転職の狭間、1ヶ月経って思うこと
こんにちは、tocoです。
転職を機に45日分の有休消化期間に入って、
今日で1ヶ月が立ちました。
はっきり言って、精神と時の部屋状態です。

時間の密度がとても濃くて、
自分のレベルが数段上がった気がします。
もう少し解像度を上げて説明します。
Point 1 : 時間の密度がとても濃い
この1ヶ月間は、とても長かったです。いい意味で。
体感的には、半年〜1年位の時間を過ごした感覚でしょうか。
試しに、この感覚を裏付ける試算をしてみます。
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就業中は8〜20時が勤務時間、24〜7時が睡眠時間なので、1日あたりのプライベート時間は5時間。
現在は、睡眠時間以外は全てプライベート時間なので、1日あたりのプライベート時間は17時間。
まず絶対時間の差だけで3.5倍の時間です。
これに加えて、時間あたりの過ごし方が違っていて、脳の片隅にある仕事モードが完全オフ状態、
代わりに何度も「幸せだなぁ」「平和だなぁ」と感じる など、同じプライベート時間でも、その密度はおよそ2〜3倍くらい違う感覚です。
そう考えると、3.5倍の差 × 2 ~ 3 倍 で 7 ~ 10.5倍 になり、やはりこの1ヶ月は、半年から1年近いプライベート時間を過ごしていることになります。
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Point2 : なにもない・・・!
「なぜ、時間あたりの過ごし方が違うのか?」について考えてみました。
理由は、「なにもない」からだと思います。
この記事を書くにあたってドラゴンボールを読み返した時、精神と時の部屋が「なにもない」ということも、すごく納得しました。

休暇に入って1週間経過した時に書いた、こちらの記事。
この中に書いた通り、この休暇を過ごすにあたっては、海外旅行など、何か特別な非日常を体験するのではなく、とにかく、自分と向き合う、自分の気持ちを確認する、日常を味わうことを意識して過ごしました。
特別な出来事がなにもないから、
「あるもの」に向き合うしかない。
その「あるもの」とは、”今ここにある自分”や”今ここにある日常”そのものです。
向き合うとは、味わうことだと知りました。
自分がどう感じているのか、何を考えているのか。
何を楽しいと感じ、どこを楽しくないと感じるか。
一つ一つを、じっくり、丁寧に観察すること。
観察すると書きましたが、具体的な行為としては、
今こうしてnoteに向き合って、気持ちや考えを確認しながら文字として書き起こすことです。
こうした時間は、先月までの社会人時代の中では、
無意識的におろそかになっていたのかもしれません。
休暇があれば、遊ばないともったいない、という意識が働いて、「何をしたか」に比重を置いて時間を使っていたように思います。
例えるなら、スタンプラリーでスタンプを押す感覚。コンプリートへの満足感。
まさか、駅前のカフェで一日中、パソコンと向き合って過ごすなどは、考えも及びませんでした。
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少し、話がそれますが、昨日、今話題のBOYFRIENDの最終回をNETFLIXで観ました。
彼らがお互いに語る、気持ちの変化や感情の波、思いやり。
感じたこと、あなたが感じているであろうこと。
気持ちの変化、揺り戻し。心に引っ掛かるもの。
彼らの口から出る、こうした多くの感情を含んだ言葉に、ハッとさせられました。
自分が大学生の頃には、彼らと同じように、心や気持ちの変化とか、その脆さや儚さを敏感に感じたり、友人や恋人との心を通わせる会話に、時間の多くを使ってきたことを思い出します。
当時は、お金もなく狭いワンルームの賃貸に暮らしていて、物質的な自由は今とは比べ物にならないほど、なにもありませんでした。
だからこそ、そこに「あるもの」。
時間と自分と友達と恋人。
そこに向き合って、味わっていたように思います。
だからこそ、今振り返っても、当時はとても幸せな時間を過ごしていたと思います。
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また、話は飛びます。
昔読んだ本で「人生の長さは『生きた時間の長さ』では決まらない」という趣旨の内容があったことを思い出しまします。
あらためて今、本当にその通りだと思います。
同じ時間を過ごしても、そこに向き合って味わうことで、その時間はとても豊かになります。
時間の豊かさは、心の豊かさにつながる。
心の豊かさは、幸福感につながる。
幸福感は、他人への思いやりにつながる。
他人を思いやるためには、自分が置かれた状況に向き合って、それを味わうことが大切なのだ、と思います。
次の1ヶ月間も、楽しみです。
ではでは。
