ヘレン・ケラーとサリヴァン 戯曲・映画『奇跡の人』と実話のギャップ Helen Keller Didn't Say "Water." And Yet, a True "Miracle" Occurred

Claude Opus4.6
ヘレン・ケラーは井戸端で「ウォーター!」とは叫んでいない——それでも、本当の「奇跡」は起こった
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Helen Keller Didn’t Cry “Water!” at the Well – And Yet, a True “Miracle” Did Occur
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Gemini
井戸のポンプで、少女は叫んだ。「ウォーター!」
多くの人が知る、光なき世界に言葉が生まれた瞬間。 映画や戯曲で描かれたこの感動的なシーンは、しかし、作られた「神話」でした。 これから、脚色される前の、ヘレンとサリバン先生が経験した本当の物語を探ります。
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英語版
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Helen Keller Didn't Say "Water." And Yet, a True "Miracle" Occurred
日本語版
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ヘレン・ケラーは「ウォーター」とは言っていない。それでも、本当の「奇跡」は起こった
誰もが知る感動的なシーンがあります。激しい感情のぶつかり合いの末、井戸端で冷たい水を手で感じたヘレン・ケラーが、初めて「ウォ、ウォ(Wa-Wa)」と声を上げて言葉を発見する――。これは演劇『奇跡の人』、そしてそれを映画化した『ミラクル・ワーカー』のクライマックスとして、世界中の人々の心に深く刻み込まれてきました。
しかし、もしその感動的なクライマックスが、実は史実とは異なるフィクションだったとしたら、どうでしょうか?そして、本当の物語は、映画の演出以上に、静かで、しかし魂を揺さぶるような深遠な真実を秘めているとしたら?
本レポートでは、ヘレン・ケラーの自伝『私の生涯』と、その教育者であるアン・サリバン先生の手紙という一次資料をひも解き、通説と実話のギャップを明らかにします。そして、その向こう側に見えてくる、本当の「奇跡」とは何だったのかを、平易な言葉で深く掘り下げていきます。
演劇と映画が作り上げた「劇的な奇跡」
戯曲『奇跡の人』(原題: The Miracle Worker)と、それを基にした1962年の映画『ミラクル・ワーカー』は、ヘレン・ケラーの物語を世界に広める上で絶大な影響力を持ちました 1。これらの作品では、目と耳が不自由なために衝動的な行動を繰り返す「野獣」のような幼いヘレンと、彼女をなんとかして教育しようと格闘するサリバン先生との間の、壮絶な物理的・精神的な闘いが描かれています。
その物語の頂点に置かれたのが、あの井戸端のシーンです。劇中、激しく抵抗するヘレンを井戸小屋に連れて行ったサリバンは、ヘレンの手に冷たい水を流しながら、何度も「w-a-t-e-r」と指文字を綴り続けます。すると、ヘレンの荒々しい抵抗が止まり、彼女は突然、喉から絞り出すように「ウォーワー」と叫び、その言葉を発した瞬間、二人の間に通じ合ったかのような「奇跡」が起こったと描かれます 3。
このシーンは、観客の心に強烈なカタルシスをもたらす見事な演出でした。ヘレンの内面で起こった、言葉の概念を発見するという静かで知的な変化を、戯曲家ウィリアム・ギブスンは、激しい肉体的な葛藤の末に訪れる、視覚的・聴覚的に訴えかける劇的なクライマックスへと昇華させたのです 4。この演出は、ヘレンの魂が闇の世界から解き放たれるという普遍的なテーマを象徴的に表現しており、物語を成功させるために不可欠な脚色でした。しかし、この感動的なシーンこそが、史実とは異なる「ヘレン・ケラー神話」を生み出すきっかけとなったのです 5。
