見出し画像

手押しポンプ浄化装置の掃除 ⑫

母の実家には、今ではほとんど見かけなくなった手押しポンプがあり、ギシギシと鳴る鉄の取手を上下に押し引きすれば、地下から鉄分を多く含んだ水が、勢いよく吐き出された。
この水は、そのままでは飲めない。古くから伝わる木製の浄化装置を通して、ようやく飲用に適した清水となる。
その装置は、長さ一メートル、幅と高さが六十センチほどの、どっしりとした木の箱であった。中には幾重にも重なる砂と棕櫚(しゅろ)の葉。祖先の知恵が詰まった、簡素だが実に理にかなった濾過の仕組みである。
年に一度、その装置を掃除するのが、叔母の役目だった。
叔父はほとんど東京で仕事をしていて、掃除のときは決まって不在。だからその重労働を、叔母が一人でこなしていた。
私はまだ幼く、小さな手では何ひとつ役に立たず、ただ隅でじっと見守るだけ。
しかし、その様子は今も心に鮮明である。
叔母は背が低く、小柄な身体でありながら、驚くほど力強かった。無駄のない動きで砂を鋤き、棕櫚の葉を一枚ずつ取り出していく。その作業を五度、六度と繰り返し、ようやく箱の中は空になる。
それから、手押しポンプを押して水を汲み出し、箱の内側を丁寧に洗い流す。
砂も、棕櫚の葉も、一つ一つ水洗いされてから、天日にさらして乾かし、殺菌される。
太陽の光の下、きらきらと濡れた砂や葉が乾いてゆくのを見るのは、どこか神聖な儀式のようでもあった。
やがてすべてが洗われ、乾き、また元通りに積み重ねられ、浄化装置はその静かな働きを再び始める。
叔母の手は、いつも濡れていたが、その手つきには迷いも力みもなく、どこか誇らしげですらあった。
今思えば、それは「水を清める」という行為以上に、人が自然と向き合い、暮らしを守ってきたひとつの文化であったのだろう。
その装置も、あの風景も、きっともう二度と見ることはない。
あの日、私と叔母だけがいた静かな午後。
水の音と、鳥の声と、そして夏の日差しのなかで、ひとつの時代が確かにそこに息づいていた。

いいなと思ったら応援しよう!