不可知論的唯物論とは
筆者の世界観、不可知論的唯物論について記しておきます。
by Grok
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不可知論的唯物論について
以下、提供された材料とネット上の情報をもとに、「世界観である不可知論的唯物論」を論じます。引用出典を明記し、簡潔かつ論理的に説明します。
お急ぎの方は以下どうそ。
世界観とは
世界観は、形而上学的観点から世界を統一的に把握するもので、知的側面だけでなく実践的・情緒的側面を含む包括的な視点です。
哲学だけでなく、神話、宗教、文学、美術など多様な領域で現れ、人生観と密接に関連します。
楽天主義、厭世主義、宗教的世界観など、さまざまな立場が存在します
(ブリタニカ国際大百科事典)。(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
観念論と唯物論の対立
エンゲルスは『フォイエルバッハ論』で、哲学の根本問題を「思考と存在の関係」と定義し、観念論と唯物論の対立を強調します。
観念論は精神を本源とし、世界の創造を認める立場で、不可知論もここに含まれるとされます。
一方、唯物論は自然(物質)を本源とし、精神は物質の産物とみなします(エンゲルス『フォイエルバッハ論』)。
この対立は、創造主の存在や世界の永遠性をめぐる議論にも及びます。(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
唯物論の定義
唯物論(materialism)は、ラテン語の「materia(材料)」に由来し、アリストテレスの「ヒューレー(質料)」と結びつきます。
ヒューレーは形相(エイドス)と対になり、事物の生成を説明する概念です。
質料はそれ自体では無規定で、形相によって限定される消極的要素であり、物質とは区別されます(日本大百科全書)。
唯物論は、物質的な世界が唯一の現実であり、精神や意識は脳という物質的器官の産物とみなします(エンゲルス『フォイエルバッハ論』)。(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
精神・認識の唯物論的解釈
唯物論では、精神や認識は脳の機能に還元されます。精神は人間の脳内にのみ存在し、独立した「魂」や「霊」は認められません(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』)。
例えば、ジュリアン・バッジーニは、宇宙には物理的な素材のみが存在し、そこから心や美、道徳的価値が生じると述べています。
この立場は、精神を物質から切り離して自然に持ち込む観念論的発想を否定します。[](https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)[](https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
機械論と生気論
唯物論は機械論と結びつき、ヒトの学習や創造性を脳のハードウェアとソフトウェアの機能として説明します。
一方、観念論に近い生気論は、魂や神秘的なエネルギーによる説明を重視します。
例えば、幽霊の存在を信じる人は生気論寄りとされますが、唯物論では幽霊も脳内の神経電気的像に還元され、物質的霊体の存在は否定されます(王充の論、)。
機械論と生気論は明確に二分できないものの、唯物論は科学的な説明を優先します。(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
計算脳科学
計算脳科学は、唯物論的視点から脳の機能を計算モデルで解明する学問です。
脳の神経回路や意思決定の計算機構を研究し、精神現象を物質的プロセスとして理解します(文部科学省、理化学研究所)。
これは、唯物論が精神を脳の産物とみなす立場を科学的実証として裏付けます。(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6) ##
不可知論
不可知論(agnosticism)は、事物の本質や神の存在を認識できないとする哲学的立場です。
ヒュームの経験論やカントの「物自体」論に起源を持ち、現象を超える知識を否定します(Wikipedia)。
例えば、カントは物自体は認識不可能とし、時間や空間といった主観形式を通じて現象のみを認識できると主張しました。
不可知論は、真理の認識を不可能とする点で唯物論と対立しますが、唯物論者が不可知論的立場を取る場合、物質的現実を認めつつ、その完全な認識が限界を持つと考えることがあります。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E4%25B8%258D%25E5%258F%25AF%25E7%259F%25A5%25E8%25AB%2596)(https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E4%25B8%258D%25E5%258F%25AF%25E7%259F%25A5%25E8%25AB%2596)
