「本能」概念の大冒険—16の学問が見た同じ象(エレファント)
タイトルはこちらに掛けてあるようです。Claudeの提案。
予想通り、例によってカオスな言語概念でした。
人間に本能行動は存在しない(もしくはほぼない)よ〜‼️‼️
— 春束💐 (@harutaba_) February 11, 2026
みんな、欲求と本能を取り違えたり、個人の欲求を全員にあって当たり前のものとすんなよな❕生物学は現象学❕「あるはずない」はエセ生物学❕
「本能」は「どうにか正当化したいという願望」の意味❕ 復唱❕
生物系院生からのお願いだぞ❕ https://t.co/KmBCXtGXpA
「生物はこう」「人間はこう」「〇〇はこう」と単純化して語る言説には本当〜〜〜に気をつけような‼️‼️全部「自分はこう思う」もしくは「こういうことにしたい」の言い換えだよ‼️‼️
— 春束💐 (@harutaba_) February 11, 2026
多分次の16学問以外の学問においても別の定義の本能があると思われます。
by Claude
https://claude.ai/public/artifacts/6f1cfbe7-263b-4529-ace1-6fb73efd4b92
「本能」概念の大冒険——16の学問が見た同じ象
第1部:「本能」概念の大冒険——16の学問が見た同じ象
プロローグ——これは本能か?
生まれたばかりの赤ん坊は、誰に教わるでもなく乳首に吸いつく。蜘蛛を見ると身をすくめる。SNSの通知音が鳴れば会議中でも手が伸びる。投稿に「いいね」がつかないと不安になる。
これらは「本能」だろうか。
この問いに答えようとした瞬間、泥沼に足を踏み入れている。「本能(instinct)」は少なくとも16の学問分野でまったく別の意味に使われてきた。ある分野では1950年代に葬られ、別の分野では1990年代に復活し、さらに別の分野ではそもそも最初から違う語が使われていた。以下、各分野を「本能に対する温度」の順に巡る。
昆虫学——「本能」がまだ生きている最後の砦
昆虫学における本能とは、遺伝的にプログラムされた高度に定型的な行動連鎖を指す。ジャン=アンリ・ファーブル(Jean-Henri Fabre)は10巻に及ぶ『昆虫記』(1879–1907)で、狩りバチが獲物の特定の神経節だけを刺して麻痺させる精密さを記録した。現代の神経科学はこれを中枢パターン発生器(central pattern generator; CPG)——胸部神経節の回路が種固有の歌パターンを生成する仕組み——として説明する[^1]。昆虫の行動は学習の余地が小さく、ステレオタイプ性が高いため、「本能」という語が最も違和感なく残っている領域だ。ただし研究者自身は「本能」より「生得的行動プログラム」や「神経回路メカニズム」という語を選ぶ傾向が強い。
動物行動学——1950年代に済んだ葬式
動物行動学(ethology)における本能とは、種に典型的で定型化された行動パターン——いわゆる固定的行動パターン(fixed action pattern; FAP)のことだった。コンラート・ローレンツとニコ・ティンバーゲンが1930〜50年代にこの概念を体系化し、1973年にカール・フォン・フリッシュとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した[^2]。
だが建物は受賞前から崩れていた。ダニエル・レーマン(Daniel Lehrman)が1953年に発表した批判論文は、遮断実験(環境刺激を遮断して行動が出るか試す実験)では「生得的」と「経験由来」を論理的に区別できないと論証した[^3]。ジョージ・バーロウ(George Barlow, 1977)は、行動が完全に「固定」されているわけではなく個体差や学習による変容があると指摘し、FAPを**様式的行動パターン(modal action pattern; MAP)**に置き換えることを提案した[^4]。パトリック・ベイトソンは「本能」という一語に少なくとも8つの異なる意味が混在していると整理している。現在、動物行動学の専門文献で「本能」はほぼ使われない。代替語は「種特異的行動」「行動的素因」「発達的制約」などだ。