このフィクションと史実のギャップを明確にするため、井戸端のシーンにおける両者の描写を比較した表を作成しました。
項目演劇・映画(フィクション)自伝・手紙(史実)
ヘレンの行動
激しく抵抗し、最後には「ウォーワー」と声を出す。じっと立ち、先生の指の動きに全神経を集中させる。声は出さない。
サリバンの行動
強引に井戸に連れていき、何度も指文字を綴る。感情的な格闘の後、気分転換の散歩に連れていく。井戸で水を汲む人がいたため、ヘレンの手を水の下に置く。
井戸の場所
井戸小屋
ケラー家の敷地内にある井戸小屋 6
感動のピーク
激しい抵抗からの解放と、「ウォーター」という言葉を発した瞬間。「w-a-t-e-r」という指文字が「水」を意味すると悟った瞬間、内的な啓示が起こる。
ヘレンの反応
物理的な葛藤から解放され、発声する。悟りを得た後、すぐに家に戻り、他の物に名前を尋ねるなど、知的な探究心を示す。
ヘレンの自伝が語る「静かなる啓示」
次に、ヘレン・ケラー自身の言葉に耳を傾けてみましょう。彼女の自伝『私の生涯』には、井戸端での出来事が、激しい感情の爆発ではなく、静かで深い内面の変化として記述されています。
ヘレンは、サリバン先生と「マグ」と「ウォーター」という言葉について喧嘩になった後、怒りで人形を壊してしまいます。先生は気分転換のために彼女を散歩に連れ出し、二人は井戸小屋に向かいました 1。そこで、水を汲んでいる場面でサリバンは、ヘレンの片手を噴き出す水の下に置き、もう一方の手にゆっくりと、そして速く「w-a-t-e-r」と綴りました。
この瞬間について、ヘレンは自伝でこう語っています。
「突然私は、なにか忘れていたものについての微かな意識、わくわくするような思考のよみがえりを感じました。そして、どういうわけか、言語の持つ秘密が私に啓示されたのです。私はその時、w-a-t-e-rという綴りが、私の手の上を流れている、この素晴しい、冷たい物を意味していることを知ったのです。この生き生きとした単語が、私の魂を目覚めさせ、光と希望と喜びを与え、(暗黒の世界から)解き放ったのです」 2。
この記述からは、ヘレンが声を上げたという事実はありません。むしろ、彼女の描写は、流れる「水」という具体的な感覚と、「water」という抽象的な「概念」が、初めて脳内で結びついた瞬間の、知的な「啓示」であったことを物語っています。これは単なる単語の暗記ではなく、「言葉」という体系そのものの発見でした。
この啓示がもたらした影響は、驚くべきものでした。井戸小屋を去った後、彼女は「すべての物が名前を持ち、各々の名前が新しい思想を産み出すのです」と述べ、触れるすべての物が「生命に溢れてうち震えている」ように感じられたといいます 1。さらに、彼女は家に戻ると、怒りで壊した人形の破片を探し、初めての後悔と悲しみを感じました。言葉の発見は、彼女の知性を解き放っただけでなく、感情や倫理、自己認識といった、より深い人間性をも目覚めさせたのです。この知の覚醒が人間性の回復へと連鎖したことこそが、本当の物語の核心にある感動です。
サリバン先生の手紙が語る「教育の真実」
この出来事を、サリバン先生はどのように見ていたのでしょうか。彼女はヘレンの家族に宛てた手紙の中で、この日のできごとを詳しく報告しています。
サリバンは、井戸端でヘレンが「water」という単語を理解した後、
「彼女は地面にばたっと横になってその名前をたずね、ポンプとトレリス(格子垣)を指差し、それから突然私の方に向き直って、私の名前をたずねました」
と記しています 7。ヘレンの探究心は、水という物体から、先生という人間へと向けられ、言葉の学習は堰を切ったように始まったのです。
この出来事は、ヘレンとサリバンの関係がなければ起こり得ませんでした。サリバンは、ヘレンが感情的な安定と信頼を築くことから教育を始めました。これは、言葉の前に「伝えたい相手」と「感情」を育むことが、言語習得の土台となるという教育上の重要な真実を指し示しています 8。井戸端のシーンは、サリバン先生が数週間かけて築き上げた、ヘレンとの深い信頼関係という土台の上に咲いた花であり、その教育の「成果」が結実した象徴的な瞬間だったのです 9。
