日本の「誠意」とは違う「誠」という『中庸』『大學』の古代中国概念はどういうものだったのでしょうか?
調べてもよくわかりませんね。w
ただし『禮記』に記述がある「誠」は、日本における、いわゆる「誠意」ではないことは確かと思います。

「誠」と「誠意」の比較考察
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「誠」と「誠意」の比較思想的考察:古代中国の普遍的真理から現代日本の実践倫理へ
序論:なぜ今、「誠」と「誠意」を考えるべきか
現代日本社会において、「誠意」という言葉は、謝罪や補償といった特定の文脈で頻繁に用いられます。例えば、ビジネス上のトラブルや個人的な過失に対して、「誠意を見せろ」という要求がなされることは珍しくありません。しかし、この言葉の語源である古代中国儒教の「誠」が、全く異なる、壮大かつ深遠な哲学概念であったことを知る者は少ないでしょう。
本レポートは、この言葉が持つ意味の乖離と変容に焦点を当て、その思想的・文化的背景を多角的に分析します。本来の「誠」が持つ宇宙的、内面的な深みを紐解き、それが日本でどのように解釈され、そして現代の「誠意」が持つ独自の社会的・倫理的役割へと至った過程を明らかにすることを目的とします。
第1部:古代中国儒教における「誠」の思想的根源
1.1. 専門用語の平易な解説
本稿の論点を明確にするため、まず古代中国儒教の専門用語を平易に解説します。
誠(chéng):
古代中国の哲学概念であり、単なる「正直」や「誠実」といった個人的な美徳を超越した、宇宙の根本原理や万物の存在を支える「偽りのない、真実のあり方」を指します。それは、天地自然の運行そのものが体現する、作為のない真理とされます。誠意(chéngyì):
『大学』で説かれる君子の修養の八条目のひとつで、自らの「意念(心に湧き上がる思い)」に偽りや自己欺瞞がない状態を指します。他者の目がない「独り」の状態でも、心を欺かないことの重要性が説かれます。天(tiān):
儒教における「天」は、人格的な神や絶対的な超越者ではなく、森羅万象を司る普遍的な理法や道徳的な根源を意味します。それは、人間がその本性において従うべき規範の源泉とされます。
1.2. 『中庸』に説かれる「天の道」としての「誠」
『中庸』は、儒教の核心的な教典であり、その中で「誠」を宇宙の根源的な原理として位置づけています。同書は、「誠者、天之道也。誠之者、人之道也」(誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり)と説きます 1。これは、「誠」という概念に二重の階層があることを示唆しています。
第一の階層である「天の道」としての「誠」は、生まれながらにして道徳の理想を体現する、聖人だけが到達できる境地を指します。聖人は努力や思索を必要とせず、自然と道徳に合致した振る舞いができます。これは「誠」が一種の「存在論的な状態」、すなわち「在り方」そのものであることを意味します。
一方、第二の階層である「人の道」としての「誠」は、聖人ではない凡人が「誠」を目指すための実践的な修養の道です 1。この道は、「擇善而固執之者也」(善を選んでこれを固く執る者なり)と説明されます 1。これは、たゆまぬ努力と強い意志によって、理想的な「誠」へと徐々に近づいていく果てしない「過程」を示唆しています。具体的には、博学、審問、慎思、明弁、篤行という五つの段階的な修養法が挙げられます。
このように、『中庸』は「誠」を、聖人にとっての理想的な「存在」と、凡人にとってのたゆまぬ「過程」という二つの側面から捉えています。この二重構造は、後の思想に大きな影響を与え、現代の「誠意」が持つ実用的な側面との決定的な差異を浮き彫りにしています。
1.3. 『大学』における「誠意」の位置づけ
