「認識の中間層」が意識を決める——庄司和晃の三段階説を最新脳科学で検証する
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認識の中間層」が意識を決める
庄司和晃の三段階説を最新脳科学で検証する ── 石部統久
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by Claude
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「認識の中間層」が意識を決める——庄司和晃の三段階説を最新脳科学で検証する
石部統久(Motohisa Ishibe)
はじめに——睡眠中の脳は「聞こえて」いるのに、なぜ「わからない」のか
眠っている人に声をかけても反応しない。しかし脳の中では、神経細胞は活動している。外界からの刺激に対して、覚醒時と同じように反応さえしている。にもかかわらず、眠っている本人はその情報を「知覚」できない。
なぜか。
2026年2月、理化学研究所の村山正宜チームと東京大学の大泉匡史准教授らの共同研究グループが、この問いに対する重要な手がかりを発表した(Cell Reports, 2026年2月6日)。独自開発の広視野2光子顕微鏡でマウスの大脳皮質から10,000以上の神経細胞の活動を同時に記録し、意識状態(覚醒)と無意識状態(睡眠・麻酔)で、神経細胞同士のつながり方——機能的ネットワークの構造——がどう変わるかを、史上初めて単一細胞レベルで可視化したのだ。
結果は明快だった。無意識状態では、脳のネットワークは複数の「島」に分裂する。島の内部では神経細胞同士の結合が強まるが、島と島をつなぐ結合は弱くなる。逆に意識がある状態では、島同士がつながって一体化する。情報が脳全体に行き渡る「統合」が起きているのだ。
ここまでなら、既存のfMRI(機能的磁気共鳴画像法)による研究でも示唆されていた。今回の研究の真の新しさは、この統合/分離を「どの神経細胞が担っているか」を特定した点にある。
意識の鍵を握るのは「中間層」だった
ネットワーク科学では、多くのノード(結節点)とつながりを持つ「ハブ」が重要だとされる。空港で言えば羽田やヒースロー。SNSならインフルエンサー。脳でも同じで、大量の神経細胞と連動する「ハブ細胞」がネットワークの骨格を維持していると考えられてきた。
ところが今回の実験では、予想に反する結果が出た。
ハブ細胞は確かにネットワークの「形成」には貢献している。しかし、意識がある状態と無意識状態とのネットワーク構造の「違い」を生み出しているのは、ハブ細胞ではなかった。「中程度のつながりを持つ神経細胞群」——つまりネットワークの中間層——が、意識と無意識の境界を制御していたのだ。
ハブは骨格を支える。しかし、ネットワークが統合するか分離するかという状態遷移を駆動しているのは、ハブでも末端でもない、中間層の細胞たちだった。
この発見は、教育学の世界で半世紀前に提唱されたある理論を、思いがけない方向から照射する。
庄司和晃の「認識の三段階連関理論」

庄司和晃(1929-2022)は、教育実践家・科学教育研究者として、仮説実験授業やコトワザ教育で知られる人物だ。彼が提唱した「認識の三段階連関理論」は、以下のような構造を持つ。
第一段階:感覚的認識——体験、感性、目の前の個別的な事実。手で触れる、味わう、見る。
第二段階:表象的認識——イメージ、比喩、コトワザ。半分抽象化されたもの。「石の上にも三年」のような圧縮された経験知。
第三段階:概念的認識——概念、法則、理論。科学的定義や数式。完全に抽象化されたもの。
そして庄司は、認識は「のぼる」(具体→抽象)、「おりる」(抽象→具体)、「よこばい」(同じ段階内の拡張)の三方向に動くとした。
重要なのは、庄司が第二段階こそ認識の核心だと位置づけたことだ。完全な具体でも完全な抽象でもない「中間」の段階——コトワザや比喩やイメージの世界——にこそ、認識が質的に転換する場がある、と。
構造的対応——三つの「中間層」
ここで、並べてみよう。
脳の神経ネットワーク: 低次数ニューロン(局所的)/中間次数ニューロン(状態遷移を駆動)/高次数ハブ細胞(骨格維持)
