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【小説】帳がおりる 第12話(竹中すばる編)【最終話】

 起きたらまた夕方だった。
 起きたらまず最初にコーヒーを一杯飲むことに決めている。僕は、コーヒーは全然好きじゃない。というか、はっきりと嫌いなほうに分類できる。……うん、だって苦いじゃない? オレンジジュースのほうが百倍おいしいに決まってる。だけど、コーヒーの苦味が電気のように口の中に広がると、細胞が刺激され、強制的に脳にブーストがかかる感がある。だからイイ。なので、僕は、コーヒーは苦ければ苦いほうが良いと思っている。
 これは、いわゆる僕のモーニングルーティンだ。……モーニングルーティン? モーニング? 時計をみる。十六時。……まあ、今がモーニングかどうかはおいといて……。

 コーヒーのあと、ちょっと間、ソファでスマホをいじっていたら、玄関が開く音がして、さめちゃんが帰ってきた。「ただいま」と彼女は靴を脱ぐ。

「おかえりー」と僕は返事した。「雨、降ってなかった?」

「んー大丈夫」

「夜はかなり降るらしいよ」

「そうなんだ」と答えて、さめちゃんはキッチンに入った。買物袋を対面式カウンターの上に置く。買ってきた食材を“今日使うの”と“冷蔵庫行き”とに仕分けしていく。その途中で、「あ……」と彼女の手がふいに止まった。

「どした?」カウンター越しに僕はきく。

「……うそ……信じらんない……。カレーのルー買うの忘れた」

 どうやらカレーの具だけ買ってきて、肝心のルーを忘れたらしい。

「ルーがないカレーは、さすがにカレーとは呼ばないんじゃないかなぁ」

「買ってくる……」

「僕が行こうか?」

「んーん、大丈夫」

「そぉ?」

「すばるは仕事でしょ? 今度の仕事、納期がタイトだって言ってたじゃん」

「よゆーよゆー。スーパーに行く時間くらいは、さすがにありますよ」

「いいいい。忘れた私が悪いんだし」

「どしたん? らしくないじゃん」

「らしくないって?」

「いやぁ、まあなんとなく」

「私らしいってなに? 私だって買い忘れくらいするよ」

「そりゃまあそうだろうケド。あーそれかさ、カレーは明日にして、適当になんかデリバリーでもします?」

「なんで? 買ってくれば済む話じゃん。私、行くって言ってるじゃん」

「…………」

「…………。とにかく私、ちょっと行ってくるね」

 そう言って、さめちゃんはカウンターの財布を掴んだ。その拍子に、腕が買物袋にぶつかった。
 あっ、と思ったときには遅かった。倒れた袋から抜けだして、卵が落ちた。ぐしゃっ、と床で嫌な音がした。

「あーー……もおぅ……」さめちゃんはその場にしゃがみこみ、丸まるようにちっちゃくなった。

「ありゃりゃ。ついてないねー。どいて、僕が片づけるから」僕はさめちゃんの後ろに立った。

 が、リアクションがなかった。

「……もうヤだ」と蚊の鳴くような声。

「そんな……。別に卵割れたくらいで……。ほら、立って。…………。……んん? ……さめちゃん、きこえてる?」

 俯いたまま、彼女はこう言った。「あとでやる……。ごめん、悪いけど、しばらくほっといて。お願い。ちょっと一人になりたい」

「………………。わかった」と僕は返事した。「部屋で仕事してるから。何かあったら、いつでも呼んで」


 部屋に引っこんで、仕方なく、僕は仕事した。スケジュールされていたクライアントとの打ち合わせも円滑に終了し、オンラインの画面をオフにする。一区切りついて、僕は「んー……」とチェアの上で伸びをした。ドアの方向に視線を移す。

