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身銭を切れ

「先生、失礼なこと聞いていいですか」

外来で患者さんにそう言われたことがある。何かと思ったら

「先生って、筋トレしてますよね。だから先生の"運動しましょう"は信じられるんですよ」と言われた。褒められて嬉しかった。でもそのあとに続いた言葉が刺さった。

「前の先生は正直……お腹出てたんで、何言われてもって感じでした」

患者さんはちゃんと見ている。医者が何を言うかだけじゃなく、医者自身がどういう体をしているか。どういう生活をしているか。

自分がこれを書くと角が立つのはわかっている。でも書く。 BMI 28くらいの先生が真顔で食事指導しているのを自分は何回も見てきた。栄養指導している管理栄養士がコンビニ弁当ばかり食べているとか、睡眠4時間の医者が「7時間寝ましょう」って外来で言うとか。

自分の周りにもいた。というか自分もやっていた。当直明けで寝ていないのに患者さんに「ちゃんと寝てください」って言っていた。クマがすごかったので全く説得力がなかったと思う。

今回は「健康を語る側が自分で実践しているかどうか」という話を書く。長くなったけど最後まで読んでほしい。


胃潰瘍の原因を証明するために菌を飲んだ男(Skin in the Gameの究極形)

Skin in the Gameの話をする前に、一人の医者の話をさせてほしい。

1984年、オーストラリアにバリー・マーシャルという33歳の医師がいた。彼は「胃潰瘍の原因はストレスじゃなくてピロリ菌という細菌だ」と主張していた。当時の医学界の常識は「胃潰瘍はストレスと胃酸の問題」で、菌が原因だなんて誰も信じなかった。

証明するにはどうするか。
マーシャルは培養プレート2枚分のピロリ菌を自分で飲んだ。

上司には言わなかった。止められることがわかっていたから。数日で急性胃炎を発症し、14日後に内視鏡で胃を確認。菌がびっしりいた。奥さんに怒られて抗生物質を飲んで治した。論文には「男性ボランティア」と三人称で書いた。

2005年、ノーベル生理学・医学賞を受賞。この発見で胃潰瘍の90%以上がピロリ菌によるものだとわかり、オーストラリアだけで年間3億ドル以上の医療費が削減されたと推計されている。

これが身銭を切るということだ。自分の体で証明する。リスクを自分で引き受ける。マーシャルがプレゼンだけで終わらせていたら、胃潰瘍の原因解明はたぶん10年は遅れていた。

もう一人いる。1929年、ドイツの25歳の医師ウェルナー・フォルスマンは、自分の腕の静脈からカテーテルを65cm挿入し、心臓の右心房まで到達させた。X線で撮影して記録した。世界初の心臓カテーテルだ。

高名な外科医ザウアーブルフに「こんなのはサーカスの芸だ」と罵られてクビになったけれど、1956年にノーベル賞を受賞した。受賞の知らせを受けたとき、彼は無名の泌尿器科開業医だった。腎臓の手術の最中だったらしい。

自分はピロリ菌を飲む勇気もないし心臓にカテーテルを入れる度胸もない。 でも、健康を語るなら自分で実践するくらいは最低ラインだろうと思う。


リスクを負っていないやつの意見を信じるな(Skin in the Game)

毎回登場させているけれど、タレブという思想家がいる。元ウォールストリートのトレーダーで、自分の金でリスクを取り続けた人。
この人が「Skin in the Game(身銭を切れ)」という概念を世に出した。

簡単に言うとこうだ。

リスクを負っていないやつの意見を信じるな。

たとえば3800年前。バビロニアのハンムラビ法典にこんな条文がある。

建築家が建てた家が崩壊して住人が死んだら、建築家は死刑に処す

ハンムラビ法典

やばい。住友林業の家が壊れたら住友林業の人が死刑になるみたいなことだ。

ちなみにこの法典の第230条には「家主の息子が死んだら建築家の息子を死刑」とまで書いてある。さすがにやりすぎだと思うけれど、タレブはこれを「史上最高のリスク管理ルール」と呼んでいる。自分の仕事の結果を自分の命で引き受ける。だから最高の仕事が生まれる。

この原則は4000年近く前からあるのに、いまの健康業界にはこれが欠けている。


太った医者と痩せた医者で、指導行動がまるで違う

ここからは感覚論じゃなくてデータの話をする。

2012年にObesity誌に載った研究がある。ジョンズ・ホプキンス大学のBleichらが、アメリカのプライマリ・ケア医500人を対象にした全国横断調査だ。

医師自身のBMIが正常範囲かどうかで、肥満患者への指導行動に差があるかを調べている。

結果。
正常体重の医師が肥満患者に減量の話をする割合は30%。
太っている医師が同じ話をする割合は18%だった。

もう1つ面白い数字がある。
食事指導に自信があると答えた正常体重の医師は53%。
太っている医師は37%(p=0.002)。運動指導への自信も56%対38%。
やっている人とやっていない人で、自信が全然違う。

