私はどんな看護師だったのか|その2(完)
入職して、しばらくしてから配属先が発表された
そこは精神疾患と身体疾患を合併した患者さんが入院する病棟だった
今なら分かるが、精神疾患だけより、ずっと難易度が高い
新人看護師に処置一般を経験させようという
病院からのありがたい情けだったのである
同じ病棟に配属された同期がもう一人いたが
早々に内科の医者と結婚し離脱していった
いつ院内恋愛などする暇があったのだろうかと思ったが
その頃の院内はけっこうドロドロしていて
面白い話がたくさんあった
私も結婚・出産・育児をはさみ
そして、復帰した
職場からやれと言われたことは全部やった
異動も、委員会も、指導も、研修も
育児に支障がなければなんでもよかった
が、そういうわけにはいかなかった
両方の祖父祖母、叔母、友人、ベビーシッター
皆まだ若かったので、呼び出して、使える人はなんでも使った
初孫だった息子はとても可愛がられた
やっと小学校に入学した
小学校3年生の終わり、選択する時がきた
中学受験をするか、しないか、である
どう見てもインドア派だった息子を見て
良い環境に身を置けば伸びるのではないかと思った
重課金時代の始まりであった
受験に加えて、稼ぐことが命題となった
3年間、中学受験に費やした
ストレスで私は突発性難聴になったが
受験は全勝という結果だった
息子スゴイ
ここで私は気づく
息子の志望校のレベルには釣り合わない量の勉強を強いてしまった
鬼のような母であったであろう、これは今も息子に申し訳ないと思っている
SAPIXという魔界は恐ろしいところだった
その後も重課金時代は続いた
あれこれ、とにかくお金がかかった
大学受験が近づいても、ゲームに熱中し、息子は謎の余裕をかましていた
自称進(中堅私立が進学校を名乗る事)にありがちだが、学校も優秀な子達が複数の合格実績をもぎとってくるため、底辺への進学指導は適当だった
じゃんじゃん一般入試を受ければ、どこか引っかかるでしょうという
無謀な受験計画であった
受験料は1校35000円が相場である
何校受けたかは…思い出したくない、早稲田とか本当に無駄だった(笑)
この数年前から私立大学の一般入試の合格者数厳格化が始まっており、ボーダーライン上の成績では合格が難しくなっていた
何校受けても合格の知らせが来ないため、息子に
「どうするの?」
と聞いたら泣いてしまった、あの時はすまんかった(笑)
受験案内を開いて、今から受験できる所を探して
良く分からぬまま受験した大学に合格した
自宅から遠かったし、志望校でもないため、浪人して国立に行ってほしかったが
「浪人は嫌だ」
と言うことで
自宅から遠い、私立の理系に行く事になった
最重課金時代の幕開けであった
途中、息子のメンタルブレイクをはさみ
モラトリアム時間を延長したため
普通より卒業に時間がかかったが
今春、晴れて卒業・就職をした
とたんに、私がメンタルブレイクである
そんなこんなで、あなたの看護観は?これからのビジョンは?と聞かれても
病院の駒として、言われた通りに働きそれなりの結果を出してきた
わがままも言わず、大きな事故も起こさず、使い勝手の良い職員であったと思う
お金を稼ぎ続けることが至上命題であった
勤務表通りに出勤できれば花丸としてほしいぐらいのことしか思いつかない
家庭と仕事の両立で、出世とか、スペシャリストになるために勉強するなんて
考えている暇がなかった(もちろん、それを両立している人もいる)
自分軸がなさすぎるとも言える
自分の職業である精神科看護師という仕事に集中できるようになったのは
息子に手がかからなくなった、ここ数年のことである
自分の得意な事も見えてきて、やりたい分野もあった
ただ、大きな病院の中では自分の希望は通らない
やりたいこととずれてるなぁ
夜勤もそろそろ辞めたいな
でも、周りの先輩は、そこら辺を飲みこんで上手く働いているように見えた
現実として、転職しても、これ以上の給料を得られない
働き続ければ、生活や老後は安定するしな…
ここら辺をグルグルとしながら
ぼんやりと50歳になるまでには、なんらかの答えを出そうと考えていた
重課金時代が終わり、自分のやりたい事ができると思っていた矢先に
大穴にハマるとは思わなかった
人生の凸凹は良くできている
一度、病名がついてしまうと
私が「〇〇がやりたい」と言っても
職場はリスクを嫌うため、希望が叶う可能性は低い
当たり障りのない部署に一時的に置かれるか
逆にハードな部署に置かれて、辞めるように仕向けられるかもしれない
細々と積んできたキャリアも崖っぷちである
