スローライフとタイパとプンクリと
いつの間にか効率という言葉が嫌いになってきた。みんなが努力して、効率化を果たしたからこそ、多くのものが安価で手に入れることができる世界に変わった。不断の努力の賜物だ。
そしてタイパという言葉が気がつくと普通の言葉になった。
その言葉の裏に、時間に追いまくられて生きる、それは回転遊具を回し続けるネズミのような生活をしている人を僕は想像してしまい、そこに幸せを感じないのだ。
タイパでバイトをして、移動の時間にはスマホでゲームをして、家に帰ってもテレビやスマホの画面をみて過ごす。知らぬ間に社会や企業に飼い慣らされている家畜を見てしまう。
如何に早くコストをかけずに行うこと、そして利益を出すことが第一になってしまった社会は悲しい。そこに人の幸せという価値が存在する余地はない。
会社を辞めて、それでも幾つかの仕事を受ける中で、一手間かけることが普通になった。
下手な仕事をしたら信用を失うからということもあるが、今自分ができるベストの仕事をしただろうかと考えるようになった。
3時間の賃金で請け負った仕事にじっくり10時間をかける。と言っても、時間が多少あるせいか、それも数日かけながらの10時間である。
その間に、庭木の手入れやペンキ塗りや家屋の修理などをしながらだから呑気なものである。
春になれば、野いちごを摘みに行ったり、ヤマザクラを見に行ったりと忙しい。
人生の残り時間が少なくなってくると、いい仕事をしたいという思いが強くなるものの、それは効率的ではなくて、じっくり納得がいくまで時間をかけることになる。
料理に一手間かける。ゴミを捨てるに際して、一手間かける。
すると時間の流れを感じることができて、心が豊かに、幸せに、プンクリしてくるのだ。
今日は、ハセツネ30kというトレランの大会に参加するため、電車で2時間をかけて会場に向かっている。
車窓から見える桜は満開だ。
春の陽にゆっくりと時間を人生をひと手間かけて生きるのも良いものだと感じられることが幸せなのかもしれない。
みやまるうん