 あれから二時間近く経っている。その間、さめちゃんの声を一度も聞いていない。ドア一枚を隔てたむこうにはいるのだろうが、テレビの音もきこえてこない。
 ……絶対、今日なんかあったな……。それは間違いないと思うけど、さめちゃんが自分から話したがらないときは何を言ってもムダだ。経験上、僕はそれを知っている。
 まー、とはいえだ。放っておくのも心配だなぁ。立ち上がり、僕は部屋をでた。
 さめちゃんの姿はなかった。電気もついていなかった。どうやら、寝室のほうにいるらしい。扉をノックしようか迷ったが、もしも寝ているんだったら起こしてしまう。やめて、僕はソファに腰をおろした。
 窓の外が、すっかり暗い。降りだした雨は、もう豪雨に成長していて、窓を叩く雨音だけが、夜のしじまに対抗していた。
 すぐに仕事に戻る気にもなれずに、テレビをつけた。一週間ぶんの天気予報をやっている。来週の今日は晴れるらしい。
 新しい家に二人で暮らし始めて、早三ヶ月……。来週は、僕たちの結婚式だ。
 突然、カーテンの隙間が白く光った。
 地面に鉄の塊が衝突したような振動が、部屋を揺らした。
 轟く雷鳴。
 真っ暗になった。一瞬で、何もみえなくなった。

 ドアが開く音――。「すばる?」

 寝室の方向だ。さめちゃんの気配をそこに感じた。

「起きてたの?」と僕はきく。

「うん。……ねぇ、これ停電?」

「みたいだね」と僕は頷いた。「ちょっとブレーカーみてくる。さめちゃんは危ないから動かないで」

 足元に気をつけながら、僕は玄関のほうまで歩いていった。

「……あれ?」

「……どうしたの?」と遠くから、さめちゃんが。

「ダメだこれ、ブレーカーじゃないワ……」

「えっ、どういうこと?」

 引き返して、僕は、今度は大きな窓の前まで移動した。

「ちょっと、」

「大丈夫。窓を開けたりはしないよ」言って、僕はカーテンをずらして外を覗いた。「すご……。見てみ、さめちゃん」

 僕の隣に並んで外の様子を見たさめちゃんが、息をのむ。

「大停電だよ」と僕は囁いた。

 町には灯りが一つもなかった。ただの一つも……。見渡す範囲全部が、今、停電していた。

「さっきの雷のせいだろね」僕は言う。

 トバリの世界になって以降、夜は出歩く人がいないから、元々この時間帯は、自販機の光や信号機の色さえも町にない。加えて今は、本来あるべき灯りも一切合切失われ、町は、完全に、沈黙していた。
 雨のせいで、夜空の星もみえない。文字どおりの暗闇が広がっていた。

「なんか怖い……」とさめちゃんが呟いた。

「まるで世界が終わったあとみたいだねぇ」

 二人とも、自然とヒソヒソ声になっていた。

 とりあえず灯りが必要だ、と僕は思った。スマホのライトを頼りに、即席のペットボトルランタンを僕は作った。垂直に立てた懐中電灯の上に、水のペットボトルを置くだけの簡単な工作だったけど、懐中電灯のビームが水で乱反射されて、照らす範囲が外に広がる。部屋の壁の輪郭が、ぼんやり浮かび上がった。

「よくこんな方法、知ってたね」

「前にテレビでみたのを思いだしたんだ」と僕は答えた。

 僕たちはソファで肩を並べて寄り添った。天井と壁に、ペットボトルの水の影が投影されている。まるで海のなかにいる気分。海の底で、珊瑚のようにひっそりと泡のような呼吸をしていたら、停電にもいくぶん慣れてきて、徐々に緊張がほぐれてきた。

「私、小説、落ちちゃった」と、さめちゃんがぽつりと口にした。

「……そう」

「雑誌の今日発売の号で、一次選考の結果発表だったんだけど。買い物行く前に本屋に寄って、立ち読みしてね……。私の名前、なかった」彼女は黙って、それから「ごめん」と言った。

「謝るようなことじゃない」と僕は返した。

「きみには帰ってすぐに報告しないと、と思ったのに……。なんか言えなかった」

「……うん」

「さっきは、困らせてごめんね。……怒ってる?」

「怒ってないよ」

「私、やっぱり才能ないのかな。私よりもすごい小説を書く人なんて五万といるし、頭ではわかってるよそんなコト……。でも……。わかっていたはずなのに、私、思ったよりもショックだったみたい。自分がこんなに落ちこむなんて思ってなかった。私、思ってたよりも自分に期待してたんだね。本当は、一次選考くらい通過するはずって、心のどこかでは思っていたのかも。仕事もやめて、今度のは時間をかけて本気で書いたつもりだったのに……。あれが、私の全力だった」

