イセハラのモトニ 6《創作大賞2025》
車は山間部に入り、大山が近くなってきた。絶賛安全運転中のタクシーの運転手アカネが、その華麗なハンドル捌きを見せびらかすこともなく、知識だけを解放し、丁寧に伊勢原市のシンボル大山を説明してくれた。
「最近は、お客さんで、登山が好きな方を乗せることが多いから、よく大山の話をするんだけどね。大山が『大山詣り』として日本遺産に登録されたのが2016年よ。江戸時代から江戸の人達が気軽に行楽と信仰を行える地として人気があったみたいね。江戸の人口が百万人の時代に二十万人が年間に訪れていたって言われているわ。今現在も、大山ブームと呼んでも良いのかも知れない。紅葉や新緑の季節は特に登山客が多いわ。ライトアップもされたりする。そして色んなイベントを四季を通して行っているの。やっぱり伊勢原にとって人を呼べる大事な山なのよね。私達も感謝してる。皆が今から向かう阿夫利神社下社は、ちょうど大山の中腹にあるの。標高だと大体700メートルくらいね。ちなみに頂上は1252メートルよ」
「さすが走る観光案内所だな」
一同拍手をしながら、シーモンが伝える。
「ありがとね。シーモン。安くするからバンバン私を指名で、お友達を連れてきて伊勢原観光してね。それで、今から私達が向かう目的地は、バスの終点になります。そこからケーブルカーの駅までは、こま参道というお土産屋さんや、茶屋店街を通ることになります。大山こまや、大山豆腐が有名よね。時間があれば立ち寄るといいわ。そしてこの参道は、階段と踊場が連なって出来ているの。大体700メートルくらいよ。ケーブルカーは、約六分で阿夫利神社駅まで着くわ。というワケで、私の出番は此処までね。皆さん到着です。ご乗車ありがとうございました。なんてね」
アカネは、話の時間を計算したように到着させ、走る観光案内所としての役割を全うした。
「アカネちゃん。本当にありがとうね。ありがとうね」
車から降りたナオミお婆ちゃんは、アカネに何度もお礼をして、しっかり握手をし、ハグをした。うっすら涙ぐみながら、アカネはナオミお婆ちゃんに挨拶をした。私は、三十分前に初めましてをしたばかりの二人が、こうしてもう涙ぐみ挨拶をしているのを見て、現実感に乏しいことほど現実に起こり得ると感じ、人の感情というのは、短時間でもお互いの心の距離を近づけることが出来て、そこには間違いなく本物の交流があることを知った。
だけど、そこに対する説明は、言葉にすればするほど、薄く軽くなる矛盾を感じていた。人に伝えることでその純度が薄くなるのなら、思うだけ思い、言葉に出さないでいる大切さが存在しているのも事実だった。
語るものと刻むものは、別だ。
「ナオミさん。帰りも迎えに来るからね。今日は快晴ってチャンも言ってたから。絶対良い景色が見れると思うわ。帰りに感想聞けるのすごく楽しみにしてるから。いってらっしゃい。楽しんでね。ありがとう。そして続きはよろしくね。ヨッキ、セイセイくん」
「ありがとうね。これ後で食べてね」
小さめのクーラーBOXから取り出したのは、保冷剤入りの厚焼き玉子だった。それを渡すセイセイを見ながら、私は本当にコイツはすごいなと思っていた。
「アカネちゃん。本当にありがとう」
私も、心からアカネに感謝を述べた。
「さすが、セイセイくん。そういう気遣い出来るところ本当に大好き。またお店行くからね。気をつけてね」
厚焼き玉子を手にしたアカネは、車で山を降りていった。私は、アカネの車に手を振り見送りながらも、気遣いなしのただの心からのありがとうだけでは、人に感謝を伝えるのは非常に難しいということを初めて知った。
さぁ。大山だ。あと少しでゴールだ。
こま参道の入り口で、先を見つめるナオミお婆ちゃんの不安を取り除いてあげた。
「ナオミちゃん。こっから階段キツいよね。大丈夫だから安心して。今日は、私がおんぶするからね」
私は、ナオミお婆ちゃんの前で紳士然として腰をおろした。そして、どこまでもおぶって行く覚悟をその背中で見せつけた。そして、セイセイとシーモンがそれに続いた。
