リンク集 暫定仮説 音楽を届かす
今回のテーマ
聴き手の心を動かすのは「ズレ」そのものではなく、「音楽の構造を伝える意図的な表現」だということ。「ヘタウマ」の正体は、ランダムな下手さではなく、技術的な磨きとは別次元にある「音楽的意図の伝達力」

「上手い演奏」と「心に響く演奏」は別物——だけど、その理由は意外
アマチュア演奏者にとってこれは切実なテーマでしょう。「技術が未熟でも感動を与えられるか」。
結論から言うと、感動と技術は比例しない。ただし、その理由は「心がこもっていれば伝わる」的な精神論ではありません。
ピアノ演奏を徹底的に分析したBruno Reppの研究(シューマン「トロイメライ」の28種類の録音、ショパンの練習曲の115種類の録音を解析)が明らかにしたのは、プロの演奏者はメトロノームから「体系的に」ズレているということです。フレーズの境界で少しテンポを落とす、盛り上がりに向けて微妙に加速する——こうした逸脱は気まぐれではなく、楽曲の構造を聴き手に伝えるための「表現的逸脱」です。
ここからが面白いところ。Reppが10人の学生演奏の数学的な平均をコンピュータで合成したところ、その演奏は「質は高い」けれど「個性が最も低い」と評価されました。つまり平均的に上手い演奏は、心に残らない。
一方、「ランダムなズレ」(単なるミスタッチ、リズムのヨレ)が演奏を良くするかというと、実験的にはそうでもない。Sennたちが160人の聴取者で検証したところ、完全にコンピュータで量子化(グリッド補正)した演奏と、プロの元のマイクロタイミングを持つ演奏は、グルーヴ感の評価がほぼ同じでした。ズレを元の大きさ以上に誇張すると、むしろ評価は下がった。
これが示唆するのは、**聴き手の心を動かすのは「ズレ」そのものではなく、「音楽の構造を伝える意図的な表現」**だということ。「ヘタウマ」の正体は、ランダムな下手さではなく、技術的な磨きとは別次元にある「音楽的意図の伝達力」かもしれません。
アマチュア演奏者にとっての実践的な含意は明確です。ミスを恐れて萎縮するより、「自分はこのフレーズをこう歌いたい」という意図を体に通すことのほうが、聴き手には届く。技術はその意図を実現する手段であって、目的ではない。
6. シャーマンの太鼓トランスと「クラシックで涙」は、脳の中では全然違うことが起きている
モンゴルのシャーマン儀式で太鼓の音に反応してトランス状態に入る人がいます。フランスの探検家コリーヌ・ソンブランは、自らこの体験をし、科学者と協力してトランスを誘発する合成音を作りました。500人に聴かせたところ、85%がトランスに陥ったと報告されています。
これは「音楽の感動の究極形」なのでしょうか? 脳科学的には、ノー。
ソンブランの脳をEEGで調べたFlor-Henryたちの研究(2017)によると、トランス中の脳は前頭前野(論理的思考を司る領域)が強く抑制され、体性感覚野が活性化する。時間感覚が消失し、痛覚が低下し、自己と外界の境界が曖昧になる。
一方、コンサートで音楽に感動して鳥肌が立っているとき、前頭前野は正常に機能しています。報酬系が活性化して快感は感じるけれど、自分が誰で今どこにいるかはちゃんとわかっている。涙が出ても、自分が泣いていることは自覚できる。
民族音楽学者のRouget(1985)はこれを理論的に整理して、トランス(集団的・高覚醒・感覚過剰の中で達成、健忘を伴う)とエクスタシー(孤独・静寂・感覚遮断の中で達成)を明確に分けました。そしてどちらも、コンサートホールで「じーんとくる」あの体験とは質的に異なる。