医学——本能を別名で記述する
医学は「本能」をほとんど使わない。キャノン(Walter Cannon)の闘争-逃走反応、セリエ(Hans Selye)の汎適応症候群、現代のHPA軸モデル——他分野が「本能」と呼ぶものを、医学は生理的調節機構という操作語に翻訳して扱っている[^5]。
心理学——400の本能からゼロへ、そして部分的復活
ウィリアム・ジェイムズ(William James, 1890)は「人間は他のどの哺乳類よりも本能が多い」と主張した[^6]。マクドゥーガル(William McDougall, 1908)は本能と情動の対で社会心理学を建設した。だが誰もが好き勝手に「本能」を増やした結果、1920年代には概念が空転した。
反動は激烈だ。ワトソン(John B. Watson)の行動主義が「本能」を心理学から追放し[^7]、クオ(Zing-Yang Kuo, 1921)は「心理学における本能を放棄する」と題する論文を書いた。以後60年間、「本能」は禁句に近かった。
本能 vs 学習——偽の二項対立が溶解する
ギルバート・ゴットリーブ(Gilbert Gottlieb)は、アヒルの胚が孵化前に自ら発声し、その胎内経験を操作すると別種の母鳥の声を選好するようになることを実証した——確率的エピジェネシス(probabilistic epigenesis)、遺伝子・神経・行動・環境が双方向に影響し合うモデルだ[^8]。ピーター・マーラー(Peter Marler)は鳥の歌学習から「学ぶための本能(instincts to learn)」を提案した。種に固有の学習バイアスが、何をどう学ぶかを方向づけている。
分子レベルでも裏づけがある。ウィーバーとミーニー(Weaver & Meaney, 2004)は、ラットの母親の養育行動がDNAメチル化を通じて子のストレス応答を世代を超えて変えることを示した[^9]。「遺伝か環境か」ではなく、両者は分離不可能な一つのシステムとして行動を生成している。
精神分析——世紀の誤訳が生んだ混乱
精神分析は「本能」という語を使わない——正確に言えば、使うべきではなかった。フロイトが中心概念に据えたのは欲動(Trieb)であり、動物行動学的な固定本能を指すInstinktとは明確に区別していた。フロイトはTriebを含む複合語を45以上作ったが、Instinktを使ったのは『性欲三論』(1905)の中のたった一度だけだ[^10]。
ところが、ジェイムズ・ストレイチー(James Strachey)による英語標準版(Standard Edition)がTriebとInstinktの両方を"instinct"と訳してしまった。フランス語訳は1910年からpulsion(衝動)を充てて区別を保っていた。この「世紀の誤訳」によって、英語圏ではフロイトの動機づけ理論が動物の固定行動と同一視される条件が整った[^11]。
ジャック・ラカン(Jacques Lacan)はこの区別を徹底した。「欲動——Trieb——は本能ではない」。ラカンの**欲求(besoin)-要求(demande)-欲望(désir)**の三項構造は、生物学的欲求が言語を通過する瞬間に質的に変容する過程を形式化する。人間が象徴秩序(symbolic order)——言語と社会規範の体系——に参入することで、動機づけは動物的本能とは根本的に異なるものに再構成される[^12]。この理論装置は、西洋思想における「本能からの離脱」テーゼの最強バージョンを提供する。
なぜ精神分析がこの区別を必要としたかを理解することは重要だ。臨床で観察される反復強迫、神経症的症状、夢の象徴化は、動物行動学的な「固定的行動パターン」ではまったく説明がつかない。欲動概念は、この臨床的現実を記述するための道具として作られた。理論装置の動機を無視して「非科学的」と斬るのは、問いの設定自体を見落とすことになる。