『大学』は、君子が天下を治めるための修養法を「八条目」として体系的に説いています。その連鎖は、「格物致知、誠意正心、修身斉家、治国平天下」という一連のプロセスとして示されます 7。この中で「誠意」は、「格物致知」(物事の理を窮め、知識を広めること)と、「正心」(心のあり方を正すこと)の間に位置づけられる極めて重要なステップです。
『大学』が定義する「誠意」とは、「毋自欺也」(自らを欺かざるなり)にあります 9。これは、自身の心に嘘や偽りがなく、特に他者の目が届かない「独り」の状態での内面の純粋さを保つ「慎独」の重要性を説くものです 2。
このプロセスは、単に知識を蓄積しただけでは、それが自動的に正しい行動に繋がるわけではないことを示しています。正しい知識(善悪の判断)が真に自己の意志に内面化され、偽りのないものとして確立されるためには、この「自己欺瞞の排除」というステップが不可欠であるとされました。この「誠意」は、外部に示す態度やパフォーマンスではなく、あくまで内面的な「真実性」を確立する作業であり、現代日本の謝罪における「誠意」とは根本的に異なる概念です。
1.4. 孔子と孟子の「誠」観
「誠」という概念は、儒教の歴史の中で深められていきました。
『論語』において、孔子は「誠」という言葉そのものを多用しませんでしたが、その思想の核には関連する概念として「信」と「忠」がありました 2。
信: 「人の言うこと」を意味し、他者を欺かないこと、社会的な信頼関係の基盤となる真実性を指します 12。
忠: 「真ん中の心」を意味し、自分の心に偽りなく尽くすことです 2。
この二つの概念が合わさることで、「誠」の思想の原型が形成されたと考えられます。
孟子は、孔子の思想を継承し、さらに哲学的な飛躍を遂げました。彼は『中庸』の「誠者、天之道也」という言葉を自身の「性善説」と結びつけました 2。孟子は、人間には生まれつき「善の端緒」(仁、義、礼、智の四端)が備わっていると説きました 14。したがって、「誠」を追求することは、外部の規範を模倣する行為ではなく、この内なる善性を余すところなく発現させる自己実現のプロセスであるとされました。この解釈により、「誠」は単なる道徳的規範を超え、自己の可能性を最大限に引き出すための、内発的な動機づけとなりました。
第2部:「誠」の実践と社会的役割
2.1. 「誠」の具体的な修養法
古代儒教では、抽象的な「誠」を具体的な実践を通じて体得する修養法が説かれました。
積善(善を積む):
『易経』坤卦にある「積善の家に余慶あり」(善行を積んだ家には、子孫にまで良いことが残る)という言葉は、この思想を端的に表しています 15。これは、個人の内面的な徳である「誠」が、具体的な善行を積むという行為を通じて、子孫や社会全体に自然と幸福をもたらすという、儒教の長期的な倫理観を示しています。この考え方では、結果は意図的な計算ではなく、自然な帰結として捉えられます。功過格(善悪を記録するシステム):
一方、宋代から明代にかけて道教の影響で広まった「功過格」は、善行と悪行を点数化して記録し、天からの賞罰が下されるという実践法です 16。これは、抽象的で内面的な「誠」の概念を、大衆にも分かりやすい「数値化された徳」へと変容させた思想です 17。この実践法は、徳を客観的に記録し、計算可能なものへと「外在化」させた点で画期的なものでした。善悪の行為を点数で評価するこの思想の萌芽は、現代日本の謝罪における「金銭的補償」という、誠意の「数値化」された表現へと繋がる、重要な思想的変容の過程と見なすことができます。
2.2. 「誠」の政治的・社会的役割
儒教における「誠」は、個人の内面的な美徳にとどまらず、社会を統合し統治するための重要な原理でした。『大学』の八条目が示すように、個人の内面の「誠」(誠意)は、自己の修養(修身)から始まり、家庭の秩序(斉家)、国家の統治(治国)を経て、最終的に天下泰平(平天下)へと至る、垂直的な社会統合のプロセスを象徴しています 7。
