いきもの ~世界の愛おしさ~
(この記事は盛岡教会教会報「不来方から」2020年7月号に掲載された巻末エッセイの加筆修正版です)
高松の池
盛岡教会のすぐ近くに「高松の池」という景勝地があります。
もともと南部藩が整備した城下町北方のため池だったようで、現在は白鳥をはじめ、多くの水鳥たちの越冬地として親しまれています。
ここには、長いこと住み着いているアヒル一家(※残念ながら数年前に姿を消してしまいました)、渡りをしないカルガモをはじめ、ヒヨドリやシジュウカラなどの小鳥たち、キジ、カラスやトビなどの大きな鳥、あるいはコイやフナ、カメやネコなど、実に多様な生き物たちがそれぞれのんびりと暮らしています。
彼らを見ただけでも、生き物たちの多様さや生態の面白さに驚かされますが、世界にはもっとたくさんの生命が溢れています。
聖書に登場する動物たち
さて、聖書では、実はかなり多くの箇所で生き物について言及されています。
ノイ(ノア)の箱舟にはあらゆる獣と鳥たちが乗り込んできました。
103聖詠(詩編104)では色々な生き物たちの命の営みの様子が描かれています。
恐ろしいクマも出てくるし、預言者に食べ物を運んでくるカラスもいます。
私が個人的に好きなのは喋るロバ(何のことか気になった人はぜひ聖書を開いて調べてみてください。ヒントは民数記)。
生き物に名前を付けるということ
そもそも人間が創造されて最初に行った仕事は、この世の生き物たちに名前を付けることでした(創2:19)。
神がアダムの前に生き物を連れてくると、アダムは彼らにそれぞれの名前を付けていきました。
名前を付けるということは、その対象と深く関わり、愛するということです。
正教会では、人間は世界を愛し、守り、神と世界を繋ぐものとして創造されたと考えます。私たちが動物を慈しみ、ただ眺めているだけで気持ちが満たされるのは、もしかしたら人間が本来持っていた役割の本質に関わっているからなのかもしれません。
聖人と動物たちの暖かい関わり
思えば正教会の聖人伝でも、動物たちと特別に親密な関係を持った人々のエピソードが数多く伝えられています。
ライオンの足のとげを抜いて以来、彼と仲良くなった聖ゲラシム。
聖イエロニム(ヒエロニムス)にも同様のライオンと仲良くなった話があります。
またサーロフの聖セラフィムは森の動物たちと親しかったと言われています。
西方教会の聖人ではありますがアッシジの聖フランチェスコも小鳥や獣たちに主の福音を語り聞かせたことで知られています。
神の栄光に近づいた人間は、おのずと動物たちとの本来の関係も取り戻していくのかもしれません。
おわりに
自分自身をこれらの聖人たちと比べるなど、とてもおこがましくてできません。しかしそれでも私自身も動物たちともっと仲良くなりたいものだと秘かに思っています。
今度高松の池を散歩される時は、そこに生きる生き物たちの命の営みに、少しだけ温かなまなざしを向けてみてはいかがでしょうか。
