つたなくても、「わたし」がいること|いいエッセイとは?
いいエッセイとは、
「書いている人が、ちゃんとそこに“いる”こと」
これに尽きると思っている。
最近、ZINEがよく見かけられるようになった。
いろんな人が、さまざまな形でエッセイを書いている。
「個人のエッセイって、こんなに求められてたんだ」と、不思議に思った。
だけど、そうなる前から私はエッセイが好きだった。
日常をちょっと楽しくするアイデア。
真似したくなるレシピ。
ささやかな心の動き。
生活のヒントをもらえるのが、エッセイのいいところ。
そして私は今、書く側になった。
最初のころは、どこか“わかりやすい感情”ばかりを綴っていた気がする。
うまくいかなかったこと、
失敗したこと、不満や後悔。
そういう記事が悪いとは思わない。
共感を呼ぶのもたしかだと思う。
でも、どこか不安定で心がざらつくこともあった。
今は“効率”や“成長”が求められる時代。
それでも、エッセイのような
「なくても困らないもの」に、わざわざ手を伸ばす人がいる。
それがすごく不思議なのと同時に、確かな希望でもある。
だからこそ、思う。
「いいエッセイ」って、言葉の“うまさ”とか
“映え”じゃなくて、その人の存在がちゃんと滲んでいるかどうかなんじゃないかって。
私のエッセイなんて、読む人が読めばどうでもいい内容だと思う。
「はじめてスイカを買った」
「推しがメガネをかけてて最高だった」とか。
でも私は、そういう出来事を「おもしろい」と
思って書いている。
誰かにウケようとしてるんじゃなくて、
「ああ、そんなことあったな」と思い出したい。
クスッと笑える、自分あての手紙を読むみたいに。
そこに、ちゃんと“私”がいるなら、それでいい。
うまくなくても、洗練されてなくても、誰かの生活の中に、ちょっとだけ灯りをともせたら。
そう思いながら、書き続けたい。
これが、私にとっての「いいエッセイ」の答え。
書く部お題の
「わたしが思う、いいエッセイとは?」から
書きました。ありがとうございました!