「いやいやいや、それは、俺が。いや俺が」
全員でナオミお婆ちゃんの前でおんぶの奪い合いをする、往年のギャグを再び模した形で盛り上がり、私はひかりにもアイコンタクトをした。ひかりは、手を挙げ乗ってきた。実に出来る子だ。
「じゃ私が」
「どうぞどうぞ」
素人中年にありがちな光景が広がったが、これはこれでやはり、皆満足だった。おそらく先ほどの私の一人芝居を、実は皆、羨ましかったのだろう。世の中とは、こういうものだ。少なくとも当事者達は幸せだった。
一連の流れが終了したタイミングを見計らい、私の後輩達二人があえてワンサイズ小さい元2Tシャツを着込み、パツパツの姿で大胸筋をアピールしながら、『こんぴらさんの石段かご』を模した、筋肉フル稼動で人を座らせながら運ぶ、江戸時代のかごのようなものを二人で肩に担ぎながら登場してきた。
「ナオミちゃん。どうぞ。『大山詣り』は江戸時代からでしょ。せっかくだから、雰囲気も江戸時代の感じで行こうかなと思ってね。昔、セイセイと四国の金比羅宮にお詣りした時に、石段かごを見たことを思い出したんだ。それを模倣した。さすがに私達だと体力に自信がないから無理なんだけど、一時期かなりタイプの女性が、筋肉が好きだからと伝えてきた時があってね、肉体改造に力を入れていた時があったんだ、私の筋肉が成長する前に、かなりタイプの女性は、他の成熟した筋肉マンに奪われたけどね。その時知り合いになった体力有り余っている後輩を呼んだんだ。今日はこれに乗ってみて。彼らは『村上筋肉倶楽部』と言うんだ。ナオミちゃんなら話してもらえば、私が言っている意味が分かると思うよ」
後輩のヨウスケとケンスケは、共に身長が190近くあり、趣味が筋トレの本格派のトレーニーだ。私は村上筋肉倶楽部と彼らを呼んでいる。この二人とは、以前ふとしたきっかけで仲良くなったのだった。
ヨウスケとケンスケの村上筋肉倶楽部は、ナオミお婆ちゃんの前に行き大胸筋を昂らせながら、ゆっくりとその口角を持ち上げ、口輪筋の負荷を確かめながら話した。
「君が今日、こま参道を訪れるということは、始めから決まっていたみたいだ。それは、僕達がここに来ると決めたことと全く同じようにね。この先、君がこのかごに乗ることは僕達の大胸筋や、僧帽筋、果ては上腕二頭筋までがお祝いしているんだ。君のお祝いと僕達の筋肉のお祝いは、ある意味で繋がっているし、ある世界では繋がっていないのかも知れない。それは、完璧な世界と完璧な筋肉が存在しないのと同じようにね」
ナオミお婆ちゃんは、一瞬で彼ら村上筋肉倶楽部が何を言っているのか理解し、笑いながらゆっくりと応えた。
「私が、あなた達を認めた瞬間の世界から、あなた達を確認したまでのほんの数秒の出来事だけど、確かなことを一つだけ言えるとしたら、私が、このかごに乗ると言うことは、あなた達がいう世界の一つの中では、始めから決まっていたということね。完璧な登山があるように、完璧なかごが存在していても何もおかしなことなどないと思うわ」
村上筋肉倶楽部は、続けた。
「やれやれ最高だ」
私は、彼らとこの世界に於けるトレーニングジムで、たまたま私の筋肉が負荷を望まなくなり、隣のスタジオのダンスレッスンを自然に目視しようと、村上春樹でカモフラージュしていたら、村上春樹を好きだという彼らに見つかり、いつの間にか仲良くなり、一緒にダンスレッスンを村上春樹を読みながら見るという形になっていった。そして、いつしか言の葉にそれを織り交ぜながら筋トレを語るという倶楽部を発足させていた。彼らとは筋肉の向こう側の世界で繋がっている。私が、前に彼らと一緒に、上腕「二」頭筋を鍛えていた時からの知り合いだ。つまり、こっちの世界でいうルールに照らし合わせると私達は、ある意味では、元2という括りになる。
「ナオミちゃん。やっぱり好きだったかい」
私は、ナオミお婆ちゃんに聞いた。
