と、食堂車、二等客車、二等寝台車、各々一輌ずつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輌と、都合九つの箱に、ざっと二百名からの旅客と十万を越える通信とそれにまつわる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から青森へ向けて走った。 時に依って万歳の叫喚で送られたり、手巾で名残を惜まれたり、または嗚咽でもって不吉な餞を受けるのである。列車番号は一〇三。
オシャレな書き出しだ。「幾多の胸痛む物語とを載せ」が特に良い。物だけでなく、様々な物語を運ぶのが列車だ。
道化の華
つねに傑作を夢みつつ、勉強を怠っていた。そうしてふたりとも、よくない成績で学校を卒業した。葉蔵は、ほとんど絵筆を投げ捨てた。絵画はポスタアでしかないものだ、と言っては、飛騨をしょげさせた。すべての芸術は社会の経済機構から放たれた屈である。生活力の一形式にすぎない。どんな傑作でも靴下とおなじ商品だ、などとおぼつかなげな口調で言って飛騨をけむに巻くのであった。(p141)
かつて夢みたものを挫折して、腐っていく。そんな経験に近いものは多くの人の心にあると思う。要蔵は絵画を貶し、勉強を怠るようになる。不安定な心をこうしないと保てないのかもしれない。
つまり、この二人は芸術家であるよりは、芸術品である。いや、それだからこそ、僕もこうしてやすやすと叙述できたのであろう。ほんとの市場の芸術家をお目にかけたら、諸君は、三行読まぬうちにげろを吐くだろう。それは保証する。ところで、君、そんなふうの小説を書いてみないか。どうだ。(p142)
突然途中で太宰治自身のコメントのような文章が差し込まれる。面白い。狂気的なものを感じる。
見得の切りついでにもう一言。あの一行を消すことは、僕のきょうまでの生活を消すことだ。(p146)
ここでも太宰治自身のコメント。書き出しの場面に戻り、その文章について語る。「ここを過ぎて悲しみの市」。覚悟を感じる一文。
青年たちはいつでも本気に議論をしない。お互いに相手の神経へふれまいふれまいと最大限度の注意をしつつ、おのれの神経をも大切にかばっている。むだな侮りを受けたくないのである。しかも、ひとたび傷つけば、相手を殺すかおのれが死ぬるか、きっとそこまで思いつめる。だから、あらそいをいやがるのだ。彼等は、よい加減なごまかしの言葉を数多く知っている。否という一言をさえ、十色くらいにはなんなく使いわけて見せるだろう。議論をはじめる先から、もう妥協の瞳を交しているのだ。 そしておしまいに笑って握手しながら、腹のなかでお互いがともにともにこう呟く。 低脳め!(p148)
えげつない太宰治の批評。でも、たしかにと納得させられる。こんな人はたくさんいるだろう。私も思い当たる節がないではない。こうして正直な気持ちを隠して偽りながら得られる平和は正しいものかと思うが、そうでもしないと生きづらいし、やっぱり建前を使って生きていくものなんだろう。
けれども悲しいことには、彼等は腹の底から笑えない。笑いくずれながらも、おのれの姿勢を気にしている。彼等はまた、よくひとを笑わす。おのれを傷つけてまで、ひとを笑わせたがるのだ。それはいずれ例の虚無の心から発しているのであろうが、しかし、そのもういちまい底になにか思いつめた気がまえを推察できないだろうか。犠牲の魂。いくぶんなげやりであって、これぞという目的をも持たぬ犠牲の魂。彼等がたまたま、いままでの道徳律にはかってさえ美談と言い得る立派な行動をなすことのあるのは、すべてこのかくされた魂のゆえである。これらは僕の独断である。しかも書斎のなかの模索でない。みんな僕自身の肉体から聞いた思念ではある。(p153)
太宰治はこの短編で、自身の抱えているドス黒い気持ちを吐き出したかったのかな?と思うほどキツめの批評が続く。若者がよく笑う裏には、己の姿勢を気にする心があるからだと言う。たしかに、「こんなに楽しい俺の人生は豊かだ!お前たちとは違う!」と見せつけるように楽しそうな自分を演じていそうな人を見たことがある。
彼等のこころのなかには、渾沌と、それから、わけのわからぬ反援とだけがある。或いは、自尊心だけ、と言ってよいかも知れぬ。しかも細くとぎすまされた自尊心である。どのような微風にでもふるえおののく。侮辱を受けたと思いこむやいなや、死なん哉ともだえる。葉蔵がおのれの自殺の原因をたずねられて当惑するのも無理がないのである。なにもかもである(p157)
若者たちの繊細な傷つきやすい自尊心について。傷つきたくない。侮られたくない。だから踏み込んだ話をしない。よく分かる。
