白いカップ麺
今、俺の目の前にカップ麺がある。
ラベルなどはない。
スチロールの白い器の上部に、白いシールが貼ってある。
シールには、もちろん何も印刷されていない。眩しいほどに白いシールだ。
ヌードルなのか、ラーメンなのか、焼きそばなのか。
はたまた、そばかうどんなのか。
外から見る限り、判別はできない。
いや。
容器の形状から考えても、焼きそばである確率は低いだろう。
もしかしたら、麺と思わせておきながら、ご飯の線も拭えない。
そして、俺は腹が減っている。
どのくらい腹が減っているのかというと、餓死を10としたら6を超えている程度だ。
しかも、今この空間に「食べ物」と呼べるものは、このカップ麺しかない。
これに手をつけない理由は、今の俺には存在しない。
カップ麺を持ってみる。
振ると、中の麺や薬味であろうものが、カサカサと音を立てた。
おもむろにフタを剥がす。
普通なら「ここまで剥がす」的な説明があるものだが、ラベルもシールも真っ白なので、指示など全くない。
三分の一剥がすのも良し、全部剥がすのもまた良し、ということか。
俺は、ささやかな自由を楽しみながらフタを剥がす。
しかし、半分ほど剥がしたところで俺の自由は終わった。
なぜなら、この後、お湯を入れて待つ時間が必要だからだ。
自由を味わうのはいいが、その結果も自分が背負わなければならない。
自由を享受するには、自己責任という荷物を持つ覚悟が必要なのだ。
容器を覗き込むと、中には乾燥野菜などが入った薬味と、加薬の小袋が入っている。
乾燥野菜はお湯を入れる前に入れて、何分か待った後、加薬を入れるのがセオリーだろう。
だが、俺は気がついてしまった。
このカップ麺は自由なのだ。
俺は今、説明書きという束縛から解放されているのだ。
ならば、今こそこの自由を満喫すべきではないだろうか。
俺は加薬を入れると、ポットから熱湯を容器に注ぎ込んだ。
フタを元に戻して、待つ。
何分?
3分? 5分?
いや、今の俺は自由だ。時間に束縛を受けるつもりはない。
俺がフタを剥がした時が、その時なのだ。
俺は待った。
目を瞑り、深呼吸をする。
呼吸の数を数えながら、腹式呼吸を続けた。
鼻から息を吸い、肺に空気を満たしたら、口から吐き出す。
気を研ぎ澄まし、そのタイミングを感じ取るんだ。
……今だ!
俺はフタを小気味よくペリペリと剥がしていった。
だが、途中でアクシデントが発生した。
フタの上の部分だけが剥がれて、台紙の糊が付いた部分が容器に残ってしまったのだ。
四分の一ほど残った紙を剥がす。
指がお湯について熱かったが、すべてのフタを剥がすことに成功した。
さっきの乾燥野菜が入った袋の中身を、容器に入れる。
完成だ!
箸を取って、食べる。
うむ。
延びた柔らかな麺に、固いままの乾燥野菜がミスマッチ感覚で舌の上で喧嘩している。
湯で薄まったスープが、麺と野菜そのものの味を妙に際立たせていた。
うむ、まずい。
そして、何よりも――
これ、焼きそばだった。
自由の代償とは、とかく高くつくものだ。