「そうね。村上春樹に関しては、一日でどうとかは話せないわね。あなたとそのことに関して話せなかったのが、とても悔しいわね。また、違う世界で話しましょう。私達ならそれが出来そうね。きっと繋がっているから。そして、この会話のやり取りが正解だとは到底思えないけれど、あなた達のおかげでやっぱり私は、とても楽しいのよ。幸せをありがとう」
私にとっても同感で、この会話のやり取りが正しいとは決して思わない。だけど、ナオミお婆ちゃんは、笑顔でいてくれて、私の世界では、これが面白くて、これが最善だ。それで良いと思う。ナオミお婆ちゃんのありがとうを聞くたびに、少しだけ悲しくなる。
「ナオミさん。改めてはじめまして。どうぞ遠慮しないで乗ってくださいね。これ、筋トレ兼ねてますんで、僕達も楽しみなのです。この先、362段の階段を登ります。ゆっくり楽しんでくださいね」
普通に喋れば、普通より好感度が高い、好青年の彼ら村上筋肉倶楽部に誘導され、ナオミお婆ちゃんはかごに乗った。
「ありがとう。甘えさしてもらうわね。階段がこんなに楽しい思い出に変化するなんて、少しも考えたことがなかったわ」
ゆっくりとその思い出と筋肉を噛み締めるように、伊勢原版石段かごは、こま参道を登り始めた。
チビTに僧帽筋や、広背筋の筋肉を浮かび上がらせ、歩幅を合わせ階段と平行に一段一段ゆっくり上がって行く村上筋肉倶楽部の後ろ姿を見ながら、私達も歩を進めた。
「なんというか、わかんないけどさ。やっぱり山って良いよな」
シーモンが、撮影しながら改まってその言葉を発した。
「はい。山って良いと思います。本当に楽しいです」
ひかりがそれに続く。楽しそうに喋る主人公感を出す二人を見ながら、私は『山って良い。海って良い』という、人間が必ず発しそうなこの言葉を最初に感じたのはいったい誰で、いったいなぜ、山や海に行ったらこのセリフを必ず言うという、伝統芸能にしたのか気になり始めていた。
この言葉を発した人間が、その場の主役になる魔法を不思議に感じていた。誰しもが、一度は主役になっても良いと言われているみたいに感じていた。
村上筋肉倶楽部を見かけたお茶屋さんや、お土産屋さんが、ナオミお婆ちゃんに優しく声を掛けてくれる。
「大山詣りへようこそ。ラジオ聴いてたよ。いってらっしゃい」
「帰りに寄っていって。今日はいい天気だからきっとキレイに景色が見れるよ」
ナオミお婆ちゃんは、少し照れながらも会釈をし、手を振りながら楽しそうにしていた。
「あ、セイセイくん。厚焼き玉子最高だったよ」
「今度お店行かしてね。私も元2なのよ」
「この間はありがとうね。今度うちにも来てね。一緒に呑みましょうよ」
なぜだか、通り過ぎるセイセイにも、色んな方面から声が飛んだ。イケメンは、こんなところにまで、自然とイケメンとして知られてしまうのかとビックリしていた。
「お前、何したんだ」
私は、セイセイに聞いた。
「あぁ。この間リハーサルしたろ。安全性と、かごが本当に大丈夫かを確認するためにさ」
「あの日か。試しに俺が乗った日ね」
私達は、一度きちんとリハーサルをしている。やるなら真面目にふざけるが基本であり、やれる範囲で、自分達が一番面白いと感じたことを選択する。それが一番自分達が楽しめる方法だと知っているからだ。
「あの日、俺後ろから見てただろ。見てたらさ、やっぱり横に幅を取るんだよ。通路の半分くらいは塞いでしまう。それって他の人の迷惑にもなるかも知れないだろ。たまに来て一瞬だけふざけて帰るのも違うかなって思ってさ。シーモンに聞いたら大山の商工会の代表を知ってるって言うから、紹介してもらったんだ。会える範囲で挨拶させてもらってさ、厚焼き玉子を配ってラジオのことも言っといたんだ。出来れば全員味方であって欲しいだろ。ちゃんと話したらやっぱり皆温かくてさ。応援してくれたよ」
「ちなみにな。厚焼き玉子の箱に割引券と今日の大山詣りの日付と、お店とラジオの案内印刷しといたのは、俺のアイデアだ」
セイセイとシーモンが箱を見せびらかす。
完全にやられた私は、太宰の自棄箸でも作って、「人間失格の味がする」と二人に呟いてやろうかと考えていた。
何気なく、何もなかったかの様に、本当に大事なことを伝える二人に、普段ならなぜ言わなかったと、怒りそうだったが、私は二人に対する感謝から「山のせい」にすることにして正直に話した。
