情報なんて全部ゴミの時代。そのゴミを燃やしてアクセスを集めた先で、クリエイターがすべきこと。
「とりあえず、記事を量産してアクセスを稼がなきゃ。」
「AIを使えば、それっぽい情報はいくらでも作れる。」
2026年。
私たちの周りには「情報という名のゴミ」が溢れかえっています。
ただでさえ、ネットの普及で情報過多が加速したのに、AIの登場で誰でも情報の大量生産ができるようになったのです。
アクセスを上げるためだけに作られ、消費され、誰の記憶にも残らずに消えていく言葉たち。
今、こうして一生懸命書いている記事だって、どうせ飽きるほどたくさん書かれてきた「よくあるネタ」なのでしょうし、来週の今頃は誰も読まなくなる死蔵記事に成り果てたりするんですよきっと。
だからさ。
これだけ情報が溢れかえった時代、きっと今さら私が声を上げる意味なんてないんですよ。ゴミが増えるだけだし。
情報発信なんて、もはや自分で出したゴミを自分で燃やしている程度の価値しかないのです。
それでも、「ゴミ」を燃やして、束の間のアクセス(数字)を集めることで私は生きているのです。
その燃えさかる炎の先に、クリエイターとして何を築くべきなのか。
燃やすだけで終わってしまったら、何も残らないじゃん?
だから、燃やして得たものをどう「資産」に変えるのかを考えないといけないと思うのです。
「数字」は集まっても、「信頼」は積み上がっていない
今の時代、アクセスを集めること自体は、それほど難しくありません。
刺激的なワードを並べ、AIに大量の記事を書かせれば一時的な「数字」は作れます。
でも、問いかけたいのはその先です。
「その記事を読んだ人は、明日もまたあなたの言葉を読みたいと思ってくれますか?」
「コンテンツ制作」と「コンテンツマーケティング」の決定的な違いは、ここにあります。
単に情報をバラ撒くのが「制作」なら、届けることで「ファンとの絆」を編み上げていくのが「マーケティング」。
ゴミを燃やして得たアクセスは、火が消えれば何も残りません。
私たちがすべきことは、その熱を逃さず、「オーディエンス(顧客資産)」という名の頑丈な家を建てることなんです。
階段を一段ずつ、丁寧に登るということ
確かに、私の記事はゴミかもしれません。
ってか、もはや記事そのものにはゴミ程度の価値しか無くなってしまいました。
それでも、そのゴミを記事を読んでくれる人がいて、めちゃ嬉しいコメントやDMをくれたり、スキやフォローしてくれる人がいて、そこからだんだんと深い信頼関係が築けるようになるわけですよ。
その流れを、ジョー・ピュリッジという人が「4つのステップ」だと言っています。
1. 届ける(制作) まずは存在を知ってもらう。でも、ここはあくまで入り口。
2. 絆を深める(マーケティング) 「この記事、私のことを分かってくれてる」という実感を届ける。ここで初めて、ゴミは「価値」に変わります。
3. 居場所になる(資産化) 「ここに来れば、間違いない」という信頼を独占する。プラットフォームの気まぐれに左右されない、自分たちだけのファンコミュニティです。
4. 共に生きる(事業化) 信頼をベースに、新しい価値(サービスや商品)を一緒に育んでいく。
そうやって、ゴミを信頼の結晶に育てていくわけですね。
だからこそ、私たちは自問しなきゃいけません。
今の自分たちは、ただ入り口で火を焚いているだけじゃないか。
その炎で、ちゃんとファンの心に灯をともせているか。
きっかけはゴミのような量産記事なのかもしれません。
それでも、そこから始まるお付き合いで築く信頼関係はゴミなんかじゃなく、本物の信頼関係でしょ?
ゴミを資産に変えるのはAIじゃない
私だって、毎日の記事を書き続けれいられるのはAIあってこそ。
でも、AIで「書いて終わり」にしちゃえば、終わるのはむしろ「私」の方だということは自覚しているつもりです。
AIができるのは「書く」ところまで。
その先の交流や信頼関係を築くのは私自信じゃないとできないことで、それこそがゴミを燃やしてまで情報発信をする真の意義だと思うのです。
そうありたいなという希望を込めて、ですけどね(笑)
私たちは「資産」を創っている
コンテンツを作ることは、本来、とても尊い「投資」です。
今日書いた一本の記事が、1年後、誰かの人生を少しだけ変え、あなたとの深い信頼関係を作っているかもしれないじゃないですか。
情報というゴミを燃やしたその先に、「あなただから信じる」と言ってくれるファンとの未来を築くこと。
それこそが、いま私たちが、この場所で言葉を紡ぎ続ける唯一の理由だと思うのです。
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