法解釈はかつてはフィロソフィ(いわゆる西洋の学問)やサイエンスではなかった

法解釈がいわゆるかつての西洋の学問ではないとの見解などを集めました。

法解釈の「学問化」:その歴史的プロセス
法解釈は、いつから「学問」になったのか?
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法律解釈はいつ、どのようにして「学問」になったのか:中世から現代への変遷



II. はじめに:法律は「学問」か、それとも「技術」か?


現代社会において、法律は政治学、経済学、社会学と並んで「社会科学」の一分野として認識されている。しかし、この認識は決して自明のものではなく、知的探求の歴史において、法律が「学問」として認められるまでには、長く複雑な道のりがあった。本報告書は、中世ヨーロッパに遡り、法律解釈がなぜ当初「学問」と見なされなかったのかを解き明かし、その後の近代における知的革命を経て、いかにして今日の「学問」としての地位を確立したかを探求する。

本題に入る前に、まずは現代における「学問」の位置づけを明確にしておく必要がある。今日の社会で「社会科学」とは、人間社会の諸現象を研究対象とする科学の総称と定義されている。これには政治学、経済学、社会学、そして法律学が含まれ、自然現象を扱う自然科学と対比される [1]。この定義は、法学が「科学」の範疇に入り込む上で、自然科学とは異なる独自の客観性や方法論を確立する必要があったことを示唆している。この問題意識は、後述する19世紀のドイツにおける「法学は科学か」という大論争の核心をなすものであり、本報告の主題を理解するための重要な出発点となる。

中世の人々にとって、法律が「学問」であるか否かという問いは、現代とは全く異なる知的枠組みの中で考えられていた。当時の「学問(philosophy)」は、知的好奇心や真理を求める活動全般を指す広範な概念であり、必ずしも真理のみを対象とするわけではなかった [2, 3]。しかし、この広義の「学問」にも、厳格な階層と目的が存在した。


III. 「学問」の黎明期:中世ヨーロッパにおける法学の位置づけ


中世のヨーロッパでは、大学という制度が誕生し、知の体系が厳格なヒエラルキーのもとに組織されていた。この構造を理解することが、なぜ法学が「学問」と見なされなかったのかを解く鍵となる。


1. 自由七科:知のピラミッドの基礎


中世大学の基礎教育は、「自由七科(リベラルアーツ)」として知られる体系に基づいていた [4, 5]。これは、古代ギリシアの「エンキュクリオス・パイデイア」に起源を持ち、身体労働から解放された「自由市民」にふさわしい教養として発展したものである [4, 6]。

自由七科は、知の体系を「言語系」と「数学系」に分類していた。言語系は「三科(トリヴィウム)」と呼ばれ、文法、弁証法(論理学)、修辞学から構成された [6, 7]。これは、言葉を正しく理解し、論理的に思考し、説得力をもって表現するための技術を養うことを目的とした。一方、数学系は「四科(クアドリウム)」と呼ばれ、算術、幾何学、天文学、音楽が含まれていた [6, 7]。これらの科目は、数、量、空間、時間の普遍的な法則を学ぶものであり、抽象的な思考力を鍛えるための基盤とされた。

この体系の背後には、古代ギリシアからの知的伝統である「学問(パイデイア)」と「技術(テクネー)」の峻別があった [4]。パイデイアは、単に知識を与えるだけでなく、社会の指導的役割を担う人間にふさわしい人格を育むことを目的とした。これに対し、テクネーは、職人や奴隷が物作りなどの伝達可能な技術を学ぶためのものだった [4]。法律解釈は、法律家という特定の職業に直結する専門知識であり、この古代からの知的階層構造において、職人的な「技術」の系譜に位置づけられるものだった。したがって、自由七科という「人間性を養う学問」の範疇には含まれなかったのである。


2. 上級三学部と「下級」哲学部


中世の大学は、下級学部である「哲学部(教養学部)」と、上級学部である「神学部」「法学部」「医学部」という厳格な階層構造を持っていた [8, 9]。哲学部では自由七科が教えられ、これを修了した者だけが、上級三学部への進学を許された [6]。

上級三学部は、教会聖職者、法律家、医師といった専門職を養成することを明確な目的としていた [10]。特に法学部は、啓蒙絶対主義国家の官僚や法律顧問、外交官を輩出する機関として機能し、社会的に上昇するための重要な手段と見なされた [11]。中世の法学教育では、現実の社会で用いられる帝国法や都市法ではなく、ローマ法やカノン法といった普遍的な権威を持つ古典的な法典が講義と討論の対象とされた [11]。