ただし、Becker(2004)という研究者は「コンサートで圧倒的に感動する聴取者は『世俗的なトランス』をしている」と論じています。つまり儀式のトランスと完全に無関係ではないが、同じものでもない。連続体の上にあるけれど、かなり離れた位置にいる、というイメージが近いでしょう。
要点は、「音楽で感動」と「音楽でトランス」は別の現象として扱うべきだということ。両者を「音楽の力」でひとくくりにすると、議論が混乱します。
聴く側の人は遺伝的環境的にばらばら
「聴き方の違いとしてときどき目にするのが「歌詞重視かメロディー重視か」問題である。自分の場合は歌詞よりも断然サウンドの方に意識が向きがちで、どんなに歌詞が評価されていようが音が好みじゃない曲はハマりきれない。逆に歌詞が残念だといくら音が良くてもダメという意見もあるだろう。
「歌詞」「メロディー」に「リズム」を加えたこれら3要素のうち何をどのくらい重視するかを、著者は1つのものさしとして挙げている。その曲で突出している要素と自分が重視するポイントが重なると好きになりやすい。たしかにメロディー重視からリズム重視にツボが変わるにつれて好みのジャンルも変わった記憶があり、心当たりのある話ではある。
曲を聴いているときに思い浮かべやすい内容も人それぞれ異なる。本書の共著者2人も、一方は演奏者のパフォーマンスやルックスを思い浮かべがちで、もう一方は面白い形や色など抽象的な模様をイメージしやすいといった具合にタイプが分かれた。それぞれ相性の良い曲やジャンルにも違いが出てくるのは容易に想像できる。
こうした音楽の好みを左右する要素の数々を、本書は「本物らしさ(オーセンティシティ)」「リアリズム」「斬新さ」「メロディー」「歌詞」「リズム」「音色(おんしょく)」の7大要素に分けて解説していく。
これら7つの要素それぞれに、どれくらいの塩梅がちょうど良いか、人によって異なるスイートスポットがあり、その集積が自分だけの「リスナー特性」を形づくる。」
「ジャンル問わずさまざまな楽曲を対象に音楽を聴いているときの脳活動を調べた研究によると、被験者たちが評価した好き嫌いと脳の反応には共通する傾向がみられたそうだ。面白いことに、「好き」もしくは「嫌い」と評価したときの脳活動と、「大好き」と評価した音楽を聴いたときの動きは異なるという。
著者らが調査したところによると、大好きな音楽を聴いた時に心に浮かぶもので最も多いのは、自伝的記憶である。心奪われる曲を聴いた時には、記憶に書き込む作業よりも、その曲に関連する人や場所、出来事などを想起する方に脳が働くとの指摘は興味深い。大好きな曲はどこかぼんやり浸りながら聴く感覚があるのも、これが理由かもしれない。
強迫性障害の治療のために脳の報酬系の一部である側坐核に電極を埋め込む療法を受けた患者が、生まれて初めてジョニー・キャッシュの大ファンになった驚きのエピソードも出てくる。好きな音楽を聴いたときのドーパミン放出にもかかわる側坐核を刺激した「副作用」として嗜好が変化したのだ。面白いことに、電極による刺激が止まると情熱が冷め、再開するとまた元に戻ったらしい。心理ではなく生理で音楽の好みが左右される一端がうかがえる、味わい深い逸話である。」
言語の違いが音楽の感得に与える影響
https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/1/13301/20160527195618950634/131_093_099.pdf
音楽を頭で理解?するのに数年がかり?