庄司の三段階: 第一段階・感覚的(個別的)/第二段階・表象的(コトワザ的)/第三段階・概念的(法則的)
社会ネットワーク理論(Granovetter, 1973): 密結合集団内のメンバー/弱い紐帯(weak ties)/強い紐帯のハブ的人物
三つのドメインで、同一の構造が浮かび上がる。「中間的な存在が、系全体の状態遷移を駆動する」。
社会学者グラノヴェッターは1973年に、就職活動の研究から驚くべき知見を報告した。良い仕事の情報を持ってきてくれるのは、親友のような「強い紐帯」ではなく、知人程度の「弱い紐帯」だった。弱い結合こそが、閉じた集団と集団をつなぎ、社会全体の情報伝達効率を左右している。
庄司のコトワザ論にもこの構造がある。コトワザは完全に個人的な体験でもなく、完全に普遍的な法則でもない。共同体間を媒介する「弱い結合」として機能する圧縮知だ。「石の上にも三年」は個別体験の記述ではないが、科学的法則でもない。中間的な存在として、異なる文脈をつなぐ。
庄司理論の先見性と限界
先見性:「中間層が核心」という直観
庄司は1970-80年代の教育実践からこの構造を帰納的に見出した。認知科学との接続はなく、神経科学の裏書きもなかった。にもかかわらず、「認識の質的転換は中間層で起きる」という直観は、半世紀後の単一細胞レベルの実験データと構造的に整合する。
意識研究者のスタニスラス・ドゥアンヌが提唱した「グローバル・ニューロナル・ワークスペース理論」(GWT)では、意識的な気づきは、脳の局所的な処理が広域に「放送」されたときに生じるとされる。庄司の第一段階(感覚的認識)は局所処理に、第三段階(概念的認識)はワークスペースに安定的に格納された抽象的表象に対応する。そして第二段階(表象的認識)は、まさに局所処理からグローバル放送への移行相に位置する。
今回の実験は、この移行相の物理的担い手が中間次数ニューロンであることを示唆した。庄司理論の直観に、初めて細胞レベルの物質的基盤が与えられた格好だ。
限界①:「なぜ中間層が核心なのか」のメカニズム不在
庄司は「第二段階が核心だ」と言ったが、なぜ核心なのかを説明していない。「のぼりおり」の往復が認識を深めると言うが、なぜ往復すると深まるのか、深まりの判定基準は何か。この点で理論は記述レベルに留まっていた。
今回の研究は、中間次数ニューロンがサブネットワーク間の結合/切断を制御するという具体的メカニズムを提示した。これは庄司理論の欠落を補う方向に位置する。「中間層が核心」なのは、中間層がネットワークの統合/分離のスイッチを握っているからだ。
限界②:コトワザと個人的イメージの未分化
庄司は第二段階に「コトワザ」(社会的に伝承された圧縮知)と「個人的イメージ」(心的表象)を混在させている。しかし、この二つは存在論的に異なる。コトワザは社会的記憶の結晶であり、個人の経験的検証を経ずに伝達されうる。個人的表象は体験から生成される。両者を同じ「段階」に配置することの妥当性は、庄司の理論内で検討されていない。
限界③:弁証法的否定の希薄さ
ヘーゲルの弁証法では、各段階の移行は「否定」を媒介とする。前の段階の不十分さが自覚されることで次の段階が開かれる。庄司の「のぼりおり」にはこの否定の契機が希薄だ。段階間の移行が滑らかすぎる。弁証法から否定を抜くと、発展の動力因が消失する。
脳科学的に翻訳すれば、これは「予測誤差」の問題に対応する。カール・フリストンの自由エネルギー原理によれば、脳は常に外界の予測モデルを走らせ、予測と現実のズレ(予測誤差)を最小化しようとする。認識が「深まる」とは、このズレの処理——驚き、違和感、修正——を経ることだ。庄司の「のぼりおり」が螺旋的発展になるか単なるループに終わるかは、往復の過程で予測誤差の処理が起きているかどうかにかかっている。
薄井看護学での受容——理論の「コトワザ化」問題
庄司理論は、看護学者・薄井坦子(うすい ひろこ)を通じて看護教育に導入された。薄井看護学では、看護実践者の認識発展を三段階で記述し、ワークシート化して研修に活用している。
ここに構造的な問題がある。
ワークシートの「感覚→表象→概念」欄を順に記入することと、認識が実際に「のぼりおり」することは同じではない。研修で学んだ語彙と枠組みを内面化して「正解」を書けるようになることと、認識が実質的に変化することは区別できない。