中世の法学は、神学に次ぐ権威ある学問として位置づけられていた [11]。しかし、この権威は「真理を探求するフィロソフィー」とは異なり、既存の秩序や権力を擁護する「実務的・応用的な権威」に過ぎなかった。したがって、法学は、カントが後に指摘するように、政府や権力に奉仕する「経験的」な学問であり、真理を追求する「理論」とは一線を画していた。このように、中世における法学の地位は、単にカリキュラムの問題ではなく、知的空間における哲学的な価値観に根ざした必然的な結果であった。


IV. 法解釈の「学問化」へ:近代的認識の形成プロセス


中世の知的ヒエラルキーは、近代になると大きく揺らぎ始める。この知的革命の波が、法学の地位を根本から変革していく。


1. カントの挑戦:哲学の復権と法の「理性」化


ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、その著作『諸学部の争い』において、中世以来の大学の知的ヒエラルキーに正面から異議を唱えた [9]。彼は、神学・法学・医学といった「上級学部」は、政府や権威の意向に従う「経験的」な学問に過ぎず、真理を盲目的に受け入れるものだと批判した [12, 13]。カントは、これらの学問を批判的に吟味し、普遍的な「理性」の法則を追求する「哲学部(下級学部)」こそが、大学の核心をなすべきだと主張した [13, 14]。

この主張は、単なる学部間の権力争いではなく、中世以来の「実践(権威・実務)」と「理論(真理)」の関係性を根底から問い直す、壮大な哲学的転換であった。カントの議論は、法学が単に「権力のための道具」や「実務的技術」に留まるのではなく、普遍的な「理性」に基づき、社会規範や国家のあり方を批判的に探求する「真理の学」となりうる可能性を示した。この知的転換がなければ、法学は中世の延長線上に留まり、近代的な「学問化」はあり得なかったであろう。


2. 19世紀ドイツ:法学の「科学」性をめぐる大論争


19世紀に入ると、ドイツでは「法学は科学であるか」という問いが真剣に議論されるようになった。この論争に火をつけたのが、プロイセンの検事ユリウス・ヘルマン・フォン・キルヒマンであった。彼は1847年の挑発的な講演で、「法律学は科学として無価値である」と断言した [15]。

彼の批判の核心は、法学の対象である「実定法(positive law)」の流動性にあった。キルヒマンは、立法者の言葉一つで法律が変わり、何世紀にもわたる法学の成果が瞬く間に紙くずになることを指摘した [15]。これに対し、自然科学が扱う対象、例えば天体の動きなどは普遍的で不変である [16]。流動的なものを研究する法学は、自然科学のような客観的で普遍的な「科学」にはなり得ないというのが、彼の主張であった [15]。この痛烈な批判は、当時のドイツで隆盛した実定法至上主義の限界を突くものであった [17]。実定法は現実社会の深刻な変化に十分に対応できない側面を持ち、その形式主義が現実との乖離を生んでいたのである。キルヒマンは、この限界を法学自身の「科学性」の欠如として問題提起した。


3. アメリカの挑戦:ラングデルと「法学の科学化」


同じ頃、大西洋を越えたアメリカでも、法学の地位を向上させようとする動きがあった。ハーバード大学の学長クリストファー・コロンブス・ラングデルは、法学を大学にふさわしい「科学」にしようと試みた [18]。

ラングデルは、判例を素材とし、教授と学生がソクラテス式問答を通じて法的原則を発見させる「ケースメソッド」を導入した [19, 20]。彼は、法律を物理学や化学に似た科学とみなし、その「原則や教義」は限られた数しかないと主張した [18]。そして、これらの原則は、図書館に保管された無数の判例の中に隠されていると考え、法律家としての実務経験のない教授でも、図書館という「研究室」で法律の科学的探究が可能であると説いた [18]。

ラングデルの試みは、キルヒマンの「流動性」批判に対する一つの回答であった。彼は、個別の判例(経験)から普遍的な「原則」(法則)を帰納的に導き出すことで、法学に自然科学的な客観性を与えようとしたのである。これは、法学を「職人の技」から「学問」へと高めるための、アメリカ独自のプラグマティックなアプローチであった [18]。この二つの異なる文化的・法的背景を持つ国が、同じ知的課題に対して全く異なる、しかし根源的には同じ目的を持つアプローチを取ったことは興味深い。