これは、為政者が自らの「誠」を確立することで、その徳が民に感化し、社会全体が自然に善へと向かうという「徳治主義」の思想が根底にあります 19。為政者の内面的な「真実」が、民に対する模範となり、社会秩序を形成するのです。このトップダウン式の構造は、現代の「誠意」が主に個人間や企業と顧客といった「水平的な関係」の修復に用いられる点と対照的です。
第3部:日本における「誠意」の変容と現代的意味
3.1. 近世日本への「誠」の移植と独自の解釈
江戸時代の日本は、中国の儒学を独自に再解釈しました。特に、近世の日本において「誠」は思想の中心に据えられ、独自の儒学が誕生しました 20。
山鹿素行は、平和な時代における武士の存在意義を「士道」として再定義しました。彼は「誠」を、内から自然に湧き出てくる「情」と捉え、その情を尽くすことが倫理の根本であると説きました 20。これは、中国儒学の客観的な「理」から、主観的な「情」へと重心を移した、日本独自の解釈です 20。
さらに幕末の吉田松蔭は、この個人的な「誠」を、社会変革を志す行動原理へと昇華させました。彼は『孟子』の「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」を引用し、「至誠通天」(誠を尽くせば、願いは天に通じる)と解釈しました 22。松蔭にとって、個人の「至誠」は、たとえそれが既存の秩序と衝突するものであっても、天に通じ、大業を成し遂げる原動力となると考えられました 25。この思想は、抽象的な真理であった「誠」が、日本の文化(特に武士道)の中で、より個人的で、主体的で、そして実践的な「態度」へと変容していく過程を鮮やかに描き出しています。
3.2. 現代日本における「誠意」の多義性
現代日本の「誠意」は、その言葉の響きとは裏腹に、古代の「誠」とは大きく異なる意味で用いられています。
謝罪・補償行動としての「誠意」:
現代において「誠意を見せろ」という言葉は、単なる謝罪の言葉だけでなく、金銭的補償や具体的な解決策の提示を強く求める文化的背景を持っています 26。これは、口頭だけの謝罪が「心がない」と見なされることへの反動として生まれた、日本の社会慣習です。特に、金銭補償は「誠意を形にする」行為として捉えられ、失われた信頼関係を修復する手段となります 26。法的文脈:
示談や和解といった法的な文脈においても、「誠意」は具体的な行動によって示されます。示談書は法的な「和解契約」に分類され、支払い義務の履行は法的な強制執行力を持つに至ります 29。この文脈では、金銭的な合意が「誠意」の具体的な表出となり、内面的な心情よりも、その心情を「外部に証明する」行為に重きが置かれていることが分かります。これは、倫理観の脱神聖化と、社会の法治主義・経済的合理主義への移行を反映した現象です。
3.3. 訳語としての「誠意」の限界と考察
「誠」と「誠意」は、日本語では同じ漢字を含むため、同一の概念と捉えられがちですが、その概念的・倫理的な距離は非常に大きくなっています。この違いを明確にするため、以下の比較表を作成しました。
項目
古代中国の「誠」(儒教)
現代日本の「誠意」(日本語)
概念の核心
偽りのない、真実のあり方。宇宙的真理。
真心を込めた態度。社会関係における行為。
適用範囲
宇宙、天、聖人、君子、自己の内面。
人間関係、謝罪、ビジネス、社会規範。
実践の目的
天との一体化、自己の性善の実現。
信頼関係の修復、人間関係の円滑化。
主な実践
慎独、擇善而固執、積善、内面的な修養。
謝罪の言葉、頭を下げる、金銭的補償。
この比較からわかるように、現代の「誠意」は、古代の「誠」が持っていた壮大な宇宙的・哲学的な意味をほとんど失っています。しかし、これは単なる言葉の劣化と見るべきではありません。この変容は、複雑で抽象的な哲学が、特定の文化の中で独自の社会機能を持つ「行動様式」へと適応し、昇華した結果と捉えることができます。現代の「誠意」は、日本の社会が持つ「和」や「集団性」を重んじる文化の中で、人間関係をスムーズにするための、一つの独自のシステムとして機能しているのです。