作家はみんなこういうものであろうか。告白するのにも言葉を飾る。僕はひとでなしでなかろうか。ほんとうの人間らしい生活が、僕にできるかしら。こう書きつつも僕は僕の文章を気にしている。(p160)
さらけ出したいけど出来ない。そんな心を太宰治自身は抱えていたのかもしれない。「ほんとうの人間らしい生活が、僕にできるのかしら」この言葉には、『人間失格』を連想してしまう。
僕はなぜ小説を書くのだろう。新進作家としての栄光がほしいのか。もしくは金がほしいのか。芝居気を抜きにして答えろ。どっちもほしいと。ほしくてならぬと。ああ、僕はまだしらじらしい嘘を吐いている。このような嘘には、ひとはうっかりかっかかる。嘘のうちでも卑劣な嘘だ。僕はなぜ小説を書くのだろう。困ったことを言いだしたものだ。仕方がない。思わせぶりみたいでいやではあるが、仮に一言こたえて置こう。「復讐」(p161)
痺れる一文。名誉も金もどっちも欲しい。でもそれだけじゃない。小説を書くのは、復讐だと言う。何に対してか?世間?自分の生まれた環境?それとも別の何か?分からないけど、何かしらに対して鬱積した思いを持つのは若者のあることだし、特に太宰治のような繊細な天才にはそうしたことが重くのしかかるのかもしれない。
猿面冠者
ひとに憩いを与え、光明を投げてやるような作品を書くのに才能だけではいけないようです。(p231)
優秀な成績を収めていながら、「鶴」という小説を書いて酷評されてしまった主人公に対して寄せられた風の便り。良い作品は、才能だけでなく、その作り手の人生経験が滲み出るものだと思う。この文章はそういったことを言っているように思う。そういう意味では、太宰治自身は苦しい生活をしていたけど、今の私たちの胸を打つ作品が多く残されているのは、太宰治の苦しみにどこか共感して自分を重ねる人が多いからだと思う。
逆行
どのようにぶざまな言葉でも、せつない心がこもっておれば、きっとひとを打つひびきが出るものだ。(p253)
見せ物にされるくろんぼを思い少年が思う。人の心を動かすのは巧みな言葉ではなく心持ち。
彼は昔の彼ならず
傑作をひとつ書くことなのさ。(p295)
この本で太宰治は「傑作」という言葉をいくつかの短編で使っている。太宰治にとっての傑作とは。それを一つでも、残すことができたならと狂ったように願い、挫折し、苦しんだ人間の文章が太宰治な気もする。
「小説というものはつまらないですねえ。どんなによいものを書いたところで、百年もまえにもっと立派な作品がちゃんとどこかにできてあるのだもの。もっと新しい、もっと明日の作品が百年まえにできてしまっているのですよ。せいぜい真似るだけだねえ」(p301)
たしかに、ほとんど何の分野においても、既に誰かが何かを成し遂げていて、真新しいものを見つける方が難しい。真似から入るのは当たり前だ。
ロマネスク
世の中はそろばんでない。価のないものこそ貴いのだ。(p322)
次郎兵衛の台詞。かっこいい。
嘘は犯罪から発散する音無しの屁だ。自分の嘘も、幼いころの人殺しから出発した。父の嘘も、おのれの肩じきれない宗教をひとにじさせた大犯罪から絞り出された。重苦しくてならぬ現実を少しでも涼しくしようとして嘘をつくのだけれども、嘘は酒とおなじょうにだんだんと適量がふえて来る。次第次第に濃い嘘を吐いていって、切磋琢磨され、ようやく真実の光を放つ。(p341)
個人的にとても好きなワードセンス。
嘘のない生活。その言葉からしてすでに嘘であった。美きものを美しと言い、悪しきものを悪しという。それも嘘であった。だいいち美きものを美しと言いだす心に嘘があろう。(p341)
これもいい。嘘のない人はいない。
解説
『晩年』について作者自身次のように書いている。 「私はこの短備集の一冊のために、十簡年を棒に振った。まる十箇年、市民と同じ さわやかな朝めしを食わなかった。私は、この本一冊のために、身の置きどころを見失い、たえず自尊心を傷つけられて世のなかの寒風に吹きまくられ、そうして、うろうろ歩きまわっていた。(中略)舌を焼き、胸を焦がし、わが身を、とうてい快復できぬまでにわざと損じた。百篇にあまる小説を、破りてた。原稿用紙五万枚。そうして残ったのは、辛うじて、これだけである。これだけ。(中略) けれども、私は、信じて居る。この短集、『晩年』は、年々歳々、いよいよ色濃く、きみの眼に、きみの胸に滲透して行くにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生れた。(中略) さもあらばあれ、『晩年』一冊、君のその両手の垢で黒く光って来るまで、繰り返し繰り返し愛読されることを思うと、ああ、私は幸福だ。(後略)」(「文芸雑誌」昭和十一年一月号)(p398)
この本一冊を創るためにのみ生まれたと言い切る太宰治。痺れるなあ。