本当の「奇跡」は井戸端の一瞬ではない
実は、サリバン先生は井戸端の出来事よりも早く、すでにヘレンの変貌を「奇跡」と呼んでいました。
井戸端の出来事からおよそ2週間前の3月20日、サリバンは手紙の中で、
「私の心は今朝喜びに高鳴っています。なんと、奇跡が起こったのです!」
「2週間前までは飼い慣らされていない小さな生き物であった者が、一人の穏和な子供に変身しているのです」
と書いています。
この記述は、サリバンにとっての「奇跡」が、言葉を覚えるという知的な出来事ではなく、ヘレンが感情的に落ち着き、先生の愛情を受け入れ、従順さという最初の重要なレッスンを学んだこと、つまり彼女の精神的な変貌全体であったことを示しています。ヘレンは三重苦という暗闇の中で、愛と忍耐によって、教育を受け入れられる人間へと変わっていったのです。
一般に「奇跡」と認識されている「言葉の発見」は、この精神的な成長のプロセスの上に成り立っています。本当の「奇跡」は、愛と忍耐によって築かれた信頼関係であり、荒れ果てた魂が教育を受け入れる準備ができたその瞬間の、静かで内面的な「変貌」だったのです。
「ヘレン・ケラー神話」がもたらした光と影
演劇や映画が作り上げた「ヘレン・ケラー神話」は、ヘレンの物語を世界に広める一方で、いくつかの誤解を生み出してきました。
第一に、戯曲におけるヘレンの「野獣」のようなイメージが、障害者全般に当てはめられてしまう危険性です 5。このドラマチックな描写は、障害を持つ人々がまるで「教育によって矯正されるべき存在」であるかのような偏った見方を助長しかねません。
第二に、この物語が「教育さえすれば『奇跡の人』のようなことができる」という過度な期待を、障害児を持つ親に抱かせてしまう可能性があります 5。しかし、サリバンの教育が成功したのは、彼女自身の生い立ち(幼少期の視覚障害)がもたらした深い共感と、彼らの関係性が外部の干渉から切り離された環境(小屋での生活)にあったことも重要な要因でした 10。物語を単純化し、魔法のような出来事として捉えることは、複雑な現実を見過ごすことにつながります。
第三に、日本語訳の『奇跡の人』というタイトルが、本来の「奇跡を起こした人」(アン・サリバン)ではなく、「奇跡が起きた人」(ヘレン・ケラー)に焦点が当たってしまったことです 5。これにより、ヘレンの偉業はサリバンの終生の献身的なサポートなしには成し得なかったという事実が、しばしば見過ごされてきました。
実際に、生まれつき視覚に障害を持つ作家ジョージナ・クリーグ氏は、常に「どうしてヘレン・ケラーのようにできないの?」と比較されてきた苦悩を著書で語っています 11。この比較は、障害を「克服すべきもの」という一方的な視点を強化し、障害を持つ人々を「健常者の基準にどれだけ近づけるか」という評価軸で見てしまう危険性をはらんでいます。
静かなる真実が、もっとも深く心を打つ
結論として、井戸端での出来事は、映画や演劇が描いたような劇的な「叫び」の瞬間ではありませんでした。それは、サリバンのたゆまぬ努力と愛情が、ヘレンの魂に静かな「啓示」として結実した瞬間だったのです。
ハリウッド的な演出による奇跡も感動的ですが、史実が示す、たった一人の教師が愛と忍耐をもって一人の人間の魂を解き放った静かなる物語、そしてその後の生涯にわたる絶え間ない学習と努力のプロセスこそが、より深く、普遍的な感動をもたらします。
神話を超え、一次資料から読み解く本当のヘレン・ケラーとアン・サリバンの物語は、教育とは何か、人間性とは何か、そして愛と信頼が持つ計り知れない力について、私たちに最も重要なことを教えてくれます。物語の「奇跡」は、一瞬の魔法ではなく、たゆまぬ努力と関係性の中にこそ宿っているのです。
資料リンク
ウォーターとは言っていないヘレン・ケラー
戯曲・映画のフィクション演出でした。
https://www.deafcomic.jp/Biography/HelenKeller.html
実際はどうだったのか?