ヒトは本当の世界を知り得ない
不可知論的観点では、ヒトは脳の機能範囲に制約され、現実世界を100%正確に認識できません(ヨセフ・ディーツゲン、三浦つとむ)。
脳は過去15秒間の情報を平均化して世界を構築するため、知覚は本質的に不完全です(ナゾロジー)。
この限界を補うため、ヒトは抽象化や捨象を通じて世界を把握しますが、個人の経験や記憶に依存する偽記憶により、知覚はさらに歪みます。(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
説明できない現象と不可知論
現代では、説明できない現象(例:古代宇宙飛行士説)は不可知な事項として扱われ、科学的証拠がない限り信じられません。
科学者は神秘体験を「偶然」と表現して公表を避ける傾向にあり、不可知論的態度が科学的探究と両立することが示唆されます。(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
不可知論的唯物論の世界観
不可知論的唯物論は、唯物論の物質的本源性を認めつつ、認識の限界を不可知論的に受け入れる世界観です。
物質的世界が唯一の現実であるとする唯物論の立場を基盤に、ヒトの脳の制約によりその全貌を把握できないとする不可知論を融合させます。
この世界観は、科学的探究を重視しつつ、未知の領域に対する謙虚な姿勢を保持します。
例えば、計算脳科学は脳の物質的機能を解明しますが、認識の限界を認め、神秘的な説明を排除します。
不可知論的唯物論は、観念論の神秘主義や生気論を退け、物質的現実を基盤に据える一方、ヒュームやカントの影響を受け、完全な真理の認識を控える立場です。
これにより、楽観主義や宗教的世界観とは異なり、科学的実証と認識の不確実性を両立させる現実的かつ慎重な世界観を形成します。
結論
不可知論的唯物論は、物質的現実を基盤としつつ、認識の限界を認める世界観です。
唯物論の科学的厳密さと不可知論の謙虚さを組み合わせ、現代の脳科学や哲学的議論に裏打ちされた包括的視点を提供します。
未知への探求を続けながら、認識の不完全性を自覚するこの立場は、哲学、科学、人生観の交差点で独自の意義を持ちます。
引用出典
- ブリタニカ国際大百科事典、日本大百科全書[](https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
- エンゲルス『フォイエルバッハ論』(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
- 三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
- ナゾロジー、Wikipedia[](https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)(https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E4%25B8%258D%25E5%258F%25AF%25E7%259F%25A5%25E8%25AB%2596)
- 文部科学省、理化学研究所[](https://note.com/mototchen/n/n6f3ee98915c6)
以下資料です
世界観とは
形而上学的観点からの世界についての統一的把握をいい,知的側面ばかりではなく実践的,情緒的側面をも含めた包括的世界把握を目指す。世界観は広く人生観と関連し,哲学ばかりではなく,神話,宗教,文学,美術など芸術の領域にも見出される。
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3-86660#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4
世界観【せかいかん】
— 世界観とは (@sekaikan_towa) March 9, 2017
世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ。知的なものにとどまらず、情意的な評価が加わり、人生観よりも含むものが大きい。楽天主義・厭世主義・宿命論・宗教的世界観・道徳的世界観などの立場がある。
出典|小学館
世界観【せかいかん】 世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ。知的なものにとどまらず、情意的な評価が加わり、人生観よりも含むものが大きい。楽天主義・厭世主義・宿命論・宗教的世界観・道徳的世界観などの立場がある。 出典|小学館
観念論と唯物論
