良いところを愛し悪いところに怒ったって、いいんだ
Xで漫画を見かけて、軽い気持ちでタップして読んだら「ぅっわぁ……」とくらって、しばらく動けなくなった。
絵を見た時からなんとなくわかっていた。作者は『うみべのストーブ』という短編集を読んでから心の片隅に静かに大切にしまってある記憶のような存在の、大白小蟹さん。
その時に読んだのは、路草というレーベルの大白小蟹さんの作品『みどりちゃん、あのね』という漫画の第3話だった。
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私の父は末っ子長男で、生まれ育った田舎で自営業を始め、店が少ない田舎で成功したワンマン経営者だった。
私は父が好きだったし、父は私と1番遊んでくれた。でも父が「うちには男の子が生まれなかった」と嘆くのを何度も聞いてきた。
父は後継がほしくて、それは男でなければいけなかった。男ならある程度スポーツができて、男ならある程度金が稼げて、自分の子供ならばある程度勉強ができるはずだと信じて疑わなかった。だから私は父に愛される要素がなかった。自分が無価値だとすっかり思い込んだ私はピエロになることを選んだ。
母と姉はそんな父の横暴な思想に怒っていたし、嫌っていた。家族で出かける時もご飯の選択も、子供たちの進学も結婚も、父が最終決定権を持っていて逆らうことは許されなかった。
でも父は憎めないお茶目な部分があり、誰よりも真面目に仕事をするところも尊敬されていた。
私はというと、母や姉みたいに「良いところを愛し、悪いところを嫌う」が上手くできなくて、父に対して怒ったり嫌ったりできないまま大人になった。
「優しい」「明るい」「穏やか」「グチを聞いたことがない」とよく褒められる私は、30代になってやっと自分がネガティブな本音にギチギチにフタをして無理していることに気づいた。
今になって父という人についてよく考える。父の思想がああなったのは、おそらく環境や教育の影響が大きい。父の祖父や母がまんまその思想だったらしい。
「じゃあしょうがないよね」とフタをしかける私に、30代の私が「傷ついたなら嫌って言っていいんだってよ!」と腕を掴む。
過去は変わらないし、父は脳の難病になって人格変容したため今話しても男も女もクソもない。
私の中には、まだ静ちゃんがいる。静ちゃんを拗らせたやつがいる。
でもそれを自覚して、これからみどりちゃんを登場させてあげることができる。
私がみどりちゃんになれる日は来ないかもしれない。でも、どこかの静ちゃんにとってのみどりちゃん的存在になれる日なら、くるかもしれない。
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この感想は、漫画を読んだその日にXに投稿した。noteにも残しておきたいとタイトルの確認のため『路草』のサイトを開いて初めて、自分が読んだのは第3話だったと気づいた。
改めてプロローグを開き、第1話を読んでいる間に背中の真ん中がチクッとして、その後の展開に体温がぐわっと上がった。
私の家でも、私が小学生の頃はまだおばあちゃんの家に親族が集まり法事をやっていた。その手配・準備は全て嫁に来た母が行っており、その時の景色がありのままページに広がっていた。
私はというと、普段話せないいとこのお姉さんお兄さんと話せるのが嬉しくてピエロになってはしゃぎ、HSPの性質を発揮してぐったりして台所の端っこに避難して休憩しているのを母に見つかり不思議がられていた。
男性が酒を飲み、女性が働くあの法事の光景を、私は当たり前なんだと思っていた。
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雨粒、ふすまの向こう側、木の棒の描き方が素敵だ。何度でも、何度でも、第3話を読む。