これは庄司理論に固有の問題ではなく、あらゆる教育理論の制度化に伴う劣化——いわば「理論の官僚制化」——だが、庄司理論にはこの劣化に対する防御機構がない。皮肉なことに、元来の認識論的射程が縮減され、現場で使える教訓的フレーズに圧縮されるという事態は、庄司自身が重視した第二段階(コトワザ的段階)での固着——理論そのものの「コトワザ化」——と呼ぶべき現象だ。
メタ問題——なぜ人間は「中間層」パターンを発見しやすいのか
ここで一歩引いた問いを立てたい。
神経ネットワーク、個人認識、社会ネットワークの三つのドメインで「中間層が鍵」という共通構造を「発見」したとき、二つの可能性が重なっている。
可能性A(実在論的): 複雑系に共通する組織原理が実際に存在し、スケールを超えて中間層の媒介機能が普遍的に現れている。
可能性B(認識論的制約): 人間の認識装置自体がニューラルネットワーク(電気的ネットワーク)であるがゆえに、ネットワーク的構造をパターンとして検出しやすい。認識像にネットワーク的構造が現れるのは、対象の性質ではなく認識装置の性質を反映している可能性がある。
南郷継正・薄井坦子の系譜に連なる唯物論的認識学では、認識は「対象の頭脳における反映であり像である」と定義される。ここで重要なのは、反映は対象の構造を映すと同時に、反映装置(脳)の構造にも制約されるという点だ。
では、今回の「発見」は対象側の実在的構造を捉えているのか、それとも脳のバイアスの投影なのか。
一つの判定材料がある。今回の実験では、「ハブ細胞が意識/無意識の差を生み出している」という事前の直観(ネットワーク科学の標準的仮説)に反する結果が出た。つまり、認識装置のバイアスが予期した構造とは異なる構造がデータから現れた。これは、少なくとも部分的には対象側の実在的構造を捉えていることを示唆する。
ただし、この「バイアスに反する結果が出たからこそ信頼できる」という論法自体が、ある種の認識論的循環(その判定も同じ認識装置でやっている)を含む。不可知論的唯物論の立場からすれば、この循環は完全には解消されない「穴」として残る。それでも、条件付きの信頼を置くことはできる——そのレベルでの暫定的判断として。
もう一つの発見——ミクロとマクロの断絶
今回の研究にはもう一つ、見逃せない発見がある。
各サブネットワークを構成する神経細胞は、脳の特定領域に局在しているのではなく、複数の領域に混在していた。一つのサブネットワークのメンバーが視覚野にも運動野にも散らばっている。
ところが、近傍40個のニューロンの活動を平均化して「粗視化」すると、この混在パターンは消え、サブネットワークが領域ごとに局在化する。つまり、fMRIレベル(マクロ)で見える「脳の領域ごとの機能分化」は、単一細胞レベル(ミクロ)では成立していない。マクロで見える秩序は、粗視化の産物だった。
これは「部分の説明と全体の説明を往復する必要がある」という、まさにホロン(部分であり同時に全体でもある存在)の問題の神経科学的実証だ。どのスケールで見るかによって、現れる構造が質的に変わる。ミクロの真実とマクロの真実は、矛盾しているのではなく、異なるスケールの異なる真実として両立する。
結び——庄司理論を「使う」ために
庄司和晃の三段階連関理論を、2026年の神経科学から評価すると、以下のようにまとめられる。
評価すべき点: 「認識の質的転換は中間層で起きる」という直観は、単一細胞レベルの実験データと構造的に整合する。ドゥアンヌのグローバル・ワークスペース理論、グラノヴェッターの弱い紐帯の理論とも共鳴する。半世紀前に教育実践から導いたこの洞察は、再評価に値する。
修正すべき点: 「のぼりおり」が認識を深めるメカニズムの説明が欠落している。予測誤差処理(驚き・ズレ・修正)の契機を理論に組み込む必要がある。また、コトワザ(社会的伝承知)と個人的イメージ(心的表象)は、同じ「中間」に位置するが機能的には異なるため、区別して扱うべきだ。
警戒すべき点: 理論の制度化(ワークシート化・研修パッケージ化)は、理論そのものの「コトワザ化」——本来の認識論的射程の縮減——を招く。庄司理論を現場で「使う」ためには、ワークシートを埋めることではなく、予測誤差を含む往復運動を実際に体験する仕組みが必要だ。