マルクス主義であったエンゲルスは、『フォイエルバッハ論』で、世界観である観念論(唯心論、不可知論を含む)と唯物論とが、本源が精神か自然かで対立していると主張しています。
それに加え、世界を創造したのは創造主かそれとも、世界は永遠の昔から存在しているのかでも対立しているとしています。
「すべての哲学の、とくに近世の哲学の大きな根本問題は、思考と存在との関係の問題である。」
「存在に対する思考の位置という問題は、中世のスコラ哲学においても大きな役割を演じており、なにが根源的か、精神かそれとも自然かという問題は、教会にたいしては、神が世界を創造したのか、それとも世界は永遠の昔から存在しているのかという問題にまで尖鋭化していた。
この問題にどう答えたかに応じて、哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂した。自然にたいする精神の本源性を主張し、したがって結局なんらかの種類の世界創造を認めた人々は――そしてこの創造は哲学者のばあいしばしば、たとえばヘーゲルのばあいのように、キリスト教におけるよりもずっと奇妙で馬鹿らしいものであるが――観念論の陣営をつくった。自然を本源的なものと見た人々は、唯物論のさまざまの学派に属する。」
「観念論と唯物論という二つの言葉は、もともと右に述べた以上の意味をもっていないし、ここでもまた他の意味につかってはいない。これ以外の意味をそれにもちこむと、どんな混乱が生じるかは、後にあきらかにされるであろう。」
「われわれ自身がその一部である物質的な、感覚的に知覚しうる、世界が唯一の現実の世界であり、われわれの意識と思考は、それがどんなに超感覚的に見えようとも、物質的で肉体的な器官、脳髄の産物である。物質が精神の産物ではなくて、精神それ自身が物質の最高の産物にすぎない。これは言うまでもなく純粋の唯物論である。」
――ルートヴィッヒ=フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結――
松村一人訳/岩波文庫(昭和35年5月5日)http://web1.nazca.co.jp/hp/nzkchicagob/DME/Feuerbach_ron2.html
http://adat.blog3.fc2.com/?cat=28&page=0
唯物論
唯物論は、“materialism(マテリアリズム)”の和訳です。
ラテン語の“materia(マテリア)”から派生です。マテリアは材料のことですが、アリストテレスのヒューレー質料のことでもあります。
質料(しつりょう) (ヒューレーhlē)
形相(エイドス)とともに、生成する存在者の構成要素をなす。事物の生成は、事物を限定して形成する要素(形相)と、この限定を受け入れる要素(質料)の二要素によって考えられる。アポロンの彫像についていえば、アポロンの形姿は形相であり、石材または青銅材は質料である。動物についても同じように、それをある特定の種として限定しているものが形相であり、肉や骨や筋をなす成分は質料である。
質料を意味するギリシア原語はヒューレーであって、本来は木材を意味した。つまり「加工を受けて、何かになる元」がヒューレーである。ラテン語でmateria〔matter(英語)、matière(フランス語)〕と訳される。英語のmatterは物質をも意味するが、質料としてのmatterは、限定を与える形相に関係して考えられる消極的要素であって、それ自身では無規定な、認識しえぬものであり、それ自身である一定の性質を備えたものとして考えられる物質とは異なる。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説https://kotobank.jp/word/%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%99%E3%81%A8%E3%81%A6%E3%82%8C%E3%81%99%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%A6%82%E5%BF%B5-1614434#goog_rewarded
精神・認識の唯物論による解釈
唯物論では精神・認識は脳の機能ととらえています。
唯物論の立場からすれば、精神は人間の頭の中にしか存在しません。人間をはなれて、世界のどこかに存在する精神などというものを認めるのは、人間の精神を空想的に人間の頭から切りはなして、自然の中へ持ちこんだものだといわなければなりません。(「弁証法はどういう科学か」三浦つとむ)
— フルハシ ヤストシ(鎌倉読書教室) (@shonanmanabiya) July 23, 2019
唯物論の立場からすれば、精神は人間の頭の中にしか存在しません。人間をはなれて、世界のどこかに存在する精神などというものを認めるのは、人間の精神を空想的に人間の頭から切りはなして、自然の中へ持ちこんだものだといわなければなりません。
https://x.com/shonanmanabiya/status/1153809239137067010