結論:天の道から人の契約へ
本レポートは、古代中国の「誠」が、宇宙と一体となる聖人の道であり、個人の修養から天下統治に至る壮大な政治哲学であったことを明らかにしました。対照的に、現代日本の「誠意」は、人間関係の摩擦を解消するための社会的な行動や契約の表現へと変容しています。
この概念の変容は、個人の内面的な真実を重んじる哲学的伝統から、具体的な行動と社会的規範の遵守を求める実用的な倫理観へのシフトを象徴しています。古代の「誠」が失った宇宙的な響きは、現代の「誠意」が持つ、社会を円滑に動かすための機能的な役割へと置き換えられているのです。私たちがこの言葉を使うとき、その背後にある深い歴史と文化の変遷を無意識のうちにたどっているといえるでしょう。
引用文献
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が、ここでは少しくさかのぼり、「孟子」における右のような諸概念 - 日本中國學會, 9月 24, 2025にアクセス、 https://nippon-chugoku-gakkai.org/wp-content/uploads/2024/06/29-02.pdf
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至誠通天(しせいつうてん) | 金ごま本舗 BLOG, 9月 24, 2025にアクセス、 https://kingoma.co.jp/mt3/archives/116
至誠通天(しせいてんにつうず) | 金ごま本舗 BLOG, 9月 24, 2025にアクセス、 https://kingoma.co.jp/mt3/archives/812
至誠通天 - 新谷酒造BLOG, 9月 24, 2025にアクセス、 https://wakamusume.com/blog/2020/08/31/%E8%87%B3%E8%AA%A0%E9%80%9A%E5%A4%A9/
吉田松陰の『幽囚録』『講孟箚記』『留魂録』の内容と名言30選|平野敦士カール - note, 9月 24, 2025にアクセス、 https://note.com/carlhirano/n/n5227b91214ec
相場はどれくらい?謝罪金の渡し方マナー完全ガイド - こども商品券, 9月 24, 2025にアクセス、 https://toycard.biz/2025/04/29/20250429-2/
【例文あり】ビジネスシーンで即使える誠意が伝わる謝罪メールの書き方『10選』, 9月 24, 2025にアクセス、 https://toycard.biz/2024/12/17/20241215/
お詫びにお金を渡すのは失礼?ビジネスシーンでの謝罪マナーについて詳しく解説 - デジコ, 9月 24, 2025にアクセス、 https://digi-co.net/blog/compensation-money/
示談書とは?書き方やテンプレート、効力についてわかりやすく解説 - マネーフォワード クラウド, 9月 24, 2025にアクセス、 https://biz.moneyforward.com/contract/basic/817/
即決和解とは?示談書に法的拘束力を持たせる方法|交通事故弁護士相談広場, 9月 24, 2025にアクセス、 https://agoora.co.jp/jiko/out-of-court/prompt-decision-settlement.html
資料リンク
現代日本の誠意とは
https://aiben.hatenablog.com/entry/2014/05/20/220849
「誠」という古代中国の概念はどういうものだったのでしょうか?