恐れ入ります。いえいえ、みんな最初から音楽がわかるわけではなく、僕も1年間我慢して聴けと言われて、クラシックが聞こえるようになっていきました。AC/DCだって成人してからです。坂本龍一はレゲェを理解するのに2年かかったと言ってました。
実際に、もともと楽しめなかった様々な音楽ジャンルが、聴き方や楽しみ方が「わかる」ことで、聴けるようになった、という体験を複数回経験しているからです。
「わかる」というのは、「そのジャンル特有のルール、文化、楽しみ方」=いわばその文化圏の「内輪ノリ」を知ることです。
たとえば、モダン・ジャズの音源は、そのまま聴いてもやたらと長いです。冒頭はカッコイイと思っても、すぐによくわからなくなって飛ばしたくなったりします。一般的にジャズは「オシャレっぽさを演出するBGM」としか捉えられていないでしょう。しかし、
【各パートが順番に、テーマのコード進行を繰り返してアドリブソロが展開される。その駆け引きを楽しむ】というような、いわばスポーツ観戦の手引きを体得することで、僕はジャズの聴き方を理解して楽しめるようになりました。
あるいは、旋律の無いミニマルテクノのようなディープなクラブミュージックにおいて、「ただただ同じような機械音が繰り返されていて何が良いのか?」と思っていたけれど、
【リズムに乗って身体を揺らす。グルーヴを楽しむ。音の増減や微細な変化によって、テンションがコントロールされる。グルーヴが変化してから元に戻るときなどの“ご褒美”のタイミングが心地よい。】といった聴き方のポイントを教わることで、楽しめるようになりました。
そもそも、僕は鍵盤に触れて育ったので絶対音感があり、「メロディやコードそのものを聴く」という聴き方をしていて、歌を聴いても歌詞が入ってくることはまずありませんでした。しかし、アーティスト本人が
「歌詞のこういう部分にこだわりました」
「こういう意図、ストーリー、思いがあって、こういう曲になりました」
と説明しているのを受けて、それを意識することで、
【歌詞まで含めた曲の受け取り方】が
わかるようになったのです。
AI音楽は区別できない
https://japan.cnet.com/article/35240429/
https://www.arabnews.jp/article/arts-culture/article_162572/
https://hotozero.com/knowledge/komazawa-u_musicgenerationai/
立って見つめ合うと体の無意識の動きが同期する
− 双方向の視覚体動フィードバックによる無意識の体動同期現象
https://www.nips.ac.jp/release/2015/09/post_305.html
予測
声を聞く前から脳は活動している 脳波によって人の「予測」の実態を解明
東京工業大学
https://research-er.jp/articles/view/97249
音楽が聞こえるとき、脳に「予測」が響いている。前人未到の音楽理論を切りひらく
https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/feature/sentan_plus_3/sentan_plus_3-02
音楽と脳
The averaged inter-brain coherence between the audience and a violinist predicts the popularity of violin performance
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1053811920301427?dgcid=rss_sd_all
音楽を聴いているとき鑑賞者と演奏者の脳は同期している
https://gigazine.net/news/20200403-brain-sync-musician-performance/
The averaged inter-brain coherence between the audience and a violinist predicts the popularity of violin performance
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1053811920301427?via%3Dihub
Early Research Suggests Our Brains Sync Up With Musicians' During a Performance
https://www.sciencealert.com/the-brains-of-audiences-and-musicians-sync-up-during-a-performance
音楽ライブ同調
音楽ライブの観客が「同期」するメカニズム
音楽知覚認知システムの解明
早稲田大学
https://kyodonewsprwire.jp/release/202406202453
https://www.waseda.jp/inst/research/news/77776
音楽リズムの同調
ラットも同調、人も同調
音楽と脳感情同期
音楽が脳を同期させる仕組み
コネチカット大学の音楽心理学者、エド・ラージ氏も、音楽が強力な感情を呼び起こすという点に同意しています。彼の研究は、音楽の強弱の変化(例えば、リズムの緩急、曲中の音の強弱など)が脳内でどのように共鳴し、人の楽しみや感情的な反応に影響を与えるかを調べています。
ある研究で、ラージ氏らは参加者にショパンの曲の2つの変奏曲のうち1つを聴かせました。1つ目の変奏曲は、強弱の変化をつけて通常通り演奏され、
2つ目の変奏曲は機械的に演奏され、変化は見られませんでした。
参加者がfMRI装置に接続した状態で2つの変奏曲を聴いたところ、
1つ目の変奏曲では強弱の変化が激しい場面で快楽中枢が活性化しましたが、
2つ目の変奏曲では活性化しませんでした。「メロディー」は同じなのに、強弱の変化がなくなった瞬間に、まるで曲が感情的な共鳴を失ってしまったかのようでした。
「実際、実験が終わった後にリスナーに報告したとき、彼らは私たちが同じ曲を演奏していることにすら気づかなかった」とラージ氏は言う
わかりあう 脳の同期
Speaker–listener neural coupling underlies successful communication.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/20660768/
Measuring speaker–listener neural coupling with functional near infrared spectroscopy
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28240295/
第3章 脳科学的アプローチ:接続の「物理的証拠」
「心が通じる」という文学的・抽象的な表現は、実は驚くほど物理的な現象を指している可能性があります。ここでは、話者と聴者の脳活動の同期に関する神経科学的研究を紐解き、コミュニケーションの物理的実体(Physical Reality)に迫ります。
【研究紹介】話者と聴者の脳活動の「結合(Coupling)」
主要研究:Stephens, G. J., Silbert, L. J., & Hasson, U. (2010). Speaker–listener neural coupling underlies successful communication. 1
Liu, Y., Piazza, E. A., Simony, E., et al. (2017).