「ごめんな。そういう本当に大事なことに気付かなくてな。ついやりたいことを優先してしまうからな。いつも周りのことを考えて、そういうケアをしてくれてるから、俺は自由に楽しめてるわ。ありがとう」
私にしては、珍しく素直に言えた感謝に、本当に思っていることとは、そのまま滑るように口から出ることを知った。
「ヨッキ。別にお前のためにしているワケじゃないぞ。俺が楽しむために、それが必要だっただけだ。それにな、まずお前がいつもこういう面白いことを思い浮かべてくれるから、俺も楽しめるってことだ。人には与えられているその役割がそれぞれ違うんだ」
「そういうことだな。俺も面白いことに混ぜてくれてありがとな」
セイセイとシーモンに立て続けに気持ちを伝えられた。
「やっぱり皆さんすごく素敵です」
真っ直ぐな言葉をひかりに言われて、ドキドキしたが、よく考えると、この話の中では、私は何一つ素敵なことをしていないと気付いてしまった。
「ま、俺達も大人になったな」
私はそう言いながら、若い頃は若い頃で、その時出来る全力の遊び方をしていた私達が、周りを見ながら、人に頼るべきところは、頼ることを学び、それぞれの一歩を同じ方向に進めた方が楽しいことを感じていた。そして、それが歳を重ねるということならば、それは悪いことだけでもないと思っていた。
満を持して私も「山は良いな」と言ってみたが、誰の心にも響いた様子はなかった。
362段の階段をあっという間に登り終え、私達はケーブルカーの駅に着いた。ここから約六分で、もう阿夫利神社の下社へ到着する。
「ナオミさん。ご利用ありがとうございマッスル。帰りも乗せて行くので、よろしくお願いいたしマッスル」
どういう会話をしていたのか知らないが、村上筋肉倶楽部とナオミお婆ちゃんは、マッスルで打ち解けあっていた。
「こちらこそ。ありがとうございマッスルね。しっかり見てくるわね。まずは筋肉から感じるようにするわ」
「素晴らしい。第一の感覚は筋肉から。それは正しい人間の感覚です」
三人は、上腕二頭筋を絡ませながら、お別れをしていた。
「ヨッキさん。ありがとうございました。自分達、さっき約束したお土産屋さんにいたお婆ちゃんをここまで届けるんで。他にもかごの需要ありそうなので、今日一日、筋トレがてら石段かごしてます」
これも、セイセイとシーモンの根回しの成せる技かと思った。あらかじめ迎え入れてもらった先には、次へ繋がる何かがある。
「やれやれ」
私は、村上筋肉倶楽部に敬意を込めて告げた。
大山観光電鉄が運営するケーブルカーは、全長約0.8km単線2両交走式で高低差は278mになる。駅は、「大山ケーブル駅」「大山寺駅」「阿夫利神社駅」の三つを六分で片道を結ぶ。改札を抜けホームに出ると、山の勾配が分かるように足元が階段状になっている。
山の景色と調和する新緑色の車両が入ってきた。僅か六分で終点まで着く。車両は、その景色が分かるように、窓を大きく作ってある。この車両からでも伊勢原の景色は見える。
「ナオミちゃん。せっかくだから景色見るのもったいないよね」
私が伝えるまでもなく、ナオミお婆ちゃんは視線を景色と反対方向へ向けていた。この六分は、誰も何も話さなかった。秒にするとたった360秒だけど、私はナオミお婆ちゃんの背中を見届けることにした。
車内は、観光客や登山客でいっぱいで、話し声と車内アナウンスで溢れていた。最終地点へ登りながら、誰も何も話さないのは、そこで終わりを迎えるのを、皆知っていたからだと思う。何事も、進めている時間、向かっている時間を楽しく感じてしまう。終わりを考える余韻のなかで、楽しさに寂しさが混ざり、それが逆になっていく時間が過ぎていた。
私が上手く説明出来なかった気持ちの正体に気付いた。このはなしは、最初から、私はただ寂しかっただけだったのだと自分で納得をした。
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