V. 現代的「法律学」の確立と未来への示唆


近代の論争を経て、法律学はどのようにして現代的な「社会科学」として確立されたのか。


1. 「社会現象としての法律学」の確立


キルヒマンが批判した「流動性」の問題は、現代では法学の否定的な側面ではなく、むしろ重要な研究対象となった。法律は社会の変化に合わせて変容する「社会現象」として捉えられるようになったのである [21]。

この流れは、日本の法学者である川島武宜の提言によっても明確に示された。彼は「科学としての法律学」を提唱し、法学は単に実定法の解釈に留まらず、法を社会現象として捉え、社会との因果関係を解明する「社会科学」であるべきだと主張した [21, 22, 23]。川島らの議論は、キルヒマンが提起した「法は流動的で科学にならない」という問題に対し、「法が流動的であることこそが、社会を科学的に分析する最高の研究対象なのだ」という新たな回答を与えた。これは、法の「規範」的側面だけでなく「事実」的側面を重視する、法的思考の根本的な変革を意味する。


2. 現代における法律解釈の役割


現代の法律解釈は、もはや中世のように、権威ある法源の「権威を擁護する」ためのものではない。それは、社会の多様な価値観や変化を反映させ、社会秩序を動態的に維持・形成する役割を担うようになった [24]。

現代の法学は、中世の「実務志向」と近代の「科学志向」を融合したと言える。法律家は単なる条文の解釈者ではなく、社会の動向を読み解き、変化に対応する「社会科学者」としての側面を求められる。そして、市民もまた、法律を「権力による強制」ではなく「合意の産物」として理解する「法的リテラシー」が重要視されるようになった [24]。


VI. 結論:法律学の「学問化」という壮大な旅


本報告書は、法律解釈が中世の「実務的技術」から、現代の「学問」へと変貌を遂げた歴史を概観してきた。その変遷を以下の表にまとめる。

中世近代現代大学での位置づけ上級学部(専門職養成)下級哲学部との対立、大学での科学化社会科学、法科大学院(研究・教育)教育目的専門職の養成真理の探求と実務的応用の統合高度な専門性と法的リテラシーの育成学問的性格実務的技術理性・科学的探求社会科学主要な研究対象ローマ法・教会法自然法・実定法・判例実定法・社会現象主要な人物/学説ボローニャ大学の法学者たちカント、キルヒマン、ラングデル川島武宜、社会科学としての法学

中世の法律解釈は、自由七科という基礎教養とは別個の、専門職を養成する「実務的な技術」と見なされていた。近代に入り、カントは、法学が「理性」に基づき、社会を批判する学問となりうると提言。これに対し、キルヒマンは「法学は科学として無価値」と痛烈に批判し、法学のアイデンティティ危機を露呈させた。この危機に、ラングデルは判例を科学的に分析することで法学の「科学化」を試みた。

そして現代、法学は、法を社会の動態的な現象として捉える「社会科学」として確立された。これは、中世の「実務」と近代の「科学」という二つの側面を、より高度な次元で統合した結果である。法律学の「学問化」という壮大な旅は、知のあり方が時代とともにどのように変容していくかを示す、興味深い歴史的プロセスなのである。

             了




        資料リンク

昔のヨーロッパの大学ではフィロソフィ(いわゆる学問)ではなかった法解釈

 中世から近世のヨーロッパの大学では法律解釈は、自由七科=フィロソフィ(いわゆる学問)を履修したのち学ぶ専門科目でした。
このことは、カントの最後の著作にも言及されています。

カントによるフィロソフィーと法学

イマニュエル・カントは最後の著作『諸学部の争い』で、中世モデル以来の大学を、法学と医学そして神学の上級学部と哲学の下級学部に分けられているその意味を、批判的に分析しました。上級学部の三つは、いわば国家システムが社会を統治する三つの基準を示している。人間社会を統治し計る基準は法学。」