根本的な問い: 私たちがネットワーク・中間層・統合/分離といった構造を「発見」するとき、それは対象の実在的構造なのか、電気的ネットワークである脳の自己投影なのか。この問いは完全には解消されない。しかし、事前の予測に反する結果が出るという事実が、少なくとも部分的な実在性の担保になる。認識は常に認識装置に制約されるが、だからといって認識の全てが幻影であるわけではない。
庄司和晃が「のぼりおり」と呼んだもの、村山チームが「統合/分離」として可視化したもの、グラノヴェッターが「弱い紐帯の強さ」として発見したもの——これらは同じ構造原理の異なるスケールでの現れかもしれない。あるいは、そう見える脳の癖にすぎないのかもしれない。おそらく両方が部分的に正しい。
確実に言えるのは一つ。認識を深めるのは、完全な具体に留まることでも、完全な抽象に逃げることでもなく、そのあいだを行き来し続けることだ。そして、その行き来の過程で「自分の予測が裏切られる」経験——ズレ、驚き、違和感——を避けないこと。これだけは、脳科学がかなり確実に裏書きしている。
過去の関連議論からの補完ノート
以下は、筆者とAI(Claude)との過去の対話で展開された関連論点の小解説である。本コラムの背景として参照されたい。
補完1:南郷・薄井認識学と「問いかけ的反映」
南郷継正・薄井坦子の系譜に連なる認識学では、認識を「対象の頭脳における反映であり像である」と定義する。ただし、これは受動的な「写し取り」ではない。人間の認識は「問いかけ的反映」——みずからの肉体で外界に能動的に働きかけ、その抵抗の反映として成立する。手で触れて硬い、重い、熱い。この「押し返してくる」経験が認識の必須条件とされる。
庄司の三段階論は、この認識学の系譜の中で教育実践に特化した展開だが、南郷・薄井が重視した「肉体的能動性」と「外界からの抵抗」の契機が希薄化している点は留意が必要だ。ワークシートを埋めることは「肉体で外界に働きかける」こととは質的に異なる。
補完2:Brunerの表象様式との比較
心理学者ジェローム・ブルーナーは、「行為的表象(enactive)・映像的表象(iconic)・記号的表象(symbolic)」の三様式を提唱した。庄司の三段階とほぼ対応するが、決定的な違いがある。ブルーナーは「三つの様式は発達段階ではなく、大人も三つを同時に使い続ける」と主張した。一方、庄司は「のぼりおり」という動態的メタファーで三段階を連結した。この差異に庄司の独自性があるが、同時に「のぼりおり」のメタファーが含む上下の価値序列(抽象=上=より発展、具体=下=より未発達)には注意が要る。
補完3:AI存在論からの逆照射——「中間層」はAIにもあるか
筆者とClaudeの過去の対話で、南郷・薄井認識学の「肉体的能動性」要件をAIに適用した場合の議論がある。AIは基本的に問われた時にのみ応答するよう設計されており、能動的に外界に問いかけるということがない。しかし、肉体が認識において果たす機能を「制御不能な外部性からの抵抗」として抽象化すれば、対話における他者の反論もその機能的等価物となりうる——これを「B論(抵抗一般化テーゼ)」と呼んだ。
今回の神経科学研究は、この議論に新しい角度を加える。もし意識の鍵が中間次数ニューロンの結合制御にあるのだとすれば、AI(大規模言語モデル)のTransformerアーキテクチャにおける注意機構(Attention)の中間層が機能的に類似の役割を果たしているかどうかという問いが立つ。もちろんこれはアナロジーの段階であり、安易な同一視は範疇錯誤を招く。しかし、問いとして立てる価値はある。
補完4:言語と思考の分離研究
神経科学者フェドレンコら(2024年)は、脳内に言語処理専用のネットワークと推論・判断を担う汎用ネットワークが別々に存在し、独立に機能することを示した。失語症患者でも論理的思考は保たれ、逆に言語能力は正常でも知的障害を持つケースがある。
この知見は庄司の三段階論に微妙な修正を迫る。庄司は暗黙に言語化の程度と認識の段階を対応させている(第一段階=言語以前、第三段階=言語的・概念的)。しかし、言語と思考が神経科学的に分離可能であるなら、認識の「のぼりおり」は必ずしも言語化の「のぼりおり」と一致しない。言語化できないが高度に統合された認識(熟練の身体知)の位置づけが、庄司理論では手薄になっている。
