プレゼントされた星野道夫は、私の指針を再び示すのに必要なことだった。
星野道夫の本を同じ時期に別の方から、別々の本をいただいた。私が忙しくしている時期に何かを感じてくれたからかもしれない。とても嬉しく感じた。
少し前までの自分は読書の話を人にすることや、その感想を言い合うこと、本が好きだということを伝えることすら信じられなかった。事実今でも私が読書を好きだと知って付き合っている地元の仲間など一人もいない。
それはそれで今までの自分を否定したくはない。
しかし、それとは別に自分の根幹を話せる人に出会うということを知ってしまった今は今後の自分の人生がさらに豊かになるとしか思えない。
SNSの有り難さを知れた。共通の価値観を共有出来る楽しさを知れた。反面、怖さも知れた。自分を知ってもらおうとするあまり、過度な表現に向かう場合がある。
疲弊した私はInstagram辞めたけれど。
辞めて受ける享受をまざまざと知れている。何とかその輪の中の一部であろうとどこかで無理していたかも知れない。弱い人間である。これが誰にでも当てはまるものではないと思うが。
何かきっかけがあれば戻るかも知れないし、このまま戻らないかもしれない。戻らなくてもいいと思える出会いを得たので、そこを熟成させる方が面白いとも感じる。
選択はその都度後悔なく覚悟してからでいいと思う。
自分の人生に一つの区切りがついて、ようやく自分を見つめる時間が出来てきた。私のためにプレゼントをしてくれた星野道夫は、私を再び読書の道へ戻すのにもってこいの時間になった。
人に本をプレゼント出来るような人物になりたいものだ。相手のことを考え、相手の時間を奪うことになる本をプレゼントするというのは、読書好きだけどそれを知っているだけにとても勇気がいる。
私は意図して本を人にプレゼントしたことは今でもないし、今後もする可能性は低いと思う。
それだけ本をプレゼントするというのは、ハードルが高い。もし、私が今後プレゼントするようなことがあるとしたらそれはきっと可愛い文学ギャルだろう。それしかない。夢見てる。そして感謝のハグをされたい。
いつの間にか願望が駄々漏れしました。
星野道夫が語るアラスカや、自然に対しての考え方。自分がアラスカに渡ることになった経緯を色々な講演内容から読み取れるが、同じ事を話しているのにどれもすんなり心に入ってくる。
星野道夫の言葉に嘘がないからだ。
自分がアラスカに渡ることになったきっかけを、自然の成り行きと同じように淀みなく語れるのは、それを自分の人生において当たり前の事ときちんと消化出来ているからだ。
生きるということに於いて、自然と共に生きると決めた人の自然との寄り添い方や、太陽の有り難さ。自分は、自然の一部で生かされているということに敬意を持って暮らす。当たり前に自然に感謝する。
これに全くの嘘がなく、そのままを優しく伝えようとしているから響くのだと思う。
ある種の覚悟を決めた人間の言葉は、その表現方法において、攻撃性を持たなくとも人に突き刺せる事が出来るのであると知れる。
今後の自分がどういう人生を歩むかは知れないが、今までもそうだったように、私も覚悟を持って自分なりのエンターテイメント人生を全うしていきたい。
私のnoteの考え方は、自分の思想を記し表現を求めていくこと。他のSNSに比べて主にコメント欄のみの交流なので、他者との交わりが少ないことはとても楽しいし居心地がいい。何より今は、読書に時間を費やしたい。
それでも良ければお付き合いいただきたいです。
星野道夫を読み終わり、私はまだ会ったことはないが、私にとって大事な方になり得ることを知っている一人の方に連絡を入れた。
「読書の感覚を取り戻し、それから自分が向かいたい道を追求し思うことを話したい。だから年が明けてからお会いしたい」
その方の返事は、こうだった。
「会うのはいつでも会えますから。思う存分読書に耽ってください。私も文学の淵をフラフラと彷徨っていますので」
私の人生にまた色がつくと思う。
そして、これを聞いて私は迷わず年内は女子に走ろうと誓った🏃
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