哲学的人間学——「欠如存在」というエレガントな誤り
哲学的人間学は、「人間には本能が欠けている」という命題を、人間固有性を基礎づけるための理論装置として使った。
アルノルト・ゲーレン(Arnold Gehlen, 1940)は人間を**欠如存在(Mängelwesen)と呼んだ。特殊化した器官も強固な本能も持たない「欠陥品」が、その欠損を制度(institution)**で補う——これがゲーレンの人間像だ[^13]。文化は不在の本能の代替物になる。保守的な制度擁護論と結びつきやすい構造を持っている。
エルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer)は人間を**象徴的動物(animal symbolicum)**と再定義した。理性が象徴を生むのではなく、象徴こそが理性の基盤だ、と。
最も精緻な定式化はヘルムート・プレスナー(Helmuth Plessner)の脱中心的位置性(exzentrische Positionalität)にある。動物は身体と一体化している(中心的位置性)が、人間は身体で「ある」と同時に身体を「持つ」。この構造から三つの法則が導かれる。なかでも重要なのが自然的人工性(natürliche Künstlichkeit)——文化が自然なのは、自然が不十分だからだ[^14]。ゲーレンとの決定的な違いは、これを「欠陥の補償」ではなく「特定の生命形態の構造的特徴」として捉えている点にある。プレスナーの枠組みは、後に述べる現代的統合に最も近い位置にいる。
社会心理学——「自動的」と「生得的」は同義ではない
アンリ・タジフェル(Henri Tajfel, 1971)の最小集団パラダイムは、クレーとカンディンスキーの好みという恣意的な分類だけで内集団贔屓が生じることを示した[^13]。ジョナサン・ハイト(Jonathan Haidt)の道徳基盤理論は、ケア、公正、忠誠、権威、神聖、自由の6つの進化的モジュールを想定し、リベラルがケアと公正に偏るのに対し保守は6基盤すべてを使うと主張する[^14]。ハイトの社会的直観主義モデルでは、道徳判断は直観(象)が先行し、理性(乗り手)は事後的合理化を行う。
ただし、ここでの「自動的」は「生得的」と同義ではない。自動反応は学習歴・制度・状況の産物である可能性を排除しない。
行動経済学——System 1は本能か、適応か
行動経済学は「本能」を比喩的に使う。カーネマンとトヴェルスキー(Kahneman & Tversky, 1974)は不確実性下の系統的ヒューリスティクスを同定した[^15]。System 1は「速く、直観的で、感情的」——ほぼ「本能的」だ。
ゲルト・ギーゲレンツァー(Gerd Gigerenzer)は逆を主張する。ヒューリスティクスは欠陥ではなく環境構造に適合した適応的道具であり、事実上「判断のための本能」だ[^16]。カーネマンが「本能的思考はエラーを生む」と見る一方、ギーゲレンツァーは「文脈次第で合理的」と見る。同じ現象を前にして本能の評価が正反対になる。
行動遺伝学——すべては遺伝する、だが何も決定しない
エリック・タークハイマー(Eric Turkheimer, 2000)の三法則。第一:あらゆる行動形質は遺伝する。第二:共有環境の効果は遺伝子より小さい。第三:分散の相当部分は遺伝子でも共有環境でも説明されない[^15]。第四法則(Chabris et al., 2015):行動形質は非常に多くの微小効果の遺伝的変異と関連する。
重要なのは、タークハイマー自身がこれを遺伝決定論の否定として意図したことだ。すべてが遺伝するなら、遺伝性は「当たり前の事実」にすぎない。行動遺伝学は個体差の分散を扱い、種に共通する「本能」とは分析レベルが異なる。
進化心理学——本能を復活させた異端児