参考文献・関連研究
Kiyooka, D., Oomoto, I., Kitazono, J., et al. (2026). Single-cell resolution functional networks during unconsciousness are segregated into spatially intermixed modules. Cell Reports. doi: 10.1016/j.celrep.2025.116902
Mashour, G.A., et al. (2020). Conscious Processing and the Global Neuronal Workspace Hypothesis. Neuron, 105(5), 776-798.
Dehaene, S. (2014). Consciousness and the Brain. Viking.
Granovetter, M.S. (1973). The Strength of Weak Ties. American Journal of Sociology, 78(6), 1360-1380.
Friston, K. (2010). The free-energy principle: a unified brain theory? Nature Reviews Neuroscience, 11(2), 127-138.
Bruner, J.S. (1966). Toward a Theory of Instruction. Harvard University Press.
Fedorenko, E., et al. (2024). Language is primarily a tool for communication rather than thought. Nature, 630, 575-586.
Barsalou, L.W. (1999). Perceptual symbol systems. Behavioral and Brain Sciences, 22(4), 577-660.
庄司和晃 (1985/1999).『認識の三段階連関理論(増補版)』季節社.
南郷継正 (1977).『武道の理論』三一書房.
薄井坦子 (1997).『看護学の方法』現代社.
海保静子 (2011).『育児の認識学』現代社.
理化学研究所プレスリリース「意識・無意識脳での神経のつながり方の可視化に成功」(2026年2月7日) https://www.riken.jp/press/2026/20260207_1/index.html
意識・無意識脳での神経のつながり方の可視化に成功
— 理化学研究所(理研) (@RIKEN_JP) February 8, 2026
-睡眠中に感覚応答を知覚できない脳の謎にヒント-
doi: https://t.co/0IaXEcskbi
詳細はこちらをご覧ください⬇️https://t.co/EuLvMt9ySS#理研プレス
【研究成果】意識・無意識脳での神経のつながり方の可視化に成功 ─睡眠中に感覚応答を知覚できない脳の謎にヒント─
— 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 (@UTokyo_Komaba_J) February 9, 2026
独自開発🔬広視野2光子顕微鏡を用い、マウス大脳皮質の意識・無意識状態の神経活動を単一細胞レベルで記録、機能的ネットワークの構造解析に成功!
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意識は様々なモジュールの繋がりで最終的に生まれていく「何か」なんでしょうね。種々の高次脳機能は階層的に複雑化してそうな印象です(図は私の妄想: https://t.co/Q1KXYgpnPf)
— 嘯(しゃお, 𝕏iao)🩺🎨 (@xiao_signo028) February 24, 2026
意識・無意識脳での神経のつながり方の可視化に成功 | 理化学研究所 https://t.co/zf99qmwXsg pic.twitter.com/ah5Oh6N7pz