. 2
プリンストン大学のユーリ・ハッソンらの研究チームは、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)およびfNIRS(機能的近赤外分光法)を用いて、日常的な会話における話し手と聞き手の脳活動を計測しました。従来の研究は、単語や短い文を聞いた時の脳の反応を見るものが主でしたが、彼らの研究は「文脈のある自然な物語(Real-life story)」を聞かせるという、より現実に即した実験系を採用しました 3。
研究から得られた主要な知見
Neural Coupling(神経結合)の発見:
コミュニケーションが成功している(聞き手が話を理解している)時、話し手の脳活動パターンと、聞き手の脳活動パターンが高い相関(Correlation)を示し、まるで二つの脳が同期しているかのような現象が確認されました 4。これは単なる聴覚野(音を処理する部分)だけでなく、意味処理や社会認知に関わる高次領域(前頭前野、頭頂葉、上側頭回など)にまで及びます 6。
時間的なラグと「予測」の重要性:
通常、聞き手の脳活動は、話し手の活動を数秒遅れで追いかける形で同期します(Lagged coupling)。しかし、理解度が特に高い場合、聞き手の脳活動の一部(特に前頭前野)が話し手よりも先に反応する(先行する)現象が見られました 6。これは、聞き手が文脈を深く理解し、相手が次に何を言うかを「予測」しながら聞いていることを示唆します。この「予測的同期」こそが、深い理解の神経学的正体であると考えられます。
理解=同期の原則:
重要なのは、この同期現象が**「理解」と厳密に相関している**という点です。全く知らない言語(例:英語話者にロシア語)を聞かせた場合や、物語の順序をバラバラにして文脈を破壊した場合、この脳活動の同期は消失しました 3。また、fNIRSの研究では、対面でのコミュニケーションにおいて、アイコンタクトや表情の共有がある場合、さらに強い同期(特に前頭極での同期)が見られることが示唆されています 7。
【解釈】「わかりあう」とは脳を物理的に同期させること
この研究結果は、「わかりあう」という体験を物理的な視点から再定義します。私たちが誰かの話を聞いて「ああ、わかる!」と膝を打つとき、私たちの脳内では、比喩ではなく物理的に、相手の脳内で起きている発火パターンが再現(シミュレーション)されています。
変性意識と音楽
変性意識と演奏行為
ウォン・ウィンツァン(Wong Wing Tsan)
私のような一介の音楽家が、トランスパーソナル学会という学際色の強いNewsletterへ、いったいどんな文章が書けるのか、依頼をお受けしてからしばらく悩んでおりました。
ようやく思いついたテーマは「変性意識」と「演奏行為」との関連についてでした。
「超越的な意識」と「音楽」、とりわけ「演奏行為」との間に深い関連があることを、音楽家としての体験の中に見いだしておりますので、そのことに関しては多少なりとも書けることはありそうな気がします。しかし皆さんがご興味を持って読んでいただけるようなものが果たして書けるものなのかどうか、書き出した今も若干の不安を抱えております。
もとより学者でも思想家でもありませんので、「論」としてまとまった文章など書けませんので、その時々の体験的なダイレクトなリポート程度のものにならざるを得ないことをお許しいただきたく思います。また、これらの内容はあくまで私という音楽家の個人的な体験に依拠するものであり、一般論として通用するものでないこともお知り置きください。
まあ、一人のクライアントの独白程度にお読みいただければ幸いです。
20代の前半、私は「ある特定の音楽(演奏)に、強い求心力を感じる」体験をします。
