待川匙の世界に引っ張られた私は、現実と虚構を存分に楽しむことにした。
「あなたに読んで欲しい本があるの」
黒い服を着て、真っ赤な口紅の女性は私に一冊の本を与えた。本を与えた指は、それが必然のように真っ赤なネイルだった。そして、赤に添えられたその本も、それを主張するように、真っ白だった。黒、赤、白。カウンターに座り、右隣に居るその女性を見て、ふと「隣に女性を座らせるには、右隣に居てもらい、左目で自分を認識させた方が良い。右脳で感じさせるんだ」という真偽は分からないが、魅惑的な言葉を思い出していた。本を私に手渡す女性の佇まいは、どこか現実とは違う気もしていた。
記憶とは曖昧なものだが、私の記憶が確かなら、この本との出会いとはそういう出会い方だったと記憶している。いや、することにしたのかも知れない。
どうして、本を読んでいる時にそんなことを考え始めたのか。この物語の「たしかな事象」とは何か、現実と虚構は簡単に入れ替わり、事実を事実として受け入れるのかは、自分の意思によるものと、突きつけられたからなのかも知れない。
あまりにも、曖昧で自分すら危うくなる。
この、世界観を描ききっている凄さ、文体の持つ危うさ、ギリギリを歩いている脆さが、絶妙なバランスで成立している。
こんな、表現を出来る人がいるんだ。
読み進めるうちに、心に落ちてきた言葉です。何を描くではなく、作品を表現として認識したい。掴みたいけど、掴めない「曖昧」だけど、確固としている人の意識の中に入り込めるような作品だった。
この違和感の中にいるのが、とても居心地がいい。
どうして、私に読ませたかったのかがよく分かる。私が書きたいけど、たどり着けない世界が存分に「小説」として拡がっているからだ。
すごい。
ここまで行けたら楽しいだろうな。という世界と言葉の渦の中に溺れるのを感じた。
自分の言葉は、いつか「表現」になり得るだろうか。この本を読みながら、考えていた。
読み終えた私は、曖昧な記憶を振り返り、あの日は中目黒のスタバでお酒を飲んでいたような気がした。
黒い服の女性は、目を細めれば寿司柄が浮いてきそうな気もしたが、気のせいかも知れなかった。
「あなたが、私に話したことは私が叶えるわ」
たしかにそう言った女性の強さに、やれやれと思いながらも、悪い気はしなかった。
「それと、もう一つ。ミルコちゃんが童話を書いてくれたら、私が絵を書くの。それも夢」
女性は、それも叶えるのは当然なのと決まっていることのように私に伝えた。
「なんのはなしですか」
と、言うことはやめておいた。現実と虚構は曖昧でいい。
すっかり、女性の発するエネルギーに当てられた私は疲弊して、かなりタイプの女性に「何も聞かずに、癒して欲しい」と連絡した日の出来事。
私は路地裏を散策することにして、女性は表通りに向かって行った。
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