「あるいは「泥棒してはいけない」というのは法学の領域である、と。これらの三つの分野は、国家があらかじめそのシステムに組み込んでいる正当化の三つの領域を代表している。大学はそういう正当性を与える理論や権威を勉強する場所なのです。しかしながら、下級学部として位置づけられていた哲学は――そこに芸術も入れていいでしょう――そうした社会のプログラムに組み込まれ得る目的に基づいていない。ではそれは必要でないか? という論争があった。それに対する応答が、カントの『諸学部の争い』です。 簡単に言えば、以上の法学、医学、神学という三つの学部は、既存システムに対しての合目的的な判断、つまり合システム的な判断しかできないということです。すると、このシステムそれ自体の良し悪しの判断はどのようにやるか? そのシステムが機能不全になったときにどうするか? 法学、医学、神学は通常の技術(学部)よりも上位ではあるけれど、規定的判断を前提にしている。であれば、規定的な技術を習得させる専門学校の理論編くらいにすぎないことになる。ところが哲学は、こうしたそれぞれの技術内の都合、規定的判断、すなわち突き詰めればそれぞれのシステムの効率、エコノミー、利害に作用されない。いかなるシステムの都合からも離れて判断できる。反対に言えば、下級学部としての哲学は、すべての技術の基礎を学び直すことで、それを問い直すことができる、哲学部のなかにはすべての専門領域が含まれているというわけですね、大学の中の大学だと。哲学だけで大学であると。 それ以外の上級学部、法学部、医学部、神学部は既存の制度を前提として、それを成り立たせる概念から規定的に延長される規定的な判断しかなしえない。

https://kagakuukan.org/jpn/texts/art_education_science

フィロソフィとは

「ラテン語 artes liberales アルテース・リーベラーレース が septemartes liberales セプテム・アルテース・リーベラーレース 自由七科」

「大学は神学部・法学部・医学部が中心であったが、学生はこれら専門学部で学ぶにあたって先ず最初に、すべての技芸=知識の基礎であり、あらゆる専門的技芸=知識の前提・土台となる自由七科を哲学部において習得することが求められた。これが大学における教養課程のルーツである。
ところで、当時「哲学」という学科がもっていた意味合いは、現在とは大いに異なる。哲学は英語で philosophy、ドイツ語で Philosophie[フィロゾフィー]、ラテン語では philosophia[ピロソピア]というが、これは周知のように「知を愛する」という意味である。古典古代・ヨーロッパ中世にあっては、philosophia はまさしく知を愛するということそのものを指しており、つまりは「知識・学問」と同義なのである。」

「下に自由七科のリストを挙げてあるが、これを見ると、ここには哲学は入っていない。なぜなら自由七科すべてが哲学だからである。ところで哲学はその根本的語義からいえば、すべての学問を包括する概念」

「リベラル・アーツ」とはなにか ――大学における「教養」―― 基盤教育センター ドイツ語学科 寺門 伸
https://web.archive.org/web/20111011020422/http://www.dokkyomed.ac.jp/dep-m/german/liberal_arts.pdf

法解釈は学問ではないという見解

キルヒマンの法学の学問としての無価値性(die Wertlosigkeit der Jurisprudenz als Wissenschaft)



https://de.wikipedia.org/wiki/Die_Werthlosigkeit_der_Jurisprudenz_als_Wissenschaft

価値性法学の科学性に対する懐疑としては,1847年にドイツの裁判官J.vonキルヒマンが行った〈法律学の学問としての無価値性について〉という講演が有名である。キルヒマンはこの中で,法という人為の産物であり時勢とともに変遷する対象を扱う法学は厳密な意味で学問の資格を有しないと説き,〈立法者が三たび改正のことばを語れば万巻の法律書が反故(ほご)と化する〉と主張した。

https://kotobank.jp/word/キルヒマン-53855

キルヒマン「法学無価値論」の歴史的意味
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17166/KJ00000150308.pdf

https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001201669676288


Wissenschaft(いわゆる学問)とは

ラテン語のscientiaは「知識」全般を指し示す言葉であった。が、この意味そのままにフランス語のscienceとなり、17世紀には英語圏でscience、ドイツ語ではwissenschaftという訳語が与えられた。日本では「科学」と訳された。 本来は「知識」全般を意味したが、各国語ではその意味内容に微妙な違いがある。「知識」という一般性から、ある特別な知識という専門的な意味性を持つようになったのである。これは12世紀以降のアリストテレスのラテン語訳稿本で使われていたscientificusという形容詞の意味から派生したと言われている。それは、限定され、体系的で正確でしっかりとした知識という意味であった。したがって、英語圏では、ユークリッド幾何学のような演繹的に組み立てられた知識体系や、実験や観察から得られた知識を指し、これが今日では学問という意味に繋がっている。それを受けて、研究活動を職能とするscientistという言葉が1830年代に作られた

http://www.kazuokawasaki.jp/kk/9_designlang2.php?cid=11&del=2

「科」学も一種の誤訳です.ラテン語でscientia,英語ではscience,ドイツ語ではWissenschaft,共に,知識一般という意味しかなく,そこには「(分)科」した,つまり「科・目」に「分・科」あるいは「分・類」された,分かれた,という意味はいささかもないのです.わたしは,ただ1つの自然の存在に対応したただ1つの自然学がある,と主張するものですが,これは,ヨーロッパ語圏ではまことに自明なことにすぎません

https://web.archive.org/web/20170504102922/http://laboratory-for-metaphysics.org/metaphysics0.html