それは、それまでに音楽に感じてきた体験とは違うものでした。嗜好とか、趣味とか、音楽を楽しむとか、あるいは音楽にエンターテインされるとか、それらとは質的に異なる体験でした。そして「感動」とも位相が違うと感じました。ある音、ある音楽が際立って聞こえてくる。私の聴覚を捉えて放さない、どうしても聴いてしまう。何か感性とは別の次元にアクセスしてくるような体験でした。そのような「何かの力」がある特定の音楽に内在していることをリアリティーを持って感じはじめたのです。
私はこのような主観的にしか感じることができない「音楽の力」が、如何なるもので、如何なる処からやってきて、如何に獲得することのできるものなのか、私なりの探求が始まります。それは、それらのリアリティーの由来に音楽の最も根源的なものがあり、これから追い求めていく自分の音楽の本質に大きく関わることを直感したからですが、しかしながらそのリアリティーが果たして確かなものなのかどうか、自信なり確信なりがあった訳ではありませんでした。時代は折しも、思想的には実存主義やポストモダニズムが台頭し、世の中的には大量消費経済の高度成長を謳歌していました。そのような時代の気分に逆行するような「本質的なるものの探求」は、「幻想の探求」で終わる可能性は充分考えられました。頼りは自分のリアリティーだけと云った感じでした。
まず、わたしは様々な音楽を聴きながら峻別してく作業を始めます。峻別することによって、そこから何らかの共通項を導きだせるかもしれないと思った訳です。そこで判ったことはジャンルやスタイルには関係がないということでした。それがクラシックであろうと、ジャズであろうと、ロックであろうと、民族音楽であろうと、演歌であろうと関わりなく、ある特定のアーティストたちの、ある特定の演奏に「それ」を感じたのです。そのアーティストが有名か無名かも関係ない。かつてバリ島に旅行した時、ホテルの庭の片隅で演奏しているスーリン奏者の一吹に「それ」を感じとり、驚愕したことがあります。また、同じ曲にも関わらず「それ」を感じる演奏と感じない演奏がある、すなわち作曲ではなく「演奏」によって「それ」を宿らすことができる。演奏行為にこそ何かの秘密があるということが、ようやく解ってきます。さらに、それが演奏技術というものともあまり関わりがないことが解ってきます。どんなに技術的に優れていても、ただただ表層を滑っているような空疎演奏を耳にすることがなんと多いことでしょう。しかし明らかに稚拙な技術しかない演奏者でも、時に「それ」が宿ることがある。「それが宿ることがある」と云う意味は、奏者がそれを求めていようがいまいが、「それが宿るときがある」と云うことなのです。求めていようが、いまいが、それが宿る時もあり、宿らない時もある。どんなに求めても、そのリアリティーは実現しない。にもかかわらず、ある時、不意にそれはやってくる。私の探求は錯綜と迷妄のただ中をさまよいますが、年に一二度、自分の演奏に不意にやってくるリアリティーだけを頼りに、執拗に追い求め、しかし年月だけが経っていきました。
少なからず解っていることは「演奏時の意識の状態に深く関わっている」と云うことでした。しかし、その意識状態をどうしたら再現することができるのか。当時、最も安易に意識状態を変革する方法としてのドラッグと云うものを見ずに先に行くことは出来ませんでした。私が最も影響を受けたジャズアーティスト、マイルス・デイビスを初め、多くのアメリカのアーティストが薬物を多用していました。アメリカ音楽をドラッグ抜きに語ることは出来ないでしょう。しかし、ドラッグは両刃の剣で、大きな代償を払わなくてはなりません。多くの有能なアーティストが、人格破綻を起こし、最後は地獄を這いずり回り、短い命を散らしていきました。