レダ・コスミデス(Leda Cosmides)とジョン・トゥービー(John Tooby)が1990年代に本能概念を再定義した。進化心理学において本能とは行動ではなく、進化的に形成された情報処理メカニズムを指す[^17]。コスミデスの実験は象徴的だ。抽象的な論理問題の正答率は約25%だが、社会的契約(裏切り者検出)として提示すると約75%に跳ね上がる。ピンカー(Steven Pinker, 2002)は『The Blank Slate』でタブラ・ラサ、高貴な野蛮人、機械の中の幽霊という三つのドグマに挑戦した。
批判も強力だ。グールドとレウォンティン(1979)の「サン・マルコのスパンドレル」は適応主義的過剰推論を方法論的に批判した[^18]。「もっともらしい進化的物語(just-so stories)」批判は現在も有効で、2022年にはモジュール性概念そのものの放棄を求める論文も出ている。進化心理学を使うなら、この批判的文脈を踏まえなければ知的に誠実とは言えない。
浅田彰と日本語圏——「人間に本能はない」が常識になった経路
1983年、26歳の京都大学助手・浅田彰が『構造と力——記号論を超えて』を出版した。15万部超のベストセラーは、ソシュール、レヴィ=ストロース、ラカン、ドゥルーズ=ガタリを横断しながら人間を「反自然的存在」として描いた[^19]。自然(ピュシス)からの逸脱と追放——これが人間と社会を考える出発点だ、と。
この本を頂点とするニュー・アカデミズム運動は、1980年代の日本にフランス現代思想を既定の知的枠組みとして定着させた。英語圏では進化心理学や認知科学が制度的拠点を保ったのに対し、日本ではポスト構造主義が深く浸透した[^20]。結果として「人間には本能はない」が教養的言説のほぼ自明な前提となった。日本語版Wikipediaの「本能」の項にも「一般的にヒトには本能行動はほとんどないか、極めて少ないとされる」とある。2023年の中公文庫版再刊がこの議論を再燃させ、現在のX上の論争に直結している。
本能の温度計——分野別一覧
分野 中心語 「本能」の温度 現在の立場
昆虫学 CPG、生得的行動プログラム 🔴 まだ温かい 非公式に残存、機構語へ翻訳中
動物行動学 MAP、種特異的行動 🔵 冷たい 1950年代に公式に放棄
医学 HPA軸、ホメオスタシス ⚪ 別名で生存 「本能」の語は使わず機構を記述
心理学(行動主義) 条件反射、強化 🔵 冷たい 1930年代に追放
精神分析 欲動(Trieb)、象徴界 ❄️ 凍結 そもそも別概念。誤訳で混入
哲学的人間学 欠如存在、脱中心的位置性 ❄️ 凍結 「本能の不足」が理論の前提
発達科学 確率的エピジェネシス 🟡 解体中 二項対立そのものを否定
社会心理学 自動処理、道徳直観 🟡 比喩的に残存 「生得的」とは区別して使用
行動経済学 ヒューリスティクス、System 1 🟡 比喩的に残存 「本能的」は比喩。中心はheuristics
行動遺伝学 遺伝率、多遺伝子性 ⚪ 分析レベルが異なる 個体差の統計であり種の本能とは別
霊長類学 文化、共有志向性 🟠 連続体として再配置 本能/文化の境界が溶解
進化心理学 モジュール、本能の不可視性 🔴 熱い 「不可視の本能」として全面復活
進化政治学 進化的素因、自然権 🔴 温かい 政治行動の進化的基盤を明示的に主張
ニッチ構築理論 三重継承、生態的遺産 🟠 フィードバックへ 本能/環境の一方向因果を否定
遺伝子-文化共進化 二重継承、文化的脳仮説 🟠 共産出へ 本能と文化が相互に作り変え合う
予測処理/FEP 事前分布、精度重み付け 🟠 連続体へ 先天的/文化的事前分布は同一アーキテクチャ
16の分野が同じ象を触り、まるで違うものを報告してきた。しかし、最後の4行——霊長類学、ニッチ構築、遺伝子-文化共進化、予測処理——に注目してほしい。ここでは「本能か文化か」という問い自体が溶けている。第2部では、この溶解が何を意味するかを追う。
第2部:あなたはまだ本能の中にいる——現代の統合的理解
「人間は本能から逃れた」——この命題は誤謬か?