唯物論では魂、心も脳から発するということです。
「大部分の無神論者が実際に信じているものは、宇宙にはたった一種類の素材しか存在せず、それは物理的なものではあるが、この素材から、心、美、感情、道徳的価値 ―― 要するに人間の生活に豊かさを与える現象の一切合切 ―― が生じるということなのだ」 ― ジュリアン・バッジーニ
— 無神論bot (@Atheist_JP) March 24, 2023
「大部分の無神論者が実際に信じているものは、宇宙にはたった一種類の素材しか存在せず、それは物理的なものではあるが、この素材から、心、美、感情、道徳的価値 ―― 要するに人間の生活に豊かさを与える現象の一切合切 ―― が生じるということなのだ」 ― ジュリアン・バッジーニ
機械論と生気論
生物について唯物論の機械論と観念論の生気論があります。
機械論者の立場では、ヒトが学習したり創造性を発揮できるのは、それができるハードウェアとソフトウェアが脳内にあるからだ…と考えます。
— Rootport🔥 (@rootport) February 14, 2025
一方、生気論者は、ヒトが学習したり創造性を発揮できるのは、魂や霊やその他科学では扱えない何か神秘的なものがあるからだ…と考えるはずです。たぶん。
機械論者の立場では、ヒトが学習したり創造性を発揮できるのは、それができるハードウェアとソフトウェアが脳内にあるからだ…と考えます。 一方、生気論者は、ヒトが学習したり創造性を発揮できるのは、魂や霊やその他科学では扱えない何か神秘的なものがあるからだ…と考えるはずです。たぶん。
機械論と生気論は、じつは綺麗に二分できるものではないと思います。とはいえ、「ヒトの体内には霊魂などの物理的・化学的に扱えないエネルギーのようなものがあるはずだ」と信じていたり、幽霊やテレパシーやサイコキネシスの存在を信じている人は、生気論〝寄り〟だと言えるでしょう。
— Rootport🔥 (@rootport) February 14, 2025
機械論と生気論は、じつは綺麗に二分できるものではないと思います。とはいえ、「ヒトの体内には霊魂などの物理的・化学的に扱えないエネルギーのようなものがあるはずだ」と信じていたり、幽霊やテレパシーやサイコキネシスの存在を信じている人は、生気論〝寄り〟だと言えるでしょう。
なぜこんな話をするかというと、世間では「ゆるめの生気論者」がめちゃくちゃ多いからです。幽霊の存在を信じる日本人の割合は、たぶん「進化論は嘘で神がすべての生物を想像した」と信じているアメリカ人の割合よりも多い。「私は霊感が強いほうなんだ」と真剣に言う人の多さには驚かされる…
— Rootport🔥 (@rootport) February 14, 2025
そういう生気論者の人が深層学習の説明をどんなに聴いても、仕組みを知れば知るほど「これはただの検索と合成だ」という確信を深めてしまうかもしれません。そこには魂も霊魂も、その他の神秘的なエネルギーも登場しないので。ただのハードウェアとソフトウェアの話しか出てこないので。
機械論
霊体などについては、裸の幽霊ではなく、服を着た幽霊しか観測されていないことから、衣服に霊体はないのでby王充、おなじく人間にも、いわゆる物質としての霊体もないことになります。
また、認識の本源は自然物質脳ですが、その機能により神経電気的像があり、脳内の幽霊像においても電気的ものだといえます。
夫為鬼者,人謂死人之精神。如審鬼者死人之精神,則人見之宜徒見裸袒之形,無為見衣帶被服也。何則?衣服無精神,人死與形體俱朽,何以得貫穿之乎
「世謂.死人〔死〕爲鬼,有知,能害人.試以物類驗之,死人〔死〕不爲鬼,無知,不能害人.何以驗之.驗之以物.人,物也;物,亦物也.物死不爲鬼,人死何故獨能爲鬼.」
「世に謂う.人が死ぬと鬼となり,知があるので能く人に害を及ぼす.試しに万物でこれを試してみても,人は死んでも鬼にならないし,他人に害を及ぼすこともない.何で解るかというと,人は物であり,人以外の物もまた物である.物は死んでも鬼にならないのに,人だけが何で鬼になろうか.」
医書における「鬼(神)」について―諸子との比較を含めて小髙 修司 268-269phttp://jshm.or.jp/journal/54-3/265.pdf
http://karagenki773.blog112.fc2.com/blog-entry-230.html
https://note.com/mototchen/n/n473262d2074a
計算脳科学
理系の脳の科学研究事例です。
計算脳科学
https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2020/FR/CRDS-FY2020-FR-02/CRDS-FY2020-FR-02_20107.pdf