ヘレンは、彼女の人生で最初の、偉大な洞察力を与えられました。 1887年4月5日、その日はヘレンにとってもサリバンにとっても決して忘れられない日であり、また教育の歴史においてよく知られるようになる日です。その日、ヘレン・ケラーは、彼女を取り巻いている暗黒の世界を脱したのです。彼女は人間の言語を発見したのです。
ヘレンと先生は朝の厳しく辛い授業をしていました。ヘレンは我慢できなくなって、怒り始めました。ついにサリバンは あきらめ、ヘレンを散歩に連れていくことにしました。彼等は井戸小屋のポンプの方へ向いました。ヘレン・ケラーはその時のことを、『私の生涯』という自著の中で、次のように記述しています。
「だれかが水をくんでいるところでした。先生は私の手をその水の吹き出し口の下に置きました。冷たい水が片方の手の上をほとばしり流れている間、先生はもう片方の手にwater》という単語を、始めはゆっくりと、次には速く、綴りました。私はじっと立って、先生の指の動きに全神経を集中させました。突然私は、なにか忘れていたものについての微かな意識、わくわくするような思考のよみがえりを感じました。そして、どういうわけか、言語の持つ秘密が私に啓示されたのぜす。
私はその時、 w-a-t-e-r という綴りが、私の手の上を流れている、この素晴しい、冷たい物を意味していることを知ったのです。この生き生きとした単語が、私の魂を目覚めさせ、光と希望と喜びを与え、(暗黒の世界から)解き放ったのです。実のところ、まだ越えなければならない障害はありましたが、その障害もやがては取り払われるはずのものでした。
たまらないほど勉強したくなって、私は井戸小屋を去りました。すべての物が名前を持ち、各々の名前が新しい思想を産み出すのです。家に戻ると、私の触るあらゆる対象が、まるで生命に溢れてうち震えているかのように思えました。」
先生も生徒と同様にわくわくしていました。その日のホプキンズ宛ての手紙の中で、サリバンは、ヘレンが water という単語を数回綴った後、
「彼女は地面にばたっと横になってその名前をたずね、ポンプとトレリス(格子垣)を指差し、それから突然私の方に向き直って、私の名前をたずねました」
と書いています。
サリバンはその時ゆっくりと t-e-a-c-h-e-r とヘレンの手のひらに綴りました。
本当の「奇跡」
サリヴァンにとっての奇跡です。
ヘレンと先生は、ケラー家の農場の小屋に移り住むことになりました。そこでは、直ちに先生と生徒の関係が好転しました。
引っ越ししてから1週間後の3月 20日、サリバンはホプキンズへの手紙で次のように書いています。
「私の心は今朝喜びに高鳴っています。なんと、奇跡が起こったのです!…
2週間前までは飼い慣らされていない小さな生き物であった者が、一人の穏和な子供に変身しているのです。ヘレンは、落ち着いた幸せそうな表情で、鉤針を使ってスコットランド産の赤い毛糸で鎖編みをしながら、こうして手紙を書いている私の傍らに座っています。彼女は今週編み物を習い覚え、その成果をとても誇りにしています。」
さらに手紙は次のように続きます。
「今彼女は、私がキスするのをすなおに受け入れています。そして、とくに穏やかな気分の時には、1、2分間私の膝に座ろうとします。…
大きな一歩、重要な一歩が踏み出されたのです。あの小さな無作法者は、従順さについての最初の授業を習い終えました。…
いまや、子供の魂の中に芽生え始めた優雅な知性を導き形成していくことが、私のたのもしい仕事になっているのです。」
関連
映画『奇跡の人』
竹内敏晴
1996
からだ・ことば・こころ
からだとことば…
「映画『奇跡の人』
ヘレンケラーという人はご存じでしょう。
その先生が、アン・サリバンです。
ヘレンケラーとアン・サリバンとの、出会いから苦労を描いた映画に、『奇跡の人』というのがあります。もともとは戯曲なのですが。
『奇跡の人』は、1942年くらい、つまり、日本でいえば戦争の真っ最中に書かれた戯曲で、戦争の終わりころ、日本が負ける前の年くらいに映画になり、戦争が終わって、全世界でみられた映画で、当時、絶賛され、非常に評判でした。
ヘレンケラ一とサリバンの出会い
確か、ヘレンケラーが9歳、アン・サリバンが21歳くらいの頃でしたか。
ヘレンケラーの家は、アメリカの南部にある。生まれたとき、ヘレンは非常に健康な子どもだったが、1歳9カ月ころ、高熱にかかる。1週間くらい高熱が続いて、命は取り留めたが、その後、目も見えず耳も聞こえず、もちろん口もきけない。
