シリーズ:心の物差し(第一回)
幸福の目盛り
――幸せは、誰かと比べた瞬間に、少しだけ見えにくくなる。
幸せには、目盛りがあるのだろうか。
そんなことを考えたのは、
久しぶりに友人と会った夜だった。
駅前の居酒屋は、金曜日らしく少しにぎやかだった。
隣の席では、若い会社員たちが楽しそうに笑っている。
グラスの音。焼き鳥の匂い。誰かの大きな笑い声。
その中で、友人はスマホを取り出して、
最近行った旅行の写真を見せてくれた。
青い海。
白い砂浜。大きなホテル。窓の外に広がる夜景。
写真の中の友人は、どれも楽しそうだった。
「いいなあ」
私は、素直にそう言った。
本当に、いいなと思った。
友人は独身で、仕事も順調そうだった。
休みの日には好きな場所へ行き、食べたいものを食べ、欲しいものを買う。
誰かに予定を合わせる必要もない。
家のことを考える必要もない。自分の時間を、自分のためだけに使える。
「自由って、やっぱりいいよ」
友人は笑いながら言った。
「お前もさ、もっと自分のために時間を使えばいいのに。たまには家族のこと忘れてさ・・・」
悪気のない言葉だった。きっと友人は、
私を気遣ってくれたのだと思う。
もっと楽しめばいい。
もっと自由になればいい。もっと自分を優先すればいい。
そう言いたかったのだろう。
私は、曖昧に笑った。
「そうだね」
そう答えながら、
心のどこかで、小さな音がした。
「カチッ。」
まるで、見えない物差しの目盛りが、
ひとつ動いたような気がした。
帰りの電車で、私は窓に映る自分の顔を見ていた。
少し疲れた顔だった。
友人の写真が、頭の中に残っている。
青い海。
夜景。テーブルいっぱいの料理。楽しそうな笑顔。
それに比べて、私の毎日はどうだろう。
朝起きて、仕事に行く。
帰ってきて、家のことを少し手伝う。休日には買い物に行く。
必要なものをそろえる。家族の予定を気にする。
明日からの仕事の準備をする。
大きなイベントはない。
派手な旅行もない。誰かに自慢できるような写真も、あまりない。
もちろん、不幸だとは思っていない。
でも、友人の話を聞いたあとでは、
自分の毎日が、少しだけ小さく見えた。
まるで、誰かの幸せの目盛りを借りて、
自分の人生を測ってしまったようだった。
自由の目盛り。
お金の目盛り。
楽しさの目盛り。
華やかさの目盛り。
その物差しで測ると、私の毎日は、ずいぶん短く見えた。
「もっと楽しめばいいのに」
友人の言葉が、もう一度よみがえる。
楽しんでいないわけではない。
我慢ばかりしているわけでもない。
それなのに、
なぜか胸の奥に、少しだけ寂しさが残った。
家に着くと、玄関の明かりがついていた。
ドアを開けると、
いつもの家の匂いがした。
特別な匂いではない。
洗濯物の匂い。台所の匂い。少しだけ残った夕飯の匂い。
靴を脱いでいると、奥から声がした。
「おかえり」
ただ、それだけだった。
でも、その一言で、
電車の中で縮んでいた心が、少しだけ戻った。
食卓には、私の分のおかずが残されていた。
少し冷めていたけれど、ちゃんとラップがかけられていた。
「食べる?」
そう聞かれて、私はうなずいた。
電子レンジの音が、静かな部屋に響く。
テレビからは、何気ない番組の音が流れている。
誰かが台所を歩く音。食器が小さく触れ合う音。
同じ家の中に、人がいる気配。
それは、写真に撮るような幸せではなかった。
青い海でもない。
夜景でもない。
高級な料理でもない。
けれど、そこには確かに、
私の心を温めるものがあった。
私は、温め直されたおかずを食べながら、
ふと思った。
幸せの目盛りは、
ひとつではないのかもしれない。
友人には、友人の目盛りがある。
自由に動けること。
好きな場所へ行けること。自分の時間を、自分だけで使えること。
それは、確かに幸せだ。
でも、私には私の目盛りがある。
帰る場所があること。
「おかえり」と言ってくれる声があること。
自分の分の夕飯が残されていること。
誰かのために時間を使えること。
そして、
誰かが自分のことを少しだけ気にしてくれていること。
それもまた、幸せなのだと思った。
若い頃の私は、
幸せというものを、もっとわかりやすいものだと思っていた。
たくさん稼ぐこと。
好きなものを買うこと。自由に遊ぶこと。誰かにうらやましがられること。
そういうものが、幸せの高い目盛りなのだと思っていた。
でも、年齢を重ねるにつれて、
幸せは少しずつ形を変えていった。
何も起きない一日。
家族が無事に帰ってくること。
体調を崩さずに過ごせること。
今日もご飯を食べられること。
明日もまた、いつもの朝を迎えられること。
昔なら見過ごしていたような小さなことが、
今では、ちゃんと幸せの目盛りになっている。
ただ、それはとても静かな目盛りだから、
誰かの華やかな幸せを見たときに、つい見えなくなってしまう。
比べた瞬間、
自分の幸せは急に小さく見える。
でも、本当は小さくなったわけではない。
見えなくなっていただけなのだ。

私は食事を終えて、空になった皿を流しに運んだ。
水を出すと、
冷たい音が小さく響いた。
その音を聞きながら、
私は心の中で、さっきの物差しをそっと置いた。
友人の物差しで測る必要はない。
誰かの自由をうらやましいと思ってもいい。
誰かの楽しそうな生活を見て、少し寂しくなってもいい。
でも、それで自分の幸せを否定しなくてもいい。
私の幸せは、
私の目盛りで測ればいい。
今日、帰る場所があった。
今日、「おかえり」と言ってくれる声があった。
今日、温め直せる夕飯があった。
それだけで、
私の心の目盛りは、静かに満たされていた。
派手ではない。
誰かに自慢するほどでもない。
でも、ちゃんと温かい。
私は、そういう幸せを、
これからは見落とさずにいたいと思った。
幸せの目盛りは、
人によって違う。
だからこそ、
誰かと比べるためではなく、自分の大切なものを見失わないためにあるのかもしれない。
このショート・ショートで伝えたいこと
幸せは、誰かと比べた瞬間に、
少しだけ見えにくくなることがあります。
自由に見える人。
楽しそうに見える人。自分より恵まれているように見える人。
そんな誰かを見たとき、
自分の毎日が物足りなく感じることがあります。
でも、幸せの目盛りは人それぞれです。
誰かにとっての幸せが、
自分にとっての幸せと同じとは限りません。
帰る場所があること。
家族の声があること。誰かが自分の分を残してくれていること。何気ない一日を無事に終えられること。
派手ではないけれど、
そこには確かに、静かな幸せがあります。
この第1回では、
誰かの幸せを見て揺れた心が、自分の日常の中にある幸せをもう一度見つけるまでを描きました。
あなたの幸せも、
あなたの目盛りで測っていいのだと思います。

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