Xで話題になっている投稿がある。浅田彰の『構造と力』を引きながら、「人間は本能から逃れた存在であり、環境や習慣が擬似的な自然として機能する」と主張するものだ。これに対して「"本能から逃れた"という前提自体が誤謬ではないか」という反論が出ている。
結論から言えば、「逃れた」という表現は——定義次第で——正しくも間違いにもなる。問題は、この「定義次第」の構造そのものが隠蔽されている点にある。
1. 定義のスライド——手品の種明かし
「本能」を狭く定義すれば(自動的、不可抗的、変更不可能、普遍的、定型的な行動)、人間の行動はほぼ該当しない。性行動も摂食も意志で抑制できる。ハンガーストライキ、禁欲、自殺。成人の人間に動物行動学的な意味での固定的行動パターンは同定されていない。
「本能」を広く定義すれば(種に典型的な条件下で確実に発達する、進化的に形成された認知・動機づけアーキテクチャ)、人間は本能に満ちている。言語獲得、表情認知、内集団選好、地位への関心、互恵性の追跡、物語への渇望。
「人間には本能がない」という命題は、前者の定義を暗黙の前提にしている。「人間には本能がある」という命題は、後者の定義を使っている。どちらも定義の選択を明示しない限り、科学的命題としては成立しない[^21]。これは論争ではなく、すれ違いだ。
2. 遺伝子-文化共進化——フィードバックループの中に「断絶点」はない
ロバート・ボイドとピーター・リチャーソン(Robert Boyd & Peter Richerson, 1985)の二重継承理論(dual inheritance theory)、およびジョセフ・ヘンリック(Joseph Henrich, 2015)の『The Secret of Our Success(文化がヒトを進化させた)』は、遺伝子と文化が対立する力ではなく相互作用する継承システムであることを実証的に論じている[^22]。
ヘンリックの中心的主張はこうだ——「我々の種の進化史のかなり早い段階で、文化進化が遺伝的進化の主要な駆動力になった」。文化的知識を剥奪された個体としての人間は驚くほど無力だ。同じ環境で先住民が生存する一方、ヨーロッパの探検家が次々と死んだ記録がそれを示す。「我々がこれほど多くの道具を持っているのは賢いからではない——これほど多くの道具を持っているから賢いのだ」。
文化を作る能力は遺伝的基盤を持つ。文化進化は遺伝的アーキテクチャを作り変える。「生物学が終わり、文化が始まる」地点は存在しない。
3. 自由エネルギー原理——同じ計算アーキテクチャの異なる階層
カール・フリストン(Karl Friston, 2010)の**自由エネルギー原理(free energy principle; FEP)**は、知覚・行為・学習を「予測誤差の最小化」として統一的に記述する[^23]。すべての生物システムは、内部モデルと外界の状態との差分——変分自由エネルギー——を抑え込むように作動する。
この枠組みでは、先天的事前分布(innate priors)——進化によって獲得された期待構造——が「本能」に相当する。フリストン自身がこう書いている。「その事前分布は継承されうる。これが生得的価値に対応する……自然選択が、生得的に価値ある事前分布への選択圧を通じて、これらの期待が有用であることを保証する」。そしてこの先天的事前分布と、発達を通じて学習される経験的事前分布、社会学習で獲得される文化的事前分布は、同一の計算アーキテクチャの異なる階層で機能する[^24]。
アンディ・クラーク(Andy Clark, 2016)の『Surfing Uncertainty』は、精度重み付け(precision-weighting)——予測誤差にどれだけ「信頼度」を割り当てるか——が文脈に応じて切り替わることで、人間の行動が「本能的」に見えたり「文化的」に見えたりする仕組みを説明する。本能と文化は二項対立ではなく、同じ推論機械の異なるパラメータ設定だ。
ただし注意が必要だ。FEPは「何でも説明できる」形式的枠組みだからこそ、個別の仮定(たとえば予測誤差ニューロンの存在)については経験的証拠がまちまちだという批判的レビューが存在する。二項対立を「解消しうる形式言語」が提示されたが、経験的裏付けは部分的、というのが正確な現在地だ。
4. ニッチ構築——「本能的に見えるもの」は先行する文化の堆積かもしれない
オドリング=スミー、ラランド、フェルドマン(Odling-Smee, Laland, & Feldman, 2003)のニッチ構築理論は、生物が環境を非ランダムに改変し、その改変が新たな選択圧として作用する循環的過程を記述する[^25]。遺伝的継承、文化的継承に加え、生態的継承(ecological inheritance)——改変された環境そのものの伝達——を含む三重継承モデルだ。
典型例は乳糖耐性(lactase persistence)。ヨーロッパの牧畜民が牛乳利用という文化的実践を始めたことで、成人の乳糖分解能力を持つ個体が有利になる選択圧が生じ、該当する遺伝的変異が広まった。因果の方向は文化→生態→遺伝子だ。