そのころはまだ、聾学校や盲学校がほとんどなく、実験的にでき始めた頃で、ヘレンの教育のためには、家庭教師を雇わなければならなかった。
そこで選ばれたのが、盲学校をトップで卒業した、アン・サリバンだった。彼女は、家庭教師に迎えられて、北部から南部へ来る。南北戦争が終わって幾年もたたない頃なので、北部から南部へやってきたということだけで、南部では大変なことだった。いろんなことが起こります。
手づかみで食べるヘレン
アン・サリバンがヘレンの家に来て、次の日の朝のこと。食堂にサリバンが下りてくる。席に着く。ヘレンが後から入ってきて、食卓を触って回っていく。匂いで分かるのでしょう。好きなものを手をつっこんで食べる。次から次へと食べる。皆は、そうして育ってきたものだから何も言わない。サリバンのところへ来て、皿に手をつっこもうとする。
サリバンは、それをつかまえ、手を入れさせない。ヘレンは怒ってバタバタするが絶対に入れさせない。大ゲンカになる。母親たちが、今までそういうふうにしてきたのだから、勘弁してやってくれと言うが、サリバンは聞かない。
「あなたがたは、この子をペットの犬か猫と同じように扱っている。これが人間の子どもで、ちゃんと一人前の人間として生きていかなければならないと思ったら、そのままにはしておけないはずだ」
そう言われると、今度は父親たちが怒る。今まで、自分たちが随分苦労して、なんとかしようとしたが、誰にも何もできなかった。だから、サリバンを雇った。そんなこと言うなら、教育して見せてもらおうということになります。
戯曲では、このとき、「それではこれから教育を始めます」と、サリバンが宣言をします。
「みんな、出ていって下さい」と言って、鍵をかけて、戸を閉めて、それで始めるというふうになっています。これは実際とは違うようですが。
大格闘の末に
みんながいなくなったのに気がつき、ヘレンはおかしいなと思う。自分も出ていこうとすると、ドアに鍵がかかっていて出られない。怒る。こっちから行ってもため。あっちから行ってもだめ。ふてくされて、椅子にボーンと座る。サリバンが近づくとはねつけます。
サリバンはとにかく、椅子に座らせて、ナプキンをつけさせようとします。それを突き飛ばして」机の下をくぐったり、机の上を這って越していく。つかまえて、椅子に座らせて、スプーンを握らせる。豆かライスかを口へ入れる。この大騒ぎを延々と繰り返す。朝の食事が、仮に8時とすると、お昼が過ぎても、こんななすさまじいけんかを延々と続けるのです。
外では母親たちがハラハラしている。昼過ぎになって、二人はへとへとになって、サリバンはやっと、ヘレンを母親に渡した。
へレンは母親に泣きついてワーと泣いた。母親が「いったいどうしたんです」と聞くと、サリバンは、「ヘレンはスプーンでお皿から食べました」と言う。そして「ナプキンをたたみました」と。
そこまで、少なくとも5時間ほどの特訓で、映画では、サリバンが、階段をよろよろ登って、三階の彼女の部屋にいくところでそのシーンは終わります。
これは有名なシーンで、映画の観客は、みんな感動しています。
何故こうまでと、行儀の特訓に腹が立つ
私は、初めてこのシーンを見たとき、ものすごく嫌な感じがしました。いい映画だと聞いているので、そのときはまだ腹が立つというところまではいかなかったが、とにかく、我慢できません。
ヨーロッパやアメリカで、ナイフとフォークで食事をするのが礼儀正しいというのは、たかたか、200~300年くらいのこと。ゲーテの自伝のようなのに、子どもの頃にフランスの方からこの習慣が入り、上流階級はパーティがあると、戦々恐々とし、緊張して出かけたとある。その前は、手づかみだった。
どうして、サリバンは、こんなふうにするんだろうと、私は腹が立ちました。
それから10年ほどし、私が芝居の演出をするようになって、この本を演出しないかと、原文の台本が持ち込まれます。
とにかくと、台本を読んだが、やはり、どうしても納得がいかなくて、断った。」
「一番最初に取り組んだのが、このシーンです。何故このように暴力的に無理やりに行儀を教え込まないといけないのか。
もう一度ていねいにサリバンの手紙を読むと、少々なんか違う。映画では、やれるだけやってへとへとになって、階段を上っていく。南軍をやっとのことで打ち負かした北軍の凱旋将軍のイメージが重ねられています。
しかし、彼女の手紙を読むと、部屋に入るなり、いきなり泣けるだけ泣きました、と書いてある。随分長く泣いてやっと気持ちが落ち着いたらしい。これは一体何を言ってるんだろうか。