https://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/hojyo/chukan-jigohyouka/1340509.htm
https://www.riken.jp/research/labs/cbs/neur_circ_comput/index.html
https://note.com/piyopiyo1019/n/n7c3ced8739ed
不可知論
#1100words #WEEK24DAY4
— aya🌟英会話スクール講師🌸🎁💐 (@aya21200259) June 12, 2024
agnostic..不可知論者(宗教に関心を持たないか特定の宗教を信仰しない人について用いる。神や天地創造に関することは不可知だと認識する人)
atheist..無神論者・不信心者(神の存在を否定する人) pic.twitter.com/1lmpGZg9R4
agnostic..不可知論者(宗教に関心を持たないか特定の宗教を信仰しない人について用いる。神や天地創造に関することは不可知だと認識する人) atheist..無神論者・不信心者(神の存在を否定する人)
agnostic 不可知論
(間違えて消したので再掲)
— イーブイちゃん(スキマネタマニア編集、盆踊りDJ鈴木、しょぼ黒) (@nurikabeebe) November 28, 2021
科学と信仰・不可知論的な立場について語るときに
もっと有名になったほうが良いなと思う単語に「アグノスティック(agnostic)」があります。
自分は立花隆の『脳を鍛える』で初めて触れた言葉でした。
脳を鍛える (東大講義 人間の現在1)https://t.co/psqiqTDXUW pic.twitter.com/ouXII9hIjq
科学と信仰・不可知論的な立場について語るときに もっと有名になったほうが良いなと思う単語に「アグノスティック(agnostic)」があります。 自分は立花隆の『脳を鍛える』で初めて触れた言葉でした。 脳を鍛える (東大講義 人間の現在1)
https://amzn.asia/d/eJVFAjT
ヒトは本当の世界を知り得ない=不可知である存在
ヒトは本当の現実世界を100%認識し尽くすことはできません。
われわれはいかにもすべての客体を認識するであろうが、しかしどの客体をも認識しつくし、知りつくし、或いは把握しつくすことはできない
三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』p.109
身体の外側にはリアルな物理世界があるけれど、ヒトは脳という器官の機能範囲によってしかそれを感覚できず、そして脳は感覚受容器が捕らえた外界情報を100%正確に感覚できないのです。
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/105164
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abk2480
https://www.cell.com/neuron/fulltext/S0896-6273(20)30186-0
ヒトが、100%を感覚できないという条件で世界を把握するために作った方法が抽象化です。それは捨象で本質と思うもの以外を捨てさる方法でもあります。
https://diamond.jp/articles/-/305182
ヒトは個人として未知の体験に遭遇すると、記憶の中から似た前例を引っ張り出してきて、その記憶で知覚を補間する偽記憶であります。
物理的や社会的に同じ事象に対しても、その個人が持っている体験ライブラリの中身によって補間の方向や度合決まる。
これは現在のAIと類似していると思います。
ヒトは説明できない現象に遭遇しても公にはしなくなった
学校に美術を学ぶ時間はあるが生命や宇宙の神秘を理解する時間はない。そればかりか先端的知識や金を畏敬の対象にしている。優れた科学者の科学的探究の動機はほとんどが神秘体験から始まっている。論文以外の発言を注意深く読めば、しばしば偶然という概念で発見した神秘に触れないように書いている。 pic.twitter.com/gjB8TV758K
— 梶川泰司 (@synergetics_jp) February 17, 2025
学校に美術を学ぶ時間はあるが生命や宇宙の神秘を理解する時間はない。そればかりか先端的知識や金を畏敬の対象にしている。優れた科学者の科学的探究の動機はほとんどが神秘体験から始まっている。論文以外の発言を注意深く読めば、しばしば偶然という概念で発見した神秘に触れないように書いている。
古代宇宙飛行士説
非常に好きなのですけど、強力な物的な証拠はないので別に信じてはいません。不可知な事項というだけです。もし彼らが飛来してきても、驚きはちょっとだけするでしょうけど。w
https://web-mu.jp/history/40899/
https://karapaia.com/archives/488121.html