南宋の朱熹が『礼記』の一篇であった『大学』と『中庸』をそれぞれ独立させ、『論語』『孟子』と合わせ「四書」として五経以前に読むべき入門の学として顕彰
『中庸』の「誠」
善を積んだ者が誠の者ということです。
誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道。聖人也。誠之者、擇善而固執之者也
「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり。誠は勉めずして中り(あたり)、思わずして得て、従容(しょうよう)として道に中る。聖人なり。これを誠にするは善を択んでこれを固執する者なり。」
「自然な誠とは天の道である。これを何とか努力することによって誠にしようとするのが、人の道である。天性の自然な誠は努力をすることなく道に当たり、その天性の知は思索することなく道に到達し、何ら抵抗・苦労を感じることなく道に当たる。これができるのは聖人である。努力・勉強をして誠になろうとする者は、善悪を分別して善を選択した上で、その善の道に固執し善から離れないという者である。」
良い、正しいことを選び、それを貫き通すことです。
正しいことをやり続ける。
https://ja.hinative.com/questions/23335846
積善について
『易經』坤卦にある「積善之家」
https://home.hiroshima-u.ac.jp/mutata/Sekizen.htm
https://note.com/hikoden7474/n/nbbcc690ac3cf
金の時代に成立した「功過格」
https://note.com/toubunren/n/n307f753355bc
中国歴史上の善書と勧善について九州大学 呉震 著 ·2010
https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/19607/p028.pdf
『中庸』について
https://ctext.org/liji/zhong-yong/zh
郭店楚簡の性説の背後にある「性即気の思考」を前提として、『中庸』の「誠」の思想及び『五行』の思想について再検討を行った点にある。
『中庸』中の「誠」の説を語る部分は、郭店楚簡との密接な関係を指摘することができる。従来、『中庸』のこの部分は、秦以後の成立であると見なされ、その思想も秦以後の時代・思想を前提として論じらていたが、これはむしろ郭店楚簡あたりの示す時代・思想との関係において論じられるべきものだったのである。このことを指摘するとともに、『中庸』の「誠」が自己の「性」を天与のままに発現させ得る内的状態としてとらえることができること、郭店楚簡に見える化育の条件としての「信」が『中庸』では「誠」の語で言い換えられ、これが上の内的状態と同一視されていること、この同一視によって自己修養と民衆化育との間に理論的な橋渡しがなされている点に『中庸』の独自性があることなどを示した。
https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=438279
『大學』の「誠」
いわゆる「格物致知誠意正心 修身斉家治国平天下」の出典です。
天下を平らげるために国家の支配者である君子は、「格物致知」し心を正し修身しろということです。
https://www.y-history.net/appendix/wh0303-073_3.html
大學之道,在明明德,在親民,在止於至善。
〈大學だいがくの道みちは、明德めいとくを明あきらかにするに在あり、民たみを親あらたにするに在あり、至善しぜんに止とどまるに在あり。〉
知止而后有定;定而后能靜;靜而后能安;安而后能慮;慮而后能得。
〈止とどまりを知しつて、而しかうして后のちに定さだまることあり、定さだまつて而しかうして后のちに能よく靜しづかなり、靜しづかにして而しかうして后のちに能よく安やすし、安やすうして而しかうして后のちに能よく慮おもんばかる、慮おもんばかつて而しかうして后のちに能よく得う。〉
物有本末;事有終始。知所先後,則近道矣。
〈物ものに本末ほんまつあり、事ことに終始しうしあり、先後せんこうする所ところを知しれば、則すなはち道みちに近ちかし。〉
古之欲明明德於天下者,先治其國。欲治其國者,先齊其家。欲齊其家者,先脩其身。欲脩其身者,先正其心。欲正其心者,先誠其意。欲誠其意者,先致其知。致知在格物。
〈古いにしへの明德めいとくを天下てんかに明あきらかにせんと欲ほつする者ものは、先まづ其國そのくにを治をさむ。其國そのくにを治をさめんと欲ほつする者ものは、先まづ其家そのいへを齊ととのふ。其家そのいへを齊ととのへんと欲ほつする者ものは、先まづ其身そのみを脩をさむ。其身そのみを脩をさめんと欲ほつする者ものは、先まづ其心そのこころを正ただしうす。其心そのこころを正ただしうせんと欲ほつする者ものは、先まづ其意そのいを誠まことにす。其意そのいを誠まことにせんと欲ほつする者ものは、先まづ其知そのちを致いたす。知ちを致いたすは物ものに格いたるに在あり。〉
