灰色の顔をした猫たちの話(7)
七月に入るとすぐに新型コロナの第五波が、下旬には予期よりも早く例の酷暑が訪れた。もう二週間程度は待てたかな、という気がしてこなくもないのだけれど、四月以来の精神状態からするとむしろぎりぎりに近い時機だった、よく動いた、という話にしておいてたぶんいいのだろう。ひたすらに加速中だとしか見えない国の衰退、海の外から伝わってくる陰惨なニュース等々も重い気持に輪をかけていた。もしかすると順序はその逆だったのかもしれないが。
しんどいときに限って立ち戻ってきたがるのがもう処理済みのはずの記憶というもので、何十年も前のあの人、この人の死の前後の記憶、上の姉の死をめぐる多少難儀な記憶の類いまでが押し寄せてきて、さらに事態をややこしいものにしてくれた。
我が家には父の出征後に大連で生まれ、帰国してほどなく死んだと聞く姉がいた。長いあいだ、ある意味ではい続けたと言ってもそう嘘ではないはずだ。人が振り返るほどに美しかった、賢い子供だったとも幾度となく聞かされた。母の心を推し量り過ぎていた私、幼かった私の方にここは義理を立て、あらためてまた推し量りはあえてしないが、
(猫でこれだもの、ヒトの子ならどんなにか……)
とはそれでも思わずにはいられなかった。
記憶が薄れていくことを自分に許したくはない。人にとくにそう感じさせる死者もたぶんいるのに違いない。たとえばその死の時期が不適切だったと思える場合、あるいは、その生前をよく知る者が自分自身のほかにはいないといったような場合には。その種の死者はまた、かつていた位置にほかのだれ一人としていさせたくない、ととくに強く感じせる死者であったりもするのかもしれない。姉の写真を目にした人が生きている方の姉と見比べて、あらそっくりねと言いでもすれば、似ていないわよ、まるでと言下に母が答える。そんなやり取りを一度ならず私は耳にしている。
そっくりではたしかになかったものの、二人の姉たちは、どちらもが母の一族の顔ではあった。そして今から思えばではあるのだけれど、父も父似の私も含めた家族の全員があきらかに南方の顔、九州顔と昨今なら呼ぶ類いの顔立ちではなかったか。べつの土地の人たちからすれば、四人ともがそう大差のない顔と見えていたとしても不思議ではない。人がそっくりねと言いでもすれば、ううん、目がまるでなどとつい言いかけはしていたにしても、同じロシアンブルーの二匹の猫たちが実際にはそれなりに似てもいたように。
なにも起きはしなかった、もとの通りなのだ、あれもこれもと思いたがっていた。ではないことの証拠と映ったものにときどきは苛立ちもした。たぶんまあ、そんなことだったのだろう、しばらくのあいだは。猫用トイレはさすがに新調したが、例の小鉢はそのままに残していたし、名前に関していえばさらにひどかった。アビシニアンでという前提で決めたトラという名が消えてから、新たに候補に上がった名前には「ハ」から始まるハルやハチ、ハクに混じって花そのものまで含まれていたのだから。
十日間という──私にしては──ひどく長い逡巡ののちにつけた名は、『富士日記』『日々雑記』にたびたび登場する三毛にちなむものだった。
拾ってきたのが武田家の一人娘の花だったのも、丈夫で長生きをした、大往生だったというのも大いによかったが、なんといってもそのキャラクターが近そうだった。(ヒトの方の)花の足元に駆けよってきてすりすりという初対面での態度にしても、連れて来られた家でも物怖じはせず、なんでもよく食べてというあたりも似ているのでは? この新入りと。連れて帰った日のことを思い起こしてみて私は思い、由緒あるその名前にあやかることにした。
なにしろ……、まだ名無しだったその猫の子がキャリーから出てきてまず最初にしたのは大あくび。次に小鉢の水を飲み、夕方にはやはり小鉢のエサをガツガツと食べて、部屋の半分程度を探索し終えると、大も小もその日のうちにごく普通にしてしまい、
(ここまで違うのか、猫と猫でも)
と、そう大袈裟にいうのではなく私は心底驚いた。先代はといえば、とりあえず入れたケージからはなかなか出てこないまま、すぐには水しか飲みもせず、小は翌日の午後、大は二日後の夜になるまでせずにいて、新米の飼い主の顔を青ざめさせている。そう、ブリーダーに朝早くの電話まで入れたものだった、あのときはと思い、これも小声でいえばだが、シャイだった先代をあらためていじらしく、懐しくも思ったりした。
ケージはとっくにもう粗大ゴミに出していたから、段ボールで新たに作った寝床を足元近くに置いて寝た。それからの行動もずっとケージにい続けた先代とは正反対だったと言ってよかった。この新入りは明かりを消すとほどなく布団にもぐり込み、当然のように背に小さな体を押しつけてきたのだ。
(なんと、まあ)
パジャマ越しに伝わってくる体温に息を半ばは呑んだまま、ここで寝ては惜し過ぎではないか、などと思ったわりにはことんとすぐに寝て、明け方近くまでは目を醒ましもしなかった。猫はやはり不眠には効く生きものなのらしく、私はまたしてもひきあてたということなのらしかった。
(しかも、この順番で……)
もしも逆なら、花独特のあの距離感を懐いてくれていないものと誤解をしたか、少なくとも幾分かはものさびしく感じていたはずなのだから。
とはいえ上記の理由から、しばらくのあいだは迷走に似たものが続いたのだった。猫には猫の仲間がいた方がいいのではないか、と突然思いつき、ミックスの(アビシニアン系の!)雄の仔猫をお試しで連れてきてみたりもしたし、私自身が化学物質過敏症を発症すると、今のうちに手放した方がいいのかもなどと思い込み、一旦は姪のもとへと預けてみさえした──雄猫は玉が瞬時に撃退し、私の体調の方もなんとか落ち着いて、結局はもとの一人と一匹に落ち着きはしたのだけれど。
でもまあ、そんなこんなのごちゃごちゃも二年目の初夏が近づく頃までのこと。別々であるべきものたちはそれぞれにあるべき位置へと戻り、いらない昔の記憶とともに花の面影も始末に困るほどにはちらつかなくなって現在ニ至ル。未熟だった飼い主は、過度には間合いを尊重し過ぎない方がいい猫もいることをようやく学び、満足したらしい新王女のしつこい噛み癖もそれにつれて治まって、めでたしめでたし。「そして、幸せに暮らしました」のあとには惚気に似た話以外そう大して書くべきできごともない。
ささやかなこの幸せをせめて守るべく、ときどきはペンライトを片手にデモに行っては疲れ果てて帰り、各種の署名や募金にはもっと頻繁に参加もするが、半年よりも先に起きそうなさまざまのことは今は考えずにいるし、いつかは空くに違いない玉の形をした穴についてもやはり考えない。暇に飽かせて私が考えるのは、半年よりももっと前のこと、持ち重りのし過ぎない昔のことに関してで、
(チビではなかった? 早野家の三毛の名は)
どうしてか不意に思い出してみたり、聞きたかったな、早野さんにと考えてみたりもするのだ。もしかして似ていた? チビは玉にもと。
