ポケベル、ピッチ、2ちゃんねる。不便さが「熱量」だった僕らの1990年代。
NWエンジニアのしぶYoshiです。
数ヶ月前の記事で、2000年代のインターネット戦記――「着うた」や「足あと」、mixiにWinnyといった、あのカオスで熱かった時代の話を紡いだ。
あの爆発的なデジタルエネルギーは、ある日突然、僕らの前に降ってきたわけじゃない。
画面の向こうのネットの海に飛び出す前、僕らにはもっと泥臭くて、生々しい「戦場」があった。
それが、1990年代のストリートだった。
あの頃を思い出しながら、書いてみます。
ルーズソックスが街を埋め尽くし、G-SHOCKやハイテクスニーカーが一種のステータスだった頃。
アナログからデジタルへと世の中がジワジワと形を変えていく過渡期のなかで、僕たちは何に狂い、どうやって誰かと繋がろうとしていたのだろう。
12桁の暗号に込めた体温 ―― ポケベルの職人技
今のスマホ世代からすれば、「液晶画面に数字しか表示できない端末」と言われても、どうやって会話していたのか、きっと見当もつかないと思う。
1990年代中盤、僕らの通信インフラの主役だった「ポケットベル(ポケベル)」は、まさにその12桁前後の数字という、究極の制限を抱えたガジェットだった。

だけど、当時の若者たちの創造力は、その不便さを軽々と飛び越えてみせた。日本語を数字に置き換える「語呂合わせ」の暗号群を、自分たちの手で作り出してしまったのだ。
084(おはよう)や 49106(至急TEL)は基本中の基本。
ちょっとすれ違いそうになると、お互いに 105216(どこにいる?)と打ち合い、待ち合わせに遅れる相手には 3341(さみしい)と催促する。
そして、胸の奥の甘酸っぱい感情は 14106(愛してる)という5つの数字に託された。
スマホのように位置情報なんて送れない時代。僕たちは渋谷や新宿の雑踏のなかで、これらの数字だけを頼りに、まるで見えない糸を手繰り寄せるようにして、奇跡みたいに合流していた。
放課後の駅前や公衆電話には、きまって長蛇の列ができた。順番を待つ女子高生たちは、頭の中に叩き込んだ暗号表を驚異的なスピードでプッシュボタンに叩き込んでいく。
手元も見ずに「14106##」とボタンを連打するあの指先は、今思っても、圧倒的な熱量が生んだ職人技だった。
やがて 11 が「あ」、12 が「い」というように、2つの数字の組み合わせでカタカナが送れる「2トーン信号」が登場したときのブレイクスルー感といったらなかった。
コマンド表を見ながら、慎重に電話の数字を押す。これを暗記してサクサク打ち込んでいたなんて、今振り返ってもポケベル世代の指先は神業だったと思う。

液晶に「シキユウ(至急)」の4文字が浮かんだときの、あのジリジリとした緊迫感。今のLINEの既読機能なんかよりも、ずっと相手の体温が伝わってくるような気がしたものだ。
「圏外」の不便さを愛した、PHSという僕らの原点 90年代も終盤に差し掛かると、ポケベルの「待つ」時代から、ついに「いつでも、その場で話せる」時代へとシフトしていく。その架け橋になったのがPHS、僕らが「ピッチ」と呼んだ端末だ。
本物の携帯電話は大人がビジネスで使う高嶺の花だったけれど、月額数千円で持てるPHSは、瞬く間に僕らの手のひらに収まった。
自作のパーツでアンテナをカラフルに光らせ、お気に入りの曲の着信メロディを、取扱説明書を見ながらテンキーでシコシコと「打ち込み」した。自分だけのガジェットをカスタムする楽しさは、間違いなくここが原点だった。
ただ、初期のPHSはとにかく「もろかった」。一歩地下に入ったり、電車がスピードを上げたりすると、すぐにブツブツと切れて「圏外」の文字が冷たく光る。技術的に言えば「マイクロセル方式」という、狭いエリアをたくさんの基地局でカバーする仕組みだったからだ。
だからこそ、電柱や街角に設置された、あの4本のアンテナが生えた四角い小さな基地局を見つけるたびに、「インフラが今、この街の通信を健気に支えているんだな」と、妙に愛おしい気持ちになった。
僕たちは電波のバーが一本でも増える場所を探して、よく端末を空に掲げながら、街をさまよっていたものだ。
そんな不便さをエネルギーに変えていた僕たちは、時代の空気としても、どこか「予定調和の退屈さ」を何よりも嫌っていたように思う。

予測不能のリアルと、偏愛が輝いたテレビの黄金期
街中で電波を探し、繋がりを求めていた僕たちが、家に帰って唯一世界と繋がれる窓がテレビだった。
夜、家に帰ってテレビをつけると、そこには今では考えられないほど尖った狂気と知性のエンターテインメントが転がっていた。
たとえば、夕方のゴールデン手前に放送されていた『進め!電波少年』。台本もアポも安全配慮も無視して、タレントがガチで怯え、本当に予測不能の事態に陥っている様子を映し出す、むき出しのリアル。