人としてのサリバン
アン・サリバンは、孤児で、弟と二人で、貧救院に入る。貧乏な人を救うという字を書いてそう訳してあるが、病気で死にかけている売春婦や、おばあさんもいっしょに入っている。売春婦が産んだ、オデキだらけの子どもが這いずり回っているような所で、弟は栄養失調でしょう、死に、彼女は目が見えなくなってしまう。
彼女は生き延び、大きくなってから、盲学校へ収容されます。そのころ、盲学校はあまりなく、目の見えない人が、どのように文章を読んだり、書いたりするかの方法が探られ始めた頃です。
彼女は、同級生が6、7人の中で、一番教師の言うことを聞かず、年中けんかばかりしていたそうです。
ヘレンの家庭教師になって、今度は自分が、ことばを教えなければならない。そのために、辞書をひいたり本を読んだりする。彼女は、度の強いメガネをかけて、顔にくっつけるようにして本を読んでいました。
また、目が弱く、明るい所では目が痛んで見えないので、できるだけザングラスをかけて目を隠していた。
そういう苦労をした、しかも激しい気性の人が、ヘレンにあのような強制的なことでをしたら、どれほどヘレンが嫌がるか、分からないはずがない。からだで分かっているはずだと私は思いました。
それが、なぜここまでこういうことをもたのかというふうには、『奇跡の人』の作者は考えていないと思われる。
サリバンは、ヘレンが嫌がる気持ちは、ものすごく分かるが、人間として生きていくためには、自分の欲望が勝手に動くままにしていてはいけないと、何回も言い、教えなければならない。その間にはさまれた当時のサリバンは、あのようにする以外に方法は見つからなかったということじゃないかと、私には思われたのです。
これは自分自身との斗いでもある。彼女は、必死になって、ヘレンと取り組み、6時間だかを使ってへとへとになって、部屋に帰る。そのとたん、ワーと泣いてしまったということだろうと、私には思える。
実際に私の舞台では、彼女が部屋に戻って泣いて泣いて泣くところまでしました。
その舞台を見た女の子たちが、大変感動したという手紙をくれました。
ヘレンに大きな変化が
こうなると、今度はヘレンの方が、サリバンを受けつけません。同じ部屋にサリバンがいると分かっただけで、窓を開けて飛び出していってしまうというくらい嫌になります。
だから、訓練もへったくれもなく、サリバンは完全に失敗します。接触が全部切れてしまう。
そこで、狩りのための小屋で、二週間、ふたりだけで暮らすということをしました。
同じベッドで寝て、一緒に食べるという生活です。もちろんヘレンは初め猛烈に怒り、暴れる。
毎日母親や父親が窓からのぞきにきます。その間にヘレンに顕著な変化が起こります。
まずナプキンをつけて、きちんと座っそ、スプーンで食事をするようになる。それから刺繍も習います。指文字を習います。きちんとした生活をするようになるのです。
両親は大変な喜びで、2週間たったから、家に戻したいと言う。サリバンはまだ早すぎると断ります。しかし、父親がどうしてもというので、家に戻ることになった。
歓迎の晩餐会です。みんな席にすわって、お祈りをして、食事を始めようというときに、ヘレンはおもむろにナプキンをはずして床に捨て、スプーンを床にたたきつけ、いきなり手づかみで食べ始めます。
二週間やってきたこと全部ゼロにする地点へ、一気に戻ってしまう。サリバンの皿に手をつっこむ、サリバンがぐっと手をつかまえ、また、けんかが始まる。
親たちはがっかりします。
親だけじゃなくて、映画を見ている観客の多く、特に学校の先生たちはそのシーンになるとがっくりくるらしい。
あんなに苦労して教えたのに、帰ったとたんに全部ひっくりかえされるなんて!と。
その気持ちは分かるけれど、私は、やったあと思うんですね。当たり前の話ですよ。
小屋では、言うこと聞かないと食べさせてもらえない。生活できないんだから。自分が勝手なことができるところへ戻ったら、言うことなんか聞くかと、全部たたき返すわけです。ヘレンは実にしたたかなエネルギーがあるなあと感心してしまう。
「ウオーター」
戯曲ではその先はこうなります-ヘレンが怒って、手にふれた水差しを振り挙げて、ぶん殴ろうとすると、水がダーとこぼれる。その空の水差しを持った手をそのままサリバンがつかまえて外へ引きずり出す。水差しに水を入れるためです。
ポンプの所へ引きずっていって、ヘレンの持っている水差しに、ガッチャンガッチャンと、ポンプから水を流す。
