49年前のカメラと、役目を作り直すということ
49年前の道具に触れる
ひょんなことから、MINOLTA XDというフィルム一眼レフカメラを手に入れた。
49年前のカメラだ。
数字にすると長いが、手に取ると不思議と遠さは感じない。
金属の質感やダイヤルの重さには、いまの製品にはあまり見かけない種類の真面目さがある。
飾ろうとしていない。
ただ、ちゃんと使われることだけを前提に作られている。
サビやくすみはあったが、それは傷というより、時間が静かに積もった跡のように見えた。
メンテナンスという対話
特別なことはしていない。
汚れを落とし、動くべきところを動くようにしただけだ。
それでもシャッターを切った瞬間、
「ああ、これはまだ現役だな」と思える音が返ってきた。
メンテナンスというのは修理というより、道具と会話をする行為に近いのかもしれない。
こちらが耳を澄ませば、向こうもちゃんと応えてくる。
無傷のレンズケース
一緒についてきたレンズケースが、やけにきれいだった。黒い円筒形で、驚くほど無傷。
49年という時間を考えると、むしろ不自然なくらいだ。

きっと大切に扱われてきたのだろうし、同時に、あまり酷使もされなかったのだと思う。
その佇まいを見ているうちに、「この形、まだ何かできるな」と感じた。
革で持ち手を作る


だから、持ち手を革で自作した。
大げさな加工はしていない。ただ、手に下げられるようにしただけだ。
革は使うほどに表情が変わる。
新品の完成度よりも、時間と一緒に育つ余白の方が大事だと思っている。
こうしてレンズケースは、小物入れになった。
今はイヤホンやケーブル、USBメモリが収まっている。

再利用は、妥協ではない
レンズケースは、もうレンズを入れていない。
でも役目を失ったわけではない。

むしろ今の方が、日常の中でよく働いている。
使われる頻度も、手に取る回数も増えた。
再利用という言葉は、どこか間に合わせの響きがあるけれど、
実際には「もう一度、役目を考える」ということだ。

役目は、作り直せる
49年前のカメラはいまもカメラとして生きていて、レンズケースは小物入れとして、別の時間を歩き始めた。
物の寿命は、壊れたときに終わるのではない。
使い手が「もういいか」と思ったときに終わる。
逆に言えば、役目は、いつでも作り直せる。
この黒い円筒を手に下げながら、
そんな当たり前のことを、あらためて考えている。