WissenschaftとScience

この二つの用語とも元来は知識、学問を指すもので、自然科学やその他の学問を分割して示すものではなかった。Scienceはラテン語の動詞Scire(Scio知る)を名詞化したScientia(知識)から来たもので、この言葉に於いては哲学と今日で言う自然科学の差はない。ドイツ語のWissenschaftも全く同様で、ドイツ観念論哲学を訳すときこの言葉は「学」とか「学問」とか訳されている。Scienceがもっぱら自然科学を意味し始めたのは特にドイツなどで多くの自然科学者が輩出し始めた1850年以後であろうと推測される。以前は有名な哲学者でもこの両方の領域に手を染める人がいたのは周知の事実であるが、一番古いところではアリストテレスなどが代表的なものであろう。微分、積分法の発見をニュートンと争ったライプニッツ、虹の原理を考えたスピノザ、カント、惑星軌道について卒論を書いたヘーゲルなどなど。

https://web.archive.org/web/20150325145806/http://chikyuza.net/xoops/modules/news2/article.php?storyid=83

https://note.com/mototchen/n/n04060f7cc2b4


アメリカにおける法学と学問観へのラムザイヤーの批判

 アメリカでの法学と学問アメリカにおいて、法学を学問として取り扱っていることに対して、ラムザイヤーにより、法学には研究方法論がないため学問ではないとの批判されています。

米国の伝統的な法学研究の誤りは、法を「法学」という学問として取り扱おうとしたところにあったのである。なぜなら、学問には研究の方法論 (methodology) が必要であるが、法学には (判例や立法の整理以外には) 何の方法論もなく、作ろうと思っても作れないからである。それは、「法」が研究方法の人つではなく (また、社会科学の分野の一つでもなく)、社会の一つの「現象」にすぎないからである。いい換えれば、「法」、「社会に対する法の影響」、または「法に対する社会の影響」等は、研究の方法ではなく、研究し得る客体にすぎないのである。そして、その法という客体を研究するには何らかの方法論が必要であり、法学にはその方法論が全くないため、社会科学的研究を行うには他の分野から方法論を持ち込まざるを得ないのである。

ラムザイヤー『法と経済学』序文
https://ci.nii.ac.jp/naid/130006733421

https://nuc.hatenadiary.org/entry/20100716/p16

https://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC

https://cir.nii.ac.jp/crid/1520572359537249536


日本における法解釈と科学(社会科学)

 日本の法学部における研究者の見解では法解釈は「科学」ではないとされています。そこで、法解釈を科学たらしめるため、川島武宜は『科学としての法律学』を著しました。

解釈学説は科学的認識作用ではない

宮沢俊義(としよし)で、その著『法律学における「学説」』(1936)において、法学説を「理論学説」と「解釈学説」に分類し、後者は実践的意欲の作用で、科学的認識作用ではないとしている。第二次世界大戦後も来栖(くるす)三郎らによって「法解釈学の客観性」への疑問が提起され、法解釈学の実践的性格、法社会学的認識を取り入れる必要性などが一般的に承認されている。

https://kotobank.jp/word/法学-131828

法解釈は「科学」ではない

教授が指摘されるのは、「法解釈学は『科学』ではない」ということであって、教授によれば、取り分け、法学の核心を成している法解釈学は「科学」から最も疎遠な学問である。そこには多数説と少数説はあっても「正解」は無い。従って、小学校以来、正しいとされる数々の知識を詰め込まれ、試験問題には必ず正解があるものと思い込んで来た学生達にとって、これほど取りつき難く馴染み難い学問は無い

大学の法学部における法学教育の目的(一) 西尾論文

http://www.law.tohoku.ac.jp/~fujita/nagoya.html

川島武宜『科学としての法律学』

 法解釈は科学か?という論争への答えとして、川島武宜は『科学としての法律学』を著し法解釈を科学たらしめようとしました。

科学としての法律学 解説
http://www.meiji-yuben.net/rec/2016/dokusyokai28sano.pdf

関連

https://posfie.com/@natsukimale/p/X6c0MOO

すべてのアメリカ人のための科学http://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf

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