のちに日本中を巻き込んだ「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」のとき、僕らは今のようにネットで目撃情報を追うこともできず、週に一度の放送を、彼らがまだ生きているかを確かめるようにして、祈るように見守っていた。
あの、テレビの向こうと自分が地続きになっているような一体感は、凄まじいものがあった。
一方で、夜中に放送されていた『カルトQ』というクイズ番組の存在も忘れられない。
ゲーム(それこそセガサターン縛りなんて回もあった)やインディーズ映画、YMOといった、特定の超マニアックなジャンルの知識だけを競う番組だ。

出題される問題は、一般人には1ミリも理解できない狂気レベル。
だけど、それをコンマ数秒の早押しで正解していく挑戦者たちは、誰よりも輝いていて、最高に格好よかった。
それまで「マニア」や「オタク」と少し後ろ指を指されていた人々が、その圧倒的な偏愛ゆえにスポットライトを浴び、ヒーローになる。
あの番組は、のちのインターネット社会における「専門特化型サイト」や「インフルエンサー」の先駆けであり、90年代の知的サブカルチャーの金字塔だったと思う。
画面の向こうのテレビは、台本なしのリアルにハラハラし、自分の愛するマニアックな世界を全肯定してくれる知性に胸を熱くさせてくれた。
小さなシールに張り付いた、僕たちの青臭い自意識
そして、90年代のストリートを語る上で、絶対に外せないもう一つの主役が「プリント倶楽部」、通称「プリクラ」だ。
1995年、ゲームセンターの片隅に突如として現れたあの魔法のボックスは、それまでの「写真を撮る」という行為の概念を根本から覆してしまった。
それまでは、修学旅行や家族旅行など、特別なイベントのときに大人がカメラを構えて撮るものだった写真が、僕たちの日常の、何気ない放課後の風景へと一気に引きずり下ろされた。
狭い筐体の中に、友達や恋人とぎゅうぎゅうに押し込まれ、制限時間内にポーズを決める。
今のような「盛る」技術なんてまだなくて、照明が少し明るくなる程度だったけれど、それでも自分たちの姿がその場でシールになって出てくる体験は、とてつもない衝撃だった。

手に入れたシールは、ノートや手帳、そしてお互いのポケベルやPHSの裏側にこれでもかと貼り付けた。言葉だけじゃない、自分たちの「今この瞬間」を切り取って、誰かと共有し、手元に残す。

電波を探して街をさまよった、あの不便で、だけどどうしようもなく熱かった日々。
そして画面の向こうの文字に一喜一憂し、誰かの幸せを祈ったあの夜。
あの小さなシールの一枚一枚には、僕たちの青臭い自意識と、誰かと繋がっていたいという純粋な熱量が、文字通りべったりと張り付いていた。
それらすべてが、間違いなく、いまの便利なデジタル社会を支える、僕たちの原点なのだ。
画面の向こうの「名もなき者たち」が起こした、純愛の奇跡
手のひらの中の通信は、限られた文字数や届かない電波という「制限」の中で、自分の熱量次第で誰かと繋がれるワクワク感に満ちていた。
どこに行き着くか分からないけれど、自分たちの手でいくらでも世界を面白がることができた。
あの90年代のストリートで培った、不便さを楽しむマインドがあったからこそ、僕たちは2000年代に幕を開ける、あのインターネットの大海原へと、迷わず全力で漕ぎ出すことができたのだろう。
そうして迎えた2000年代初頭、テキスト主体の掲示板「2ちゃんねる」から、ストリートの熱量をも凌駕する、ひとつの壮大なドラマが生まれた。のちに書籍化やドラマ化され、社会現象となった「電車男」だ。
アキバ系の冴えない男が、電車内で暴れる酔っ払いから女性を助け、お礼にとエルメスのティーカップを贈られる。
恋愛経験ゼロの彼は、その一部始終をネットの掲示板に書き込み、アドバイスを求めた。
今のようにSNSで個人が簡単に発信できる時代ではない。
そこに集まったのは、かつてサブカルチャーの片隅で息を潜めていたような、顔も名前も知らない「名もなき者たち」だった。
だけど、彼らは「電車男」の不器用で純粋な一歩を、決して冷笑しなかった。
デートの服選びから、お店の予約、告白のタイミングまで、まるで自分のことのように知恵を絞り、夜を徹して熱いエールを送り続けた。
文字だけがスクロールしていく無機質な画面のはずなのに、そこには間違いなく、かつて駅前の公衆電話で必死にボタンを連打していた女子高生たちと同じ、あるいはそれ以上の「圧倒的な体温」が宿っていた。

かつてマニアックな世界を全肯定してくれたテレビの熱量と、不便な12桁に必死に想いを込めたポケベルの遺伝子は、こうしてインターネットという新しい戦場で、顔も見えない数千人の絆として結実した。
誰かが一歩を踏み出すために、見ず知らずの他人が本気で応援する。あの「電車男」が紡いだ奇跡こそ、僕たちがストリートからネットの海へと漕ぎ出し、最初に手にした最高の宝物だったのかもしれない。
長文ですみません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
お手隙の時にでも、こちらもご覧いただけたら幸いです。
いいなと思ったら応援しよう!
もし、少しでもおもしろい・役に立つと思っていただけたら、
そっと応援してもらえると、とても励みになります。