冷たいものを感じているうちに、ヘレンがあれっと思う。あっ、これがウォーターかとはっと気がつきます。へレンは1歳9カ月かで、発熱する前にことばが出始めていた。
「ウオラ」位に発音しかけていた。
それが思い出されてきたらしい。
「ウォーラー」と言い出す。
サリバンがびっくりして、「そうだよ、そうだよ」と言います。ウォーターというのを手に書いて教える。そうすると、ヘレンの方がサリバンの手にウォーターと書く。
これがウォーターか、じゃ、これは何だ。これはポンプだ。これはグラウンド。走っていって、これは何だ。これはハンド・・。
この戯曲の著者は、ヘレンが物には名前があるということを知った瞬間が、ヘレンに理性が宿った瞬間で、そういうことが起こったのは奇跡だと言います。それで、『奇跡の人』と名前がつくのです。
納得できないシーン
今のは映画のシーンですが、私はこのシーンにくると、あほぬかせと思ってしまう。
だって、小さな子どもが、今流に言うと、「このセンコー、たたき殺してやりたい」と思ってるのに、おとなしく引っ張っていかれて、水がジャーと出るのを黙って手を出して受けているはずがない。
こんなうそっぱち、よく芝居にしたと思ってしまう。だが、ものすごくうまく書けていて書き直しがとてもしにくい。
上演まで2週間くらいというときになっても、このシーンだけが、どうしても直せない。
「苦労したけどもうだめだ。このままいくか、それとも上演をやめるか、腹を決めよう」
スタッフを集め、会議をしました。
これまで外国に行っていたスタッフのひとりが、「俺は後からだけど、会議に入れさせてくれ」と言って、その場で「初めてサリバンの手紙を読んでいた。それが、これは台本と随分違うようだと言い始めました。
そう言われてびっくりした。私は、何年もかかってその手紙を読んでいましたが、ひったくって改めて読んでみたとき、初めて見えてきたことがあった。ちょっと待ってくれ、一晩考えるから、明日まで待ってくれと会議は中止しました。手紙ではこうなっています。
ヘレンが、食卓で手づかみで食べ、サリバンの皿に手をつっこむ。それを止める。
けんかになる。ここまでは同じだが、それから後について、サリバンは何も書いてない。
ぷつっと消えている。
何が起こったんだろうと、いろいろ他の資料で探っても、ちゃんと書いてあるものがない。それらをつなげて類推してみると「どうもこういうことだったらしいのです。
家庭教師を首になる恐れ
「あの小屋では2週間、あなたに全権を与えた。だが、今はこの家の全権は父親である私にある。私の命令に従えない者は出ていってもらいたい」
サリバンは、孤児で、帰っていくところがない。ボストンに戻っても、仕事は何もない。売春婦になる位しか方法はないが、目の見えない売春婦では、商売にもならないだろう。食っていくことができない。
サリバンが、どういう屈辱感に耐えたか分かりませんが、手紙はそこで一旦切れて、
「その晩、ヘレンは私の部屋に来ませんでした」
と書いてある。
サリバンは多分一晩中ずっとヘレンが来るのを待っていたのでしょう。ヘレンは来なかった。
次の日の朝に、サリバンは食堂に降りていくのです。
ヘレンの主張を受け入れる
ここからが大事なところです。
降りていくと、ヘレンはもうナプキンをつけて座っている。しかし、サリバンが教えた方法でなく、自分のやり方で胸に留めていた。ただじっと座っている。サリバンはそれを見るけれども何もせずに座った。
自分のやり方でやっているというところがミソなんです。
「あなたが、私に教えたかったことはこういうことでしょう。私なりにやればこうなるが、あなたはどう判断しますか」
こういうサインです。あるいは挑戦といってもいい。
ところが、ただ座っているだけですから、間りで見ている人は何もそんなことは分かりません。サリバンだけはそのサインを受け取っています。何もしないということで、サリバンはそれでいいんだよというサインを送り返したわけです。
もし、これが下手な教師だったら、
「なぜ私が教えたようにしないの?」
と直してやろうとするでしょう。そうしたり、ヘレンは、ワカッチャイネエンダナ!と、ガンとはねつけるでしょう。誰がお前の言うことなんかきくかということになる。
へレンの主張と、それに対するサリバンの受け止め方が見事です。この間、何の動きもない。もちろん一言も交わされないんですが。
周りで見ている人は、そういう火花の散るようなやりとりに、誰も気がつかない。
そこで、ヘレンはサリバンを、100%信頼するわけです。3週間か4週間かかりましたが、ここでやっとサリバンを信頼した。
平静な中でこそ起こること