物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。
〈物もの格いたりて而しかうして后のちに知ち至いたる。知ち至いたりて而しかうして后のちに意い誠まことなり。意い誠まことにして而しかうして后のちに心こころ正ただし。心こころ正ただしうして而しかうして后のちに身み脩をさまる。身み脩をさまりて而しかうして后のちに家いへ齊ととのふ。家いへ齊ととのうて而しかうして后のちに國くに治をさまる。國くに治をさまりて而しかうして后のちに天下てんか平たひらかなり。〉
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%B8%E7%AB%A0%E5%8F%A5_(%E5%9C%8B%E8%AD%AF%E6%BC%A2%E6%96%87%E5%A4%A7%E6%88%90)
大學之道,在明明德,在親民,在止於至善。知止而后有定;定而后能靜;靜而后能安;安而后能慮;慮而后能得。物有本末;事有終始。知所先後,則近道矣。古之欲明明德於天下者,先治其國。欲治其國者,先齊其家。欲齊其家者,先脩其身。欲脩其身者,先正其心。欲正其心者,先誠其意。欲誠其意者,先致其知。致知在格物。物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。自天子以至於庶人,壹是皆以脩身爲本。其本亂而末治者,否矣。其所厚者薄,而其所薄者厚,未之有也。
〈大學の道は、明德めいとくを明にするに在り、民を親あらたにするに在り、至善しぜんに止とどまるに在り。止るを知りて后のち定さだまる有り、定さだまりて后能く靜しづかに、靜しづかにして后能く安やすし、安くして后能く慮おもんばかる、慮りて后能く得。物に本末有り、事に終始しゆうし有り、先後する所を知れば、則ち道に近し。古いにしへの明德めいとくを天下てんかに明あきらかにせんと欲する者は、先づ其國を治む。其國を治めんと欲する者は、先づ其家を齊とゝのふ。其家を齊へんと欲する者は、先づ其身を脩をさむ。其身を脩めんと欲する者は、先づ其心を正たゞしくす。其心を正しくせんと欲する者は、先づ其意いを誠まことにす。其意を誠にせんと欲する者は、先づ其知を致いたす。知を致すは物に格いたるに在り。物もの格いたりて而して后に知至る。知至りて而して后に意誠なり。意誠にして而してのちに心こゝろ正たゞし。心正しくして而して后に身脩る。身脩りて而して后に家いへ齊とゝのふ。家齊うて而して后に國治まる。國治まりて而して后に天下てんか平たひらかなり。天子自より以て庶人しよじんに至るまで、壹いつに是これ皆みな身を脩むるを以て本と爲す。其本亂みだれて而して末すゑ治をさまる者否あらず、其の厚あつき所の者薄うすくして、而して其の薄き所の者厚きは未だ之れ有らざるなり。〉
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%B8%E7%AB%A0%E5%8F%A5_(%E6%BC%A2%E6%96%87%E5%8F%A2%E6%9B%B8)
参考 北宋 内丹術での「意」とは
「南宗・北宗の内丹法
現在まで伝わる内丹の基準となる行法は、「金丹派南宗」を始めた張伯端によって作られました。
この派の内丹法は、以降のほとんどすべての派に影響を与え、北宗の伍柳派は、内丹法を広く一般に分かりやすく公開しました。」
1 煉己築基
「心が落ち着いた瞑想状態は、潜在意識的な意識の状態で、「意」と表現され、これは神と気を結びつける「媒」であり、「黄婆」とも表現されます。
北宗の場合は、この「性功」、つまり、無心(虚)になる精神的な瞑想を重視します。
そのため、この段階を「煉心還虚」と表現することもあります。」
『孟子』の「誠」
悅親有道,反身不誠,不悅於親矣。誠身有道,不明乎善,不誠其身矣。是故誠者,天之道也。思誠者,人之道也。至誠而不動者,未之有也。不誠,未有能動者也
親に喜ばれるにも道がある。それは、己を省みて誠の心がなければ、親にも喜ばれないということだ。最後に己が誠の心を持つことにも道がある。それは、何が善であるかをよく知っていなければ、己が誠の心を持つこともできないということだ。つまり、誠の心とは、天の道に従うことなのだ(自分個人の勝手な理屈では、誠の心を持つことができない)。誠でありたいと思うことは、人の正しい道なのだ。至誠にして動かされない者はいまだかっていない。だが誠の心なしで人を動かせた者はいまだかっていない
吉田松蔭の「至誠通天」
吉田松蔭の『孟子』の講義書が出典です。
至誠通天
出典:『講孟箚記(上)』、吉田松陰、
近藤啓吾 全訳注、講談社、P289より
「誠」解説
天とは
天の思想史
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853649732925696