この枠組みが示すのは、現在「本能的」に見える形質が、先行する文化活動の産物である可能性だ。「生まれつき」と「文化的」の境界は固定されておらず、時間スケールによって移動する。
5. 本能の不可視性——上手く動きすぎて見えない
コスミデスとトゥービー(Cosmides & Tooby, 1994)の**「本能の不可視性(instinct blindness)」**は、本コラムの論旨にとって核心的な概念だ。彼らの主張はこうだ——複雑な本能は、あまりにも円滑に機能するがゆえに不可視化する[^26]。
私たちは認知の失敗には気づく(名前が出てこない、計算を間違える)が、脳が日常的に達成している膨大な計算的偉業——顔認識、社会的推論、言語処理、奥行き知覚——には気づかない。本能が「ない」ように見えるのは、壊れているからではなく、上手く動きすぎているからだ。
ジェイムズの直観に戻れば、人間が柔軟な知性を持つのは他の動物より本能が少ないからではなく、多いからだ。進化心理学にはモジュール性概念や適応主義的過剰推論という正当な批判がつきまとうが、「本能の不可視性」という洞察自体は、分野を超えて有効だ。
6. 象徴秩序は本能の否定か、本能の産物か
テレンス・ディーコン(Terrence Deacon, 1997)の『The Symbolic Species(ヒトはいかにして人となったか)』は、象徴能力と人間の脳が約200万年にわたって共進化したと論じる。象徴的参照が前頭前皮質の拡大を要求し、拡大した前頭前皮質がより複雑な象徴操作を可能にした[^27]。「生物学的にはただのサルの一種。精神的には、新たな門(phylum)」。象徴的思考は「根本的に不自然な活動」だが、脳がその要求に適応したという意味で完全に自然だ。
ピンカー(Pinker, 1994)の『The Language Instinct(言語を生みだす本能)』は、象徴秩序の最たるものである言語が本能の条件をすべて満たすことを論証した。明示的な教育なしに自発的に発達する。個人差を超えて質的に同一。専用の脳領域がある。臨界期がある。あらゆる文化に存在する。聾の赤ん坊は手で「喃語」を発し、自発的に真の文法を持つ手話を発明する。もし象徴秩序の典型例が本能であるなら、「象徴秩序が本能の不在を証明する」という命題は自己矛盾に陥る。
マイケル・トマセロ(Michael Tomasello)の共有志向性(shared intentionality)——共同の目標を持つ協働活動への参加能力——は、他の類人猿には見られない人間固有の能力として提示される。これが文化的ラチェット効果(各世代が前世代の蓄積の上に築く累積的文化)を可能にする。ただし、共有志向性の能力自体は進化的に形成されたものだ。
着地——二重記述としての解決
精神分析と哲学的人間学の「本能からの離脱」テーゼを全否定する必要はない。むしろ、二つのレベルを区別すべきだ。
現象学的には正しい。 人間は本能からの離脱を感じる。自分の行動を反省し、衝動を抑制し、「なぜ自分はこうしたいのか」と問うことができる。プレスナーの「脱中心的位置性」はこの体験を正確に記述している。ゲーレンの「欠如存在」は、この体験を社会制度の必然性へ接続する理論装置として機能する。ラカンの象徴界は、欲望が言語によって組織化される臨床的現実を記述する。
メカニズム的には誤りだ。 その「離脱の感覚」自体が、進化した脳の予測結果だ。脱中心的位置性は、自己モニタリングという認知能力——おそらく社会的知性の圧力下で進化した——の現象学的記述にほかならない。FEPの語彙では、自己の行為を予測・評価するメタ認知的事前分布が高い精度で作動している状態だ。文化的事前分布と先天的事前分布の差異を検出する能力——それ自体が先天的事前分布によって駆動されている。
浅田彰の「反自然的存在」は、プレスナーの用語で言い直せば自然的に人工的な存在だ。自然から追放されたのではなく、自己超越を生物学的能力として含む自然の一形態を表現している。
エピローグ——本能の最も巧妙なトリック
言語。制度。道徳規範。科学的探究。芸術的創造。そして「我々は本能から逃れた」という哲学的主張そのもの。これらはすべて、進化的に形成された認知・動機づけアーキテクチャが、設計通りに作動した産物だ。
コスミデスとトゥービーの「本能の不可視性」を思い出してほしい。本能が見えないのは、壊れているからではなく、完璧に動いているからだ。私たちが本能からの自由を感じるのは、本能が機能停止したからではない。本能の中で最も精巧なもの——自己を対象化し、自分自身の認知プロセスを監視し、「これは本能なのか?」と問う能力——が、あまりにも滑らかに作動しているからだ。
本能からの逃走は、本能の最も巧妙なトリックである。
脚注
