思考の停滞を「仕組み」で殴り倒す再起動術。うまく書けなくて、筆が止まった時のための儀式を作っておこう。
こんにちは、もりりんです。
「伝えたいことはあるのに、どうしても言葉が指先まで降りてこない」
「書き始めたけれど、なんだか納得がいかなくて何度も消してしまった」
そんなふうに、真っ白な画面を前にして、一文字も書けずに時間だけがすぎてしまう日はありませんか?
書くことは、自分の心と深く向き合う、とても贅沢で素敵な時間です。
でも、その時間に真摯に向き合おうとすればするほど、思考の歯車が止まってしまって、どうにも動かなくなってしまうことがありますよね。
今回は、そんな「書けない時間」を苦しい停滞にするのではなく、次の一歩へつなげるための「自分なりの儀式」についてお話ししてみたいと思います。
なぜ「上手く書けない」と止まってしまうのか?
そもそも、なぜ私たちは書けなくなってしまうのでしょうか。
心理学の世界では、「評価懸念(ひょうかけねん)」という言葉があります。
これは、「これを書いたらどう思われるだろう?」「上手く書かなければ恥ずかしい」という、周囲からの評価を気にする心のブレーキのこと。
特に感受性が豊かで、丁寧な発信を心がけている人ほど、このブレーキは強くかかりやすい傾向にあります。
これは別に悪いことじゃなくて、書けなくて立ち止まってしまうのはあなたがそれだけ読者の方を大切に思い、自分の言葉に責任を持とうとしている証拠でもあるのです。
ただ、書けない現実はどうにか打破しなきゃいけないじゃないですか。
そこで、自分なりの儀式を作っておくと良いですよっていう話。
ほら。羽生結弦が演技前にやってたり、ラグビーの五郎丸がやってたようなルーティンとかね。
ああいう、「この動きをすることでスイッチがONになる」的なものを自分でも考えておくってこと。
いくらAIの時代とはいえ、どうしても止まっちゃうことはありますから。
ぜひ、この記事をきっかけに考えてみてください。
儀式①:あえて「書く」ことで、心の詰まりを流す
「書けない時に書くなんて!」と思われるかもしれませんが、これは心理学的にも理にかなった方法です。
脳には、一度やり始めるとやる気が出てくる「作業興奮」という仕組みがあります。まずは質を度外視して、今のモヤモヤをそのまま書き出してみるのです。
「ゼロドラフト」のすすめ
誰にも見せない日記やメモ帳に、「今日は全然書けない」「何に悩んでいるのか分からない」と、心のままに打ち出してみてください。
いつか使えるかもしれない「面白い言い回し」をメモするのでもいいですよね。
大事なのは、頭の中だけで考えるのではなく、手を動かして文字を出すこと。
手を動かすうちに、ギシギシだった歯車がギギギッと動き出して、そのうちサビが取れて滑らかに動き出すようなイメージです。
綺麗な文章にする必要はありません。
心の排水溝に溜まった落ち葉を取り除くように、まずは今の状態を言語化して「外に出す」こと。
そうして流れが良くなると、不思議と本来伝えたかった言葉が、ひょっこり顔を出してくれるようになります。
儀式②:憧れのエッセイに「脳のチューニング」を任せる
自分の言葉が枯渇してしまったと感じる時は、無理に絞り出すのをやめて、外から上質な言葉を「補給」してあげましょう。
私は、表現で困ったらさくらももこのエッセイを読むようにしています。
彼女のエッセイは感受性の塊みたいで、言葉のはしばしで私のインスピレーションをすごく刺激してくるのです。
逆に、記事のテーマで困ったら斎藤一人関連の本を読むのが好き。
なんか、パクれそ・・・参考にできそうなネタがたくさん埋まっている気がするのです。
言葉の「味見」をする
好きな作家さんのリズムや視点に触れると、私たちの脳にある「ミラーニューロン」が働き、自然とその書き手のトーンに自分を同調させようとします。
これは、楽器のチューニングに近い感覚です。
「あ、こんなふうに日常を切り取ってもいいんだ」「こんな言葉の選び方があるんだ」と気づくことで、凝り固まっていた思考が、解きほぐされていくのを感じるはずです。
儀式③:友達と喋って、思考に「酸素」を送る
一人で画面に向かい続けていると、思考はサザエの先っちょみたいにどんどん内側へ閉じこもり、酸欠状態になってしまいます。そんな時は、信頼できる誰かと少しだけお喋りをしてみてください。
(サザエの先っちょに酸素があるのかは不明です)
「話す」は「放す」こと
「実は今、こんな記事を書こうとしていて…」と口に出してみるだけで、頭の中の霧が晴れることがあります。
もちろん、必ずしもネタの相談でなくてもいいのです。
ただ何気ない世間話をするだけでも、思考回路にエネルギーが入ってきて、書くパワーになったりするじゃないですか。
「楽しいひとときだった」という思いだけでもモチベーションにつながったりします。
家で1人っきり、鬱々と白紙のPCとにらめっこしても出てこないなら、もう切り替えて刺激を求めに出かけちゃうってことでもありますね。
これは私もよくやります(笑)
書けない時間は、熟成の時間
「書けない」と悩む時間は、決して無駄な時間ではありません。
それは、次に生まれる言葉があなたの中でじっくりと育っている、「熟成の時間」なのだと私は思います。
今回ご紹介した儀式は、自分を無理に動かすためのムチではありません。
「動けなくなっても、これがあるから大丈夫」と思える、自分を優しく守るための「お守り」のようなものです。
もし今日、筆が止まってしまっているのなら、まずは温かいお茶でも一杯淹れて、自分をいたわってみてください。
あなたの素敵な言葉が、再び溢れ出す時を、心から応援しています。
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