学んだことが残る人は、学ぶ前に"使い道"を決めている
新しいことを学んでも、しばらくすると何も残っていない。
そんな経験は、ないだろうか。
本を読んだ。
講座も受けた。
そのときは「なるほど」と思った。
なのに一週間後、何を学んだのか思い出せない。
「もう歳だから、覚えられない」。
そう片づけてしまう前に、一つだけ書いておきたい。
学んだことが残るかどうかは、
覚える力ではなく、"使い道"を先に決めていたかで決まる。
講師業37年、受験生を見てきて、そこだけははっきりしている。
覚えるだけでなく、入試問題を解けるようになる。
”使い道”を決めているから学んだことが身につく。
「覚えられない」の正体
まず、犯人を取り違えないでほしい。
50代になって学びが残らないのを、
私たちはすぐ「記憶力が落ちた」で片づける。
でも、落ちているのは記憶力じゃない。
学ぶことそのものが、目的になっているだけだ。
「賢くなりたい」
「教養をつけたい」
その動機は立派だけれど、
輪郭がぼやけている。
脳は、ぼやけた目的の情報を
"本気で捕まえるもの"だと判断しない。
思い出してほしい。
試験前の一夜漬けが、なぜか頭に残る。
あれは記憶力が高いからじゃない。
「明日、使う」という出口が、
はっきりしているからだ。
残る学びと、消える学びの違い
37年、教室で同じ景色を何度も見てきた。
同じ授業を、同じ時間だけ受けても、
吸収する子としない子がいる。
差は、頭の良さじゃなかった。
志望校が決まっている子は、速い。
「その大学で、これを学びたい」まで見えている子は、
授業の一つひとつが自分の道具になっていく。
一方で、「なんとなく成績を上げたい」子は、
同じ90分を使っても、翌週には薄くなっている。
学びは、出口に引っぱられて定着する。
出口のない学びは、その日のうちに蒸発する。
残せる子と残せない子を分けていたのは、
記憶力ではなく、そこだけだった。
学ぶ前に、使い道を一つ決める
これは、教える側の私自身にも起きていたことだ。
私は長いあいだ、模試の問題や解答解説を書く仕事も担ってきた。
同じ資料を読んでも、「これを、どの生徒に、どう渡すか」を先に決めた日は、頭への残り方がまるで違った。
出口を決めるのは、学ぶ量を増やすことより、先だった。
だから、順番はこうなる。
何を学ぶかを探すより前に、一行でいい。
「これで、自分は何をしたいか」を書く。
それが、学びの出口になる。
覚えるための時間を、自分の目的のほうに従わせる。
これは記憶術じゃない。
学ぶ時間の主導権を、自分の手に握り直す話だ。
最後に、一つだけ。
いま、学びたいことを一つ思い浮かべてほしい。
その隣に、「これで何をしたいか」を一行だけ書いてみてほしい。
覚えようと、力まなくていい。
使い道が決まった学びは、勝手に残っていく。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
スキ・コメント・フォローをいただけたら、とても励みになります。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします。いただいたチップはお役に立てる記事を書くために使わせていただきます。