さて、私の探求は15年以上になるにもかかわらず、さらに混迷し、身体的にも精神的にも、もう先行かない程のっぴきならない事態になっていました。そんなときに友人から得た情報と書店で見つけた本から、あるヨーガ系の瞑想法に出会います。私は当時、合理主義者で宗教と云うものに理解力は持っていませんでしたが、かといって「言葉」や「思想」「論理」と云うものにも強い失望感を持っていました。あらゆる方途を試し尽くしてだめだった訳で、残るはギブアップしかありませんでしたから、たとえ怪しくとも、ともかくやるしかないと云うのがその時の心境でした。その瞑想法を体験して一番最初に思ったことは、年に一二度だけでも不意にやってくる演奏時の意識状態に酷似している、と云うことでした。それから毎日、瞑想を練習する中で、演奏は日々変化をしていきます。瞑想を始めて10ヶ月程たった頃、2週間の集中的な瞑想合宿の中でインド最古の教典ヴェーダを吟唱するパンディエットのビデオを見せられます。そこには彼らが瞑想状態で吟唱しているのが映っていました。吟唱は単なる読経ではなく、まさしく音楽そのものとして、例の「ある求心力」をもって深く私の胸中に入ってきました。それは私に瞑想状態で音楽を演奏することが可能であり、その時にこそ求め続けていた「リアリティー」を実現することが可能なのだと言うことを教えていました。「瞑想状態で演奏する」ことが私の音楽の方法になった瞬間でした。瞑想状態がなぜ音楽にある求心力を呼び起こすのか、そのメカニズムを明確に解っている訳ではありません。ただ言えることは瞑想状態、あるいは変性意識状態では自我の統制が緩むと云うことはあると思います。統制や抑圧が緩み、奥底に眠る情動やインスピレーションやイマジネーションがダイレクトな形で表出し易くなるのかもしれません。ここで「表出」という言葉を使ったのは、それが内発的なものであるからです。「表現」がある恣意的な人間の意志による「行為」であるに対して、それはむしろ自動的に現出するような印象があるのです。しかし、瞑想状態、変性意識状態であるなら、演奏はそれだけで「リアリティー」を獲得できるのかと云うと、決してそうではありません。演奏中「音を聴く」こと、すなわちフィードバックすることが実は最も重要と思われます。しかも、それは単に「聴く」ということでなく、むしろ「視る」と云うことに近い感じがします。音楽は時間の経過の中でしか成立しません。画家がキャンバスの全体を視ながら色彩やフォルムを的確に描いていくように、演奏者は「時間を視る」ことができなければ、望んでいる場所に望んでいる音律を描くことができるはずがありません。演奏と云う時間の流れの中で、次なる一音をどこにどのように描くのか。「音」→「聴覚」→「脳」→「演奏行為」→「音」というフィードバック回路のなかで、瞬時に、そして連続的に、決定され続けていくのが演奏行為です。たとえそれが既成の曲で、音の並びが決まっていたとしても、次に演奏される一音が、どのタイミングで、どれだけの音量で演奏するかは、その時その時の瞬時に決定されていきますし、瞬時にしか決定されないのです。その「決定」が「どうなされるか」、つまり人間という全体的な存在のどの部分がそれをどう成すのかが、その演奏にいったい何が宿るのか、と云うことになる訳です。「演奏」と云うものは演奏者の意識の状態がそのまま刻印されていると言えます。そしてその奏者の意識状態は、オーディエンスに同じような意識状態を再体験させる、と思われます。つまり、「決定」が「高次」である時、それはオーディエンスの「高次」に働きかけることができると云う「仮定」が私の音楽の理念になっています。情動や情念と云った内的なものを解放すること、「音」→「聴覚」→「脳」→「演奏行為」→「音」という強靭で高速なフィードバック回路を確立すること、音楽的時間と云うキャンバスを俯瞰すること、そして一音一音の決定を「高次の何か」にゆだねること。