CDCの疫学者Lobeloらがまとめたレビュー(47本の研究を統合)でも、自分で運動している医療者ほど患者に運動を勧めるという関連が複数の研究で一貫して報告されている。2024年にPreventive Medicine誌に出たBorgesらのシステマティックレビュー(51本の研究を統合)でも、質の高い研究ほど「身体活動量の多い医療者は、運動に関するカウンセリングをより多く実施する」という結果が出ている。

1本の研究だけの話じゃない。


患者190万人のデータが示した「実践する医師」の影響力

2013年にCMAJ(カナダの医学雑誌)に出たFrankらの研究。イスラエル最大の健康保険組織(Clalit Health Services)に所属するプライマリ・ケア医1,488名と、その成人患者約190万人の客観データを分析している。

190万人。このスケールだけでもう説得力がある。

結果はこうだった。8つの予防医療指標すべてで、自ら予防措置を受けた医師の患者さんのほうが同じ措置を受ける確率が有意に高い。たとえばインフルエンザワクチンを接種した医師の患者さんは49.1%がワクチンを受けたのに対し、ワクチンを受けていない医師の患者さんは43.2%だった。

面白いのが、この関連は「関連のない予防措置間」では出なかったこと。つまり、ワクチンを打っている医師の患者さんがなんでもかんでも予防行動を取るわけじゃなく、その医師が実践している分野に限って患者さんの行動が変わる。特異的な関連だった。

自分で実践している医師の言葉は、患者さんの行動を変える。 やっていない医師の言葉は、変えない。

190万人のデータがそう言っている。


なぜ「言っていることとやっていることが違う人」は嫌われるのか

文化進化理論にCREDs(Credibility-Enhancing Displays:信頼性強化表示)という概念がある。簡単に言うと、「行動は言葉より偽造コストが高いので、信頼できるシグナルになる」という話だ。

言葉は安い。「運動は大事です」とは誰でも言える。でも実際に毎日トレーニングするのはコストがかかる。だからこそ「自分で実践している」という行動は、言葉では代替できない信頼のシグナルになる。

タレブのSkin in the Gameと同じことを、進化心理学の言葉で言っているわけだ。


ただし「見せびらかし」は逆効果|太った医者の意外な強み

2017年にJournal of Personality and Social Psychology誌に出たHoweとMoninの研究(スタンフォード大学)。医師のプロフィールに「マラソントレーニング中」「ヴィーガン料理を楽しんでいます」のようにフィットネス習慣を強調した場合、BMI25以上の患者は「この医師は自分を批判的に見るだろう」と感じ、その医師を選びにくくなった。

平たくいうと、ガチ勢すぎると引かれる。

つまりこういうことだと思う。実践していることは大事。でも「俺はこんなにストイックにやっている。お前もやれ」みたいな態度では逆に壁ができる。実践を示しつつ、でも完璧じゃないことも正直に見せる。このバランスがたぶん一番強い。

自分がラーメンを食べてしまう話を書いているのは、決して食欲に負けているのではなく、このバランスのつもりでもある(冗談です)。


2400年前から哲学者は同じことを言っている

この話、じつはすごく古い。

アリストテレスは2400年前に「実践知(phronesis)」という概念を『ニコマコス倫理学』で書いている。理論知(sophia)と実践知は違うものだ、と。実践知は経験からしか生まれず、行動と切り離せない。若者は数学の専門家にはなれるが実践知を持つことはできない、なぜなら実践知は歳月の果実だからだ、とアリストテレスは書いた。

健康情報を発信している医者が自ら実践していないのは、アリストテレスが2400年前に否定した態度そのものだ。

マルクス・アウレリウスは『自省録』にこう書いている。「善き人間とは何かを議論するのにこれ以上時間を費やすな。善き人間であれ」。ローマ皇帝でありながら最も実践的だった哲学者の言葉だ。『自省録』は自分が一番好きなほんの一つで繰り返し読んでいる。

セネカという面白い反例もいる。暴君ネロの家庭教師として莫大な富を築いた。質素な生活を説きながら大富豪だった。研究者のEmily Wilsonは「なぜセネカが自分の生活と矛盾する教えをあれほど雄弁に説いたか」と問うている。セネカ自身は「哲学者は富を所有しても、富に所有されなければよい」と弁明した。

これは2000年前の「太った医者」問題だと思う。セネカの哲学は素晴らしいけれど、彼の言行不一致はずっと批判され続けている。セネカの『人生の短さについて』も好きだけれど、個人的には『自省録』の方が好きだ。


バフェットは「自分の料理を自分で食べる」と言った

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