[^1]: コオロギの胸部神経節にあるCPGは、感覚入力なしでも種固有の歌パターンを生成する。遺伝的結合仮説(Alexander, 1962)はメスの選好とオスの信号が遺伝的に共役することを示唆する。
[^2]: Lorenz, Tinbergen, von Frisch. Nobel Prize in Physiology or Medicine, 1973. ティンバーゲンの「四つの問い」(至近因、発達、機能、系統)は行動研究の基本枠組みとして現在も参照される。
[^3]: Lehrman, D. S. (1953). A critique of Konrad Lorenz's theory of instinctive behavior. Quarterly Review of Biology, 28(4), 337–363.
[^4]: Barlow, G. W. (1977). Modal action patterns. In T. A. Sebeok (Ed.), How Animals Communicate. 「固定」の含意を除去し、統計的に最頻(modal)なパターンとして行動を記述する。
[^5]: Cannon, W. B. (1915). Bodily Changes in Pain, Hunger, Fear and Rage. Selye, H. (1936). A syndrome produced by diverse nocuous agents. Nature.
[^6]: James, W. (1890). The Principles of Psychology. Ch. 24: Instinct. ジェイムズは人間の本能の「多さ」を強調した点で、後の進化心理学の先駆者とも読める。
[^7]: Watson, J. B. (1930). Behaviorism. ワトソンの「12人の赤ん坊」宣言は行動主義の綱領的表明として有名だが、本人も完全な環境決定論が実証されたとは主張していない。
[^8]: Gottlieb, G. (2007). Probabilistic epigenesis. Developmental Science. 遺伝子活動←→神経活動←→行動←→環境の四水準が双方向に影響し合うモデル。
[^9]: Weaver, I. C. G., et al. (2004). Epigenetic programming by maternal behavior. Nature Neuroscience, 7(8), 847–854. ラットの母親のリッキング・グルーミング行動が子のグルココルチコイド受容体遺伝子プロモーターのDNAメチル化を変化させる。
[^10]: Freud, S. (1905). Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie. Triebの複合語は45以上(Lebenstrieb, Todestrieb, Partialtrieb, Triebrepräsentanz等)。Instinktの使用は一箇所のみ。
[^11]: Strachey, J. (Ed. & Trans.). The Standard Edition of the Complete Psychological Works of Sigmund Freud (24 vols.). Trieb→instinctの訳出については、Bettelheim, B. (1983). Freud and Man's Soul、Solms, M. (Ed.) (2018–). The Revised Standard Edition も参照。
[^12]: Lacan, J. (2006). Écrits. 「人間が話す……しかしそれは、シンボルが人間を人間にしたからだ」。欲望は「メトニミーのレールに捕らえられている」。
[^13]: Gehlen, A. (1940). Der Mensch: Seine Natur und seine Stellung in der Welt. 制度論は Urmensch und Spätkultur (1957) で展開。Berger & Luckmann (1966) The Social Construction of Reality に影響を与えた。
[^14]: Plessner, H. (1928). Die Stufen des Organischen und der Mensch. 三法則:自然的人工性(natürliche Künstlichkeit)、媒介された直接性(vermittelte Unmittelbarkeit)、ユートピア的立場(utopischer Standort)。
[^15]: Tversky, A., & Kahneman, D. (1974). Judgment under uncertainty: Heuristics and biases. Science, 185(4157), 1124–1131.