演奏時に変性意識状態を保つことによって、以上のようなことを可能にします。勿論、変性意識状態で演奏する為には、日々の瞑想と演奏の修練は欠かせません。冒険家が未踏の地に憧れ続けるように、アーティストもその性として新しい地平を追い求めます。しかしながら、21世紀、現代では芸術表現は閉塞状態にあります。20世紀に「表現」は開発し尽くされ、解体され尽くされ、今や新しい未踏の地を見つけるのが困難になりました。しかし霊的存在としての人間には「意識の成長」という個別的な未踏の地を内包していることを、トランスパーソナル心理学が私たちに教えるところです。「意識の成長」という冒険のプロセスで、その都度その都度、音たちがどのような振る舞いを見せてくれるのか、オーディエンスとの間に音楽がどのようにあり得るのか、それを享受することが音楽家としての私の喜びです。
さて、演奏行為と云うあまりにも非言語的な体験の文章化は、言葉に置き換えることのもどかしさと、何か抜け落ちているような不全感を伴いますが、普段音楽に関わりながら漠然と考えていたものを分明化し、再確認にもなり、意味のある作業となりました。
Wong WingTsan Piano Concert @ Miyabine Hall 2024/5/19 佐賀・雅音ホール
https://youtu.be/T4SwogLT01M?si=bgZ_GEP4aUKVNx-S
身体で音楽を聴く
気持ちが音を作る
ダンスや先日のドラム演奏に限らず、「気持ちが動くから身体が動く」という自然な構造が重要だ。
この場合の身体が動くを基本として、その先にダンスがあり音楽があり武道があるのだ。
これは考えた事はないのだが、今後のテーマとしていえば、それらの核になるものは共通するのではないか、という事だ。
また、俗に“身体表現”という言葉があるが、それは既に身体に現れているということでもある。
ただ、日頃の感情が希薄だから、身体としての現れも殆ど見えないだけだ。
その意味では、“身体表現”は特別なことではないのだ。
その先にあるとしたものは、自分の感情を抽象化する必要がある、ということだ。
何かしらのエピソードに感情が動かされ、それが悲しみであったり、喜びや怒りとして現れる日常を、もう少し掘り下げなければならない。
もちろん、学的にではなく実際としてだ。
そして、そこから楽器演奏、あるいは楽曲作りになる。
そこまで来ると、「気持ちが動くから身体が動く」からを遠く離れた、動きのコントロールや作曲法になる。
ここで問題が起こるのだ。
動きのコントロールは、それだけを取り出す事が出来る。
だから、それに長けた人が現れることだ。
感情とくっついていない楽曲や演奏家が現れてくる、もちろん、ダンサーなどその典型だ。
大事な事は、感情にくっついているからこそ、一つの楽曲や振り、あるいは型を、何年もかけて掘り下げる事が出来るのだ。
その事が、自分自身の感情を成長させ、その先にあるダンスや音楽、武道等を成長させるのだ。
それが皆無の音楽やダンスを長年続けられる、というのは、一体何を追求しているのか、あるいは、何を求めているのかサッパリ分からない。
https://hino-budo.com/4389
「こんにちは」挨拶で身体の緊張をとる
https://youtu.be/UzPCPwbgjXU?si=g-S_VfxFNZOat6Sz
https://youtu.be/W3rvfRpf9Zo?si=6vu2Arl6borCoCA-
「聴く」だけで良い変化が生まれるのはなぜか?
< いる> 体験と心理臨床
原口芳明 - 2007 -
https://aue.repo.nii.ac.jp/record/1454/files/kenkyo565965.pdf