「また次、がんばればいいよ」

「んー。でも……。私、もう二十五だし」

「だからなに? 答えをだすにはまだ早いと思うよ? 僕は好きだよ、さめちゃんの小説」

 さめちゃんは僕の肩に、ころん、と頭を預けた。

「すばる。ねぇ、充電させて」

 ん、と僕は返事した。肩に腕を回して抱き寄せる。

 さめちゃんのつむじは、いつもヴァニラクッキーみたいな甘いにおいがする。本人には言ったことがない僕だけの秘密だけれど。

「さめちゃんは、どうして小説家になりたいの?」 

「んん?」

「いや、そういえば、今まできいたことがなかったなぁーと思って」

「うん。誰にも話したコトないし」

「きかせて。知りたい」

「…………笑わない?」

「笑わないよ」

 さめちゃんは少し身体を起こして僕から離れた。「この世界はさ、どーしようもなく不条理で、悲しい出来事がいっぱいだから。今この瞬間もどこかで悲しみを抱えている孤独な人たちに、そっと手を差し伸べられたらいいなあって……。私は、文学で、世界を明るくしたい」言って、さめちゃんは照れて頬を赤くした。

「笑わないよ」と僕はもう一度囁いた。「大丈夫。また次がんばろ、美夜」

 さめちゃんがカッと目を大きく見開いた。右のストレートが僕の肩に飛んでくる。

「痛った! なんで殴った? なんで殴ったの?!」驚きで僕は飛び退いた。

「今どさくさに紛れて、私のこと、美夜って呼んだでしょ? 下の名前で呼ばないで。知ってるでしょ、私が名前で呼ばれるの嫌いだってコト。だって名前、美夜だよ。美しいに夜で美夜。夜が美しいって、どんだけ不吉な名前なのよ」

「しかたがないよー。あなたが生まれたときには、まだトバリは起きていなかったわけだし。でもさ…………下の名前ダメ? だって、僕たち、来週には結婚するんだよ?」

「結婚ねえ……」

「え」

「私たち、この先ほんとにうまくいくのかなぁ」

「えー今言う?」

「なんか自信なくなっちゃった」

「えええーーっ……」

「すばるは? 不安じゃないの?」

「僕? んー、そうねぇー……。この先、全部が全部、うまくいく保証はないけどさ。ていうか、まー多分、うまくいかない日もそれなりには出てくるよ。けど、うまくいく日もそうじゃない日も、病めるときも健やかなるときも、ぜーんぶコミで楽しんでいけばいんじゃねって僕は思うケド?」

「ふうぅーん」

「んで?」

「ん?」

「ん、じゃなくて、さっきの質問。まだ答えきいてない」

「なんだっけ」

「だからぁ、これからは本名で呼んでも良いですか、って話」

「………………。一旦保留で。」


× × ×


 朝日が顔をのぞかせたのと時同じくして、町は停電から復旧した。雨もあがって、窓の外には、いつもと同じ朝が広がっていた。

 雨の跡が残るベランダに立ち、僕は「んー」と大きく伸びをした。

「ねむ……」とあくび混じりにさめちゃんが。「なんか長ーい夜だったね。もう一生、朝が来ないのかと思ったよ」

「ないない。 明けない夜はないからね。朝は必ずやってきマス。……あぁーおなかすいた」そういえば、昨日から何も食べていないんだったと思いだした途端、相槌みたいに、おなかが鳴った。

「せっかくだから外に食べに行きますか。この近くに、おいしいサンドウィッチのカフェがあるみたい。いつか、すばると行きたいと思ってたんだよね」

「へー。いいねぇ。メロンソーダもあるかな?」

「メロンソーダ?」

「うん。お店のメロンソーダって、おいしいじゃん」

「そうなの? 私、飲んだことないかも」

「うっそん。それは人生の半分損してるよ」

「言いすぎだよ。ていうか、私、普段、カフェではコーヒーしか飲まないからなぁ」

「僕、コーヒーあんまり好きじゃないからなぁ」

「ええっ、そうなの?!」

(了)


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