[^16]: Gigerenzer, G. (2007). Gut Feelings: The Intelligence of the Unconscious. ヒューリスティクスは「特定の文脈に精密に適合した適応的道具」であり、環境構造に対して「生態学的に合理的」。
[^17]: Cosmides, L., & Tooby, J. (1994). Beyond intuition and instinct blindness: Toward an evolutionarily rigorous cognitive science. Cognition, 50(1–3), 41–77. 「進化前の生物学的思考を反映する偽の二項対立——進化した/学習した、生得的/学習した、遺伝的/環境的、生物学的/文化的——の長いリストを放棄する」よう求めた。
[^18]: Gould, S. J., & Lewontin, R. C. (1979). The spandrels of San Marco and the Panglossian paradigm: A critique of the adaptationist programme. Proceedings of the Royal Society B, 205(1161), 581–598.
[^19]: 浅田彰 (1983).『構造と力——記号論を超えて』勁草書房. 「生きた自然からの逸脱、ピュシスからの追放。これこそ人間と社会を考える出発点である。エコシステムの中に安住の地を見いだすことのできない、決まった生の方向(意味)を持たない欠陥的存在——言い換えれば意味の過剰を抱え込んだ反自然的存在」。2023年に中公文庫より千葉雅也の解説付きで再刊。
[^20]: 1980年代日本における現代フランス思想の受容については、「ニュー・アカデミズム」として百科事典的に整理されている。浅田に加え、中沢新一、柄谷行人、蓮實重彦らが同時期に活動した。英語圏とのずれは、制度的基盤(大学学部の編成、翻訳出版の速度と量)の差異に起因する部分が大きいと推測されるが、この点の実証的研究は限定的。
[^21]: 2000年の調査では、ベストセラーの心理学入門教科書12冊中、「本能」への言及はフロイトの「イド本能」に関する1件のみだった。これは人間に本能がないという発見ではなく、用語の撤退を反映している。
[^22]: Boyd, R., & Richerson, P. J. (1985). Culture and the Evolutionary Process. Henrich, J. (2015). The Secret of Our Success: How Culture Is Driving Human Evolution, Domesticating Our Species, and Making Us Smarter.
[^23]: Friston, K. (2010). The free-energy principle: A unified brain theory? Nature Reviews Neuroscience, 11(2), 127–138.
[^24]: Clark, A. (2016). Surfing Uncertainty: Prediction, Action, and the Embodied Mind. 精度重み付けは注意のメカニズムとしても機能し、文脈に応じて先天的事前分布と学習的事前分布の相対的影響力を切り替える。
[^25]: Odling-Smee, F. J., Laland, K. N., & Feldman, M. W. (2003). Niche Construction: The Neglected Process in Evolution. Princeton University Press.
[^26]: この概念はジェイムズ(1890)の「人間は本能が多すぎて本能に気づかない」という洞察を、認知科学の語彙で再定式化したものと読める。
[^27]: Deacon, T. W. (1997). The Symbolic Species: The Co-evolution of Language and the Brain. W. W. Norton.
