人を100%理解するのは無理な話
どうして、わかってもらえないんだろう。
どうして、わかり合えないんだろう。
仕事でも、恋愛でも、家族でも。関係が近いほど、「理解」という言葉を求めてしまう。
でも、そもそも「理解する」って何なんだろう。
全てを知り、全てをさらけ出すことなのか。それとも同じ感覚で物事を見られることが、理解しているということなのだろうか。
本当のところ、私たちは相手のどこまでを知ることができてるんだろう。
「理解している」と思っているその感覚は、もしかしたら「相手のことを誰よりも分かっている自分」に酔っているだけなのかもしれない。
相手の内側がどこまで見えているかなんて、確かめようがない。相手の心の内は、その人自身にしか見えない。全てをさらけ出しているなんてどこにも確証はない。それでも分かりたいと思うのは、きっと悪いことではない。
ただ、相手を理解しようとするあまり、自分の判断軸で全てを見ると、その時点で相手との関係性はゆがんでいく。
「普通はこうでしょ」
「なんでそうなるの?」
理解したいけど理解できないことへのストレスが、そんな言葉になって相手を追い詰めていく。そうやって関係が壊れていったなんて人も多いのではないだろうか。
そういった相談を受けたときに、そもそも相手を100%理解することなんて不可能なのにといつも私は思う。
触れられたくない部分や、そもそも理解してもらおうと思っていないものなんて、多かれ少なかれ誰にだってあるもので、それを全てさらけ出せる人の方が稀だ。
わからない部分がある。
噛み合わないところがある。
それでも関係は続けられる。
やり方が違っても、目指す場所が同じならそれでいい。目指す場所が違うなら、それはそれでひとつの答え。誰かを変えることはできない。変えられるのは、自分の選び方だけ。相手を「そういう人なんだ」と認めた上で、自分はどう関わるのかを決めればいい。
合わせるのも選択。
距離を取るのも選択。
離れるのも選択。
選択権は、いつも自分の手の中にある。動かせないものを動かそうとするより、自分の立ち位置を決めるほうがずっと健全だ。
理解し合えないことがあってもいい。違いがあるままでも、関係は築ける。完璧にわかり合えなくても尊重はできる。
そのくらいの余白があったほうが、人との関係は、きっと息がしやすい。