「食事が終わると-と言うのだから、きっとスプーンを使って食べたのでしょう。ヘレンが私の所に来て、からだに触りました。私は、昨日の埋め合わせをして、仲直りをしようとしているのかと思って大変驚きました」
サリバンの手紙にこう書かれていますから、その日から、ヘレンは、外に行くのも帰るのも全部サリバンと一緒。指文字を習ったり、花や機にさわったりしながら、朝から晩までいっしょに暮らすのが1週間続きます。
そして、ある日、井戸のところで水を汲みます。彼女が水差しを支えていて、サリバンが水を汲んでいく。ザーッと水がかかって、冷たく感じる。そのときにヘレンの中で、「ああっ、これがウォーターか」というのが分かる。信頼し切った、集中の持続の中でこそこういう目覚めが起こり得る。
自分の中で、ことばを探ってみたことのある人は、すぐお分かりと思いますが、いろんな、全然関係のなかったことがすうっと集まってきて、「あっ、そうか」とぱっとひとつになる。
そういう瞬間は、深い集中にいる。かんかんになって喧嘩しているときに、ピカッなんてそんなわけにはいきません。
ある充実した平静の中で「ウォーター」という発見が起こります。
初めに野獣とみる間違い
私は、芝居を書き直して、サリバンが手紙で書いたとおりにやってみましたが、こうなっていく過程には随分いろんなことがありました。
作者がヘレンという人をどういう目で見ていたか、サリバンという人をどういう目で見ていたか、ということに関係します。
結局ヘレンは、ことばをみつけるまでは、野獣と同じであると見なしていると思われます。
人間以下、人間以前ということと同じです。ことばをみつけたときに初めて人間になり始めた、と作者は決めている。
それが私に一番最初から落ち着かなかったところなんだというのが、劇を演出してみて、やっと分かりました。じゃあ、人間とは何なのだ。
脚本では、サリバンが初めから一人の教師として描かれ、一匹の野獣のような人間をどういう苦労をして訓練して、人間であることを気づかせたかという話にしています。
ちょうど南軍を打ち破った北軍のグラント将軍と対比している。討ち破られても追い返されてもなんべん負けてもへこたれず攻めに攻めて、とうとう南軍を破ります。それと同じに並べて、戦いに勝った英雄として描いている。まことに、いい意味でもマイナスの意味でも、アメリカ人らしい楽天主義だと私などは思ってしまうのです。
だから、職業的な教師はこれを見ますと、あんなに苦労しながら教育して、とうとうあそこまでやったというふうに感動するわけです。
障害を持っている人間から見ると、サリバンがヘレンの中に自分を見、矛盾に泣きながら自分と斗っていった苦しみが見えてくる思いがする。
「ほんとにこの先公!何さらすねん」」
「奇跡は、別場面
手に水がジャーとかかって「ウォーター」だと気づく。それは確かに奇跡と呼ばれるようなことではありますが、サリバンがヘレンとつきあってて、
「今日、奇跡が起こりました」と書いている手紙がある。それは、そのことではありません。
だいぶん前の、狩りの小屋に一緒に暮らし始めて何日目かのことです。
「今まで手も触らせなかったヘレンが、私の、膝にのって、私のキスを受け入れました。まだお返しはしませんが」
私がとても好きなところです。
キスは受け入れるが、向こうからキスはしてくれない。しかし、とにかく私の膝にのって、私が抱いてキスをするのを受け入れてくれた。このことを、「奇跡が起こりました」と手紙には書いてあります。
私もそうだろうと思います。その瞬間に、そのときにヘレンと彼女の間に何かがつなにがったとすると、それから先、例えば「ウォーター」みたいなことは、結果として起こるか、起こらないか分からないけれど、ふたりが努力していくときに、起こり得る道に立ったということは言えると思います。
ふたりが一緒に歩いていける道に立ったということが奇跡なのであって、ひとつの結果が起こったことが奇跡なのではないのです。
ことばを喋ること
ヘレン・ケラーは、口話をできるようになって、喋るようになったわけですが、
「こういうことはどう表現をすればいい」
「こういうことばを使えばいい」
このようなことを毎朝1時間ほど、ずっと訓練したそうです。
それは、死ぬまで続いたといいます。」
The Story of My Life Helen Adams Keller
The story of my lifeAnne Sullivan
Blind Rage: Letters to Helen Keller Anne Sullivan
